第25話 伝説の聖女と勇者の力に目覚めた姉妹が全てに決着をつけました

 天の果てまで立ち上り、空を突き破らんとする黒い火柱。

 それは刀身。私とエリィの、尽きることのない怒りが形を得て具現化したものだ。


「「何がバブバブだ、ふざけんなッッッッ!!!!」」


 邪神に対する怒りの叫びと共に、私とエリィは聖剣を振り下ろした。

 漆黒の鋼鉄巨人めがけて、より激しい黒色の火柱が、上から降ってくる。


『バブッ!?』


 巨人から、驚愕の声が聞こえた。

 私達へと肉薄していた巨人は、だが、降り注ぐ火柱を前にその顔を上に向ける。


『グゴゴゴ、こ、こんなもの……ッ!』


 火柱を防ぐべく、鋼鉄巨人は顔の前で腕を十字に組んだ。

 義勇軍の絶え間ない攻撃にもまるで揺るがなかった頑強さを持つ、漆黒の鋼鉄巨人。

 だが、その屈強なる両腕は、黒の火柱に触れた瞬間、その部分が溶解する。


『なっ』


 再び聞こえる驚きの声。

 しかし、そんなことをしている間にも、火柱は巨人の腕を溶かし続けた。


 周りから大きなどよめきが聞こえる。

 この様子を見ている義勇軍の面々も驚きを隠せないでいるようだ。


 しかし、私達からすれば、これは当然の帰結。

 何故ならば、私とエリィが繰り出す火柱は、邪神を殺す力そのもの。

 いや、もっとわかりやすく言うならば、邪神の教えを全否定する力に他ならない。


 邪神バブバブバァバのご神体がどれほどの堅牢を誇ろうとも関係ない。

 それ自体を否定するこの火柱の前では、紙くず同然に焼き尽くされるのみである。


『ぬああああああ、ああああああああああああああああああああああ!!?』


 邪神の悲鳴が響く中、火柱が巨腕を溶かし、削っていく。

 破片はない。何故なら、溶けた雫すら燃え尽きてその場で消滅しているからだ。


 これが怒り。私達の怒り。

 別に好きでも何でもないことを強要され続けてきた、性癖被害者の憤怒の威力。


『や、やめろ! やめ、や! やめて、助けて、た、助け……!』

「そんなことを、毎日、毎晩、ずっと思ってたのよ、私達はァァァ――――!」


 邪神がついに始めた命乞いに、返されるのはエリィの怒号。

 そして火柱はさらに勢いを増して、ついに巨人の両腕を完全に焼き落とす。


『――やめ』


 火柱が、巨人の頭部を直撃する。そこからは、あっという間だった。

 私の腕に伝わってくる感触もほとんどなく、手応えはただただ軽いばかりで。


 けれど、聖剣は最後まで振り下ろされた。


「あれ?」


 という、エリィの疑問符ありありの呟きが、やけに印象に残った。

 聖剣の刀身からも、黒い光が消えていた。

 私とエリィの手は上から下へ、振りぬかれた形になっている。


 手元を見ていた私は、ゆっくりと顔を上げていった。

 それにつられるようにして、エリィも同じように視線を見上げていく。



 見上げた先で――、漆黒の鋼鉄巨人が、真っ二つになっていた。



 その姿に、先刻までの威容は微塵も残っていない。

 肘から先が溶け落ちた両腕が、力なくだらりと下がっていて、ほとんど死体のようだ。


『う、ごごごご……』


 だが、邪神の声がした。

 安堵しかけた私は、ハッと息をのんですぐさま聖剣を構え直そうとした。


『見事、なり。人間よ……。よもや、神たる我に、死をもたらそうとは』


 しかし、続く言葉は今までになく穏やかで、そこからは諦めの色が感じ取れた。

 私もエリィも、警戒は崩さずに、邪神の声に耳を傾ける。


『我が大願、数百年に及ぶ計画も、ついには果たされることなく終わったか』


 言いながらも、そこには笑っているような気配があった。


『性癖は、人に押し付けるものではない。……まこと、真理なり。その通りよな』


 邪神の末期の言葉の端々に、かすかに垣間見えるもの。

 これは、後悔? 邪神は今さらながらに、己の失敗を悔いている?


