tre : Red Eyed Friend

【—— 担当区画への狩人の侵入を確認いたしました ——】



 中枢回路に直接響く信号。それは言語ではなく、音声ではなく、命令を実行するためにいち早く知らせる信号——。


「そりゃあ人間ごときに認識されちゃたまんないよねー」


 両の腕の他に、背中から太く大木の幹のようなもう一本の腕を生やした狩人を、何十本というナイフを投げつけながら空を翔けるように追う。

 その切っ先が逸れ、向かう矛先に嗤うのはこの世のものとは思えないほどの美しさを湛えた笑みとルビーレッドの瞳。


「そもそも。認識できないのだから、こうしてアタシ達がロンドンのホワイトチャペル区画を預かっているのでしょう?」


 くるりと宙に舞うように回転し、全てのナイフを彼女の纏う熱で溶かしてから銃を構える。


 【対強化装甲特殊銃】——Blackブラック Veilヴェイル


 彼女の愛し、彼女の信ずる唯一にして絶対の鉄槌。


ペンは剣よりも強しThe pen is mightier than the sword.、だけど刮目せよ。銃弾は思想を黙らせる、それも一瞬で」


 月夜に弾き出される二発の対強化装甲用撃鉄弾が、ズグゥンという鈍い音を出して狩人の脇腹からその背中を抉り取っていく。


「うるせえなぁ。それ自体はなんの役にも立たねーじゃねーか、銃弾を込める銃がなければ、それを自在に操る手がなければ、そんなんはまやかし・・・・だ」


 もう一発、真っ直ぐに自身へ飛んできた弾丸をナイフで真っ二つに切り裂き、双方に散りゆく硝煙の香りの中を飛び躱すように彼の声が響く。


 彼らは追い詰めている獲物を、追い詰めていながらまるで意識していない・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。くるくると回転し上下左右と自由自在に飛び跳ねながら、会話をするかの如く、そのギタギタとした見た目の……人間を狩るために創造された巨大な機械を翻弄していく。


「なあ? お前はどっちだと思う?」


 ニタリと嗤うその微笑みは邪悪で、なのに彼は人々に最も愛される象徴の姿を得た。答えを聞く間も無く、その閃光のような彼の牙は、裂けた狩人の背にそびえる巨大な腕をなぞり、指のようなパーツを喰いちぎる。


 背を反り、苦悶の信号をチカチカと浮かべるその顎から、なんの絶叫も迸ることはない。天使の顔に凶悪な笑みを貼り付けた彼は、慣れた手つきで彼の脳天から顎にあたる部分を串刺しにし、巨大なモンスターダガーをそのまま一気に引いた。


 —— 一閃。


 ガチャガチャと細かいパーツが、接合用のナットが、ボルトが、まるで飛び散る臓物かのように撒き散らされていく。


「んっ、正解。銃にも剣にも勝てない奴は、思想を手にしたままバラけていくのさ」

「思考は自由、言論も著述も情報の伝達も。しかしそれが伝えるべきモノ達に届かないのであれば、それは暴力にも破壊にも、圧倒的な武力にも屈するのよ。ああ、なんて不便なのかしら」



