第4章

 ノベオカ・スワップミートはアーケードから車で30分ほどのところにあった。


 ブラッドバスは車を降りて首をまわした。


「あ~、うるせえ車だった」


 レダが運転席から出てくる。


「あ~、カマロ最高。現行の9thもいいけど、やっぱ5thよね。ガソリン車の排気音って憧れだわ」


「見た目ガラ悪すぎでしょ」


「そう? 全然ドノーマルよ? お金あったらリアルで買っていじりたいわ~」


 レダは愛犬にでもするみたいにツートンカラーのボンネットを撫でた。


 高い塔の下にある広場がノベオカ・スワップミートの会場だった。広場中央には円形の噴水池があって、フラミンゴみたいな大きな鳥が足を水に浸けて立っている。


 リアルでは日曜日なので、人出が多い。リアルのフリマみたいにピクニックシートをひろげてその上に売り物を並べている者もいれば、八百屋の店先のように棚を設けてそこに商品を陳列している者もいる。


 ブラッドバスは近くのスペースをのぞいてみた。


「おっ、マジックモンスターカード。懐かしいなあ」


 リアルのマジモンカードの写真が宙に浮いて並んでいる。スフィアで取引してリアルの物が送られてくるタイプの店だ。よくわからない文字列が画像の下に付されている。ブラッドバスはそれに目を凝らした。


「2032大会、ホロS-24、亜シクC……どういう意味だ?」


 レダがブラッドバスのとなりに立つ。


「2032大会は2032年の世界大会来場者に配られた限定カード、ホロS-24は型番S-24『ホワイト・セイクリッド・ワイバーン』のホログラムバージョン、亜シクCはアジア版のシークレットでランクCってこと」


「え? めっちゃ語るやん」


 ブラッドバスが言うと、レダは鼻で笑った。


「こんなの常識よ。奴ならね」


 周囲では多くの客が足を止めてカードを吟味していた。どれも5000円とか10000円というプレ値なのに、次々に売れていく。。フードを深くかぶった売り子の男が邪魔くさそうに見てくるので、ブラッドバスたちは退散した。


 N144aのナンバーが振られたスペースには馬で引く荷車のようなものが止められていた。その上にぬいぐるみの画像と3Dモデルが飾ってある。説明文によると、リアルの手作りぬいぐるみを売っているようだ。


「こんにちは」


 ブラッドバスは売り子の女性に声をかけた。この人自身もフリルやリボンのいっぱいついたお人形さんみたいなワンピースを着ていた。


「先週の火曜日、この場所に出店していた人を知りませんか?」


 売り子の女性は首を横に振った。


「このスワップミートに出店するのは今日がはじめてなので……。ごめんなさい」


「そうですか……」


「運営本部に訊けばわかるかもしれません」


 女性が運動会のグラウンドにありそうなテントを指差す。


 ブラッドバスは礼を言い、テントの方に向かった。


 スワップミートの賑わいからやや離れて、大きな白いテントが立っている。その下にはロボットを骨組みだけにしたようなアバターがいた。顔には大きなカメラレンズがひとつだけついている。


「何か御用ですか?」


 ロボくんがこちらに気づいて声をかけてきた。ロボットらしいボイチェンは利かせていないので聞き取りやすい声だ。テントが作る日陰の中で顔に埋めこまれた小さなLEDが点滅する。


「あなたはここの責任者?」


「ノベオカ・スワップミート運営事務所の優樹@masakiNTといいます」


「8月2日、スペースナンバーN144aで出店していた人のことを教えてほしいのですが」


 ブラッドバスが言うと、LEDの点滅がせわしなくなった。なんらかのエモートのようだ。


「そのスペースで何かお買い上げですか? それなら商品に連絡先が添付されているはずですが」


「いや、何も買ってはないんですけど……」


「それでしたら、個人情報はお教えできません」


 ロボ感のない男の声はにべもなかった。ブラッドバスは作り笑いを浮かべた。


「どうしても連絡が取りたいんです。スフィアタグだけでも」


「申し訳ありませんが」


 ロボくんは踵を返し、脊髄を模したパイプのような部品をこちらに向けた。


 ブラッドバスは背後に立つレダをふりかえり、インベントリを開いて見せた。左端に収納されているショットガンを指差す。


 レダは小さく頭を振り、一歩進み出た。


「取引しましょう。個人情報を内緒で教えてくれたら、わたしたちもあのカード屋のことをスフィアの運営に黙っといてあげる」


「は? アンタ何言ってんだ?」


 ロボくんがふりかえる。ブラッドバスもレダの方を見た。


「どういうこと? カード屋がどうかした?」


「あれカード屋じゃなくて大麻の売人。カードは売ってるように見せかけてるだけ。値段が相場の倍以上だし、ホワイト・セイクリッド・ワイバーンにホロはない。やってる奴ならすぐわかる」