『我は誤った。ゆえに滅ぶこととなった。それは認めざるを得まい、人間よ』


 邪神が、己の間違いを認めた。

 だが何でだろうか、その物言いに、私は引っかかるものを感じた。


『――そう、我は誤った。我は、な』


 あ、これ、まだ何かあるヤツだ。私の直感がそう告げる。


『だが、我には見えるのだ。そう遠くない未来、この世界のどこかで我と同じく偉大なる志を抱きし神が目覚め、今度こそ健常性癖を名乗る愚民共を正しき道に導くであろう』


 末期の言葉にしては、やけに力強く、そしてはっきりした言い方だ。

 私は、ちらりと自分の肩にとまっている小鳥の神様を見る。


『…………あらぁ』


 あ、これガチの予言だわ。

 神様の様子を見て、私は確信した。


『聖女よ、勇者よ、新たなる神が目覚めるとき、貴様らはすでに年老いて生きておるまい。フ、フハハハ、ファファファファファファ――――、ぐふッ』


 断末魔の笑いを残し、巨人の頭部辺りに大きな爆発が起きた。

 そして、青白い光が空に向かって奔っていくのが見えた。


『邪神が、滅びたのです』


 神様が教えてくれた。

 同時に、私の胸の中に『終わった』、という実感がやっと生まれてくれる。

 だが、それも束の間――、エリィの声が聞こえた。


「あれ、じゃあ、あのおっきいの、どうなるの?」


 エリィらしい、語彙を欠いた言い方である。

 しかしその内容は、とてもではないが笑って聞き流せるものではなかった。


「エリィ」


 私はエリィの手を取って、強引に引っ張った。


「ちょ、お姉ちゃん、何? どうしたの!?」

「逃げるわよ」


「え……?」

「ここは危ないから、逃げると言ったのよ! 走りなさい!」

「わわわ、ひゃい!」


 目を丸くするエリィと共に、私はその場から駆け出した。

 そして、周りの騎士達へとできる限りの大声で呼びかけていく。


「皆さん、退避してください! 巨人がまもなく崩落します!」


 風属性の魔法によって、最大倍率で声を大きくする。

 それに気づいた義勇軍の騎士達は、速やかに行動を開始した。


「退避――! 総員、退避せよ――!」


 その直後、棒立ちになったままだった巨人がゆっくりと震え出す。

 力の源である邪神を失った巨人は、王宮そのものに加えて、周囲の建物や土砂を素材としており、そこに内包される質量はとんでもないことになっている。

 そんなものが王都の真ん中で崩壊すればどうなるか、想像するのは容易い。


「待って、お姉ちゃん!」


 突然、エリィが声をあげた。

 妹はこれから崩れ行くであろう巨人を指さし、


「あそこに、まだお父様がいるの! 助けなきゃ!」

「え、お父様、が……?」


 その言葉に、私も足を止めて巨人の方を振り返る。


「あそこに、お父様が?」

「うん……」


 不安をあらわにしながらうなずくエリィに、私は言葉を失う。

 どうする。今から、お父様を助けに行く。そんなことは、果たして可能なのか。


 本能が、早くこの場を離れろと告げている。

 しかし、だからってお父様を見捨てるなんてできるはずがない。どうすればいい?


