RED FOX

ドント in カクヨム

サン・ペネリコ広場/午後

「ミスター・モリ?」


 私の座るベンチの前に、白人の青年がひとりやって来て言った。

 スリムな体にジーンズ、赤い上着には両肩から手首まで白い線が入っている。

 顎は鋭角で、整った顔の中に細い目が光っていた。髪の毛は鮮やかに黄色い。


「……そうです」

 私が探るように答えると、彼はふっ、と微笑んだ。

「怯えなくていいですよ。依頼人を獲って食いやしませんから」

 俊敏そうな体、目つき、微笑。

 確かにキツネを思わせた。


 レッド・フォックス──世界を股にかける「何でも屋」。

 その名を使ってもおかしくはない容姿かもしれなかった。


「立っていただけますか」

 青年は私に言った。

「え……なぜです?」私は戸惑う。

「身体検査ですよ」青年は微笑を残したまま言う。「銃や、ナイフ……」

 私は「あぁ、なるほど」と言い、立ち上がった。

 青年は私のコートの脇、ズボンの横などをぱたぱたと探っていく。

 コートのポケットに入った平たいものに触った時、彼は怪訝な顔をした。

 私が「スマートフォンです」と答えると、ただ頷いただけだった。そのくせ、私のかけていたメガネまで外して観察するのにはちょっと驚いた。


 ……季節は秋、昼過ぎのサン・ペネリコ広場だった。

 背後に噴水があり、女神の石像が抱える水甕みずがめから水がわずかに垂れている。周辺に観光客や市民の姿はない。静かな時間と空間があった。

「じゃあ、座りましょうか」

 青年は私にベンチを勧めた。彼も、私の隣に座った。


 青年は上着のポケットに両手を突っ込んで、私の方に顔を向ける。また、例のゆるやかな微笑。

「それで、ミスター・モリ。簡単な自己紹介と、ご依頼内容をお願いできますか?」


 私はモリ・テルアキと名乗り、日本の会社の秘書であると告げた。

「ダイニチという会社で、自動車やバイクを扱っていまして、特にバイクの輸出でも……」

「えぇ知ってます。それなりの会社ですよね」

 彼は遠くに目をやりながら私の説明を遮った。

「そろそろ、料金を含めた依頼の話にいきましょう」

「はい……しかしひとつ、問題がありまして」

 そう言うと、青年は首を傾げた。

「問題? 問題とは何です?」

 私の顔を覗き込む。例の抜け目のなさそうな瞳で。

「……いかんせん、このような『依頼』ははじめてでして。しかも、ミスター……」

「フォックスでいいですよ」

「ミスター・フォックス。あなたのその……『お仕事』ぶりというものを存じ上げていないのです。素晴らしい手際だとは聞き及んでいるのですが、つまり、具体的には……」

 すると彼は「なるほど」とだけ言い、赤い上着からスマートフォンを出した。指を動かし、幾度かタップする。

 無言で、私に画面を見せてきた。


 動画サイトにアップされているニュースの映像だった。

 中東の放送局だ。穴だらけの石造りの家屋が映る。

「石油王の息子 無事救出 犯行グループは殲滅」

 そんな字幕が流れる。

 利発そうな少年の顔写真が出る。

 身代金目的で誘拐されていたアハメド・アシュライ8歳、頭を下げる父親のそばで、当の少年が手を振る様子。

 監禁されていた郊外の家、犯人たちの顔写真、家の中からは犯行グループ全員の──


「言葉はわからないでしょうが、誘拐事件が解決したことはわかりますか?」

「はい、どうにか」私は嘘をつく。「少年が無事なことくらいは」

「彼を助け、誘拐犯たちを殲滅したのが僕です」

 私がスマホから目を上げると、細面の顔がこくん、と上下した。

「犯人たちを全員、ですか」

「えぇ」

「お一人で……?」

「はい。なかなか大変な仕事でしたけどね、他にも様々なことを、世界中で……」

 彼はスマホをポケットに戻す。それから小声になって、

「……レッド・フォックスという名も、こんな仕事ぶりから自然についたものなんです」

 ゆっくりと両手の指を組む。

「キツネのように俊敏に、いかなる敵も血に染める……。そういう風に僕は、依頼を遂行してきた……わかりますか?」



 私はそれを聞いて、かけていたメガネを直した。

「そうですか……わかりました。よくわかりました」

 静かに言った。

「いくつか訂正をしたいのですが、よろしいですか?」



「訂正?」

 青年は身をねじり、こっちに向いた。

「まずその動画ですが、」

 私は彼のポケットを指さす。

「ニュースの中で『本国の特殊部隊が助け出した』と話していましたよ。字幕でも。わからないと思って適当に選んではいけません」

「何を……あんたさっきアラブ語はわからないって」

「このサン・ペネリコ広場ですが、どうしてこんなに閑散としていると?」


 言われてはじめて青年は周囲を見回す。

 猫の子一匹いない。

 私たち以外は。


「この噴水の後ろ、ちょっと先の街角の水道管が破れて、それはもう騒ぎなんです。2ブロックばかり水びたしでね。観光客も住民もみんなそっちを見に行ってます」

 私は親指で後方を示す。女神の水甕みずがめからは情けないほどの水しか出ていない。

「……あんた、警官か? FBIか?」

 腰が引けていく青年、私はハハ、と乾いた声で笑う。

