第5章

 ダッシュボードに足を乗せると、HUDに干渉して表示がちょっとバグった。


 いつもとちがって裸足なので変な感じだ。色が足りないような気がしてブラッドバスはメニューを開き、ペディキュアを赤に設定した。


 10個並んだ赤の向こうに「Welcome To ARCADE」の赤いネオンサインが浮かぶ。ARという設定なので、湿気にも埃にも星や月の光にも妨げられずHMDを介してクリアにわたしの目に焼きつく。


 スフィアタイム23時で、暗い中にネオンが鮮やかだ。店の広告が群雄割拠の勢いでビルの外壁を埋め尽くす。そのうちのひとつに視線を合わせると、拡大されてこちらに迫ってきた――イケリーマン専科「ミッドナイト・オフィス」。その横にキャストのホログラムが浮かびあがる。店名のとおり、スーツを着たイケメンが頬を赤らめながらネクタイを緩める。アバターの造形から見て男×男(女性向け)の店だろう。キャスト同士を絡ませて鑑賞するサービスがあるタイプだ。


 うちの店に来るお客さんなんかは男性アバターの広告をカットするフィルターを入れているだろうから、いまブラッドバスが見ているものは目に入らないはずだ。わたしの場合、見る分には男性アバターも嫌いではないので、そうしたフィルターは適用していない。


「嫌なら見るな」で済むようなシステムがスフィアには用意されている。それでも、嫌いなものの存在そのものを消してしまいたいと考える人たちがいる。反アーケード勢もその一種だ。


 わたしには理解できない。その理解できないものにブラッドバスは巻きこまれようとしている。迷惑な話だ。


 車の窓ガラスがノックされた。ブラッドバスはドアの内側にあるタッチパネルに触れて窓を開いた。


「問題ないか?」


 ファントムが身を屈めて窓をのぞきこんでくる。いつもの髑髏マスクはない。素顔は濃いめのイケメンだった。PSGの制服も着てなくて、タトゥーびっしりの腕をTシャツの袖をまくって見せている。


 ブラッドバスはうなずいた。


「そっちは?」


 そう尋ねると、ファントムは周囲に視線をめぐらせた。


「こっちも問題ない」


 彼のそばに立つ男がアーケードに出入りする客の流れを険しい顔つきで見ている。アーケードアーミーの一員だ。


 ファントムがドアに手を突き、窓の中に頭をつっこんできた。


「いつもの服じゃないとなんだか新鮮だな」


「そう?」


 ブラッドバスも店の前に立つときのドレスではなく、ジーンズにキャミソールという服装だ。


 ファントムが運転席に目を向ける。


「相方さんも雰囲気ちがってて、いいね」


「それはどうも」


 レダが申し訳程度に頭をさげる。彼女は黒のビスチェにシルバーのホットパンツという派手なスタイルだった。


 わたしたちはアーケードの客に紛れるため、仕事着とは別の服に替えてきていた。


 アーケードのほとんどの店にあのチェーンネックレスを贈られたキャストがいた。そしてその贈り主全員がリアルタイム16時――いまから30分後に予約を入れている。おそらくその時刻にネックレスの形をした爆弾が爆発するのだろう。それに備えてアーケード全体がこっそり厳戒態勢に入っていた。


「何かあったらメッセくれ」


 ファントムは車の屋根をひとつ叩いてアーケード入口の方へ歩いていった。


 ブラッドバスはその背中を見送った。レダの方に目をやると、ニヤニヤ笑っている。


「どうした?」


「あの人、あなたのこと気になってるみたいね」


 からかうような口調で言う。


「は?」


 ブラッドバスは顔をしかめた。


 リアルでは8割ノンケだが、スフィアでは女性しか恋愛対象にならない。


「あ、ごめ~ん。もうつきあってる人いるんだっけ?」


「いや、そういうことじゃなくて……」


 ブラッドバスはお尻を浮かせて座りなおした。


「ねえ、あなたってさ、どこ住み?」


 レダに訊かれてブラッドバスはペディキュアの赤を見つめた。


「まあ、日本のどこか、とだけ」


 リアルで会おうみたいなナンパはよくある。結局みんなアバター同士の絡みあいを見るだけでは満足できず、直接肌を合わせて体温を感じたいのだ。


 レダはドラァグクイーンになりたいと言っていたからゲイだと思っていたが、それは撒き餌で、そうやって女の子を油断させる手なのかもしれない。


「わたしね、千葉の端っこに住んでるの」


 レダがハンドルに身を預けた。


「ふうん」


 土地勘がないので、「千葉の端っこ」というのがどういう場所を指すのかよくわからなかった。関東のあのあたりはごちゃごちゃしすぎだ。


「何もない町なのよ。海しかない」


「海があればよくない?」


「本当に海しかないのよ。やることっていったら波乗るか車乗るかツレと女の話するかくらいなの。ずっとそうやって毎日過ごしてきたけど、なんかもういやになっちゃった。だからわたし、東京に行こうと思って」


