fyra : Denied
僕に残されたものは何にもなくて。
何も、何にも。何一つ残ってなくて。
ただただ、不毛な荒地のような心のノイズだけが拡がっていく。
「何のために、だなんて。知るかよ……」
核戦争の初期には『まるでジャンヌダルクだ』ともて囃された、金色の翼を持つ天使の姿。
人が人を蹂躙しようとしたその先にあったのは、牙を剥いた自我を持つ機械達。
ただ、ただ、何も考えずに破壊し、殺し尽くした。
多くの人間は進化しきった核兵器の影響で消し炭になっていたけれど、それを除染し生かすのもまた機械で。ただ旗印の名の下に彼の機械の身体はより強固に
『人を愛し、慈しみなさい』と造られたはずなのに。彼には"愛"が理解できない。
牙を剥いた機械の傘下に降り立つ彼を、人はまるで髪に裏切られたかのように絶望を貼り付けた表情で見た。
皆が己の方を見つめている、恐怖に満ちた目で、狂った目で、熱に浮かされたようなその表情で。誰もが目を閉じて祈るだけだった自分を、その目で見てくれる。
……だけど、そう。何か満たされない、このプログラムのバグは一体何なんだろう。
機械でいることはシンプルだ。
善悪ではなく、GoかStopか。その指示に従えばいい。
きっとこの戦争は勝利に終わる。
一方的な機械の勝利に。
その先に何が残るのかなんて、
人間に使い、使い尽くされ。その後はひたすら機械の汚染の中で殺し尽くした。
いつからかメンテナンスもロクにされず、あとはやがて訪れる廃棄処分を待つだけだ。
ヒトの血液で錆びて綻びた彼の腕はもうギィギィと虚しく音を立てるだけ。
『愛なんてもはや消え失せたよ。ただ、それを理解できぬと捨ててしまえば、それは精神的な死だ。心の自死だ』
「何のために殺すのか?」そう問いかけてきた人を一人、貫き。
しかし彼女はなぜか、優しく微笑みありがとうと言った。
訳も分からず血だまりに崩れると、最初から冷たかった自分と同じように急速に彼女のその身体は冷えていく。
ああ、物も言わぬ、死体はまるで俺達と一緒のそれじゃないか……。
残っていた方の手を伸ばせば、その爪が既に息を失った彼女の頰を一筋裂いて。鼓動は停止したはずなのに、静かに赤い筋がその柔らかな皮膚を滑り落ちていく。
——それが何だか、夢心地のように感じた。
『何だ、お前、人間が羨ましかったのか?』
目の前に降り立った、白いクジラがそう問いかける。
停止する瞬間を待ちわびていたはずの彼は。音声回路の外されたその喉を持ち上げ、蒼い目で見上げる。
傷だらけで、ところどころ機械がむき出しになっているその白い身体。頭部には銀色に光る大きなドリル。
心臓の鼓動を感じる、生命が循環されている音が聴こえる。それが何故か、なぜか酷く自分の意識を鮮明にした。
(消さなきゃ、生きとし生けるものは、消して……殺して、助けて、救って……)
(……あれ?)
聴こえるのは二つの鼓動。
小さな小さな脈動。
『可哀想になァ、もうこのガキはダメかもな』
クジラがそう呟き、その胸ビレで優しく血だまりの中から小さな塊を拾い上げる。
『こんな世界で、生きていくのは辛かろうって。お前の母親は一緒に死んだつもりだったのにな。お前は生きたかったのかい?』
拾い上げられたのは小さな、小さな胎児。
『翼の生えた小僧、お前は……生きたいか?』
クジラが、蠢く塊を大切そうにヒレで
(俺は、生きてない。最初から生きちゃいなかった……でも)
(その小さな塊も、お前の鼓動も、壊したくてたまらない……なのに)
(ああ、そうか。俺は羨ましかったのか)
(俺は……生命を否定できないのかもしれない)
もうずっと叫んでいなかった。
そもそも声なんて必要がないと、刃物のような牙に取り替えられた時に音声回路は引き抜かれた。
世界が騒々しく、ただ自己の繁栄と栄華と、その生き残りのために、破壊音だけが自分にまとわりついてくる中で。
(俺は美しくもなければ、象徴ですらなかった。……駒の一つだった)
(天真爛漫で、自由なように振舞って。本当はそうじゃなくて。俺は自己を買いかぶっていたのかもしれない……ただの殺戮兵器だったのに)
『小僧、お前が生きることを望むのなら。このガキを助けよう、きっとお前にないものを教えてくれる』
誰も生きては出てこられない、大都市の戦場。
地獄に引きずり落としたのは自分か、はたまた、引きずり落とされたのは自分か、彼女か。
『なんだ、お前。泣けるじゃねえか、お前を造った人間は……きっと優しかったんだろうな』
——俺は泣いてない、そもそも泣けない。
——ああ、制御不能、制御不能だ。理解ができないものには、
『いいんだ、お前は。もう頑張らなくていいんだよ。しばらく、お眠り。今夜は良い月夜だ、殺人鬼達すら眠りつくほどの』
そう囁かれて、優しくその胸ビレで抱き上げられる。
『夢から覚めたら——彼女と共に生きな。そして全てを共有するんだ、きっと分かるさ』
静かなる夜、聖なる夜。
全てのものが物言わぬ、眠りついてしまったこの夜に。
わずかに起きていられるのは彼らだけ——。
この世のエデンは炎に包まれた。
彼女が生み出し、燃やす業火はあらゆるものを飲み込み、その煙は上へ上へと登っていく。
——自分はあの煙にはなれないのだろう。
その炎は冷酷で、あらゆるものを燃やし尽くすのに。
なのに、俺の周囲を燃やすことはないんだ。
人になれなかった天使と。
人になり損ね、機械にもなれなかった人間。
手に入らぬ愛を求めた機械と。
愛に絶望して捨て去った生き残り。
執着か、慈愛か、依存か、ただ分かり合えなくとも彼らは最大の理解者であって。
——それを人は、絆と呼んだりもするのだけど。
狂おしいほどお互いの存在を、自分自身を消し去りたいのに。
その未来に、過去に、限りなきゼロに、隣に立つのを認めたのは魂を共有したお互いのみ。
真夜中に響く、ビッグベンの鐘の音。
カウントは今日も変わらずゼロへと戻る。
地を駆け、空を翔け、彼らは今日もこの0年、0日、0世紀にその銃口を、その切っ先を向け。
歪なふたつの夜は、世界の和平の天秤を。傾ききらないよう正すだけ——。
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