「えっ……じゃあ、あの説明書きも見せかけってこと?」


「2032大会っていうのは、2032年のカンナビス・カップで入賞した品種って意味。カンナビス・カップはオランダでやってる大麻のコンテストよ。S-24はシードが24粒ってこと。亜シクはアジアルートのスタッフ。Cはカンボジア産」


「やっぱめっちゃ語るやん」


 ロボくんが急にわちゃわちゃしだした。


「いや、俺……そんなん全然知らなくて……」


? とぼけてんじゃねえぞコラ」


 レダが唐突に男の声を発する。「あんな値付けめちゃくちゃなカード屋に客があんだけ来るわけねえだろ。ちょっと考えりゃ何を捌いてるかすぐにわかる。だがおまえは黙ってた。客を呼んでくれる出店者を逃したくないからな」


 レダは手を伸ばし、ロボくんの喉をつかんだ。リアルでは何の拘束も受けていないはずなのに、ロボくんは呼吸を乱す。


「本当に俺、知らないんです。店の審査とかは上の人がやるんで」


「俺がチクれば、おまえは永久BANだな。新垢も作れない。サブライムで二度と買い物できないし、サブチャも使えないが、まあなんとかなるだろ。俺のひいじいちゃんもサブライムの垢を持ってなかったらしいけど、死ぬまでふつうにやれてたぜ」


 ロボくんはあまりにビビりすぎているせいか、顔のLEDがすべて消えていた。


「あの……登録されている情報は全部教えるんで、勘弁してください」


「だそうですけど――」


 レダがこちらを向く。「どうします、姐さん?」


?」


 ブラッドバスが顔をしかめると、レダはウインクしてきた。


 ロボくんが顔のレンズをおずおずと向けてくる。ブラッドバスは腕を組み、胸を張った。


「ま、今日のところはそれで勘弁してやるか」


「今日は姐さんの機嫌がいい。ラッキーだったな」


 レダがロボくんの頭をつかんでぐらぐら揺らした。


 ロボくんが差し出す窓を自分の窓に重ねてコピーすると、ブラッドバスたちはテントをあとにした。


「ねえ、ちょっと――」


 ブラッドバスは並んで歩くレダを肘でつついた。「姐さんってどういうことよ」


「けっこうノリノリだったじゃない」


「そりゃあまあ、そういう空気だったからさあ」


 先程のぬいぐるみ売りの女性と目が合い、会釈する。カード屋はまだ客が絶えない。


「なんで大麻にそんな詳しいの?」


「むかしああいうところで買ったことがある」


「えっ、こわ~」


「もうやめたわよ。親父に見つかってぶん殴られたから」


 レダの笑いにブラッドバスも追従する。


 男の声については訊かなかった。音質からして、レダのねっとりした女声の方がボイチェンで、男声はなかみが発しているもののように聞こえる。だがそこを詮索してしまうといまの関係が壊れてしまいそうな気がした。別にたいした関係でもないけれど。


 車にもどり、窓を開いた。ロボくんから脅し取った情報を表示させる。


「N144aの出店責任者はbunn@bunnnsnか。サブチャの垢発見。TL見てみる」


「わたしも調べてみようか?」


 運転席に座るレダのことばをブラッドバスは手で制した。


「ちょっと待って。こいつホームスペースで撮った自撮りを載せてる。窓の外の景色が写ってるな。これ位置特定業者にまわそう」


 ギャルリー・ヴィヴィエンヌの常連客に画像を送る。彼女はリアルではAIエンジニアだそうだが、スフィアでは規約ギリギリな副業に手を染めている。


 3分もしないうちに返信があった。


「おっ、地図来た。早いねえ」


「ちなみにそれ、おいくら?」


「1回1万円」


っか」


「まあこっちもね、遊びじゃないから」


 シノにとってブラッドバスは遊びかもしれない。ブラッドバスにとってシノはどうだろうか。「遊びじゃない」とブラッドバスは言っている。だがわたしはスフィアですることなど所詮すべて遊びだとも思っている。わたしはシノに触れられないし、シノの体の重みを感じられない。自分が作り出したブラッドバスという存在をすこし遠く感じる。


