第11話 扇動家


 アインスステーションは惑星ヘルヘイムの衛星軌道上に建設された宇宙ステーションであり、人口はおよそ100万人。ゲルマニア帝国でも有数の巨大宇宙ステーションである。


ステーションは高層ビルや巨大工場などの内部構造を備え、ヘルポールト宙域と銀河系を繋ぐ玄関口としても機能する重要拠点である。


製造業の盛んな宇宙ステーションとしても有名であり、アインスの工業生産高は帝国全体の2割にも上る。


だがそれは決して健全なやり方によって実現された訳ではない。


 もともとアインスは、戦鬼の地獄門通過を阻止するために築かれた軍事ステーションの一つだった。それが旧式化して門の防衛任務から外れると、今度は地球での生活が困難になった者たちが流れ着くたまり場と化した。


 低賃金労働者や失業者、地球での迫害に耐えられなくなった亡者やその家族たちだ。

そして、そんな弱い立場の人たちに目をつけてやってきたのが本国の大企業や貴族たち。


アインスステーションに次々と工場を建設し、社会的に弱い立場の人たちを安価な労働力として使うようになった。


 その結果、アインスでは地球を遥かに下回るコストで物を造ることができ、安い製品が市場を席捲した。それによって帝国では工場の閉鎖が相次ぎ、大量の失業者が発生。

行く当てのない彼らは仕事を求めてアインスへと渡り、安い賃金での労働を強いられる。


こうして、企業は莫大な利益を享受する一方、貧富の格差は広がり続け、弱者を食い物にするシステムの根幹が宇宙に漂う巨大なステーションに根を生やしていた。



 そんな弱者を食い物にするシステムの、歯車の一つでしかない労働者、ハインリヒ・ヒドラーは疲れ果てた表情で、酒場で安酒を煽っていた。


(いつまで続くんだ……こんな生活……)


 ハインリヒは丸縁眼鏡の奥にある瞳を涙に滲ませる。


 こう見えても彼はゲルマニア帝国の裕福な家系の産まれであり、幼い頃から品行方正で、勉学の成績も優秀。名門と名高い帝立科学アカデミーへ進学し、農学や遺伝学を始め様々な学問を修めた。

 

大学で知り合った女性と学生結婚し、卒業した頃には娘にも恵まれた。

卒業後は父の経営する食料プラントで働き、研鑚を積んだ後は自分のプラントを持つことを夢見ていた。何事も無ければ彼は無名の食料工場の経営者として生涯を終えただろう。


 しかし、新生児に義務付けられていた遺伝子検査の結果、我が子が戦鬼の亜人種|亡者《レヴナント》であることが判明する。


 亡者は戦鬼と類似したDNA構造を持ち、戦鬼の亜種とされていたため世界中で差別と迫害の対象とされていた。


 《生きるに値しない命》とも呼ばれ、過激な思想を持つ者たちが亡者を殺して回っているという噂もある。


 亡者の両親となった者たちも、戦鬼の遺伝子を持つ《保菌者》として熾烈な差別を受けることになり、当然、ハインリヒとその妻も例外ではなかった。

地元で激しい差別と迫害に晒されることとなり、時には家に火を放たれるなど命の危険に晒されることもあった。


 父の経営する食料プラントもハインリヒの娘のことが元となり閉鎖へと追い込まれ、実家に身を寄せ続けることも出来なくなった。


そして行き場を失ったハインリヒが妻子を連れて移住したのがアインスだ。


ハインリヒは工場労働者の職を手に入れたが、工場には自分と似たような境遇の者たちが多く、それ故に足元を見られて薄給で働かされた。


 ここで吸い上げた富を享受するのは貴族や金持ち連中であり、安い製品を持ち込まれた地球では次々と工場が閉鎖に追い込まれ、職を失った者たちが仕事を求めてアインスにやってくる。


アインスにはそういった弱者から利益を搾取するというシステムが完全に出来上がっていた。

 

 それでも、家族を養えるだけの賃金を得られれば文句はなかった。

 だが現実は非情であり、ハインリヒの薄給では家族を養うことは難しく、生活は困窮した。

 同僚の何人かが妻子を道連れに心中したという話を聞き、ハインリヒ自身も次第に追い込まれていった。


 酒を飲むだけの余裕など本当はない。

 だが、少しでも飲んで酔わなければ気が狂ってしまいそうだった。


(私の人生は……ここで終わるのか……)


