fem : Love and Other Disasters

『そういえば。ダーワード・ストリートに住んでたメアリー、メアリー・アリットの失踪事件知ってる?』

『えっ? 失踪? だって私達はこのロンドンからは……』

『それにメアリーってあれでしょう? ハロルドと好い仲だったっていう……』

『ハロルド? 医大生のシップマンのことかしら? とてもハンサムよね』


 ——でも……どうして?


『わからないわ。ハロルドもとても落胆してるんだとか』


『メアリー・アリット? さあ、最近ちょっと考え込んでたような気もするけど』

『あっ、でも言っていたの「ゴールストン・ストリートの赤い電話ボックスにお願いしてみようかしら」なんて』

『えっ、刑事さん知らないの? ああ、機械の皆様はそういう人間のおまじないめいた話は信じないよね……』



 ——もしかして、メアリーは願いが叶ったのかな?

 ——願いって?

 ——うーん、例えば。そう、このロンドンから出てみたい……とか?

 ——そんなの、夢物語じゃないんだから〜。




 人々の寝静まる深夜。

 外出禁止令、それは風俗的取り締まりと狩人なる存在から人々を保護するために制定されたという閉鎖都市ロンドンの法、——それも表向きの。


 ゴールストン・ストリートにひっそりとそびえる、真っ赤な古びた電話ボックス。電話ボックスなんて何世紀も前のものが、未だ撤去されていないのはなぜか。


 静かな月夜に、そっと辺りを窺いながら電話ボックスに近づく人影が、ひとつ。


 がちゃりとその古びた蝶番ちょうつがいが軋み、扉が開く。

 外套から隠していた頭部を出し、受話器をその片耳に当てる。


 人間の……若い男のようだ。その女のものとは異なる指先が、急くようにみっつの番号を乱暴に押していく。


「くそっ、くそっ、どうしてだ……」


 何も聞こえない耳元に苛立ち、がちゃりと受話器を置き。再度それを持ち上げると再び番号のボタンを押していく。

 コールしたナンバーは"616"。


 ざー、ざー、ザザザザザザザザああああ。


 ふと。ノイズ音だけが、突然耳元に流れ出した。


「お、おい! 繋がってるのか? そうなのか? 頼む、メアリーに。メアリー・アリットに会わせて……彼女を連れ戻してくれ」

『……ああ、すぐ会わせてやるよ、今すぐだ』


 ノイズ音の後に、若い男性の声でそれだけが聞こえ、ぶつりと切れた。

 あとは耳元に、沈黙が残るのみだ。


 ばさっ、という音と共に、視界が翳る。

 何かの影を感じ取り、慌てて電話ボックスの外に出れば、その影の正体がふわりと語りかけてきた。


「よう、ハロルド。キミは、何人めのハロルド・シップマンだい?」


 スマートフォンを手に持ち、凶悪に嗤うその口には、刃物のような牙がずらりと。

 電話ボックスの上に軽々としゃがみ込んでいる、その優雅な姿は天使のようでもあって。——否、天使なのだ。その美しい金色の髪と、なびく何本ものチューブ。煌めくブルーの瞳と、その背には眩いばかりの金色の翼が一対。


「僕の……名前を知っているのか?」

「ウーン、まぁ。正確に言やぁ、キミのその内側に流れる血っていうか、ね?」

「……?」


 にこり、と首を傾げて天使は微笑む。

 機械の身体をした、それも男……なのだろうが、なんて美しい。ハロルドの喉が、息をするのも忘れて思わず鳴った。


「メアリーのところへ行く?」

「あ、ああ。彼女を連れ戻してほしい」


 ——で? そのあとは??


 天使の表情は変わらない、問いかける口調は依然愉しそうなのに。何かが、何かが違って……恐ろしい。


「違うだろう、ハロルド? キミはメアリーに会いたいんじゃない、メアリーを手元において、直々に殺したかったんだろう??」

「は……? なん、て」

「キミのポケットにあるその薬物は何のため? 悪いコだなぁ〜、人類はどうしてこう……うん、うん、まあいいや。結末はいつも同じだものね。とりあえずメアリーに会わせてあげるよ」