 bunnのホームスペースはこの広場から車で20分くらいのところにあった。タイヤをきしませてガラの悪い車が発進する。


 ブラッドバスは助手席でbunnのサブチャ垢を調べた。


「何だコイツ。フォローしてるの反アーケードの連中ばっかりだ」


「聞いたことあるわ、それ。ちょっと前に大きなデモやってたわよね」


 レダがアクセルを踏みこみ、無駄にスピードを出して前の車を追い越す。


「サブチャじゃけっこう大きな勢力なんだよね。リアルでも風俗業界を潰そうとしてる奴と、とにかく性的なものが嫌いなタイプと、反LGBTと、VRアレルギー持ちと、政治団体宗教団体その他諸々の集合体だから」


「嫌いなもので一致団結する奴らなんて結局しょうもない理由で仲間割れするに決まってるわ。ソースは小学校のときのいじめグループ」


 片側6車線の広い道路を車はゆうゆうと走る。やたらくねくねしていて渋滞だらけの熊本市内とはちがい、どこまでもまっすぐに行ける。最初は不快だった低音キツめのエンジンが次第に快く感じられてくる。


 レダがルームミラーに目をやってオレンジ色の髪をいじった。


「わたしのアバター、テーマ何だかわかる?」


「洋楽のアーティストとか?」


「これはね、ドラァグクイーンをイメージしてるの」


「それってド派手な女装する人のこと?」


 ブラッドバスのことばにレダはくすっと笑った。


「まあ、だいたい合ってるわ」


 車がうなりをあげ、前を走っていたスクーターがあわてて端に寄る。


 ひょっとしたらレダはリアルの話をしようとしてるのではないかと思った。魂は男性のようだし、「実は俺、ドラァグクイーンになりたくて」なんてことを言いだしそうな雰囲気だ。ちょっと仲良くなるとすぐこうした自分語りをしたがる人がいる。リアルでもめんどくさいが、スフィアでは特にそうしたリアルの事情からは距離を取っていたい。


「実はわたし、リアルでもドラァグクイーンになりたいのね」


 レダがまっすぐ前を見つめながら言う。


 ほら来た、と思ってブラッドバスは窓の外に目をやった。


「へえ、いいんじゃない」


「それがねえ、なかなか難しいのよ。ドラァグってパフォーマー的な要素が強いじゃない? だから家でメイクして衣装着てっていうだけじゃ駄目で、やっぱそういう現場に行かないと」


「じゃあスフィアでやれば? ていうか、もうしてるよね、女装」


「これはまた話が別よ。リアルで自分が変わっていくのと、スフィアでアバターに入りこむのとでは全然ちがう。ファンデの匂いも下着の締めつけも高いヒール履いたときのふらつきもない」


「なくていいけどなあ、そんなもん」


 わたしは短パンに手をつっこんでケツを掻いた。


 レダがこちらの目をのぞきこんでくる。


「あなたってきっと――」


「何よ」


「まあいいわ」


 鼻で笑ってダッシュボードのHUDをいじる。


「何だよ」


 ブラッドバスは足を組み、椅子の上で背伸びしてわたしのベッドがきしんだ。



 bunnのホームスペースは引くほど汚い高層マンションだった。


 外壁は書いた人でも読めなさそうな落書きで埋まって元の色がわからない。管理組合がごみ箱の使用を禁止したのか、ベランダから投げ捨てられたものらしきごみがあたりに散乱している。入口はかつて総ガラス張りだったようだが、いまはすべて割られてオートロックもフリーパスだ。