 ジョッキに残った一口分のビール。

これを飲み干したら家に帰ろう。

よくできた妻は自分から酒の匂いがしてもそれを咎めることはしないだろう。


だが、その時、ハインリヒの脳裏にあるイメージがよぎった。

妻のか細い首を締め上げて殺し、まだ乳飲み子である我が子の首も同じように締め上げて殺す。妻子を道ずれに心中する自分の姿……。


思わず目から涙が溢れてきた。


(もう……限界だ……)


 自分はもう楽になりたいのだと理解した瞬間だった。

 さきほど頭に過ったイメージは何かの啓示なのかもしれない。

妻子と心中すれば楽になれる。

そんな甘美な誘惑がハインリヒの思考を支配しようとした。


 だがその時、酒場の扉が大きな音を立てて開かれ、沢山のブーツが床を叩く音がした。

 それが軍靴の奏でる音だと気づき、振り返ると、屈強な体つきをした兵士たちがずかずかと店の奥を目指して歩いていた。


 そして、兵士たちに守られるように歩いていたのは雅な服装に身を包んだ、見るからに高貴な家柄の出であろうとわかる子供だった。


「やあ、諸君。仕事終わりの一杯は格別かね?」


 その少年は兵士に抱き上げられて机の上に立つと、澄んだよくとおる声で話し出した。

 燃えるような真紅の髪に、宝石のような赤い瞳をしており、肌の色は異様に白い。


 さらに、少年の両脇にはクリーム色の髪をした双子と思われる少女が立っていた。

 どちらも無表情で、こちらも肌の色が異様に白い。


 その異様な光景に、自分と同じように死の影に呑まれかけていた者たちは、酔いも忘れて思わず少年に見入ってしまう。


「この場に集う紳士諸君に問おう。その手にした酒を飲みほした後、君たちはどうするつもりかね?」


 そう言って少年は何人かの男達に視線を送る。

 皆、やつれて瞳に生気のない者たちである。

 中にはこの一杯を呑み終えたら、家に帰って家族と心中するつもりの者もいるだろう。

 ハインリヒもその一人であり、それを知ってか知らずか、少年は最後にハインリヒにも視線を向けてきた。


(私が何をするつもりなのか……わかってるのか……?)


 そんな馬鹿な、と自分で否定しつつも、不思議とそう思ってしまう。


「重ねて諸君らに問おう。君たちはなぜここにいる?」


 それはむしろ、こっちが聞きたいことだった。

 我が子が亡者だからという理由で仕事も住む場所も失い、アインスに来るしかなかった。


だが少年はにんまりとした笑みを浮かべると


「わからないなら僕が教えよう」


 そう言って高らかと天井を指さした。


「それは全て傲慢な《神》と、神が造った《システム》のせいだ」


 ……………

 ……………

 ……………


(は……?)


 唐突な言葉に唖然とする。ここに来て神という言葉が出てきた。

 唖然としているのは自分だけではない。

 他の客もバーテンも目を丸くして口をぽかんと開けていた。


 だが、少年はそんな空気などお構いなしに話を続ける。


「聖職者は言う。神が世界をつくり、神が人間を創った。そして神は海よりも深い慈愛で我々を包み込んでくれる、と。ではなぜ神は銀河に戦鬼などという怪物を遣わし、人類が滅びに瀕するのを是としたのか?聖職者が口にする神の与えた試練とでもいうつもりか?」


―答えは否だ―


 少年は労働者たち一人一人と目を合わせながら言葉を続ける。

 当然、ハインリヒとも目を合わせてきた。


「もし神が我々を愛しているならば、乗り越えられない試練など存在しない。だが、神の子らである君たちはここで明日をも知れぬ日々を送っている。なぜだ?」


―答えは簡単だ―


 少年の真紅の瞳が輝きを増し、口元に三日月形の邪悪な笑みを浮かべる。


「神は我々を愛してなどいない。遥かなる高みから見下し、我々が苦しむのを眺めるのが好きなのだ。神はサディストであり、苦しむ姿を見て悦に浸るために我々を創ったのだ」



 ……………

 ……………

 ……………



(何を言っているんだ……この子供は……)


 ハインリヒは少年の放つ言葉に理解が追い付かなかった。

頭のねじが幾つか吹っ飛んでいるのではないかと疑いたくなる。

 いきなり兵士を率いて酒場を占拠したかと思えば、自分達の貧困は神のせいだと言い出す始末。


ここまで常軌を逸した演説をする子供など見た事がない。

いや、そもそも子供がこんな銀河の端で、しかも酒場で演説していること自体が異常だ。


(でも、確かに……)


仮に神が自分達を創った理由が、人間の苦しむ姿を見るためだとしたら?