『も~、仕方がありませんねー!』


 私が悩んでいるところに、頭上から声。

 神様が、パタパタとせわしなく私の上を飛び回っていた。


「神様、あとにしてくれませんか? 私には今、考えなければならないことが……」

『ご安心を! あの巨人の中の人なら、たった今、外に転移させましたから!』

「えっ!?」


 神様の言葉に、エリィが口に手を当てて驚く。


『フフ~ン、邪神が消えて、少しだけ力が戻ってきたのです。崇めてもいいんですよ!』


 何ということだろう、この土壇場で、神様が役に立つとは。

 エリィも「神様すごい!」と称賛して、褒められた神様は調子に乗って辺りを飛び回る。


「あ、じゃあ、ここにいるみんなもついでに転移――」

『えっと、それは無理です』


「え、何で?」

『少しだけ力が戻ってきたんですけど、少しだけなので、使い切りました!』


 所詮、神様は神様だった。

 私はこれ見よがしにため息をつく。


『あれぇ、何ですか、その反応!? 助けてあげたのに!』

「そこは感謝してますよ。そこは」


 言って、私は再びエリィと共にその場から走り出す。

 すると、騎士が、兵士が、私達と同じく王都の外を目指して逃げていくのが見えた。


「お嬢さん!」


 馬の蹄と、聞き親しんだ声。

 振り向けば、そこに馬を駆るトマスさんの姿があった。


「こっちです、さぁ!」


 立派な鎧で着飾ったトマスさんが、私に向かって手を伸ばす。

 その姿はいかにも勇士という感じで凛々しくて、一瞬、見とれてしまいそうになる。


 彼は、私を助けようとしてくれている。

 それが嬉しくて、零れそうになる笑みを我慢するのも一苦労だ。

 しかし、彼の手を取るわけにはいかない。エリィを連れている以上、私だけが――、


「エリィならば、こちらで連れていく!」


 声がしたのは、全くの別方向だった。


「あ、殿下! オムツじゃない!?」

「いつまでも生き恥を晒し続ける趣味はないよ!」


 エリィに向かって顔を赤くして叫んだのは、白馬に乗った王太子殿下。

 その姿は、どこで調達したのか、簡素な服装に変わっていた。


「エリィ!」

「うん、わかってる。お姉ちゃん、またあとでね!」


 エリィが私から手を放し、殿下に引っ張り上げられて白馬に乗った。

 そして、一人になった私もすぐに向き直って、トマスさんの方へと駆け寄る。


「トマスさん、マリシアは?」

「マリシアさんは一足早く撤退しましたよ。自分の役割は終えたから、と」


 その答えに、私は小さく笑いながら「そうですか」と返す。

 何というかマリシアらしい答えだ。私の心配を、当たり前のように見透かしている。


「さぁ、お嬢さん」

「トマスさん、お願いしますね」


 トマスさんに手を引かれ、私も馬に乗った。

 鎧を着た彼の背中はとても大きくて、私なんかの腕じゃ伸ばしても全然足りない。


「飛ばしますよ、しっかりつかまっててください」

「はい」


 言われ、私は彼の背中にしっかりしがみついて、ピタリと頬を当てた。

 彼の体温によってそれなりにぬくもりを宿す鎧の奥に、力強い彼の体を感じ取る。

 さらに加えて、彼の心臓の鼓動まで伝わってきて、私は――、


「お嬢さん」

「はいッ」


 トマスさんに呼ばれ、浸りかけていた私は我に返った。


「勇者の大任、お見事でした。本当に、ご立派でしたよ」

「そんな、でも。本当はトマスさんの方が、勇者にはよっぽど……」


 私は言いかけるが、トマスさんはかぶりを振った。体の揺れでそれがわかった。


「俺は、確かに先代の勇者の子孫ですが、子孫でしかないんですよ」

「トマスさん……」


「でも、悔しくはありません。俺は勇者にはなれなかったけど、勇者であるお嬢さんを一番近くで守れる男にはなってみせますから。必ず」

「トマスさん、それって……?」


 私は尋ねるが、彼から返答はなかった。

 ただ、トマスさんの耳が先まで真っ赤になっているのが見えて、心臓が竦んだ。


 一瞬だけでも意識すると、もうダメだった。

 頬が熱くなり、心臓が高鳴る。こんな状況でなければ、すぐにでも離れたかった。


 彼の背中にぴたりと身を寄せる自分がはしたない女に思われないか、不安で仕方がない。

 そんなことを考えていると、近くから慣れ親しんだ大声が聞こえてくる。


「殿下ー! ねー、何で私のこと助けてくれたのー、ねー!」

「な、何だいきなり!? そんなことより、あまり喋るな。舌を噛んでしまうぞ!」


「いーのいーの、私、聖女だし! けがとかすぐ治せるし! ねー、殿下ー!」

「こら、エリィ! 背中にスリスリしてくるんじゃない!?」


「だぁって、殿下カッコよかったしー。ねー、私達、婚約者のままよねー?」

「む、カッコよかった、か。それは嬉しい……、あー、婚約かー。う~ん……」


「え、何、そのリアクション? イヤよ? 私、絶対に殿下と結婚するからね!」

「いや、しかし……、王家があれだけ派手に恥を晒したんだぞ……?」


「そうね! だから、いっぱいみんなにごめんなさいしましょーね!」

「軽ッ!!?」


「そのあとで、疲れた私を一杯甘やかしたり、プレゼントくれたり、買い物連れてってくれたり、旅行にも連れて行ってね! デートの支払いはもちろんそっち持ちよ? お食事は絶対に美味しいところを選んでね? ちゃんとエスコートしてよね。約束ね、約束! はい、やーくそく!」

「くっ、君は、どこまで行ってもエリィだなッ!」

「は? 何よ。当たり前じゃない?」


 キョトンとしているエリィが見えて、思わず、噴き出しそうになった。

 始終、殿下が振り回されっぱなしだが、あれでなかなか二人の相性は悪くなさそうだ。


 ハイデミットの今後を思えば、エリィを殿下にお預けするのは、考えものだ。

 しかし、あの二人なら何とかなるかも。そんな風にも思えた。


 そして、二人のおかげか、昂りかけていた私の気持ちも幾分落ち着いた。

 私は二人から自分の方へと視線を戻し、手を回す大きな背中に向かって小さく告げる。


「トマスさん」

「何ですか、お嬢さん」


「私、早く帰りたいです。自分の家に。エスティノ村に」

「……そうですね。俺もです」


 そう、帰りたい。エスティノ村の、あの日常に。

 土にまみれ、田畑を耕し、伸びた作物の芽の一つに一喜一憂する生活に。


「一緒に帰りましょう、お嬢さん。みんなで、一緒に!」

「はい」


 うなずいて、私は考えることをそこでやめた。

 これから、やるべきことはたくさんあるだろう。エリィは聖女で、私は勇者だ。


 戦後処理のこともあるし、義勇軍に参加した他国に関しても考えなければならない。

 神の名を大義名分に用いたことで生じる問題もある。それもどうにかしなければ。


 ああ、考えなきゃいけないことが山積みだ。

 それでも、今は。今くらいは――、


「ずっとそばで私を守ってくださいね、トマスさん」


 私は何もかも忘れて、私を守ってくれるこの大きな背中にすがることにした。

 目を閉じると、風の音だけが耳を打つ。頬には、硬い鉄の感触。


 でも、その向こうに確かに感じる。トマスさんの体温と、脈動を。

 すっかり安心しきって、私はしばし、彼を感じることに集中するのだった。


 それからすぐに、巨人の残骸は崩れ落ちた。

 そして、ハイデミット王都ハイデミオンはそれによって完全に機能を停止する。


 ――大陸列強が一国ハイデミットは、この日、事実上滅亡した。

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