憧れた冒険へ【更新停止】

住屋水都

プロローグ

第1話 少年の生涯

 ――ぼうけんしたい!


 幼少の頃、母親に読んでもらった絵本に影響を受けた少年は、度々そう口にするようになった。

 両親はそんな少年の想いを否定することなく、応援するかのように優しく受け止める。


 そんな少年が特に好きだったのは、びしょ濡れの野良猫と出会うことで始まる物語で、シリーズの最後には16匹もの竜と関りを持つ少年の物語。


「ぼくね、このおとこのこみたいな、ぼうけんがしたいの!」


 好奇心が旺盛で、いろんなことに興味を持った少年だが、その夢をかなえるには重大な欠点があった。

 5歳になる頃から、徐々に体が動かなくなるという病を患ってしまったのだ。それまでは活発に動き回り、近所の子どもたちと駆けまわって遊んでは、笑顔を振りまいている普通の子だった。


 原因は不明。既存の症状からもヒントを得られない奇病と診断され、症状としては単純に体が動かず、それでいて体内の機能は正常というものだった。睡眠欲も、食欲も同年代の子と比べてもおなじくらいだというのに、少年の体は痩せ細っていった。


 両親は必死になって様々な病院に通い、さらには海外の高名な医者にも診てもらったりもしたが、その診断の結果が〝原因不明の奇病〟だったのだ。


 幸いなことに動きが不自由な事と痩せた身体以外は健康そのものであり、医療関係者にとっては忸怩じくじたる思いがあったものの、自宅療養をする形となる。

 両親がいないところで動くのは危ないから、ベッドの上で絵本やテレビを見ていてほしい。そんな願いがあったものの、しかしながら、5歳児というのはじっとしていられないものだ。


 ――冒険がしたい。


 療養に適した自然豊かな場所に引っ越しをし、少年はとても喜んではいたものの、ベッドで大人しくしているようにと言われてしまう。

 両親の目があるうちは愚痴をこぼしつつも聞き分けていたが、ある日母親が急用によりやむを得ず少年を残して、1時間ほど出かけてしまった。


「いまのうちに、あたらしいおうちを、ぼうけんだ!」


 不自由ながらに壁伝いにゆっくりと歩きつつ、新しい家の中を探検する。これまで見慣れていた家とは違い、新しい内装に目を輝かせながら、少年はとある場所を目指していた。


 一度だけ連れて行ってもらった、屋上である。


 内見の際に寄った程度の事ではあるが、その時に少年が大いに喜んだのをきっかけに、両親はこの家を選んだ。それなのに引っ越してきてからは、一度も連れてきてもらえなかったことが、実のところ不満だったのだ。


 まだ体が大きくないために階段に苦労し、よじ登るようにしてどうにか2階へと上がる。

 窓の位置は高く、近くに手ごろな台も見当たらず景色が見られないと分かると、少しばかり落ち込む。

 それでも屋上まではもう数段上がれば辿り着くため、少年は息を切らせながらも頑張って登っていった。


 屋上を隔てるドアの前で息を整え、わくわくしながら開ける。


「わあ……!」


 時刻は夕方。山陰から覗く夕日が棚田を黄金色に飾り立て、一瞬にして少年の心を奪っていった。

 まるで夢を見ているような感覚のまま、ふらふらと設置された鉄柵の方に歩み寄り――体が崩れ落ちた。病が悪化した瞬間であった。


 まるで体の自由が利かず、突然のことに呆然としていると、階下から母親の悲痛な叫び声が響いた。

 心配をかけてしまったという思いと、聞いたことのない母親の声に、少年は不安に駆られていった。


 すっかり日が落ちて、星月が辺りを照らす頃になってようやく少年を見つけた母親は、すぐに駆け寄って泣きじゃくりながら抱きしめた。怒るよりも、悲しむよりも、ただ少年の無事に安堵して子どもの様に泣いていた。

 少年もその様子に感化され、一緒に泣いて謝り続けて時間は過ぎ、帰宅した父親が慌てて探し回り見つけるまで、母子はずっとそうしていた。


 それからの少年は、深い愛情を与えてくれる両親を心配させまいと、その冒険心をしまい込む。

 辛うじて動く手を使い、冒険譚を題材にした漫画を読んだりアニメを見たり、時にはドキュメンタリーを見たりと大人しくしていた。

 その中で、特に漫画を読むのが好きになっていた少年は、そこから知識を得ていった。分からなかったり疑問に思ったところは、与えられたタブレットで四苦八苦しながら調べたりもしていた。


 そんな時、たまたまタブレットを覗き込んだ母親がその内容を見て驚き、


「勉強熱心ね!」


 と抱きしめてきたりと優しいハプニングがあったりしつつ、少年は今の生活を楽しんでいた。


 ――冒険が、したい。


 そんな少年も、10歳の誕生日が近づくにつれて意識を保つ時間が短くなっていった。

 目が覚めているときは常に母親が傍にいて、自力ではもう読めなくなった漫画を読み聞かせていた。


 流れるように過ぎていく日々の中で、少年が疲れて目を閉じていた時があった。母親はそれを眠ったのだと勘違いをし、軽く抱きしめながらごめんなさい、ごめんなさいと声を押し殺して泣いているのを知り、少年もまた悲しくなる。


 そしてとうとう、10歳の誕生日を迎えた。


 目を覚ました少年は、憔悴しょうすいしきり髪はぼさぼさで、目を腫らしている母親と、無理矢理作ったような笑みを浮かべた父親を見た。


「おはよう、よく眠っていたわね」


「ははっ、ちょっとお寝坊さんだったな」


 少年から見ても、無理をして笑っているのだと分かった。頬を撫でる母親の手も、頭を撫でる父親の手も震えていて、二人の頬には涙の痕も見て取れたからだ。

 数日眠り続けていたために、不安にさせてしまっていたのだ。


「おかあ、さん、おと、うさん……泣かない、で?」


 かすれた声で、少年は口にする。声にするだけでも辛そうにしながら、それでも焦燥感に駆られるように。


「屋上、で、見た、外……。とても、綺麗、だった……」


 なにかが自分から抜けていく。そんな感覚とともに必死で言葉を紡いだ。


「金色で、暖かくて、優しく、て、おかあさん、と、おとうさん、と、似て、いて」


 いよいよどうにもならない、そんな確信もあって胸が軋む感覚をねじ伏せながら、押し込めていた憧れを想いとともに両親に告げる。


「幸せ、でし、た……。はぁ……はぁ……これ、から……冒険、に、行って、くる、ね?」


 両親は少年の名前を叫び、強く抱きしめる。二人の涙が頬に伝わり、それが少年にはとても心地よく感じた。

 最期の力を振り絞って両腕を二人に伸ばし、両親の頬に触れ――少年は満面の笑顔でその生涯を終えたのだった。

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