 にっこりと嗤う、その天使の背には禍々しい色をしたもう二対の翼が。

 ぞわり、と広がる六枚の翼の影の向こう。何かが屋根の上に蠢いている。


「な……に、をっ……!?」

「"狩人"、知ってるだろ? このロンドンのイーストエンド地区はさ、人類の殺傷率がかなり低い場所でもあるんだけどさっ。まあ、時には取り零しもある……ってね?」


 両の手を広げ、翼を広げ、愉しそうに天使は立ち上がる。


「では、ハロルド。Good Luck♪」 


 翻ったその翼の向こう、見えたのは自分より圧倒的な強者から向けられる、殺意と狩猟の目。


 月夜に、絶叫が迸る——。


「今回の彼は、開業医にまでは辿り着かなかったねー」

「でも結末は一緒。自ら望んで、吊るされて、引きずられていったわよ?」


 暗闇の街角から、コツコツとハイヒールの音が近づいてくる。

 長いしなやかな黒髪と、造形の整った姿。ルビーレッドの瞳。……それはまるで、彼女の育てのクラーケンにそっくりな……鮮やかに燃える色。


 ほら、と差し出されたのは。

 彼のポケットに入っていた小瓶……中身は致死量の薬物だ。


「人を愛すのに、だけど殺す衝動は抑えられないシリアルキラーのDNA。なのに自分が殺される恐怖には耐えられないんだね。んーっ、本当たまんないね。不思議で愛おしいよ。人の悲鳴も、畏怖の視線も」

「ほんと、悪趣味……」

「でもいいんじゃない? ほら、メアリーとはきっと会えたでしょ……彼の知らなかった己の子供にもさ」


 呆れたように、聖なる夜ホーリーナイトはその言葉に肩を竦めてみせただけだ。


「あっ、俺思ったんだけどさぁ」

「何よ?」

From Hell地獄より, よりもさ From Hell地獄より with Love愛を込めての方が良くない?」


 バカじゃないの? 今度はそうはっきりと口に出し、聖なる夜ホーリーナイトがその天使の姿を仰ぎ見る。


「人間の真似事は、やめてちょうだい」

「キミの半端な機械の真似事も同じことさ」


 不敵な笑みに、素敵な夜に。

 向け合う殺意。モンスターダガーの切っ先と、大口径の銃口が、今宵もお互いを正面から見据えていた。





♠︎♤♠︎♤♠︎♤♠︎♤♠︎♤





『昨夜のイーストエンド地区への狩人侵入の件だが、Mr.クラーケン?』

「ああ、すまねーな。ガキ共はちょいとキツめに叱っとくからよゥ」

『……ではもうひとつ。数日前のメアリー・アリット及び、昨夜からのハロルド・シップマンの生体反応の消失については?』

「……知らねーなぁ」


 ずらりと並ぶ、複数の影。部屋の中央にいる白い巨体を取り囲むようにして佇むそれらは、身体の全てを屈強な機械で造られ、スコットランドヤードの制服を着ている。


『人類の保護区の担当顧問として、貴殿はいささかその態度に問題があるのでは?』

「そうかー? 悪りぃな、俺お前らと違って、脳みそでモノ考えてるからよゥ」

『……前任の引き継ぎプログラムからも、何故貴殿をこの座に就かせているのか、その記録を辿ったが掴めなくてな』


 ザッと統率の取れた音。一挙動にその戦車のような白い躰に何十もの銃口が向く。


「おぉーっと、こりゃマジかい? どうしたよ形式上の本部長どの? Are You CRAZY機でも触れたのかい??」

『私は機械だぞ、それも最新式のな。Mr.クラーケン、いまいちわからんのだ。何故貴殿が何百年も、生身の躰を半分持ちながらこの機械社会に鎮座しているのかが』

「ウーン。ユーモアのセンスがまるでねぇ。そこまで先代と同じセリフくっちゃべんなくてよくねーか? アレだなァ。機械の回路にも支配欲とかそういうの、やっぱ出てくんのかね?」

『……優れたモノだけが残る世界の、何が悪い?』


 はぁーとその大きな白い躰から、温かな呼気がまろび出た。


「それと同じようなコト言ってた奴がな、昔居たんだ。……ニンゲンっていうんだけどサ、おっさん知ってる?」

『バカにしおって……旧式が』


 だだだだだだダダダダダダダダダダッッッ——!!!!