「あ、わかった。新宿2丁目でしょ」


 ブラッドバスが指差すと、レダは眉間に深く皺を寄せて複雑な笑みを浮かべた。


「よくわかったわね」


「千葉の端っこから新宿2丁目って遠いの?」


「すごく遠く感じる。わたしにとってはね。でも、それだからあたらしい自分になれるのかもしれないわ」


 わたしもレダも、遠い場所に行かなければ変われないと思っている。スフィアで別の自分になれても、リアルでは空間や距離に縛られている。


 ブラッドバスは窓ガラスに頭を預け、アーケードを見あげた。


「新宿2丁目ってアーケードくらいでかいのか?」


「ただの街よ。こんなでっけービルじゃないわ」


 レダは鼻で笑った。


 アーケードを出入りする客たちを観察していると、VCが入った。


「おーい、そっちはどう?」


 バウンサー仲間のエコーだ。


「異常なし。そっちは?」


「こっちも異常なし。なんかお客さんとキャストのパーティみたいになってるけど」


 確かに、彼女の声の背後から楽しげにおしゃべりする声が聞こえてくる。店に来たお客さんには事情を話して店内で待機してもらっていた。


「これで本当に犯人見つかるの?」


「たぶんね」


 犯人は現場にもどってくる。これだけ派手に花火を打ちあげようとしているのだからなおさらだ。


「あ、もうすぐ時間だね」


 VCの向こうで「10、9、8、7……」と声を合わせてカウントダウンする者がたちがいる。


「海外の大晦日かよ」


 やがてカウントがゼロになり、飲食のできないVR空間だというのに乾杯してグラスをぶつけあう音がする。


「盛りあがってんね」


「そっちはどう?」


 ブラッドバスは周囲に目を走らせた。プレゼントの爆弾はすべてキャストのインベントリに収納されている。だから16時になっても爆発は起こらない。何も騒ぎが起こらず当てのはずれた犯人は挙動不審になるはずだ。それを見つけようとしたが、ふつうに歩いている人しかいない。


「めちゃめちゃ盛りさがってる」


「わたし、店の外を見てくる」


 エコーがVCを切るのと入れ替わりで、別の声が聞こえてきた。


「北から車が2台接近中」


 ファントムからの報告が入る。


 やがて観光バスみたいな車が2台やってきてアーケードの入口を塞ぐような格好で停まった。


「何あれ。VR風俗ツアー?」


 見ていると、バスの中から完全武装の兵隊がぞろぞろおりてきてアーケードの中に入っていった。


「まさかあれ全部が反アーケードの奴らってこと?」


「さあ、パーティのはじまりだ」


 ブラッドバスは車から降りた。まわりの車からも人が出てくる。各店のバウンサーたちだ。アーケードの危機だと伝えたらみんな手を貸してくれた。


 建物の中から激しい銃声と爆発音が聞こえてきた。


 ネックレス爆弾でキャストの首を吹き飛ばすのが目的だと思っていたが、それは陽動にすぎなかったようだ。敵はキャストを傷つけるだけでなく、アーケード全体を破壊しに来ている。


「みんな、行こう」


 ブラッドバスは仲間たちに号令をかけた。「中にいるバウンサーとわたしたちで敵を挟み撃ちにする」


 メニューを開き、ブラッドバスの衣装を替える。スカートの前が開いたドレス、ピンヒール、髪はコーンロウに編んで、ショットガンを手にした。


「着替える必要ある?」


 レダが車の前をまわってとなりに来た。ブラッドバスは肩にかかる髪の束をうしろに払った。


「これがわたしの正装だから」


「死に装束かもね」


 そう言いながらレダもバウンサーの服装に着替えた。


 他のみんなもそれぞれの店のコスチュームに身を包んでいる。巫女服にセーラー服、バニーガールにシスター、ろくしゃくふんどしにラガーマンにガチムチ逆バニーマン……あらゆる性癖をカバーするアーケードの面目躍如だ。


「ちょっと、何あれ! 馬がいる!」


 レダの指差す方を見ると、つやつやな毛並みのサラブレッドが蹄の音も高らかに車道を渡っていた。


「たぶん29階のバウンサーだね。アーケードは上の階に行けば行くほどコアな性癖の店になる」


「あれもなかに人が入ってるの? ていうか、あのリアルな馬とやる人がいるの? やばすぎでしょ」


「多様性勝負なら我々アーケード軍団の完全勝利だな」


 敵が乗ってきたバスの陰でアーケードアーミーが整列している。ファントムも白い野戦服に着替えて戦闘態勢だ。


「みんな準備はいいか?」


 彼はPSGの仲間とバウンサー部隊を見まわした。「行くぞ。突入!」


 銃を構えて建物の中に足を踏み入れたブラッドバスたちを出迎えたのは頭上に浮かぶホログラムの美女軍団だった。


 このアーケードをめちゃくちゃにしようと攻めこんできた者たちにも、それを狩りたてるべく追ってきたPSG・バウンサー連合にも平等にほほえみとウインクとセクシーなダンスを披露してくれる。


 入口の左右にあるのはアーケードを代表する人気店、SAGAMIとレッド・ライトだが、名物のはり見世みせも飾り窓もめちゃくちゃに破壊されていた。黒く焦げた部分があるので、おそらくお得意の爆弾を使ったものだろう。


