呪いの歌
決行は、収穫祭の日。領主館の庭で、村ぐるみの祝宴が開かれる。収穫物を運び込む村人たちに、領主がご馳走を振る舞うのだ。クラウゼ家は領主の歓待と祭りの進行に追われ、人々は屋敷に集まる。絶好の機会、とはユリアーナの言だ。
陽が傾き始めたのを合図に、エッダは家を出た。肩から提げた革袋を、しっかり抱える。中身は、ユリアーナが屋敷から持ち出してきたものだ。覚悟の重みを感じながら、斜面を下る。
ユリアーナとは、村を出た先で落ち合う約束だった。大通りをはずれ、草をかき分けて進む。赤い花が、別れを告げるように揺れた。枯れ野原から芽吹いた花。励まされた心地で、足に力を込めた。高い塀越しに、収穫祭の盛り上がりが伝わってくる。その横を無事に抜け切り、緊張の糸が緩んだのかもしれない。
「あんた、何してるんだい」
正面の人影に気づくのが遅れた。なぜ、こんなところに人がいるのだろう。教会の裏手なんて、普段から人が来るような場所ではない。収穫祭には参加していないのか。引き返すべきか。逃げ出す方が不自然か。
巡る思考は、夕日に照らされた女の顔を見て霧散した。
「あんたの……あんたの、せいだ。あんたのせいで」
ぎょろりと剥かれた目。絡みつく怨嗟。どこの誰だか分からない。それなのに、憎しみは矢のようにエッダを射貫く。
「あんたのせいで、うちの子は死んだんだ」
低く落とされた声が、やけにくっきりと響いた。
女が一歩、また一歩とこちらへ向かってくる。つられて、エッダも後退る。
「あんたのせいだ。あんたが殺したんだ。見たんだよ、あたしは。この間も、ふらふらと歩いていただろう」
女の剣幕は、徐々に激しさを増していく。たちまち詰め寄られ、骨張った指がエッダの腕に食い込んだ。血走った眼球が間近に迫る。
「だから死んだんだ。あんたの呪いで! なんでうちの子なの。あの子は何もしてないでしょう。復讐のつもり? こそこそと村うろついて、不気味な力を振りまいて、根絶やしにでもしようっていうのかい。インゴルフ様のお情けで、生きているくせに。この恩知らずが! あのとき、火炙りになっちまえばよかったんだ」
違う。インゴルフはエッダに温情を示したわけではない。問題が領主の耳に入り、心証が悪くなるのを恐れただけだ。クラウゼ家の保身のために、エッダの声は封じられた。
「そしたら、うちの子は死なずに済んだ!」
違うのに。こうやって、事実は易々と捻じ曲げられる。
彼らだって分かっているはずだ。呪いの歌に、そんな力はない。本気でエッダのせいだと信じているのなら、とっくに村を追われているだろう。それこそ火炙りにされていてもおかしくはない。だけど、彼らはただ責め立てる。エッダが反論できないと知っているから。
手前勝手に事実を曲げれば、その歪みの中で圧し潰される者がいる。エッダや、ユリアーナのように。そんなのはもう、たくさんだった。
「私は、何もしてない」
一瞬の静寂。熱い鍋に触れたかのように、女の手がぱっと離れた。遅れて、どよめきが広がる。屋敷にほど近い場所まで追い込まれていたらしい。いつの間にか集まった野次馬は、蜂の巣をつついたような騒ぎだ。「インゴルフ様を呼べ」「捕まえろ」という声に、エッダは慌てて走り出した。考えるより先に、足は坂道を駆け上がる。
ひっそりと暮らすことで、自分は無害だと証明してきたつもりだった。だけど、誰の目にも留まらないということは、誰も見ていないということだ。存在を殺すだけでは、何も変わらない。いつまでもエッダは悪魔のままで、だからこうして追いかけられる。人として生きられるところへ逃げたいと願うのは、そんなにいけないことなのか。
「逃げられやしないよ」