「警察が水道管を壊しますか? もちろんFBIでもCIAでもない。ついでに言うなら、君はプロじゃない」

 青年は顔面を歪ませ、乾いた唇を舐めた。

「広場に違和感を覚えないのもそうだし、こんな場所で身体検査なんてしない。相手のポケットに何か入っていたら出してみるべきだ。私のメガネなんかをいじる前に」

 彼の喉仏が動く。唾を飲んだようだ。

「……そもそも、『ダイニチ』なんていう日本の自動車会社は存在しない」

 口から小さく息が漏れる。心臓の鼓動が押し出した恐怖の吐息だ。

「依頼の先にぶら下がる報酬に気がはやって、話を合わせたのかな? ほら、『ダイニチ』で検索してみるといい。さっきのスマホで。今すぐに」


 彼は言われた通りにする。手が震えている。

 スリープを解除した瞬間、私は冷たく囁いた。

「メールが一件来ている?」

 怯えた目が私を見る。

「送り主は不明?」

 瞳が頷く。

「開いて」

 指が、とん、と画面を叩く。

「画像が添付されてる? それも開いて」

 彼の指が止まる。

「ただの画像だ。大丈夫、獲って食いはしない」

 再び、タップする。


 彼は目を剥いた。

 画面には、彼の見たことのないモノが写し出されているはずだ。

 赤いボウルに、赤、白、茶色の並ぶ蓋をしたような──


「……君は、コードネームに恐ろしい意味を持たせようとした。これも間違いだ。確かに仕事は的確で早い。しかし血を流すことはしない──無論、例外はあるがね。名前の由来は、その画像だよ」

「これは」聞き取れないくらいの小さな声。「これは、何だ?」

「ヌードルだ。お湯を入れて、5分待機すると完成する。君、日本語は?」

 私は音もなく彼の肩に腕を回した。全身が細かに震えているのを腕で感じる。

「これだ、この字」私は画面に指を這わせる。

「アカイ・キツネ……赤いきつね、と読む」

「アカイ・キツネ……」

「そう。『アカイ』がレッド、『キツネ』がフォックス。日本での仕事の時に偶然食べたんだが、これが素晴らしく旨い。スープに麺に、この茶色い四角いもの……たまらなく美味でね。

 それからは無事にひと仕事終えるたびに、これを食べるのが習慣になった。当時は呼び名などなかったから、ではこれを名乗るか、と、全員の意見が一致した」


 彼の視線がスマホから離れた。

 もはや顔にキツネのよう凛々しさはない。

 臆病なウサギの顔。


「……ぜんいん?」

 かすれた声だった。

「そうだ。君の最大の間違いは」

 肩に回した腕の先、指を二本立てる。

 合図。

「レッド・フォックスが、ひとりだと思っていることだ」


 びくり、と青年の体が動いた。

 彼は痛みの元に目をやる。

 胸に、小さな注射のようなもの。

 私の顔に戻った瞳から、意識が失われていく。


「覚えておくといい」

 青年に向かって私は言った。

が、レッド・フォックスだ」





 ……麻酔弾で眠ってしまった彼の頭が、私の肩に乗っている。

 広場に小さなトラックが入ってきて、私たちの座るベンチの前に停まった。


 運転席のドアが開く。作業着姿のグリーンが降りてくる。

「どうでしたか?」

「隙とミスだらけだ。絶対にプロじゃない」青年を抱え上げる。「ほら、体も軽い」

 グリーンは回り込み、後方の扉を開ける。

「我々の名と依頼方法をどこぞで聞いて、前金だけでもせしめようと──」体を車内に倒し、押し入れる。「──したんだろうな、おそらくは。困ったもんだ」

 グリーンが手際よく、彼の手足を結束バンドで締め上げる。

 扉を閉めた。スマホを出し、全員通信の無線番号にかける。

「みんなご苦労だった。大したことはなさそうだ。

 ソウ、今回もいい狙撃ぶりだった。

 セイジ、野次馬は。水道管の修復は? そうか。

 ではシュウ、あと20秒で周辺の監視カメラの復帰、さらに15秒で映像の差し替えを頼む。

 じゃあ全員撤収後はすみやかに『ホーム』に集合するように。

 スイさんはお湯を人数分沸かしておいてくれ。以上だ」

 通話を切る。助手席へ。グリーンはすぐに車を出した。


 広場から出ると、グリーンがハンドルを握りながら私に尋ねた。

「……後ろの荷物はどうするんです? まさか」

「無論、質問はする。背後も徹底的に洗う」

 私は伊達眼鏡を外す。

「まぁケチな便乗犯だとは思うが……。まったく、我々も有名になってしまった」

 体格を隠すためのコートも脱ぐ。

「チンピラと判明したら、脅して叱って、帰す。それで終わりかな」

 冗談のつもりでつけ加える。

「……忘れないよう『レッド・フォックス』を1ケース、年に一度送ってやってもいい」

 グリーンは笑わなかった。根が真面目な男なのだ。

「いいんですか? 変装したとは言え、あんたは奴と顔を合わせてる」

「ふふ、何もわかりゃしないさ」


 輪郭をごまかすゴムをベリベリ剥がす。

 黒髪のカツラも取ってしまう。

 ブロンドのショートボブが耳にかかった。


「彼は、私の性別すら勘違いしてるよ」


 蒸れた髪を気にしながら、私はダッシュボードからタオルを出し顔をぬぐって、化粧水を顔に広げはじめた。




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