 正面には2階に通じる階段がある。深夜0時を迎えたシンデレラが駆けおりそうなほどに立派なものだが、奥の方にあるエレベーターとエスカレーターの方が楽なので、お客さんにはあまり使われない。


 だがいまそこには10人ほどの兵士が階上を見あげながら立っていた。


「よし、まずはあいつらを片付ける」


 アーケードアーミーが彼らを射殺し、2階へのぼっていく。


 ブラッドバスは上階にいるエコーとVCをつないだ。


「そっちの状況は?」


「敵は2階を占拠してる。わたしたちは3階で奴らがのぼってくるのを食い止めてるとこ」


「いまからわたしたちも2階にあがる。奴らのケツに風穴開けてやる」


「早くしてよ。みんなけっこう当ててくる。やってる奴らだわ」


 ブラッドバスたちは巨大ホログラム美女たちの下を進んだ。


 アーケードアーミーが全方位対応型のフォーメーションを組んで階段をのぼっていく。だが踊り場まで行ったところで四方から撃ちおろされ、数人が倒れた。


「どうする? ここが駄目ならエレベーターとかかしら」


「そしたらむしろいい的になっちゃう」


 ブラッドバスは周囲を見渡した。「そうだ……バックヤード。あそこを通って上にあがればいい。あいつらは絶対知らないルートだ」


 SAGAMIの店内に入り、奥のドアを開ける。ブラッドバスはわずかに顔を出して向こう側をのぞいた。従業員専用の廊下はいつもどおり薄暗く静かで、何もなく、誰もいない。


「みんな、こっちへ」


 ドアを大きく開き、仲間たちを招き入れる。


 窓に2階の地図を表示させた。


「手分けして各店舗を押さえよう。敵がいても、裏から入ってくるとは思ってないはず。確実に意表を突ける」


 階段をのぼり、廊下に散らばった。それぞれ、店に通じるドアの前に立つ。本当はすべての店を確保したかったのだが、人数が足りないのでとりあえず外の階段に近いところを攻める。


 ブラッドバスとレダが向かうのは「巨乳若女将がお出迎え むらむら温泉豊満亭」。その名のとおり、温泉宿をモチーフにした店だ。


 ブラッドバスはカメラアプリを物質化し、細く開けたドアの隙間に差し入れた。撮れた画像を見てみると、店の正面が大きく破壊されていて、そこに3人の兵士がいた。3人ともこちらに背を向けている。


 どいつを攻撃するかハンドシグナルで相談してからブラッドバスとレダは店に忍びこんだ。待合室は温泉宿モチーフの店らしく足湯になっていて、湯気のエフェクトが視界を妨げる。ブラッドバスは身を低くして前進した。


 店の玄関は怪獣に食いちぎられたみたいにすべてが失われていた。扉も壁も、瓦庇や提灯や暖簾までも消滅している。温泉宿の内に湛えられた人懐こい闇が外に流れ出し、外の光が入りこむ。情緒もへったくれもない。


 3人の敵兵は、もとは土間だったところに立ち、正面に見える階段に向けて銃を構えている。アーケードアーミーとはちがって服装は3人ばらばらだ。


 ブラッドバスは右端の砂漠用迷彩服を着た男を背後から撃った。それと同時に左端の、草を背中や肩から生やした森の精みたいな奴をレダが殺し、音に驚いてふりかえろうとした中央の三本線ジャージくんに2人がかりで散弾を浴びせる。


 敵がドットと化して消滅していくのを眺めながら、ブラッドバスはあたらしい銃弾を装填した。


「クリア」


「上の階もこの調子でいくわよ」


 店の階段は木製で、よく踏まれる中央部が黒光りする、手のこんだ造りだった。のぼっていくとと軋むのは手がこみすぎというか、隠密行動中の身には迷惑なギミックだ。


 無人の2階を過ぎ、3階にあがると、通りに面した壁に大きな穴が開けられていた。一人の兵士がそこに伏せて銃を構える。


 ブラッドバスはその背中を踏みつけ、頭をショットガンで吹き飛ばした。


「よし、制圧完了」


 23にいるので、襟の乱れた和服美女のホログラムが目の高さにあった。通りを挟んだ向かいの店を見おろすと、白い服のアーケードアーミーがすでに防御態勢を敷いていた。


 ブラッドバスはいま殺した兵士のようにその場に伏せ、二脚で床に据えつけられた機関銃を手にした。外の階段付近に敵が布陣しているので上から銃弾の雨を降らせる。味方も呼応して十字砲火を浴びせた。敵の大半がドットに還元されて風の前の塵と同じく散っていく。


