第43話 エピローグ
街のあちこちからハンマーを叩くようなカンカンと音がする。
建物の煙突からは煙が上がり、街行く人々の中にはドワーフ族が多い。
鍛冶屋の街イスト。
鍛冶屋のドワーフが多ければ、酒好きが多くなるのは必然だ。
そんな街の店では朝っぱらから酒を飲める店が多々ある。
店の前で怠惰に酔い潰れている者も見受けられるこの街は、決して綺麗とも美しいとも言えず、悪く言えば空気が悪い。
ドワーフの多くは曲がったことを嫌うため、犯罪に手を染める者は少ないが、この街に滞在する冒険者達の空気は決して良くない。
酒に呑まれているのだ。
ドワーフの愛する火酒。
それはドワーフ以外にとっては刺激の強すぎる酒だ。
しかし冒険者は基本的に刺激を求める性質にある。
火酒の刺激は冒険者達に常習性を植え付けかねない刺激物となっていた。
程々に楽しむのであれば問題ない。
ただその火酒に呑まれて理性のタガが外れた悦楽気分から抜け出せなくなる者が多かった。
そんな輩がひとり街行くルナに声を掛けていた。
「いいから。大丈夫だから。ちょっとこっち来なって」
「あなたについていく理由がありません」
「大丈夫、先っちょだけだから、ちょっと数秒脱ぐだけですぐ終わるから」
「……酔っ払いもここまで来るとただのクズですね」
「クズ? 僕が? 大丈夫大丈夫、この街にはもっともっとクズがいるから大丈夫だよ。僕なんて紳士さ!」
男がルナに手を伸ばそうとする。
「気持ち悪い。私に触れれば、相応の痛みが発生することを理解ください」
ルナは腰につけたメイスを掴んでいる。
相手がいつ更に踏み込んできても殴り倒せるように。
「怒った顔も可愛いね。知ってるよ? 本当はしたいんだけど恥ずかしくて言えないからそうやって強がるしか出来ないんだよね。だから大丈夫。僕なら君をちゃんとわかった上で楽しませてあげられるから」
「前提からして全く認識が違いますので、まず楽しめることはありません」
「なるほどね、そういうプレイね。困ったなぁ。路地裏に入ってからじゃないと人目についちゃうな……すぐに押し込んじゃえばいっか」
「話になりませ――」
会話で事を回避しようと努めたルナの発言を聞き届けず、男はルナに勢いよく手を伸ばした。
酔っ払いとは言え、冒険者の端くれだ。
動きは悪くない。
だがルナは掴んでいたメイスを振り上げ、男の腕を弾く。
「いてぇ!!」
ルナもそれなりの経験を積んだ冒険者だ。
宣言通りに男に痛みを与えることに成功する。
その男の腕は、あらぬ方角を向いていた。
「ぐっ……これ、折れて……なんなんだよ! せっかく優しくしてやってるのに!」
「あなたの優しさはあなたが決めるものではありません。あなたの行動を受ける人が判断するものです」
「なら僕にこんなことをしたお前は優しくない!」
「あなたに優しくした覚えはありませんから当然です」
「僕は攻める側が好きなんだ!」
この男は何を言っているのか。
話にならない。
酔っ払いもこうなるとタチが悪い。
酒が悪いとは思わない。
酔っ払うことも悪いとは思わない。
ただ他者を侵害することは完全なる悪だ。
侵害していることすら気づいていないのだろうが。
それが酒に呑まれてであれば尚のことタチが悪い。
男は剣を抜く。
片手で使える小剣だ。
「こんなプレイ、僕の方から願い下げだ。この手の分は仕返しさせてもらうよ」
「残ったその手も折れますよ?」
酔いで麻痺しているのか。
腕が折れているにも関わらず、男は痛みを感じていないような顔だ。
衆目を集めたやり取りにも関わらず、男は退かない。
男はジリジリと間合いを測っている。
ルナは溜息を吐き、メイスを腰に納め直すと背中の魔弓を手に取った。
その瞬間を見て、男が詰め寄る。
振り抜かれた小剣はルナにかすりもしない。
男の目の前に、すでにルナはいないから。
ハコ渡りで距離を取ったルナは、魔弓で魔力の矢を放つ。
その矢は男の鳩尾を綺麗に射抜いた。
とはいっても当たった瞬間に霧散するレベルの魔力練度だ。
死にはしない。
男は白目を剥きながら、前のめりに倒れ込む。
