第65話 心臓は動く

 コンコン。莉望の部屋のドアが開いた。



「莉望。聞いてほしいんだ。ずっと言えなかったこと」



 僕の深刻な話始めに「どうしたの?」と莉望は聞いてくる。

 キョトンとした顔を見て、僕は莉望が愛おしくてたまらなくなった。



「莉望。お別れをしないといけないんだ」



 僕はそう言って莉望の体をギュッと抱きしめた。あのホワイトムスクの香りが僕をドキドキとさせる。

 そんな甘い莉望は僕の両腕の中で「なんで?」と震えた声を出していた。



「僕の任期、今日なんだ。これから眠夢様の所に行って、この世界から去らないといけない」



 ゆっくり、ゆっくり僕自身にも言い聞かせるようにそう言った。

 莉望は力強く僕の体を抱きしめている。



「嫌だ、嫌だよ……。なんでもっと早く……」



 莉望は青い声をだした。細くて震えた涙声だ。



「ごめん。悲しませるってわかってたから言うつもりがなかったんだ。でも、言わないと後悔すると思った。

 ――あのね、僕は莉望が好きだよ。

 莉望と出会って、僕の心臓は痛いくらい跳ねて、おかしくなるくらいドキドキした。莉望の笑顔が大好きでたまらない。莉望が可愛くて仕方がない。

 莉望の反応全部が僕を笑顔にした。莉望の行動力のおかげで出会ってからは毎日が楽しかった」


「ねぇ、それっていつから? 何でもっと早く言ってくれなかったの? 私はずっと、景くんの話をした時から“好き”って伝えてきたのに。

 私は“景さんに好かれたい”っていう叶わない夢に胸を痛めてきたのに……!」



 嘆くような、喉が壊れそうな莉望の声に僕の胸はきしむ。

 でも、もう終わりなんだ。莉望に言いたいこと全部言わなきゃ。言えていなかったこと言わなきゃ……。



「……ごめん。最初からだよ。ここで出会ったときから僕はずっと莉望が好きだった。

 でも言ってしまったら莉望と離れることが怖くなると思った。莉望を苦しめると思ったんだ」


「そんな――」


「任期が……、あの時ですら、僕の任期は100日も残っていなかった」



 急に莉望の手が緩んだ。そして次に聞こえたのは落ち着いたような、落とすような低い声だった。



「なんて言えばいいかわからないよ。行かないで、今から夢送り師になって、って言いたいけど、景さんのことだもん。困らせちゃう」



 ずるいなぁ。莉望に言われたら、一瞬揺らいじゃうじゃんか。

 でも、僕は息を吸って無理やり意志を保った。



「……うん、もう決めたから。それに夢送り師になっても莉望と離れることは変わらないから。

 それなら僕から莉望を開放して、莉望に幸せになってもらいたい」



 僕の声は莉望と違って、明るい声だった。ううん、明るくしていたのかな。

 不安にさせたくなかったし、置いていく側で涙を見えたらずるいから。

 それに幸せになってほしいと思っていた、っていうこともあるだろう。莉望が幸せで笑ってくれる世界になってほしかった。そんな願い、未来が明るくなる願いがきっと音になったんだ。

 そんな僕の願いに莉望は間髪を入れずに「幸せだよ」と言った。声色はまっさらな白だった。



「景くんと会った時からずっと幸せ。それだけじゃない。私をここに連れてきてくれて、私と一緒に過ごしてくれて、私のわがままをたくさん聞いてくれて……景さんのこと、本当に神様だって思ってた。

 こんなにつらい別れがあるのは、たくさん幸せだったからだよね?」


「そう、かもね」



 僕は思い切りのないずるい答えを出す。それに莉望は泣きそうな声を出した。



「残酷だなぁ。ここに来る前の世界も残酷だったけど、この世界はもっと残酷。

 綺麗なのにね。青くて、みんな優しくて、願いも叶って、自由自在で。

 離れたくないのに別れがこんなにも近い……」


「僕も。死にたくないのに別れがこんなにも近くてつらいよ」



 自然とそんな言葉が出た。ううん、ずっと気づいていた。“生きている”ってこと。この世界が夢の中だろうが、それこそ残酷な世界だろうが、僕の心臓は確かに動いて、莉望にずっと惹かれていた。

 あぁ、死にたくない――。



「よかった、って言っていいのかな。離れたくないって思ってるのが、好きなのが、私だけじゃなかったって」



 そう言って莉望は僕を見上げた。泣き顔で、でも口元が笑っていた。

 ほんとにずるいよ莉望は。



「莉望、ありがとう」


「ううん。こちらこそありがとう」



 莉望は目元を細くして笑った。頬にスーッと涙がこぼれていく。

 僕はその涙を僕の手で拭って、僕の唇を莉望の唇に重ねた。

 しょっぱい。

 初恋はそんな味だった。



「大好きだった。幸せになってね」



 僕はそう言葉を置いて莉望から離れた。






 ――――――





 コンコン。



「失礼します」



 僕の声に眠夢様は「待っていたわ」と言った。



「すみません」


「いいのよ。もう心残りはない?」


「話は済みました。これを眠夢様に託してもいいですか?」



 僕は莉望に最後のプレゼントとして、白いスイレンを用意した。莉望と一緒に行ったお花屋さんで特別に用意してもらったものだ。

 花言葉は莉望の話から知っている。“純粋”だ。そう、僕は莉望の天使のような素直さや純粋さにいつも胸を焦がしていた。

 そんな彼女らしさがこれからも、僕がいない世界でも続くといいなぁと思うのだ。


 眠夢様は僕の手からスイレンをしっかりと受け取り「えぇ。必ず莉望さんに渡すわ」と微笑んだ。

 僕は「お願いします」と頭を下げる。



「ほんとうに最後よ。この部屋で眠れば任期が終了になるの。今までお疲れ様。ありがとう。景くんと会えて私もよかったわ」



 眠夢様の言葉に「お世話になりました」と僕は言って、その部屋に入っていった。

 そして布団に入る。

 長かった夢のような生活。本当に夢だったらこんな充実してなかっただろうなぁ。

 ふぅ……。今日は夢を見るのかな。もし見るなら、いい夢だといいな。

 叶うなら、莉望ともう一度会う、そんな夢を。






 ――――――






 中村景。彼はすごく生き生きしていたわね。おかげでいいドラマを見れたわ。本当に綺麗な人生だった。

 ふふふ。この世界を作って本当によかったわ。

 毎日同じことをする世界でも、こんなにも素敵な物語があふれている。


 ……そろそろ莉望さんの所に行かないといけないわね。きっとこの花、景くんから預かった白いスイレンを見て、泣くのだろうけど。



 ――生きる。それだけで人はきらびやかに輝く。

 明日は誰がここ、夢遊界に来るのかしら。楽しみだわ。

 もしかしたら昨日、能力を継承されて、今日、夢を見なかった“あなた”かもしれないわね。




 -END-

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夢の中、心臓は動く。 雨宮 苺香 @ichika__ama

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