「やったか!?」


 3階にいる愛重香からVCが入った。


「見える範囲の敵は排除した。あとは店の中に隠れてるのだけ」


「よし。いまから2階におりて掃討作戦を開始する」


「援護する」


 色とりどりの服を着たバウンサーたちが大挙して駆けおりてきた。そのまま通りの奥へと向かう。


 ブラッドバスはそちらに銃を向けようとした。だが壁が邪魔して射線が通らない。


「駄目だ。ここからじゃ狙えない」


「下におりて通りに出ましょ」


 立ったままのレダがブラッドバスの頭上で言う。


「でも遮蔽物がない」


「わたしにいい考えがある」


 彼女は店の階段をおりていった。


 表でガタゴト音がするのでのぞいてみると、レダが足湯のところに置いてあったベンチを通りに放り出していた。横倒しにして毛氈もうせんの敷かれた座面を盾にする。


「OKよ。これで身を隠せる」


「IQ200~」


 ブラッドバスは機関銃を床から持ちあげ、虚空に身を躍らせた。着地の瞬間、わずかに硬直タイムがあったが、すぐに復活してベンチの陰に伏せる。


「あんな高いとこから飛びおりてだいじょうぶなの?」


「あの程度じゃ死なない。配信で見た」


 キャッシュマネーのスタジオが襲撃されたとき、シノは3階建の屋上から飛びおりてピンピンしていた。あの日の配信で見た彼女の姿を自分に重ねてブラッドバスはいま戦っている。


 ベンチの上に機関銃を載せて3発ずつ指切りして撃った。教会風の建物から発砲してきていた敵が顔をひっこめる。


「ブラッドバス、いまどこ?」


 エコーからのVCだ。


「階段のそば。赤いベンチの陰にいる」


「いまから愛重香といっしょにおりてく」


 エコーと愛重香はギャルリー・ヴィヴィエンヌのバウンサーとしてふさわしいをしていた。スカートの前が大きく開いたドレスを着て、ショットガンを手にしている。


「あれ? まだ生きてたんだ、新人」


 愛重香がレダを見おろす。


「おかげさまで」


 レダは地面に伏せたまま肩をすくめた。


「ねえ、わたしたちも味方といっしょに攻めこもうよ」


 エコーに言われてブラッドバスは立ちあがった。


「行くかァ。レダも行こうよ」


「そうね。這いつくばってるよりは楽しそう」


 ブラッドバスは機関銃を肩に担ぎ、レダはベンチを腋に抱えこんだ。


「挟み撃ち作戦は大成功だな。さすがブラッドバス」


「わたしはただアイデアを出しただけ。みんなが力を合わせて戦ってくれたおかげよ」


「敵があんなに来るのは想定してなかったわよね」


「マジあいつらおかしいって。風俗嫌いだからってふつう人殺しまでやる?」


 しゃべりながら歩いていると、階下がなにやら騒がしくなった。ガラスが割れる音、何かのこすれる音、大きな獣がうなってるみたいな音がする。


「ん? 何だ?」


 愛重香が階段の前に立つ。下をのぞいていたが、すぐに飛びすさった。


「わあっ! あっぶねえ!」


 彼女をかすめるようにしてピックアップトラックが飛び出してきた。続いて2台3台と階段を駆けあがってくる。それぞれの荷台には支柱つきの機関銃が搭載されていて、ガンナーがガタガタ揺られながら乱射する。


「やばい! 逃げろ!」


 ブラッドバスはさっきまでいた温泉宿風の店に取って返した。同僚たちも追ってくる。


「あっ」


 レダが声をあげて倒れた。ダメージトリガーで体が硬直している。


 エコーがとっさに飛び出してショットガンで応射する。ブラッドバスと愛重香はレダの腕をつかんでひっぱった。


 店の奥まで引きずっていって仰向けに横たえる。レダは天井を見つめ、口をパクパクさせていた。


「体が動かない。どうなってるの?」


「撃たれたんだよ。致命傷じゃないから安心しな。いま硬直を解いてあげる」


 ブラッドバスはインベントリから注射器を召喚してレダの胸に突き立てた。すぐに薬が効いて彼女は起きあがった。トラッカーの調子を確かめようとするかのように首や肩をまわす。


「死ぬかと思ったわ。人生一寸先は闇ね。わたし明日にでも東京に出ようと思う」


「悟り開いてる場合かよ。まずこの状況を切り抜ける方法考えろ」


 ブラッドバスは彼女の尻を叩いた。


 店の3階にあがって見おろすと、トラックの他に歩兵も続々とのぼってきてフロアを埋め尽くしていた。最初に攻めこんできた連中よりも人数が多い。


「今度はわたしたちが逃げ道塞がれちゃったわね」


 床に伏せたレダが銃を折って薬室を確認する。


 4人で一斉に射撃を開始した。的が多いのでよく当たるが、その分反撃も激しい。1階に通じる階段を塞ぐような形で停まるトラックのガンナーがこちらに銃口を向けた。


 腹に響く音を立ててトラックの機関銃が火を噴く。壁や床を突き抜け、天井に穴が開いた。


 ブラッドバスは左右に伏せた同僚たちの顔を見まわした。


「ねえ、ガンナーの顔見た?」


「見たけど、どうかしたの?」


「あいつ見おぼえある」


 物質化したカメラアプリを壁の穴から差し出す。敵の弾が当たってカメラが弾け飛んだ。


 ブラッドバスは撮れた写真を窓に表示させた。


「ほら、こいつ」


 荷台の上で機関銃を構える少女が写っている。銀髪のかわいい子だ。エコーがその窓をのぞきこむ。


「あんたの相方を殺した奴じゃん。うちの厄介客」


「わざわざ転生してこんなことやってんのか。頭おかしい」


 愛重香が鼻で笑う。


 1にいる敵に対して3にいるブラッドバスたちの方が位置的には有利だが、トラックの機関銃による火力と人数の差で圧倒されている。味方もそれぞれの店に釘付けにされて反撃できない。


