春告げる花
Choco
生きる覚悟
━━明治二年五月十五日。
少しひんやりとはしてはいるが、だいぶ暖かさを感じるようになった昼下がり。土方副長亡き後、俺達はなおも弁天台場を守っていた。食糧が底を尽き始める中、新選組隊長として皆を率いながら戦い続けるも、改めて、副長の度量の大きさをひしひしと感じてしまう。
(これから、俺達はどうすれば……)
何よりも、あの人を死なせてしまったことが悔やまれる。
「こんな時、土方さんなら……」
今や遺品となってしまった発句集を見つめながら、一生懸命思い出そうとした。副長が俺に何を託そうとしていたのかを……。
今から半年ほど前。
五稜郭に滞在して数日が過ぎた頃だった。
「お呼びでしょうか? 副長」
「総裁からの作戦について、お前の意見を聞かせてくれ」
「了解しました」
敵陣からの帰還後、空が藍色に染まり始めた頃だったか。いつものように副長の元へ訪れた俺は、卓上に乱雑に置かれたままの資料や地図を整理しながら答えた。
入隊して、はや一年。我ら新選組は、関東、東北を経て蝦夷地へとやって来ていた。鳥羽・伏見の戦いに初参戦し、それ以降、甲陽鎮部隊と名を変え近藤局長の下、戦い続けて来た。 誰よりも早く
そんな俺達が流山に辿り着いて間もなくのこと。“武装集団”がいるとの噂が敵の耳に入り、新選組との繋がりを確認する為に薩摩の人間が偵察に来たことがあった。
その時、元御陵衛士の加納鷲雄が同伴していたことで、我らが新選組だということが表沙汰になり、近藤局長は野村利三郎さんと共に新政府軍に投降してしまったのだ。
どうしても納得のいかなかった俺は、局長と野村さんを助け出す為に幕府陸軍軍事方の、松濤権之丞様から受け取った書状を携え、独り板橋の総督府に出頭した。
何としても二人を助け出してみせる。その一心だった。
だが、俺の願いは脆くも崩れ去り。自分の命と引き換えにしてでも助け出したかった局長を残し、野村さんと共に笠間藩に預けられ謹慎することになってしまった。
局長の嘆願など要らなかった。俺も共に命を捨てる覚悟だったからだ。けれど、局長の想いを無にすることは即ち無駄死にと同じこと。俺は、何とか脱走して彰義隊に参加し、春日左衛門様の支配下に入った。彰義隊の瓦解後、旧幕臣と磐城方面を転戦し、仙台で土方副長と再会したのだった。
その時、凄まじい虚無感を抱えたままだった俺は、副長の一言に救われることになる。
“お前のその命、俺に預けてくれないか”
よく戻ってきたな。と、柔和に微笑みながら言う副長の目頭が潤んでいた。そんなこと、改めて言われるまでもなかった。入隊してからずっと、俺の居場所はここ以外に無かったし、局長や副長について来た奴やついていこうとしている奴らと共に、最期まで新選組隊士として生きると決意していたからだ。
こうして、行われる二人だけの軍議も回を重ねるごとに円滑に進められるようになっていった。その都度、信頼度を高めることが出来ていることに対し、ある意味、亡くなった局長の代わりを務めているのだと、烏滸がましくもそう思っていた。
短い軍議を終え、部屋を後にしようとしてふと、今まで目にしたことのない書物に目がいき、
「豊玉発句集……」
「あ、それな」
「どなたが書かれたものなのですか?」
手に取りながら尋ねると、副長は少し躊躇いがちに自分が書いたものだと答えた。
「副長が?」
「なんだ、その顔は」
「い、いえ。いや、やっぱり意外だ」
「なんだそれ」
許可を得て頁を捲り、一番初めに目についた発句を声に出して読み始める。
「“鶯や はたきの音もついやめる”」
「まだ浪士組として江戸を離れる前、庭掃除をさせられていた時、鶯の声が聞こえてきてな」 「どういう意味です?」
「春のあったけぇ日に、鶯の美しい声が聞こえて来たらつい掃除の手も緩むだろ?」
「……なんか、なんの捻りも無い」
俺が少し呆気にとられたような顔で言い返すと、副長は視線を明後日の方向へ向けながら不機嫌そうに顔を歪めた。
「総司とおんなじこと言いやがる」
「誰でもそう言いますって……」