「ひっでえな、これ。引っ越した先がこんな物件だったら泣き崩れるわ」


 ブラッドバスは車を降りてマンションを見あげた。


「わたしはこういうの好きだけど」


 レダが車のドアを勢いよく閉める。


「竪穴式住居の方がまだ清潔感ある」


「スフィアの清潔感なんて見た目だけよ」


 業者に頼んで割り出してもらった場所はこのマンションの22階、東南の角部屋だった。


 エレベーターを降りると、正面の窓ガラスはバリバリに割れ、壁には血のようなものがなすりつけられ、床には焼け焦げたような黒い跡がひろがっていた。


 目指す部屋の前に行き、チャイムを鳴らす。返事はない。


 ブラッドバスはドアをノックした。


「こんにちは~。スワップミート運営事務所の方から来ました~」


「いないのかしら」


 レダがドアをつかんでガチャガチャやる。


 ブラッドバスはインベントリを開き、ショットガンを生成した。


「返事がないなら鍵ぶっ壊して開けますね~」


「こわ~。どんな理屈?」


 鍵穴に銃口を当てたとき、背後でドアのそれよりずっとふんわりしたチャイムが鳴った。


 エレベーターホールから背の高い男が出てきた。黒いパーカーのフードをかぶっていて、顔は見えない。手首に重ね着けしたチェーンブレスレットがじゃらりとなる。

 ブラッドバスたちの姿を見た男は、踵を返して走りだした。


「あっ、待て!」


 ショットガンを持ったまま追いかける。


 エレベーターホールに入ると、目の前でエレベーターの扉が閉じた。隙間からあの黒パーカーがのぞき、消える。


 下へおりていく1機をのぞいて、エレベーターは1階と48階という極端な位置で待機していた。ブラッドバスが呼び出しボタンを叩いても、緩慢な動きを見せるだけだった。


「こっち! 階段!」


 レダが防火扉を開けてその中に飛びこんでいった。


 ブラッドバスはとっさに背後の窓に駆け寄った。下をのぞくと、地上22階、さすがに飛びおりたら無事では済まない高さだ。


 左手の壁に竪樋たてどいがある。マンションの雰囲気に合わせて塗装はひび割れ、固定金具は錆びているが、まさか耐久値をゼロにするほど作りこまれてはいないだろう。


「行くかァ……仕方ない」


 ブラッドバスはインベントリにショットガンをしまった。窓枠に足をかけ、竪樋に飛びつく。


 リアルでやったら掌の皮がべろべろになる勢いで滑りおりる。ハプティックグローブはその感覚を正確に再現できず、逃げようとする極太イモムシをつかんでいるようなうねうね感を伝えてくる。