 ブラッドバスは天井を見あげた。のんぷちのフォロワー虐殺事件について調べはじめてからずっと動きまわっていたのに、ここに来てこの停滞だ。


 わたしの人生、いつもこんな感じな気がする。動きがなくて、負け確で、大事なものから隔てられている。


 レダの真似をして仕事が決まるのを待たずに博多に引っ越してしまおうかとも思う。だがそういうことではないのだ。わたしの求めるものはそういうやり方で手に入れられるものではない、きっと。


 ふっと目の前が暗くなった気がした。壁の穴から外を見て、違和感の正体に気づく。天井近くで踊っていたホログラムが消えている。


「あれっ、どうしたんだ?」


 通りを見渡すと、すべてのホログラムが消えていた。ふだんは陰に隠れている照明機器がよく見える。天井からぶらさがる銀色のランプシェードは体育館とかによくある照明と大差ない。通りがまるで活気がないふつうの商店街みたいに見える。このアーケードにかかっていた魔法が解けてしまったようだった。


「バグった? ひょっとしてこの場所、もう終わ――」


 レダのことばを光が遮った。


 ホログラムが復活していた。映っている人物は前とちがう。紫色の髪、白い羽根の髪飾り、瞳は緑で、こちらをまっすぐ見つめているように見える。そこにいないのにそこにいて、視線が絡み心が通い体温が伝わると錯覚してしまう。彼女のクソデカ(物理)スマイルは彼我の距離を飛び越える。


「アーケードをご利用の皆さん、アーケード内での発砲・殺人・暴動はご遠慮ください。でないとボクが殺しちゃうぞ~♡」


 無数の彼女が通りに声を幾重にも響かせる。


 下で激しい物音がした。見ると、階段を塞いでいたトラックが黒い装甲車に吹き飛ばされていた。装甲車はタイヤが8つある大きなもので、屋根には銃座が設けられている。ブレザーのの制服を着たJKがそれを乱射する。


「オラオラ~、わたしに撃たれてリアルあの世帰り行きな!」


 装甲車が走りまわり、トラックを弾き飛ばしていく。兵士たちは追いたてられ、銃弾に倒れた。


 もう1台、装甲車が階段を駆けあがってきた。こちらの銃座にはピンク髪の少女がついている。


「うわ、こいつらゾンビみたい。きっしょ」


 ふたりの放つ銃弾が石鹸の泡をシャワーで押し流すみたいに敵を一掃していく。


 さらに1台、銃座にやたらゴツいネコミミ女をつかせた装甲車があがってきて、3台で通りを塞ぐ。3人のガンナーが通りの奥を油断なく見張っている背後でそれぞれの車の後部ハッチから黒ずくめのネコミミ兵士たちが降りてきた。最後にさっきのホログラムに映っていた少女が降車する。彼女は背丈よりも長いライフルを肩に担いでいる。


「シノ……!?」


 ブラッドバスは3階から飛びおりた。着地でちょっと硬直したが構わず彼女に駆け寄る。


「どうしてここに……!?」


「配信してたら視聴者さんがコメントで教えてくれた。アーケードで戦争してるって」


 シノはそっぽを向いて答える。かわいらしく頬を膨らませていて、わたしはふだんとはちがう意味で胸がドキドキした。


「……なんか怒ってる?」


「戦争するならなんでボクに連絡くれなかったの? キミの力になれたのに」


「いや……シノ忙しいかと思ってさ。それに、これはわたしの戦いだから。シノを巻きこむわけにはいかない」


 ブラッドバスが言うと、シノが迫ってきてテクスチャーが干渉しそうな距離から目の奥をのぞきこまれた。


「キミの戦いはボクの戦いだよ。だってキミはボクの大事な人だから。キミが命を懸ける戦いならボクも命を懸ける」


「あの、わたし……」


「それなのにキミはボクを呼んでくれないんだね。冷たいなあ。ボク、キミのこと嫌いになっちゃうかも」


「ち、ちょっと待ってよ……」


 ブラッドバスはシノの手を取ろうとした。だが彼女が担いだ銃に両手をかけているために果たせず、ふたりの間で両手を空しくさまよわせた。


「そりゃあシノが来てくれたらうれしいし心強いよ。でもシノを危険な目に遭わせたくなかった。だってわたし、あなたのことが好きだから」


「ホントに?」


 シノが身を引き、わずかに首を傾げる。


「ホントだよ。あなたが好き。世界でいちばん」


「キスしてくれたら信じるかも」


 シノに言われてブラッドバスは彼女の頬にキスをした。彼女はほほえむ。


「ボクのこと好きっていうのは信じてあげる。でも戦いにボクを呼んでくれなかったことを許すかどうかは今後のキミの行動次第だね」


「う、うん……わかった。許してもらえるよう努力する」


 シノはブラッドバスの額にキスして身を離した。


「シノちゃん、まだ敵が撃ってきてるよ」


「さっさと終わらせちゃいましょう。もう配信はじまって1時間たってますし」


 装甲車の銃座につくイツキとキャッシュマネーが呼びかけてくる。シノは肩の銃をおろして胸に抱えた。周囲を見渡し、声を張りあげる。


「みんな、敵は虫の息だ。一気に叩き潰そう。動ける人はボクについてきて」


 車が通りの奥に向けてゆっくりと動きだした。黒ずくめのネコミミ兵と白装束のアーケードアーミーが交じりあってあとに続く。それを追ってシノも歩きだす。彼女は一度ふりかえり、ウインクしてきた。ブラッドバスは腰のあたりで小さく手を振った。


