最終話 伝説の勇者の力に目覚めた姉から手紙が届きました
届いた手紙を前に、私はどうするべきか考え続けていた。
私はエルミーナ。
かつての大国の公爵家次女であり、神から聖女として選ばれた女。
いいえ、聖女という称号も、意味を持っていたのは三年前までのこと。
大敵たる邪神を勇者と共に討ち滅ぼしたそのとき、聖女としての役割は終わった。
しかし、皮肉にも聖女の名が最も求められたのは、邪神討伐後からだった。
邪神との戦いの中で、私の祖国であるハイデミットは、滅亡した。
肉体を邪神に乗っ取られた国王は邪神と共に滅ぼされて、王都もまた壊滅した。
辛く、激しい戦いだった。
それだけに、あの日のことは記憶に焼き付いている。
今も、まぶたを閉じて思い返せば、戦いの記憶が鮮明によみがえってくる。
かつての王都を舞台として繰り広げられた、あの、光と闇の戦い。
私と同じく、神より勇者に選ばれたのは、誰あろう、私の姉だった。
公爵長女でありながら隠遁していたあの人は神の助力を得ることに成功した。
そして、姉はそれを大義名分として、当時ハイデミットと戦争状態にあった隣国エルトラントと、もう一つの隣国であるヴァーゼルデンの軍を引き込み、邪神討伐のための大同盟義勇軍を結成してしまった。
本当に、つくづくとんでもない人だと思う。
ただ、姉のやり方は、神の名を用いているからこその裏技だ。
そして同時に、それは諸刃とも呼ぶべき、危うさを秘めた方法でもあった。
ハイデミットだけで邪神を討つことはでっきなかったろう。
しかし、敵対していた国まで巻き込んだことで、戦後に問題はが発生した。
邪神討伐後、二国がハイデミットに対価を要求してきた。
それは当然の権利で、助力してもらった以上は対価は必要となるだろう。
神の御名のもとに結成された大同盟でも、戦うのは人間だ。
兵站や武具、兵士など含め、様々なリソースを支払って行われるのが戦争だ。
ここで、両国が武威をもって略奪に走らなかっただけ、まだ有情といえる。
神が選んだ勇者と敵対するような愚を犯したくなかっただけだろうけど。
ただ、そこは共に大陸列強に名を連ねる大国である。
状況的に見て最大限の対価を吹っかけてきた。本当に、抜け目がない。
神の名のもとに結ばれた同盟で、足元を見るようなことを、と思ったものだ。
しかし、自国の利益の追求は、国も統べる者にとっては義務だ。
国にとって得となることがあるなら、それを狙っていくのは正しい判断だろう。
問題は、その時点でハイデミットに支払い能力が残っていなかったこと。
結局、半年ほどの協議の末、領土の割譲を飲まざるを得なくなってしまった。
特に、戦争状態にあったエルトラントに対しては、戦後の賠償も発生していた。
愚かしいことに、エルトラントとの戦争は、こちらから仕掛けたものだった。
最終的に、ハイデミットの国土はかつての七割程度にまで縮小されてしまった。
さらに、問題はそれだけに終わらなかった。
ハイデミットから、他国への人の流出が収まらなかったのだ。
これについては、原因ははっきりしている。
うん、まぁ、邪神が派手にやりすぎすぎたのだ。
ハイデミットの民でいたくない。そんな人が続出しても仕方ないくらいに。
おかげで、邪神討伐後たった一年で、ハイデミットの国力は半減した。
もはや、かつての大陸列強であった頃の権勢は見る影もなく、ハイデミットはよくて大陸中堅国。下手をすれば下から数えた方が早い弱小国にまで成り下がった。
それでも、国が残っただけでも結果としてはだいぶマシな方だ。
姉による働きかけがなければ、ハイデミットという国は確実に消え去っていた。
とはいえ、国が急激に衰えてしまった事実は変わらない。
それに対して、暫定的に国王代理を務めていた王太子は直ちに動いた。
彼は、国王に即位したその日に自ら退位を宣言。
ハイデミットの王位を、自らの妻である聖女に禅譲した。
妻である聖女――、そう、私だ。
私の名はエルミーナ。