自分が家に帰ってやろうとしていることはただ神を喜ばせるだけではないだろうか。


(バカバカしい……)


 少年の可笑しな話を聞いて逆に目が覚めた。


心中なんて馬鹿な真似は止めよう。一旦、冷静になるんだ。

ハインリヒはそう思い、家路についた。




 ―数日後……―



「戦鬼がこの世界に現れる前にも《システム》は存在していた。そして、システムの魔手から逃れるため人々は広大な宇宙を目指した。まだ何もない未開拓の惑星に自分達の理想郷を築くためだ」


 彼が目指したのは自らがシステムの頂点に立つことではなく、人が人を虐げることなく暮らせる安寧とした世界だった。


「だがそこに悪魔が現れた。戦鬼が銀河へと侵攻し、人々が築き上げてきた楽園をぶち壊した」


 人類が長い年月をかけて築いた理想郷は戦鬼によって完膚なきまでに破壊された。

 太陽系まで生存圏を後退させられた人類は300年前に団結し、辛うじて戦鬼を地獄門まで押し返すことに成功した。

 その時以上に人類が団結した歴史はない。


「だが理想郷は失われ、システムだけが残った」


戦鬼という共通の敵を前に団結していた筈の人類が、戦鬼との戦いにある程度の区切りをつけた所で富める者と貧しい者に分かれていった。


前者が皇帝や貴族であり、後者が貧しい農夫や工夫、労働者といった平民たち。


「しかし、人々はそのことに疑問を抱かなかった。口では富める者を非難しつつも、心の何処かでは対極に位置する二つの存在があって当たり前・・・・と思っていた。いや、そう思い込まされた。神が人類をそう創ったのだ」


 今日も雅な姿をした少年が机の上に立って演説をしている。


 ハインリヒはその言葉に耳を傾けていた。

 本気で聞いているわけではない。

酒の肴に丁度いいと思って聞いているだけだ。

 

自分と同じ考えなのか、酒場には初めて少年が訪れた時よりも多くの客が入っていた。




 ―さらに数日後……―



「諸君らに真実を教えよう。戦鬼の襲来も、亡者の出現も、その後の分断されたこの社会も、全て神が仕組んだことだ。戦鬼を出現させることで、宇宙に広がり出した平穏な世界を壊滅させ、宇宙への道を険しいものとした」


 二度と人類が自分達の掌を超え、勝手な世界を築かないように、と。

 事実、戦鬼によって地球文明は壊滅的な打撃を受け、宇宙関連技術の多くが失われた。


 特に、惑星の環境を変化させるテラフォーミング関連の技術や、ダイソンスフィアを始めとするエネルギー関連の技術はその殆どが失われていた。


「神は人類を再び搾取する者とされる者によって構成された世界に組み込んだ。歪なシステムが存続し続け、諸君らは神の謀略によって無意識のうちにそれらを肯定してしまっている」


 その象徴とも言える存在が皇帝や貴族といった上流階級。

 彼らの存在の意義を本気で問う者はこの世界に一人もいない。

 皇帝や貴族が民から搾取することを嫌いながらも、それが世界の仕組みだと勝手に思い込んでいる。そう思い込むように神が仕向けている。


「だが神はそれでも飽き足らず、今度は《人類》と《亡者》という二つの種を造り出し、新たな階級社会を造り出そうとしている。諸君らは神が造ったシステムの犠牲者搾取される側としてここにいるのだ」


 ハインリヒは少年の姿が近くに見える席に座って演説を聞いていた。

 最近、酒場に人が大勢集まるようになってきた。

 少年の近くに座らないと声が聞こえない時がある。


 別に、本気で聞きたいわけではない。ただ、ちょっとだけ興味があるだけだ。

 この世界に、本当にそんな搾取のシステムがあるのか、と。



 ―一週間後……―



「神のシステムによって君たちは敗北者に仕立て上げられた。神は自らの歪んだ欲求を満たすために、諸君らから搾取し、諸君らを困窮させ、諸君らの尊厳を踏みにじった。このままでは我々は滅びる。神に殺される」