 背後からひそひそ声が聞こえてくる。


「いやキッツ……」


「相方のあんな姿、見たくなかったわ」


「ひとことで言うとゲボですわ」


 ブラッドバスがふりかえった。同僚たちは目を逸らしたり咳払いしたり手元に開いた窓を不自然な姿勢でのぞきこんだりした。


 シノたちのあとを追って歩いていると、ギャルリー・ヴィヴィエンヌのキャストたちが見えた。7階から見物に来たようだ。アヌスよわよわ姫騎士専門店「純潔乙女騎士団」のお城みたいな門の前に並んでブラッドバスたちに手を振ってくる。


「パレードしてるみたいね」


 レダがくすっと笑う。


「もう作戦終了?」


 門柱に寄りかかるミシェル・メールが声をかけてきた。


「だいたいね」


 ブラッドバスは銃を肩に担いだ。「あとは残党狩り」


 弛緩した空気があたりに漂っていた。フロアでは散発的に銃声が聞こえるだけだった。


 前を行っていたエコーがふりかえった。


「残りの敵さん、店の中に隠れてたりしたら面倒だね」


「各店舗のバウンサーが処理するしかないな」


 愛重香が自撮りをしながら歩く。


「ぶっ壊された店もあるし、すぐに営業再開とはいかないかもね」


 ブラッドバスは鎧を着た「純潔乙女騎士団」のキャストたちの投げキッスを手で受ける真似をした。


 背後で複数の悲鳴が聞こえた。肌もあらわな女の子たちがブラッドバスを走って追い越していく。ブラッドバスはふりかえった。


 門の前にひとりミシェル・メールが立っていた。よく見ると、うしろにもう1人いた。銀髪の女だ。ミシェル・メールの首に腕をまわし、そのこめかみに拳銃を突きつけている。


「動くな! 手を見えるところに出せ!」


 ミシェル・メールが手を顔の高さまであげる。


 彼女の肩越しに銀髪の女はブラッドバスたちの方にも銃を向けてきた。


「おまえらもだよ! 変な動きをしたらこの女を殺す!」


 周囲が静まりかえる。


「何アイツ、やばくない?」


 レダがわずかに身を寄せてくる。ブラッドバスは銃を肩からゆっくりとおろした。


 銀髪の女と目が合った。


「そこのデカ女、見おぼえがある」


「こっちもね」


 前に会ったときとくらべて、彼女のモデルは顔立ちがやや幼くなっていた。


「おまえ、わたしの前世を殺した奴だな」


「あんたはわたしの相方を殺した奴だ」


「当然の報いだ。わたしを出禁にしたんだから」


「キャストに『オフで会おう』なんて言ったら一発出禁に決まってんだろ。VR風俗はじめてかよ」


「あんだけ課金した客にする仕打ちじゃないだろ」


「金払えば何でも許されると思ってんじゃないよバカタレが」


 どうやらこいつは私怨で今回のテロ攻撃に参加したようだ。


 その私怨を反アーケード思想に利用されて兵隊として使われることになってしまった。あるいは、反アーケード思想の方がこいつの私怨に利用されているのかもしれない。どっちにしろクソなのには変わりない。私怨も思想も、どっかのコメント欄にでも閉じ籠って仲間内だけでワイワイやっててもらいたい。