 規則的な、対強化装甲用の銃弾が撃ち込まれる音。

 バッキンガム宮殿の壁が、ガラスが砕け、崩れ落ちる音が響く。


『完了——撤収、』

『イーストエンド地区の件はいかがします?』

『放っておけ、人間なんぞ囚われた家畜にすぎん。勝手に増え、死ぬさ』

『BOSSがロストすれば、あの好き放題の壊れかけ殺戮兵器キリングマシーン二体も廃棄対象だ、行くぞ』


 ザッと統率の取れた挙動で、その重火器が対象物の破壊を確信したかのように、その構えを解かれる。


「んー? そうもいかねーんじゃん? 殺戮兵器キリングマシーンだなんて、失礼しちゃうなぁ」

「まったく。人間もだけど、機械も救えたもんじゃないわ。アタシ達二体を統率できるのは、Sir. クラーケンだけよ」


『ナ——』


 晴れた土煙と硝煙の中、佇むのはふたつの夜。

 後ろにそびえるのは、傷一つ付けられてはいない、白き生体兵器。


「すまねーなぁ、ウチのガキ共は思いの外……しっかりしているもんでね」

『こノッ!!!』


 向けられた銃口が、灼熱の炎と共に燃え溶け、的確にその中枢回路を記録メディアごと対強化装甲用の小型ナイフに貫かれていく。

 広げた翼で薙ぎ、刺さったナイフをその勢いのまま十字に裂き切っていく姿。一方ではその並んだ機械装甲をガトリングガンの乱射が一掃していく。


 数秒、再び彼らが元の立ち位置に戻る頃には、壁は崩れ去り広がった青空の下で——全てが終わっていた。


「んー、機械の駆除は愉しくもなんともねーなぁ。恐怖も、命乞いもなくって、鮮血がこうさ、ビシャーっていくから綺麗なのに」


 つまらなそうに金属の鋭い爪でナイフを弄びながら静かなる夜サイレントナイトがそう言えば。


「バカじゃないの? 悪趣味な上に下品よ、全ての天使と名のつくものに謝罪して」


 美しくガトリングガンを立てながら、聖なる夜ホーリーナイトがそう返す。


「でも今回はいいわ、Sir.の命には替えられないもの」

「おう、珍しく今日は気が合うじゃん。愛してるよ・・・・・相棒」

「……人間の真似は、やめて頂戴」


 愉快そうに、ゾッとするほどの美しい笑みを湛えて、ふたつの夜はお互いを真正面から見据える。


 肩口にめり込んだ銃弾をガードグローブに覆われた細い指が引き抜き。

 その頰から流れる一筋の血を、鋭い爪を器用に折り曲げて金属の指が拭う。

 痛くもなんともない、痛みを感じる器官など無いか、そんな感覚はとうの昔に捨て去ったのか。——でも。


「ふふふっ、イイねぇ。傷ついた姿もそそるけど……絶対ブッ殺してやるから、それまで致命傷なんざ負うんじゃねーぞ?」

「その言葉、そっくりそのまま返すわね。絶対に、絶対に壊してあげる」


 どこから取り出したか。ダガーナイフが、デザートイーグルの銃口がお互いの顎先にひたりとつく。

 武器さえ隠してしまえば、それは仲睦まじい男女のやりとりに見えなくもない。


 しかし、残念ながらその感情と呼ぶにふさわしいかわからぬモノが、交わることはこの先永遠にないのだ。



「あー、すまねぇが。バッキンガム宮殿の修理費の請求先はどいつにすりゃいいんだァ? アァ? クソガキ共……」


 ふたつの夜の間に割り込むようにして、呆れ果てた声でクラーケンがそう呟いた。




 ビッグベンの鐘の音が、正午を告げる。

 カウントは再びゼロへ。

 なんの意味もない、繰り返していくだけの日々を。

 狂気の都市、閉ざされたロンドンのイーストエンド地区。


 無意識の奥底に眠る、殺戮への欲求が蠢く場所。

 その昔、殺人鬼が闊歩した街ホワイトチャペルの夜を。

 

 静かなる夜サイレントナイト

 聖なる夜ホーリーナイト


 愛の名の下に、無情の名の下に

 闇はさらなる漆黒により塗りつぶされ、

 罪はより残酷な罰により照らされていく。


 それは宿命か、偶然か、血に魅せられ魅入られた。

 見つけてしまい、出逢ってしまった。ふたつの夜の物語——。

 


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ONLY INHUMAN すきま讚魚 @Schwalbe343

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