 各階のエレベーターホールが次々に目の前を通り過ぎていく。この速さならエレベーターも追い越せそうだ。


 ふと下を見ると、いまつかまっている竪樋が途中で消えていた。90度曲がって出っ張りの下に入りこんでいる。


「マジかよ!」


 ブラッドバスは地上に目をやった。まだ10階くらいの高さがある。このまま落ちたらお陀仏だろう。


「まずいまずいまずい……」


 壁に足をつけてブレーキをかけようとするが、スピードは落ちない。


「やばいやばいやばい……」


 ブラッドバスはもう一度地上を見た。迷っている時間はない。何も行動を起こさなければ、このまま死ぬ。


「あああああ、クソがァ!」


 手を離し、背泳ぎのスタートみたいに壁を思いきり蹴って飛んだ。背中から落ちていっても走馬灯など浮かんでこず、ただ驚くほど青い空だけが見えた。


 何かが砕けたような音とともに視界が大きく揺れた。


っっっっ……たくはないけど、こわ~」


 ブラッドバスはダメージトリガーで硬直した体を強引に起こし、車の屋根から転げ落ちた。


 下敷きになって落下ダメージを軽減してくれたレダのカマロは笑っちゃうくらいぺっちゃんこになっていた。


「いや、笑えねえ。これ修理するのにカネかかるんだよな」


 スフィア内のオブジェクトは基本的に破壊されたら自然には修復されない。


 この車をレダはかなり大事にしているようだった。それをブラッドバスがオシャカにしたとバレたら、たいへんなことになるだろう。


 押し潰されて高さが半分になった車を見つめながらどうにかならないかと思案していると、背後でふんわりチャイムが鳴った。


 ふりかえると、黒パーカーの男がマンションのエントランスから駆け出してくるところだった。


 ブラッドバスはショットガンを生成し、男に向けた。


「止まれ! 止まらんとぶっ殺すぞ!」


 車をぶっ壊して動揺していたためにブラッドバスは必要以上に声を荒らげた。


 男がつんのめるようにして止まった。


 そのうしろからレダがやってきた。遠目にもわかるほどに疲労困憊している。


「ウソでしょ? ブラッドバス、あなた速くない? どうやって来たの?」


 息を切らしながら言う。


「ま、ちょっとね」


 ブラッドバスはすこし横に動き、壊れた車を彼女の視線から隠した。


 黒パーカーの男がレダの方をふりかえり、またブラッドバスを見る。


「何なんだ、おまえら。押しこみ強盗にしちゃ執念深いな」


「のんぷちのフォロワーを殺した奴をさがしてる。bunn、あんたがやったんでしょ」


 銃を向けられているのに、男は冷静だった。顎を撫でさすり、視線を斜め上にやる。


「のんぷち……? ああ、あのTシャツに書いてあった名前か」


「あんたはゲーム内でスワップミートのスペースナンバーを誰かにこっそり伝えようとした。でもそれを第三者に見られてしまった。相手の身元をさぐる手がかりはTシャツに書いてあった『のんぷち』って名前だけ。それであなたはのんぷちのフォロワー全員を殺すことにした」