「いいこと思いついた」


 銀髪の女がブラッドバスに銃口を向けた。「デカ女、おまえこのばいを殺せ」


「は?」


 ブラッドバスは顔をしかめた。銀髪の女が口を歪めて笑う。


「やれよ。悪い奴を殺すのが得意なんだろ? こいつは的にぴったりだ。客から巻きあげた汚いカネで作ったアバターなんだから」


「テメエ……ナメた口利いてんじゃねえぞ!」


 レダが肩をいからせ、向かっていこうとする。「俺がおまえをぶっ殺してやるよ!」


「落ち着け、レダ」


 ブラッドバスは彼女の肩をつかんだ。彼女がふりかえる。


「でも、あいつ……」


「冷静さを失ったらヤツの思う壺だ」


 そうは言ったものの、ブラッドバスも冷静ではないし、この場を切り抜ける策があるわけでもない。


 ハプティックグローブの内側が汗で濡れる。わたしは乾いた口から唾液を絞り出して呑みこんだ。


 人質になっているミシェル・メールの方がかえって落ち着いている。


「そう、冷静にね。プロなんだから」


 そう言ってブラッドバスにほほえみかける。


 彼女はプロだ。これまでの経歴からいってまちがいない。


 ブラッドバスもまたプロだ。ミシェル・メールとは持ち場がちがうだけで、自分の仕事に誇りを持ち、なすべきことを知っているという点では変わりがない。


「さっさとしろよ。やらないならおまえから殺すぞ」


 銀髪の女は銃口をミシェル・メールの耳にぐりぐりと押しつける。ノイズが入ったのかミシェル・メールは顔をしかめた。


 ブラッドバスは散弾銃の銃口を天井に向けた。そのまま左右の引鉄を引く。


 銃声に驚いたか、銀髪の女が体をびくりと震わせた。


「何のつもりだ?」


「弾を抜いといてやった。念のために」


 ブラッドバスは銃を足元に放った。「わたしはプロのバウンサーだ。キャストに傷つけることなんて許されない。ましてや殺すなんて」


「じゃあおまえが死にな」


 銃口がこちらを向く。銃口の奥の闇と目が合い、ブラッドバスは不敵に笑った。わたしは死の恐怖と血の予兆に震える。


「ところで――」


 ブラッドバスは腕を大きくひろげた。「プロとして予言しといてやる。あんたは2秒後に上を見て悲鳴をあげる」


「はあ? おまえ何言って――」


 視線を上にやった銀髪の女が顔を強張らせる。彼女の上に大きな影が落ちる。


「うわっ……」


 銀色のランプシェードが地面に激突し、割れた電球の破片が飛び散った。銀髪の女がミシェル・メールから体を離し、飛びすさる。


 プロにとってはその一瞬で充分だった。ミシェル・メールが体をひねり、腕を振ると、銀髪の女の両手首が切断された。


 その動きは速すぎて、インベントリを開くのも、そこから召喚したナイフを握りこむところも見えなかった。


 ブラッドバスもまた速かった。銀髪の女がひるんだ隙にすばやく距離を詰め、前蹴りをお見舞いした。爪先が腹に突き刺さり、門の内まで吹っ飛ばす。


 ブラッドバスはゆっくりとそちらに歩いていく。リアルのわたしは前蹴りのときに思いきり机に足をぶつけてしまい、ダメージ硬直に入っている。


「こいつ、どうする?」


 ブラッドバスはミシェル・メールの方を向いた。「姐さんがる?」


 ミシェル・メールは指の先で回転させていたナイフをインベントリに叩きこんだ。


「わたしはもう足を洗ったから」


 彼女はかつてプロの殺し屋だった。得意技はあいのようにインベントリからナイフを抜くことで、丸腰だと思って油断していた相手は銃を構えることすらできず絶命する。


「あれでって? 現役の動きだったよ」


「現役ならうしろから抱きつかれた時点で殺ってた」


「こわ~。カネのために30人殺した女はちがうな」


「38人よ」


 銀髪の女が言ったことには一部誤りがある。ミシェル・メールは客のカネでこのアバターを磨きあげたのではなく、殺しの報酬を使ってきれいになったのだ。


 ミシェル・メールが地面に突き刺さった照明器具に目をやった。


「あれに助けられた。よく撃ち落とせたね」


「天井の構造はどのフロアでもいっしょだから」


 ブラッドバスの持ち場は店の前だ。そこから見えるものは熟知している。ブラッドバスの強みはそこにある。殺しのプロであるミシェル・メールにもイカれたテロリストにもその点でだけは負けていない。


「ブラッドバス――」


 レダがショットガンを放って寄越した。


「サンキュー」


 ブラッドバスは愛銃をキャッチすると、真ん中で折った。空薬莢が振り落とされる。ガーターベルトに挟んであった実包を薬室に装填し、銀髪の女に近づいた。


 彼女は仰向けに倒れ、引きつったような声を出して呼吸していた。ブラッドバスはその顔をのぞきこんだ。


「あらら、VRショックか。銃で撃たれたりするよりモデルの身体欠損の方がやばいっていうよね」


 女が顔をあげる。うつろな目がブラッドバスをとらえた。


「これで終わりだと思うなよ……わたしは何度でも蘇る……転生をくりかえして、必ずおまえとあの女を殺してやる」


 そのラスボスみたいな台詞にブラッドバスはくすっと笑った。


「あなたのおかげでわたしのいる意味がわかったよ。この場所がどんなにいかがわしかろうと、どんなに人聞き悪かろうと、それを必要としている人がいる。その人たちを守るためにわたしがいる。この場所を破壊しようとする奴がいるなら、わたしはそいつの前に立ちはだかる。どれほど恐ろしい相手だろうとね」


 ショットガンの銃口を女の額に押し当てる。女が長い息をつく。


「わたしだけじゃない。アーケードを潰したいと考える人は他にもたくさんいる。いつかおまえたちはこの社会から排除される。いい気になっていられるのもいまのうちだ」


「貴重なご意見ありがとうございます」


 引鉄を引くと、頭が吹き飛び、命の失われた体全体がドットに分解されて消えていった。


 銃を折り、空の薬莢を飛ばす。いつの間にかそばに来ていた同僚たちに頭や肩や背中を叩かれた。それがなんだかくすぐったくて、ブラッドバスは彼女たちの手を振り払うようにして銃を肩に担いだ。