 狩人と呼ばれるモノ達が存在するように。

 機械の世界だって一つになれなかった。


 恐ろしいあの最悪の核が世界を変え、だけど現実は続いた。


 最後の戦いは、最後の審判は、誰に対しいつ訪れるのか——。


 機械に心を求めた人類は、その機械の娯楽と糧と、研究材料として。

 この閉ざされた空の下で生かされているだけだ。



「まぁ、知らないよ。だって俺たちには思考は無意味とされているんだから」

「なんて悪運の強い奴」

「……違うぜ? 天に見初められてるんだ。だってその弾丸の軌道は聴こえているし、視えているもの」

「世にはばかっているだけでしょう?」


『よぅしお前ら、任務中にしれっと隙あらば壊し合おうとすんじゃねーよ。で? 狩人は?』


 ワンコールで繋がった先のBossの音声。

 あっ、と二人はその足元に散らばり、燃えとける塊を見やる。


「旦那ァ、ごめんよ」「Sirサー、申し訳ありません。跡形もないです」

『……』



 ただ一つの命令orderは、ただ一つの秩序オーダーは。


 この閉鎖都市ロンドンの和平の天秤をつかさどれ。


 ただ彼らはその異物を、混沌を。混沌を持ってして排除するのみ。

 静かなる夜に、聖なる夜に、救いの時を知らせるのは。


 たったふたつの、夜だけなのだ——。






♠︎♤♠︎♤♠︎♤♠︎♤




 エンジェルメーカー、誰かの愛し子

 エンジェルメーカー、甘いシロップを

 ザ・ベイビー・ファーマー

 なんて不思議な二つ名でしょう


 エンジェルメーカー、エンジェルメーカー

 首を縛ってテムズ川

 悪いのはどっち? どっちなの?

 エンジェルメーカー、たくさん奪った

 エンジェルメーカー、今度は自分が

 エンジェルメーカー、つられてお終い





「さて。では今宵お電話いただきましたご令嬢。キミは何人めのミセス・トーマスだい?」


 優雅に羽ばたく鋼鉄の天使は、そう朗らかとは言い難い歌を口ずさみながら古ぼけた真っ赤な電話ボックスのいただきにふわりと音もたてずに降り立った。


「ミセス? トーマス? いいえ私の名前はメアリーだけど」

「おやおヤァ! これは失敬。ではキミはあれだ、メアリー・アン・コットン? どちらにしろ結末は一緒だけども」


 ふふふ、と嗤うその天使の金色の翼も髪も煌めくブルーの瞳も、それはそれは美しいのに。声を掛けられたその女性、メアリーはぞくりとえもいわれぬ寒気にその身体を震わせた。自分の名前はメアリー・アリットであり、決してメアリー・アン・コットンなんて名前じゃない。それがまた、なぜかより一層恐ろしく感じられる。


「愚かで可哀かわいくて、なんて愛しいヒトの子よ。キミはあれだろう? この番号に繋がったということはそうなんだろう?」


 したり顔でそう問いかけられ、ハッとメアリーは自身が呼吸を忘れていたことに気づく。


「そ、そうよ。不思議な音声の後に、今日の日付と時刻を伝えられたから来たわ。……願いを、叶えてくれるんでしょう?」


 一息に、彼女はそう告げる。

 まるで決心が、得体の知れない恐怖心が、表にまろび出て揺らがぬようにしようとするかのように。


Why notもちろん!? Me myself & you are僕ら以外誰もいないのなら the men that won't何をしたって be blamed for nothingお咎めなしさ!!」


 さぁおいで、そう告げる天使の甘美な口元には凶悪に並ぶ牙。

 ストンと軽快にその電話ボックスから降り立つ彼に引き寄せられるように、メアリーはその身を寄せていく。


 —— ず、ドンッ。


 無機質な単発の銃声が月夜に響く。


「えっ……」


 倒れゆくメアリーをそっと天使の金属の腕が抱きとめる。

 はあと耳元に聴こえたため息、吐息がかかることがないのは、彼がその生体機能を有してない証明でもあって。


 あれ、だけど。それよりも。

 あか、赤、アカ。あかいあかい。

 足の感覚が、あ、うわ、ない……? あ、あ、私の私のお腹がァァアアアア。


 その腹部に開いた風穴と、噴き出す体温と血液と。ありとあらゆる自分の留めていた内部がどろどろと。


 コツコツと、ヒールの音が迫ってくるのを、激痛で気の触れていくメアリーは気づかない。

 叫びたくとも、呻き転がりたくとも、しっかりと抱きとめられたその身体は痛みと失われていく内部だけに精神を集中させてしまう。喉が、その体温のない彼のそれとは違って、ヒューヒューとおかしな呼吸音を吐き出していた。