 だが、一番の問題はそこではない。


 少年は聴衆たちに向かって強い言葉で語り掛けた。


「一番の問題は無関心・・・だ。システムに取り込まれていることに気づきながらもそれが当然だと思い込み、疑問を抱かず、行動しないこと。それが神の望みだ。そして神は諸君らの尊厳を失墜させることで自らを卑下させ、反抗の目を摘もうとしている」



 ハインリヒは少年の目の前に座っていた。

 酒場はほぼ満席で、酒場に入りきらない人たちが店の外にまで溢れている。

 

少年の演説を目当てに集まってくるのは自分と同じような最底辺の敗北者たち。

 彼らは教師に師事を仰ぐ幼子のように、少年を見つめ、少年の言葉に頷いた。



「同胞たちよ、我々はついに神が造った歪んだシステムに気づくことが出来た。そして現状に疑問を抱き、自分達にはもっと別の人生があることに気づきだしている。だが諸君、油断は禁物だ。神は狡猾で、我々よりも強い。我々など比較にもならないほど力を持っている。我々に必要なのは鋼の意志だ。如何なる障害が目の前に横たわろうとも、システムの中枢から脱却し、自らの人生を取り戻すという意志こそが神を打ち倒す武器なのだ」



 ―一か月後……―



「我々は生き残る。例えそれがこの地獄の惑星であってもだ。だが、システムの中枢を担う者たちは生き残るのに苦労するに違いないッ!我々はヘルヘイムに追放されたことで神の歪んだシステムの存在に気づけた。だが彼らは、今も神の掌の上で踊っているッ!では我々はどうすべきなのか。脱出するのだッ!神の手先が築いたこのディストピアアインスから飛び出し、我々の《生存圏レーベンスラウム》を築くのだッ!」



 ハインリヒは少年の目の前に立ち、拍手喝采を送っていた。

 少年が立っていた酒場の机はいつしか演壇に変わり、椅子とテーブルは撤去されて聴衆が入れるようスペースが確保されていた。

それでも酒場には入りきれない人々が押し寄せ、店の外からも喝采が聞こえる。


「諸君ッ!我々と共に来るかッ!地獄の荒野に我々の生存圏レーベンスラウムを築く長き苦しい戦いに身を投じるかッ!」


 割れんばかりに拍手と、耳鳴りがするほどの喝采が店内に鳴り響く。

 少年の言葉に歓喜する人々は、誰もが疲れ果て、痩せこけていた。

明日をも知れない毎日を生きるのに疲れ果て、現実から目を背けたかった。


 ハインリヒもそんな自分のことを冷静に見ている自分がいる。

 少年の言っていることは荒唐無稽であり、何もかもが胡散臭い。

でも不思議なのだ。そうわかっているのに、信じたくて仕方がない。


 今の境遇は神のせいでないにしても、誰かによって仕組まれたこである、と。

本当は自分も幸せになれたのに、誰かにその幸せを奪われた、と。

自分は悪く無い。今の現状は自分以外の誰かのせいなのだ、と。

 そう思わなければやっていけなかった。


奪われ続けるだけの人生なんて余りにも残酷すぎる。

 

 それに、どうせこのままいけば遅かれ早かれ困窮して飢え死にするしかない。

 それなら最後に夢を見て死にたい。

狂気に身を委ねて、壊れた笑みでもいいから浮かべて死にたかった。


 




(うん、皆、世界の真実を理解してくれたみたいだね)


 演壇の上に立つ少年ことシーザー・ゲルマニアは、自分に喝采を送る人たちを見て満足そうに笑みを浮かべた。


 ここに集ったのは地球に居場所を失った者たちであり、神のシステムの食い物にされてきた者たちだ。その目には狂気の色が滲んでおり、真っ当な精神状態ではない彼らの心の隙間に入り込むことなど造作も無かった。



 後日、シーザーは軍と、集まった300人の入植者たちと共にアインスステーションを出立。

 

 ヘルヘイムに惑星降下した後、橋頭保を築くべくギルナ山脈を目指した。

 入植者の中にはハインリヒとその家族も含まれていた。



 そして物語はギルナ山脈の採掘基地の発見と、その後の戦鬼や闘者との死闘へと続いていく。

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Castle of Helpoort @SuperSoldier

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