後ろで誰かが、そう言った。崖を前に振り返れば、一様に歩調を緩め余裕の表情を浮かべている。逃げられない。逃げ場が、ない。渓谷から、ひゅうひゅうと風の音がする。悪魔の呼び声だ。火に焼かれるよりは、落ちる方が楽だろう。この状況で、選び取れるもの。エッダを囲む輪は、着実に縮まっていく。
「やめて! 近づかないで!」
叫んだのは、エッダではなかった。人垣から飛び出したユリアーナが、エッダを背に庇う。
「エッダは私の友だちよ。手荒な真似はしないで」
「リアナ……」
その先に続く言葉が見つからなかった。謝っても事態は好転しないし、捨て置いてくれと頼んでも彼女は聞き入れてくれない。計画は失敗だ。
全身から力が抜けていく。計画、だなんて。そんな立派なものではなかった。無謀だった、分かっている。運良く村を出られたところで、いつ野垂れ死んでもおかしくないような、運任せの賭けだった。手の震えが収まらない。脚の感覚もない。臆病な厄介者、それが自分だ。エッダがどうなろうと、ユリアーナは予定どおりツヴァイク家へ嫁いでいくのだろう。彼女だけなら、きっと隙を見ていつでも逃げられる。ユリアーナに選択肢を示せたのだから、エッダが動いた意味はあった。無謀だったが、無駄ではなかった。どうしよう。良かったと思ってしまった。乾いた笑いが漏れる。良かったと、そう思う。なのに。
「どうしよう。諦めたくないの」
吐き出した欲は大きすぎて、鼻の奥がつんと痛んだ。こちらを向いたユリアーナが、くしゃりと泣き出しそうな顔で「そうね」と同意する。そして、にっと口角を上げた。
「エッダ、歌いましょうか」
「え?」
「お願いよ。私ね、またエッダと一緒に歌えたらって、ずっと思っていたの。もう我慢する必要ないでしょう?」
「そう、だけど、今?」
「こうなったら、祈るくらいしかできないもの」
「そんな……」
「それに、十年分の祈りなら、聞き届けてもらえるかもしれないじゃない?」
そう言って、ユリアーナは本当に歌い始めた。いったい、何を考えているのか。解せないまま、エッダは息を吸い込む。ユリアーナが望むなら。歌う理由なんて、それだけで充分だった。
災いを
「何をしている」
割って入ったのは、インゴルフだった。離れていても、怒りにわなないているのが見て取れる。怯んだエッダの肩に、ユリアーナが手を添えた。と思ったら、インゴルフの姿が消えた。代わりに、切り立った崖がエッダの前に聳え立つ。
「歌って。お父様にも、あなたの歌を聞かせてやって」
らしくない言い方に、口元が緩んだ。父親に対峙する彼女の熱を、背中で感じる。
「ユリアーナ。彼女を連れて、こちらへ来なさい」
「お父様。私、お姉様にお会いしてみたかったわ」
歌え。すべてを出し切るように。
声が、谷に反響する。
「何を言っている。いいから早く」
「お姉様と、お父様とお母様と、市場に行ってみたかった」
歌え。綺麗じゃなくていい。みっともなくていい。だってこれは、呪いの歌だ。
悪魔の手招く声がエッダの思いを乗せて、村を撫でていく。
「……なんだ、急に。何の話だ。いい加減にしろ! ツヴァイク家の方々もいらっ
しゃってるんだ。ユリアーナ。恥をかかせないでくれ」
「ずっと、ずっとクラウゼ家の名に恥じぬよう努めてきた。そう思ってた。でも、
違ったわ。私はただ、お父様やお母様に褒めて欲しかっただけだったの」
歌え。もっと、もっと大きな声で。
溜め込んだ鬱憤が、押し殺した祈りが、どこまでも届くように。
「親不孝な娘でごめんなさい」
ぐいと手を引かれる。翻った金髪が頬を掠め、足が地面から離れた。
ごうごうと空気を裂く音。落ちる。内臓が浮き上がる。意識が、遠退く。
気がつくと、そこは一面の花畑だった。真っ白な花の上に、横たわっている。咄嗟に天国という単語が浮かんだものの、上体を起こすと全身が痛んだ。
「エッダ!」