「……そうね、何をしたってお咎めなし」

「おいおい、そりゃないぜ」

Becauseだって I can't アタシ今 stop seein' red非常に機嫌が悪いの

I seeあっ、そう


 つまらなそうに静かなる夜サイレントナイトは、その重なった女の身体をひょいと放り出す。


「アァァァァアアアア!!!!!」


 びしゃり、と音を立て。ゴールストン・ストリートのコンクリートに赤黒い花弁が散らばるように。叫び声と、大量の血液が漏れ出してくる。

 冷たく放り出された衝撃と、禍々しい金属の翼を怖れたメアリーは、そこに佇むもう一人の女へと……助けを乞う視線を向けた。その眼前を、ハイヒールの踵が通り抜けていく。


「ふぅん、デザートイーグルの方があっさりしてるわね。コルトガバメントも弱くていいけど、人間の女性用はこっちに変えようっと」


 まるでその日の口紅の色でも決めるかのような口調で、聖なる夜ホーリーナイトはそう言い捨てる。


「あのさぁ、もうこれじゃ話も聞けないじゃん? どうしていっつもキミはそうなのさ」

「アンタの言う懺悔の時間とやらが、無駄に感じるだけよ。結末は一緒なのに」

「あーあ、お愉しみはこれからだってのに」


 まるで興味もなくなったように、のたうち回る人間の女性には目もくれず。そう言いながら静かなる夜サイレントナイトは、よいしょっと軽い口調で自身の腹部に刺さった.50AE弾を引き抜く。


「一緒に逝けたら最高だったんじゃない?」

「まさか、俺は人間を愛しているけどそこまでじゃない」


 だンッ、だンッ、だンッ、だンッッ!!


 話半分で銃声がよっつ、月夜に響く。


「お嬢さん、それ以上アナタの汚い命で地面を汚さないでもらえるかしら?」


 狂ってる、狂ってる。

 私もだけど、この世界の理は。ロンドンの秩序は狂ってる。

 閉ざされた世界で、まだ夢を見たい若者でいたいの。だから赤い電話ボックスにすがったのに。


 両の手足を撃ち抜かれ、血を失いながら、音の失くなっていく世界の中で急にメアリーに視界が鮮やかになった。

 そこに映るのは、この世のものとは思えないほどに、美しく悍ましいルビーレッドの笑み。


「どう? 初めて人を殺した気持ちは? 声も出せぬ、自分の中の命を誰かに縋って痛みなく消そうなんて。人間は愚かで気持ちが悪いのね?」


 ああ、そうか。

 きっと。天使よりも、ヤバいのは。女の方だ——。


 ただの願いじゃない。

 夜間の外出禁止令に背いた人間が、縋る気持ちでコールする赤い電話ボックス。

 特定のDNAの鑑定の元、繋がったその電話は。私利私欲にまみれたその中でも、ひときわ不完全で救いようがないもの。

 そんな夢物語の、対価なき解決を人間はこうして望むのだ。


 どうしようもないものには、どうしようもない罰を——。



 閉ざされた都市、絶滅危惧種の保護区ヒューマンサンクチュアリ、ロンドン。

 その一角、ホワイトチャペル。

 ここにはかつての殺人鬼たちのDNAを持つ者が意図的に混ぜられている。

 

 テムズ川を死体置き場にした者、ホワイトチャペルの名を自分の冠のようにした未解決の殺人鬼、ドクターだった者、夫を次々と変えた者、聖書の名を冠した名もなき隣人ジョン・ドゥも。


 果たして、それを生かされている人類が知っているかは別として。



 エンジェル・コール・ナンバー。

 それは願いを叶える神のような番号ではなく。

 悪魔の願いを相殺する電話番号。

 蒼い目はそれを解錠し暴き、紅い目はそれをシャットダウンする。


「呆れた。生産性のない愛よりも、最もアタシの嫌うものだもの」

「いいじゃない、いっときの愛がそこに在ったのなら。俺はそれが知りたいんだけど」

「百万年の進化より、数百年の繁栄が勝利するって。酷く虚しく馬鹿らしいものじゃない?」


 それならば、生み出さなければいいのに——。


 ため息のように呟いた、聖なる夜ホーリーナイトの背後では灼熱の業火がゆらゆらと揺れている。


「だから弱くて虚しくて愛おしいんじゃないか、人間ってさ」


 その鋭い爪の、機械の手ではなく。

 二つの夜を生み出したその誰かが愛してくれた金属の翼で、静かなる夜サイレントナイトは隣に立つ相棒の肩をそっと抱き寄せた。

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