意識はすでにない。不本意だったが、ルナは倒れた男の腕を治す。
この怪我は男の自業自得だとは思ったが、流石に腕を折るのはやり過ぎた気がしたのだ。
男が動かなくなったことで周囲は興味を失ったかのように三々五々に散っていく。
逆に数人、ルナの元へと近づく者達がいた。
憲兵だ。
「騒ぎがあったようだが」
「その男に絡まれまして」
憲兵は地に伏している男を一瞥すると、ルナへ向き直った。
「同行願う」
「え!? 私がですか!?」
「この男も連れて行くが、貴女からも事情を聞かねばならない」
「絡まれたから殴り飛ばしました、治癒もかけておきました、以上です」
酔っ払いに絡まれただけでこれ以上時間を取られるのは癪だった。
ルナは事情を伝えると、憲兵の脇を通り過ぎようと歩き出した。
が、即座に行く手を塞がれる。
「勝手はしないでいただきたい」
「むぅぅぅ」
流石に憲兵に手を出すわけにはいかない。
この街にいられなくなってしまう。
ルナはどうにか撒こうと思案したが、この街でやることがあるというソルへ迷惑をかけるわけにもいかない。
溜息を吐くと、ルナは憲兵の指示に従おうと顔を上げた。
「俺の連れに何か用か?」
ルナの視線の先、憲兵の後ろ側にソルがいた。
その太々しいいつも通りの姿にルナは助けを求める。
「うぅ……ソルさーん。どうにかしてくださいー」
ソルの顔を見つめた憲兵達は、ソルを振り返ると目を見開いた。
「貴方は……ソル様!?」
「え、あの、紫電の!?」
憲兵達はソルの存在に憲兵らしからぬ狼狽えを見せる。
「やっぱりここではそう呼ばれるんだな」
騒つく憲兵に軽く手を挙げると、ソルはルナを引き寄せた。
「コイツに非がないことは俺が保証する。俺の連れだ。余計な手間をかけさせないでくれ。いいな?」
「はっ!」
ソルの一声に、憲兵達は上官への敬礼のように姿勢を正した。
微動だにしない憲兵達を背に、ソルはルナを引っ張って歩き出す。
何が起きたかわからないルナは目を白黒させている。
「ソルさんて、この街ではどういう立場なんですか?」
「昔な、まぁ色々あったんだよ」
「それが聞きたいのに」
「いつかどっかで話してやるよ」
「はーい……でも、その辺がわからないと、私がこの街でどう振る舞えばいいかもわからないのでご迷惑をおかけしてしまうかもしれません」
物足りなさげにルナは訴える。
立場がわからなければソルの立場を危うくするかもしれないと。
「お前はいつも迷惑かけてるだろ。今更だ」
「えぇ!? こんな淑女を捕まえておきながら何を!?」
納得がいかないとギャーギャー喚き立てるルナに、ソルはボソッと呟いた。
「俺の女として振る舞えばいい」
「!? なんて!? 今なんて!?」
「うるさい、離れろ」
「いーやーでーすー」
詰め寄るルナの額をソルは押し戻す。
ルナは身体までは押し戻されまいとソルの腕にしがみつく。
「もう1回言ってくださいよぉ〜お前は誰にも渡さない愛してるってもう1回言ってくださいー!」
「耳が腐ってんのか。そんなこと1ミリも言ってねぇだろ」
「意味合いとしては同じですぅー」
「どの道なんて言ったか聞こえてんじゃねぇか」
「あっ! 認めましたね! 私はソルさんの女です愛されてます! いやぁ〜照れますねぇ」
周囲から見れば完全に恋人同士の戯れだ。
しかしまだ、別に明確にそうではない2人。
群れるのが嫌いな2人。
しかし、独りが好きではない2人。
失うことの恐ろしさを抱え、大切な人を得ることに怯えた2人。
そんな2人が偶然の出会いの中で見つけたかけがえのない光は、確かに互いを照らしていた。
そしてその光はこれからも互いの世界を照らし続けることだろう。
2人が紡ぐ物語は、後に誰もが知る冒険譚、そして愛の詩として謳われることとなるのだが、当然のことながら2人はそんなことを知る由もないのであった。
紫電の軌跡〜群れるのは嫌いだが独りが好きというわけではない〜 T&T @tandt
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