第6章
HMDに慣れきっているせいか、PCの画面もそこに映る人の顔もなんだか遠く感じられた。
「山崎さん、お時間取っていただきありがとうございます」
面接官だった人事の男が頭をさげる。
「いえいえ」
わたしはジャケットの襟をつまんで肩の位置を調節した。
すでにメールで内定の通知はもらってある。だから面接のときほど緊張しない。
「それで、確認なのですが、入社日は来月の頭ということでよろしいですか?」
「はい。結構です」
「山崎さんは熊本にお住まいですよね? 博多に引っ越してこられますか? VR担当プランナーということでリモート勤務も可能ですが」
「ああ、えっと……」
わたしは部屋を見まわした。机とベッドとドアをつなぐ通路を除いて床は本とVRのガジェットで覆われている。背の低い箪笥は子供の頃から使っているもので、一度も動かしたことがない。天井のランプはダサいから買い換えたいが、どうやってはずすんだろうか。
これらのものを8畳のワンルームに詰めこむことを想像してみる。さらに一人暮らしに必要なものも置かなければならないのだから、破綻するのは確実だ。そもそも荷造りするのがめんどくさい。
全部捨てて新天地で一からやりなおすか?
「なんでそんなことをする?」とブラッドバスなら言うだろう。スフィアでやってきたことを誇れ。そして積んだままの本は全部読め。
わたしはそこからでなければあたらしい何かをはじめられない。
「それじゃあ、ひとまずリモートで。親も安心しますし」
「なるほど。それはそうですね」
キーボードを叩く音がスピーカーから聞こえてくる。「それでは雇用契約書を送らせていただきます」
「よろしくお願いします」
わたしは立ちあがり、PCのカメラに向かってお辞儀した。顔をあげると、人事の男がこちらを変な目で見ていた。
「ん? あ……」
上はジャケットとシャツを着ているが、下は短パンだったことを忘れていた。タックインしていたシャツの裾をひっぱり出して隠してみたが無駄だった。
「ま、リモートですからね」
わたしは机の上に置いてあったマグカップを取り、牛乳を飲んだ。
リモート面談が終わり、ジャケットとシャツを脱ぎ捨てる。HMDを装着すればわたしはドスケベドレスを身にまとったブラッドバスだ。
バックヤードのラウンジに行くと、いつものメンバーが集まっていた。
「もうはじまってるよ」
らむねくんがテーブルの上の大きな窓を指差す。
いつもの3人がそこには映っていた。
「――まあ、いま言える告知はこれくらいですかね」
「じゃあ、そろそろ本題にいきますか」
「そうね。それでは、本日のゲストをお呼びしま~SHOW☆」
イツキの呼びこみでトリコロールのワンピースを着た金髪の少女が現れた。
「はいどうも~、あらゆる事象にノンノンノ~ン、超否定形ネガティブ美少女・
背後に立つ5人が「のんぷち~」と声を揃える。
「何だコイツら」
トキオが顔をしかめる。
イツキ・シノ・キャッシュマネーがのんぷちを囲んで座る。
「のんぷちちゃん、フォロワー全員殺されちゃったんでしょ? たいへんだったね」
「そうなんですよ~」
「実際そんなことになったら絶望しかないよね」
「最初どうやってそれを知ったの?」
「ある日、配信はじめたら同接ゼロで、『ウソでしょ!?』って思って、そしたらフォロワーさんが新垢で『我々殺されちゃいました』って――」
シノたちが事件のあらましを語る。ブラッドバスの提供した動画や画像も使われる。やがて話はアーケード襲撃事件につながっていく。当日の配信のダイジェストが流れる。
「いまの俺のエイム見た? 敵にぴったり吸いついてただろ」
ファントムが銃を構える手つきをする。
背後に複数の足音が聞こえた。ふりかえると、バウンサーたちが集まって上映会みたいになっていた。自分たちが映ると歓声をあげる。チョコ・ケンドールがうっとりと眺めるのは戦闘の様子を収めた動画ではなく、画面端にいるシノの姿だ。
やがて戦いは終わる。ラウンジが拍手に包まれる。配信はイツキの定型文で締められる。
らむねくんが手元の窓をのぞく。
「あ、すごい。のんぷちのフォロワー1万人になってる」
シノはすごい。戦いの中に飛びこみ、血とカネの雨を降らせる。弱い者たちを手助けする。
彼女はやることが多すぎて、スフィアでひっぱりだこで、ブラッドバスと会っている時間などない。こっちはたくさんいるフォロワーの1人にすぎないのだから。
「そろそろ時間ね。行きましょうか」
レダに促され、ブラッドバスは立ちあがった。
ふたりでバックヤードの廊下を歩く。