すぐ近くで響いた自分の名前に、はっとする。ユリアーナはずぶ濡れで、だけど動いていた。生きている。ユリアーナも、エッダも。目頭が熱くなっていく。
「大丈夫? 無理しないで」
身を乗り出すユリアーナへ、縋り付いた。
「無事でよかった……!」
ごめんなさい、と彼女がすすり泣くから、エッダも嗚咽を堪えられなかった。ふたりで、わあわあと泣きじゃくる。
「エッダのおかげよ」
ひとしきり涙を流したあと、ユリアーナから受けた説明はごく簡単なものだった。渓谷に
「ありがとう。本当に、助かったわ」
「ちょっと待って。……もしかして、そのために歌おうなんて言ったの?」
おそるおそる聞けば、何を勘違いしたのか「一緒に歌いたかったのは本心よ」と焦ったような釈明が返ってきた。違う。引っかかっているのは、そこではない。
「もし木がなかったら、どうするつもりだったの!」
「生えてるって知ってたもの。エッダも食べたでしょう」
叱責に、抗議が返る。悪魔の谷で取れた赤い実を、ふたりで食べた。だから木が生えているのも、下が川なのも知っていたのだと、彼女は主張する。それでエッダが納得すると、本気で思っているのだろうか。逆に言えば、それしか分かっていなかったということだ。危険すぎる。飛び降りるなんて、正気の沙汰じゃない。どちらも助かる保証なんてなかった。
眉間に力を込め、渋面を作る。が、堪えきれずに吹き出した。無謀だ。エッダの比じゃない。無茶苦茶な賭けだ。先が思いやられる。だけど妙に清々しくて、笑いが止まらなかった。
「リアナ。生きようね」
ぱちぱちと瞬き、ユリアーナは顔を綻ばせた。
「まだ大丈夫かい?」
「どうぞ」
「適当に頼めるかな」
店仕舞いの手を止めて、吊るしてあるものの中から干し花を見繕う。この男性客が来るのは、三度目だ。もう常連に数えても許されるだろうかとエッダが考えていると、横からユリアーナが「いつもありがとうございます」と声をかけた。
「かみさんが気に入っててね。冬でも花が飾れるなんて嬉しいってさ」
「お花があるだけで、部屋が明るくなりますから」
「こんなに綺麗な色ならね。干し花って、要は枯れちまった花だろう? なんで茶色くならないのかって、かみさんとも話してたんだよ。職人技だね。立派なもんだ」
「……ありがとう、ございます」
エッダの力が、活かされる道。花を枯らす罪悪感が消えたわけではない。呪いは、いつまでも付きまとう。それでも、干し花を壊さぬよう優しく抱える姿に癒されるのもまた確かだった。
男の背が人混みに紛れるのを見送ってから、じろりと脇へ視線を向ける。ユリアーナが満面の笑みを浮かべていた。
「なによ」
「素直にお礼が言えるのは、いいことだわ」
成長ね。しみじみ感動されると気恥ずかしい。聞こえなかったことにして、エッダは店仕舞いの続きに取り掛かった。
「早く片付けて、明日の仕込みをしましょう」
居間の右奥にある扉を開け、階段を下りる。地上のざわめきが遠退き、蝋燭の灯りは音もなく揺らめく。突き当たりには、もうひとつの扉。体重を乗せて押しくぐれば、そこがふたりの作業場だった。並んだ花の蕾は、静かにそのときを待っている。
「さ、歌って」
ユリアーナに促され、エッダは咽喉を震わせた。隣で覗き込む彼女が、一本の指を指揮棒のように振る。決して大きくはない歌声。けれど伸びやかに、優しく揺り起こすように響かせた声を、エッダは蕾ひとつひとつの上へ注いでいく。
やがて、固く閉じた蕾の先が綻び始めた。
微睡みから覚めた瞳が、ゆっくりと朝陽を受け入れていくかのように。花は、開いた。
朝陽をそそぐ きづき @kiduki
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