正式には、ハイデミット聖王国女王エルミーナ一世。
これは、仕方のないことだった。
かつての旧王家では、もはや国を保てるだけの求心力を持てなかったのだ。
だから、勇者と共に邪神を滅ぼした聖女たる私の出番となった。
神の祝福を受けた聖女である私の即位に疑義を挟む者などいなかった。
エルトラントも、ヴァーゼルデンも、むしろ英断であると賞賛すらしてくれた。
神の御名のもとに戦ったという自国の功績をより広く喧伝するためだろう。
しかし、弱体化したハイデミットを保てるのなら、それはそれでよしとしよう。
事実、私の即位によってハイデミットは大陸で唯一無二の国となった。
神の祝福を実際に受けた国として、国際的に見てもいい立ち位置を得られた。
だがそこに至るまでには、不肖ながらも、私の努力もあった。
即位して二年、とにかく毎日が目まぐるしく動き続けた。常に何か仕事があった。
環境は人を変えるという。
三年前は何も知らなかった愚かな私も、今は多少物事を考えられるようになった。
女王として、常に最前線で他国とやり合って、少しは鍛えられたみたいだ。
かつての王太子であり、今は宰相をしている夫も、私にとてもよくしてくれる。
以前に私が言った数々のわがままも、彼は苦笑しながらも叶えてくれた。
彼が隣にいるから、私は、女王などという分不相応な立場に今も立っていられる。
ただ、本音をいえば、真に王位に就くべき人物は他にいると思っていた。
その人物とはもちろん、私の姉のことだ。
人の上に立つ資質を誰より持ち合わせているのは、間違いなくあの人だから。
即位して以来、それを思わない日はない。
あの人が王になっていれば、もっとうまくやっていたに違いない、と。
しかし、姉は姿を消した。
神に選ばれた勇者は、邪神を滅ぼしたのち、少ししていなくなってしまった。
使用人のマリシアや隠遁していた村の人々と共に。
当然、私は姉が暮らしていた村に人を送り、探させた。
しかし山間にあるはずの村を探しても、全く見つからなかった。
山に踏み入った人間は迷った挙句に、山のふもとに出てしまうのだという。
私は直感した。
姉は、神と何某かの取引をして、村を隠してしまったのだ。
そうした目的は、まぁ、少し考えればわかる。村で静かに暮らすため、だろう。
それが、今日にいたるまでの顛末。
本当に久しぶりに、懐かしい記憶を思い返してしまった。
そうした理由は、私の目の前に置かれた手紙。
つい先日、王宮に届けられたそれは――、姉からの手紙だった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「……はぁ、いつまでも考えてても始まらない、かぁ」
次の政務まで、あまり時間も残っていない。
意を決して、私は手紙の封を切った。
簡素な封筒の中から、奇麗に重ねられた数枚の紙が三つ折りになって入っていた。
この三年間、一度も手紙をよこさなかった姉だ。
一体、どういう風の吹き回しなのか。私は軽くため息しつつ手紙を開いた。
中には何が書かれているのかについては、見当もつかない。
謝罪か。それとも単なる近況報告か。
私は若干緊張しながら、手紙に目を落とし、中身を確かめていった。
『謹啓。
小暑を過ぎ、夏本番を迎えました。
エルミーナ様におかれましては、暑さに負けずご活躍のことと拝察いたします』
そんな書き出しだった。
「……うわぁ」
何、この完全無欠のビジネスチックな書き出し。
あれ、おかしいな。可愛い妹への久々のお手紙よね、これ?
『さて、このたびはエルミーナ様がハイデミットの女王として御即位されましたとの由、誠に祝着至極と存じ上げます。
思えば、エルミーナ様は神より聖女の祝福を賜られた御方。人々を導く立場につくことは運命であり、なるべくしてなったことであるといえるのかもしれません』
とか書いてるけど、そういうあなたは勇者の祝福を賜られた御方ですよね?
『と、挨拶はこれくらいにさせていただきまして――』
お?