「東京行く話どうなった?」
ブラッドバスは前を行くレダに声をかけた。
「もう住んでるわよ」
レダがふりかえらずに答える。
「マジで? 行動早いな」
「東京に住んでる先輩がいて、その人の家に転がりこんだ」
「よかったじゃん」
「ドラァグのイベントにも行って、お姐さん方と絡んだわ。いろいろ話聞かせてもらった」
「やっぱリアルで人と会うのは大事よね」
「他のドラァグの子に会ったのはじめてだったから、うれしかった」
「仕事とかどうしてんの?」
「それがねえ……2丁目で働きたくてお姐さん方に相談したんだけど、『未成年は無理』って言われちゃって」
「は?」
ブラッドバスは歩調を速めてレダと肩を並べた。「あなた未成年なの? いくつ?」
「17だけど」
「おいクソガキじゃねーか。パンとジュース買ってこい。ダッシュで」
「こわ~。年功序列~」
ドアを開け、ギャルリー・ヴィヴィエンヌの店内に入る。絡みつく空気を振り切って進む。
受付係に手を振る。反応がないので今日はbotだ。
外に出て、門を守る2人に声をかける。
「お疲れ」
エコーと愛重香が門扉越しにこちらを見る。
「お疲れ~」
エコーが門を開けた。
「何か問題は?」
レダのことばに愛重香が頭を振る。
「平和なもんよ」
「それは何より」
「この前の動画を観てはじめて来たってお客があいかわらず多いね。だからボディチェックのとき説明しなきゃなんなくて時間かかる」
「気をつけるわ」
レダは愛重香と目を見交わし、うなずいて、彼女と入れ替わりで門柱の前に立った。
その反対側にブラッドバスはついた。通りに目を配る。確かに人出が多い。みんな頭上のホログラムに目を奪われている。アーケードはいつだって人に夢を見せる場所だ。
通知音が鳴って窓が開いた。
シノ@SheKnows0125
いまVCで話せない?
ブラッドバスはレダの様子をうかがった。視線に気づいた彼女がブラッドバスを見た。手元にある窓に目をやり、またブラッドバスに視線をもどす。
「どうしたの?」
「あの、ちょっと、シノから……」
「ボイチャ?」
「あ、うん……」
レダは通りを行き交う人々を一瞥し、またブラッドバスを見据えた。
「どうぞ。いまお客さんいないし」
「どうも……」
ちょっと前まで初々しいド新人だったのに、このところ妙に貫禄が出てきた気がする。おかげでどうもやりづらい。
ブラッドバスはシノとボイスチャットをつないだ。
「シノ、何かあった?」
「キミさ、『ヘルスワンプ』ってゲーム知ってる?」
「ああ、あれね。いちおうクリアした。わたしホラゲー好きだから」
「今度ボクといっしょにやってくれない? あれ配信でやることになったんだけど、その前に一度触っておきたくて。でもボク、怖いの苦手なんだよね」
「シノにも怖いものってあるんだ」
「そりゃああるよ」
「たとえば?」
「キミに嫌われること」
「ウソばっかり」
「ホントだよ。ボクの目を見て。ウソ言ってる目じゃないでしょ?」
「窓がちっちゃすぎてわかんない」
「会ったときに見せてあげる。今日このあとはどう?」
「いいよ。仕事のあとでね」
「じゃあ、終わったら連絡して」
「わかった」
「ありがとう。好きだよ、ブラッドバス」
「わたしも」
VCを切る。にやけた顔をバウンサー用の表情に引き締める。
レダがこちらを横目に見ていた。
「仲良しでいいわね」
「いいことばかりじゃないよ。世界一の美少女とつきあうのはね」
愛は人を離れ離れにするって誰かが言ってた。
VR空間も同じだ。ここにいると、あらゆるものと離れ離れのままになる。限られた感覚でのみ世界に触れて、本当には触れられない。
その距離を心の中で詰めてしまう者もいる。他人のことなのに、勝手に自分に重ねあわせて、傷ついたり怒ったりする。
わたしはちがう。その距離をも愛する。あらゆるものから隔てられて、それでもわたしは愛することをやめない。
通りの人の流れから離れて一人の女の子がこちらにやってくる。
レダが目くばせで今日最初の仕事を先輩であるブラッドバスに譲ってくる。ブラッドバスは客の前に進み出た。
「ボディチェックをさせていただきます」
ゴージャスな肉体とセクシーなドレスを見せつけながらブラッドバスはこれからや
ってくる悦楽の予感に早くも欲情する客のアバターに手を這わせた。
殺戮の街 The Street Of Bloodbath 石川博品 @akamitsuba
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