俺から発句集を奪い、洋風な古めかしい椅子に腰かけ、御自分の発句集に目を通している副長を見ながら、俺は内心、沖田さんのことを思い出していた。
江戸へ帰還された慶喜公の警護を務め、甲陽鎮部隊として戦い続けていた頃のこと。誰もが養生を勧めるなか、一度だけ参戦されていた。 新しい隊服を身に纏い、勇ましく戦う姿はまるで猛者のようだった。
しかし、その後間もなくして戦線離脱した沖田さんは、二度と刀を手にすること無く。桜の花同様、儚く散って行ったのだった。
「それにしても、沢山書かれたんですね」 それでも、寄り添いながら覗き込むようにして他の句を目で追う。
(ん? これは……)
“しれば迷い しなければ迷わぬ恋の道”
誰かを想って書いたであろう句を見つけ、思わずにんまりと頬を緩めてしまう。その理由を尋ねられ、恋歌のことを問いかけると副長は、一点を見つめたまま何かを思い出すかのように瞳を細めた。
「まだお前が新選組に入隊する前、贔屓にしていた揚屋で知り合った女がいてな…」
前かがみになり、組み合わせた指を口元へ添えながらどこか楽しげに話し始める副長の、こんなに穏やかな表情を目にするのは初めてかもしれない。
余程、その方に想い入れがあったのだろう。語る副長の隣、片膝をついて聞いている俺に時折、柔和な視線をくれた。
「互いに想いやっていたが、だからこそ俺は、あいつを諦めた」
「………」
「俺には果たすべき責務がある。最期まで、死んでいった奴らの想いを背負って生きていかねぇとならねぇんだ」
お前なら判るよな。と、視線を逸らしたまま呟く副長に俺は、無言で頷き。少し戸惑いながらも、その後のお二人がどうなったのかを尋ねると、副長は困ったように微笑み、「大泣きされた」と、答えた。
「そう、でしょうね」
「だが、結果悔いは無い。そんな暇などなかったしな」
本音は今でも恋しいのだろう。でなければ、このような恋歌を認める必要はないのだから。そんなふうに思っていたその時、副長のやけに明るい声に顔を上げた。
「一番の力作は、こいつだ」
「どれですか?」
言いながら、俺は再び隣に寄り添うように立ち、指さされた個所の句を読み上げてみる。 「“梅の花 一輪咲いても梅は梅”……?」
(これまた、字余りだし。梅という語が多いような……)
再び、その意味を尋ねようとしてすぐに遮られた。
「桜、桜と騒ぎ立てる奴が多いが。俺は梅の花の方が好みだ」
「その理由は?」
「大昔から花といえば梅。それに、古里の静かな美しさと文化的郷愁を表し、和歌や能にも取り上げられることが多い」
「そう、なんですね……」
「それとだ、」
発句集を俺に預け、ゆっくりと窓辺へ歩みを進めるとその発句の、本当の意味を話してくれた。
皆が幕府に背を向け、薩長の飼い犬に成り下がっていく中。たとえ一輪となっても忠義を貫き、誠の武士として死に花を咲かせてやる。そんな想いが込められているのだと。
錦の御旗を目にした時から、副長はずっと言い続けて来た。 “有利か不利かは問題ではない。薩摩と長州が幕府にしたことは、弟が兄を討ち、家臣が主君を制するようなものだ。いやしくも武士たる者は、薩長の味方をするべきではない”と。
「まだまだこれからだ。徳川の底力を見せつけてやらねぇとな」
「……はい」
「相馬」
「はい」
「これからも、頼んだぞ」
俺だけに向けられた信頼の眼差し。あの頃の俺は、この人と一緒ならなんだって出来るという自信に満ち溢れていた。
(土方さん……)
「隊長」
「え?」
「永井様がお呼びです」
いつの間にかやって来ていた青山に無言で頷いて、早々に立ち去る彼を見遣りながら改めて、託された者として副長の意思を受け継ぐ決意を固めた。
戦はまだ終わっていない。
「そうですよね、副長」
~梅の花 咲るしだけに咲いて散る~
死ぬ覚悟ではない。
生きる覚悟を決め、俺は降伏を告げられるであろう永井様の元へと急いだ。
【END】
※土方歳三豊玉発句集より、いくつか抜粋。
春告げる花 Choco @yuuhaya
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