 通りの向こうで歓声があがった。高い天井の下に響き渡り、かえっていつものにぎわいがない寂しさをあらためて実感させられた。


「ブラッドバス、シノちゃんすごかったぞ」


 ファントムからVCが入る。「一瞬でヘッドショット2人抜き。マジで速かった」


「アーカイブで見てみるよ」


 ネコミミ軍団とアーケードアーミーがもどってきた。おしゃべりしたり肩を組んだり銃を交換して見せあったり、リラックスした様子だ。


 その先頭にシノがいた。ライフルを手に提げ、胸を張って歩いている。


 階上から人がどっとおりてきた。このフロアにいるくたびれた面子とはちがってみんなキラキラしている。避難していた各店のキャストたちだ。彼ら彼女らはアーケードをすくったヒーローヒロインたちを出迎える。


 ドスケベ豊満ケモ娘のチョコ・ケンドールがシノに抱きつき、そのクソデカおっぱいを押しつける。シノは空いた手を彼女の腰にまわし、耳元で何かを囁いた。ふたりの間で小さな窓がいくつか取り交わされる。


「あなたの彼女、さっそく浮気してるじゃない」


 レダが言う。ブラッドバスは顎をさすった。


「アーケードで一番人気のキャストをものにするとはさすがだね。やっぱナンバーワンが似合う女なんだよなあ、シノって」


「あなた3時間前となかみ入れ替わった?」


 シノがチョコから身を離してこちらにやってきた。


「ただいま」


「おかえり」


 ブラッドバスは彼女に寄り添った。シノが胸に頭を預けてくる。


「敵はみんな決死の覚悟で来てた。手強い相手だったよ」


「もう戦争はいやだな。シノとはもっと別のことをしたい」


「そうだね」


 シノが顔をあげる。その唇にブラッドバスは唇を重ねた。


 銃声がして、ブラッドバスはそちらにすばやく目を向けた。


 装甲車に乗ったイツキが機関銃を天井に向けて乱射している。両側にはアーケード一のしょうじょらむねくんとトキオを侍らせていた。頭上からドネーションのコインが滝のように降る。人間の欲望を寄せ鍋にして煮詰めたような姿だ。


「ガハハ! 撮れ高ァ! 投げ銭ン! 美少女ォ! 明日も戦争が起きますように!」


「ま、いろんな意見があるよね」


 シノは肩をすくめた。


 イツキが装甲車から飛び降りてきた。


「あ、ブラッドバスちゃん、お疲れ」


「どうも」


 ブラッドバスは軽く頭をさげた。イツキちゃんねるの配信にちょっと関わったことはあるが、イツキ本人との絡みはほとんどないので、どうしてもよそよそしくなる。


 イツキはブラッドバスの肩に触れた。


「いつも配信手伝ってくれてありがとね」


「いえ、そんな」


 イツキはシノに目をやる。


「キャッシュマネーちゃんは?」


「いっしょじゃないんですか?」


「車を降りてどこか行っちゃったんだけど」


 あたりを見まわすふたりの向こうで、兵士たちの群れが左右に割れた。


「シノさ~ん、イツキさ~ん」


 キャッシュマネーが裸馬にまたがってこちらにやってくる。イツキは目を丸くした。


「何あれ。あんなのレンタルできるの?」


アーケードうちのバウンサーです」


 ブラッドバスのことばにシノがうなずく。


「29階の『ヴィクトリアズ・ファーム』の子ですね。たくましい雄のサラブレッドと遊べるお店です」


「えっ……!? てことは、牡馬×キャッシュマネーちゃんってこと? あぁ~脳が破壊されるぅ~」


 人の魂が入った馬は手綱など使わなくても意思の疎通が可能だ。キャッシュマネーは馬に声をかけ、シノたちの前で足を止めさせた。


「アフタートークやりません? うちの視聴者がここのキャストさんを配信に出してほしいって言ってるんですけど」


 馬の背中の上から言う。イツキは彼女を指差した。


「いいねえそれ。管理組合に連絡してみよう」


 彼女が複数の窓を開くとなりでシノはブラッドバスにほほえみを向けた。


「まだ配信やるみたい。このあとキミとふたりきりになれたらって思ってたんだけど」


「配信があるなら仕方ないね」


「また連絡するよ」


「うん。待ってる」


 ブラッドバスは仲間たちと去っていく彼女に手を振った。


 彼女たちはいいチームだ。キャッシュマネーは切れ者で、イツキにはコミュ力と行動力があり、シノは世界一かわいくて世界一強い。


 そこにブラッドバスの居場所はない。単に視聴者として見ていたなら、こんなことは考えなかっただろう。シノに近づきすぎたからこんな寂しさを感じることになった。


「お疲れ」


 エコーに肩を叩かれた。ブラッドバスはうなずいて応える。愛重香がうしろから抱きついてきた。


「こういうとき打ちあげ行けないのがVRの欠点だな」


「いつかやろうよ。リアルで」


 ブラッドバスが目をやると、レダは笑った。


「いつかね」


 破壊された通りを見渡し、ブラッドバスは肩をまわした。


「さてと、スクショ撮って報告書を作るか」


 わたしたちは日常にもどる。このがらんとした空間にホログラムの美男美女美獣その他を浮かびあがらせ、通りを期待や欲望や愛や失望のきらめきで満たす。それが戦いに勝った者の権利であり義務だ。


 あたらしく発生した仕事にぶつくさ言っている仲間を従えてブラッドバスは通りを歩きはじめた。

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