『おねえちゃん、子供が二歳になりましたー!』
いきなり爆弾ブッコんできたァァァァァァァァァァ!!?
って、え? 二歳?
生まれた、じゃなくて、二歳? もう二歳!?
待って、しかもいきなり文章砕けすぎっていうか、え、あの、え? え!?
『エリィ、三年前はごめんね。おねえちゃん、とっとと村に帰りたかったの』
あ、ああ、そうなんだ。やっぱりそうだったのね……、うん。
『戦後処理とかは、殿下いるし任せればいいかなーって思って、トマスさんと一緒に村に帰っちゃいましたー。その節はごめんなさい。許してね! ありがとう!』
こっちが許す前提で筆を進めるのやめてよ、ちきしょー!
『それでね、エリィ。聞いて、私ね、トマスさんと結婚したの! やだー、もー!』
それは子供が云々より先に報告するべきことじゃないかなぁ?
『挨拶しなかったことも謝ります。だって情勢がめんどくさすぎ、ゲフンゴフン』
姉さん?
『まぁ、エリィは人気者だし、全部投げちゃえーって思いました。私、英断!』
姉さん???
『結果、今のあなたがあるのですね。私のおかげですね。感謝していいのよ?』
姉さん!!?
「え、何これ、え、これ、本当に、ジョゼット姉さん、なの?」
私は、混乱した。
手紙から感じ取れるキャラクターが、私の知る姉とあまりに違いすぎたからだ。
あれぇ~、姉さんって、こんなにはっちゃけてたっけ……?
混乱は収まらないが、自由にできる時間も少ないのでとにかく手紙を読み進める。
『結婚してから、私はこっちでのんびり農業をしながら暮らしています』
うんうん。なるほど。
『聖剣は、また斧に打ち直してもらいました。切れ味がいいから薪割りに最適です』
うんうん。なるほど。
『この前、子供がマリシアをおばあちゃんと呼びました。本当は違うのに、もう』
うんうん。なるほど。
『マリシアもまんざらではないらしく、子供にはおばあちゃんとして接しています』
うんうん。なるほど。
『こっちは四季がはっきりしていて、農作物の育ちもよくて、本当にいい場所です』
うんうん。なるほど。
『夫も良くしてくれて、私はとても幸せです。二人目の子供も授かりました』
うんうん。なるほど。
『今度、こっちで採れたお野菜を送ります。今年は色々と植えて――』
そこからは、ただひたすらに姉が送る農村スローライフの様子が続いていた。
手紙は八枚綴りで、うち七枚半がテンション高めな近況報告(主に子供のこと)だった。
それを一応ながらも読み終えて、私はため息と共に呟いた。
「……環境は人を変える、ね」
今ほど、その言葉を強く感じたときはない。
農村での生活は、姉の性格をすっかり丸くしてしまったようだ。
かつては、ハイデミットの王宮で悪役とすら恐れられた、あの姉が。
まさか自分の子供が初めて立ったのが嬉しくて、そのときの様子を語るのだけで手紙全体の四割を費やすだなんて、信じられない。
いや、本当は、こっちの姿こそ姉の本来の性格なのかもしれない。
ふとそんな益体もないことを思いついた。
と、私が手紙を封筒に入れ直したところで、誰かが部屋のドアをノックする。
「エリィ、そろそろ次の政務の時間だよ」
ドアを開け、入ってきたのは夫だった。
私は「今行きます」と返して、椅子から立ち上がる。
そして、部屋を出る前に、私は夫へと告げた。
「あなた」
「ん、何だい、エリィ?」
「私、そろそろ子供が欲しいかも」
別に、姉の手紙が羨ましかったからじゃない。
ただ時期的に見てもちょうどいいから、夫にそれを打ち明けただけだ。
「……子供、か。うん、僕も欲しいな」
そう言って、ちょっと照れくさそうに笑う夫を、私は可愛いと思った。
そして私は今日もまた、女王として政務に取り組む。
――おねえちゃんが送ってくれるお野菜、楽しみだな♪
伝説の聖女の力に目覚めた妹から手紙が届きました 楽市 @hanpen_thiyo
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