「え? てことは、1人以外はみんな巻き添えってこと? ひどすぎ~」


 レダが声をあげる。


「なんでそこまでした? スワップミートでの取引は知られたらまずいものなのか?」


 ブラッドバスの問いに男は答えない。謎に余裕のあるそぶりでニヤニヤ笑っている。


「なあ、いまリアルで何時だ?」


 男のことばにブラッドバスは顔をしかめた。


「は? 何言ってんの?」


「えっとね……」


 レダが手元に窓を開く。


「バカ。答えなくていい」


 ブラッドバスはそちらに目を向ける。その視界の端で妙な動きがあった。男が手首をいじっている。


「おい、動くな!」


 銃を構えなおしたところに何かが飛んできた。ブラッドバスはとっさにしゃがみこんだ。


 突然の轟音に、わたしは思わずHMDのイヤホンを手で押さえた。土煙の波がブラッドバスの体を洗い、マンションの外壁に打ち寄せる。


「何だァ?」


 ふりかえると、カマロがさっき以上にぶっ壊れていた。ルーフとボンネットが吹き飛び、タイヤは転がり、エンジンからは火があがっている。


「爆弾か……!?」


 さっき男は手首をいじっていた。あのブレスレットが爆弾だったのだろうか。


 当の男に目をもどすと、彼はマンションの外壁に沿って走りだしていた。


「おい、止まれ!」


 ブラッドバスはとっさに銃を構えた。だが動いている相手なのでうまく狙いをつけられない。


 引鉄をためらっていると、男の両脚がちぎれて飛んだ。


「おおっ!?」


 ブラッドバスは銃から顔を離し、地面に転がる男を見つめた。自分に何が起こったのかわかっていないらしく、まだ走っているつもりで腕を懸命に動かしている。


 レダがショットガンを折り、空薬莢を捨てながら男に迫っていく。


「テメエ、よくも俺のカマロを吹っ飛ばしてくれたな。あれ公式で買った本物だぞ。すっげえ高かったのによ、クソが」


 あたらしい弾をこめ、銃を地面の男に向けた。男はようやく状況が呑みこめたらしく、自分に突きつけられた銃口とを黙って見つめる。


「テメエの罪は血で償いな」


 レダの銃が火を吹いた。男の頭が砕け、ドットと化して消える。


 ブラッドバスが歩み寄ると、彼女は顔をあげた。


「ごめんなさい。殺しちゃったら訊きこみできないわよね」


「仕方ない。愛車を壊された恨みだ」


 ブラッドバスは車の方を見て、自分のやったことの痕跡が残っていないかどうか確認した。



 ショットガンの銃声が廊下に響いた。


 レダが背後に目をやり、親指を立てる。


「だいじょうぶ。誰も出てこないわ」


「他人に無関心だねえ、現代人たちは。それとも、リアルで活動中おねんねか?」


 ブラッドバスは鍵の壊れたドアを蹴り開けた。銃を構えたまま中へ入っていく。部屋の持ち主は死んだが、別の誰かが中にいるかもしれない。


 玄関を抜けるといきなりリビングだった。VRの物件にはバスもトイレもキッチンも必要ないので、リアルとは間取りがちがう。


 左右の壁にひとつずつドアがある。部屋の中央には低いテーブルが置かれていた。その上にある物を見てブラッドバスは足を止めた。


「あっ、やば」


「どうしたの?」


 レダが背中にぶつかる。


「さっきのブレスレットだ。爆弾になったやつ」


「ホントだ」


 レダがブラッドバスの肩の上から顔を出した。「でもあれ、有効範囲けっこう小さくない? カマロ死んだけどあなたはノーダメだったし。そんなにビビらなくてもよさそうよ」


「そうだけどさあ……やっぱ怖い」


 尻込みするブラッドバスをよそにレダは部屋に入っていく。


「他の部屋も調べましょ。わたし右ね」


 彼女がドアの向こうに消えてから、ブラッドバスはおそるおそるテーブルに近づいた。


 ブレスレットを観察してみてふたつのことに気づいた。①よく見るとこれはブレスレットではなくてネックレスだ。長さがちがう。②最近、同じものを目にした記憶がある。


 ブラッドバスは窓を開いてメッセージを送った。


 すぐに返事が来る。



  爽山らむね@sawayamaRAMUNE

   いま空いてるよ



 ブラッドバスはらむねくんと通話をつないだ。かわいい顔が窓に映る。


「ちょっと話があるんだ」


「何?」


「この間、お客さんからもらったっていうネックレス見せてくれたよね? あれくれた人、次いつ来るとか言ってた?」


「ホントはそういうの言っちゃいけないんだけどなあ」


 らむねくんが視線を下に向ける。「あっ、すごい。ちょうど今日のリアルタイム16時に予約入ってる」


 ブラッドバスは大きく息を吐いた。窓の隅にある時刻表示を見る。リアルタイム13時半。


「そのお客さん来るときって、あのネックレス着けるの?」


「その人が来るときは着けるように言われてるから」


「そいつbunn@bunnnsnって名前じゃない?」


「ちがう」


「そっか。ねえ、いまからわたしそっち行くから、会えない?」


「いいけど……何かあったの?」


「ちょっとね。会ってから話す」


 通話を切り、ネックレスを手に取ってみる。


 らむねくんのネックレスと死んだ男の反アーケード思想、そして意外と弱い爆弾――すべてがつながる。キャストにプレゼントして予約を入れれば、特定の時間に必ず着用してもらえる。威力は弱いが充分だ。首を吹き飛ばせればいい。キャストのうつくしさに傷をつけることはアーケードに対する最大の攻撃だ。


「ブラッドバス――」


 レダがドアの向こうから顔を出した。「こっちに来て。見てほしいものがある」


 彼女のいる部屋に入ると、暗かった。それっぽい工具が置かれた作業机に細い光が降っていて、あとは闇だ。


 机の下に置かれた箱からレダが何かをつかみだした。机の上に置くと、がちゃりと硬い音がする。


「これ、同じものがすごい数ある」


 光の下でチェーンネックレスが鈍く輝いた。


 ブラッドバスは大きく息を吐いた。


「スワップミートで何を取引していたか、これでわかった」


 窓を開き、通話をつなぐ。


「お疲れ。どうした?」


 ギャルリー・ヴィヴィエンヌのマネージャーだ。


「いまから画像を送る。うちのキャストが同じものをプレゼントとして受け取ってないか確認して。大至急」


 ブラッドバスは語気を強めた。


「な、なんだかよくわからんが、わかった」


 すこしして、マネージャーが窓から語りかけてきた。


「ミシェル・メールが同じのをもらってた。その客はそれから来てなかったけど、今日予約を入れてる」


「もしかしてリアルタイム16時?」


「そうだけど……なんでわかった?」


 わたしは大きく息を吐きすぎて立ちくらみがした。


「他の店にも画像まわして、プレゼントもらった子がいないか調べてくれない? わけはあとで話す」


 通話を切り、また別の人にかける。相手はなかなか出なかった。


「悪い。いまインしてないんだ」


 PSG「アーケードアーミー」のファントムの声がする。顔は映らず、骸骨マスクのアイコンが表示されるのみだ。


「至急アーケードアーミーを召集して。インしてない人も全員。わたしもバウンサー仲間に声かけてみるから」


「どうしたんだ、いったい」


「事情はあとで話す。とにかく急いで」


 通話を切って窓を閉じると、レダが不安げな顔をしていた。


「何がはじまるの? 戦争?」


「あるいは一方的な殺戮かもね」


 ブラッドバスはみずからを取り巻く闇を見つめた。それは彼女の視線を吸いこみ、わたしの視線も吸収して、ふたりの距離を不思議と縮めた。

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