ある日うちのネコが翻訳アプリを使ったんだけど

杉浦ヒナタ

第1話 ノブナガ、心の闇をあばかれる

「起きてノブナガ。大変だよ」

 あたしは、窓際で丸くなっているネコのノブナガに呼びかけた。


「なんじゃ蘭丸。もう少しで蝦夷えぞを征服できる所であったのに」

 ノブナガは、くわーっと大きなあくびをすると、面倒くさそうに起き上がった。そのままお尻を高くあげて伸びをする。

「どんな夢を見てたのよ。あ、こら、カーペットで爪研ぎしちゃダメだってば」


 このノブナガ、いつからか中の人が別世界の織田信長とつながっていて、近所の樋本ひのもと商店街のネコをすべて制圧すると、向こうの世界で天下布武が成るらしい。あたしのことは森蘭丸だと思っていて、時々、ネコ同士のいくさに駆り出されることもある。けっこう面倒なやつなのだ。


 ばりばりと床を掻きむしっているノブナガを抱え上げると、あたしはそれを目の前に差し出した。

「ふん、その型落ちのスマホがどうしたと云うのじゃ」

 人が愛用しているものを型落ちとか言うな。織田信長の口からスマホという言葉を聞くのも何だかではあるが。


「これを見て。ネコの言葉を日本語に翻訳できるアプリなんだよ」

 あたしの膝の上でくつろぐノブナガは興味無げにそれを一瞥する。

「それはかの翻訳コンニャクのようなものか」

 いや、ドラ〇もんの秘密道具じゃないし。


「なるほど、技術は進歩するものじゃのう。で、わしに何の用じゃ」

 決まっている。あたしはそのアプリを起動した。

「はい、何かしゃべってみて」


「のう、蘭丸よ」

 なぜかノブナガは怪訝そうな声を出した。

「わしの言う事はすでにお前に伝わっておるではないか。それを、なぜまた翻訳する必要があるのだ」

「え?」

 そう云えばそうだった。


「しまったー、また無駄な課金しちゃったよ」

 あたしは頭を抱えた。

「ふん。一時の流行りに乗るからじゃ」

 がっくりと肩を落とし、あたしはスマホの画面を見た。

「あれ。何か翻訳されている」

 きっと、さっきしゃべった言葉だ。


(=^・^=)『腹がへった』


「おお、ちゃんと翻訳されてるよノブナガ」

 それをノブナガに見せる。

「おい。わしはこんな事を言ってはおらぬぞ」

 あ、また翻訳された。


(=^・^=)『退屈だから遊んでくれ』


「なるほど、なるほど」

 あたしはノブナガをひっくり返し、お腹のあたりを撫で回す。

「止めぬか、この愚か者め。手打ちにしてくれるぞ」


(=^・^=)『相手をしてやる。かかって来い』


 あたしとノブナガは顔を見合わせた。

「これは、何となく合ってるみたいだね」

「ふむ、まんざら捨てたものではないかのう」


 ノブナガはパタパタとしっぽを振る。

「さて、そろそろ食事の時間ではないかのう」

「やっぱり、お腹空いてたんじゃないか」



 うにゃうにゃ、と声を出しながらドライフードをむさぼるノブナガ。

 そっとスマホを近づける。


(=^・^=)『うまい! うまい!』


 ……それは織田信長じゃなく、たぶん別の人だと思う。


 ☆


 せっかくなので他のネコでも試してみることにした。

 あたしはノブナガを連れて外に出る。


 平松元気健康堂薬局の店先では、大きなネコが長くなって日向ぼっこしている。見るたびに太ってくる気がするが、ここの飼いネコのたぬポンくんだ。

「前はもっとスリムだったのにね」

「これではネコかタヌキか判然とせぬのう」


 あたしたちに気付き、たぬポンくんは気だるげに顔をあげた。

 にゃう、と一声鳴く。


「どうじゃ、翻訳できたか」

「あ、出来てるよ」

 

(=^・^=)『人生は重荷を負うて長き道を行くがごとし』


 たぬポンくん、思ったより哲学的なこと考えていたんだな。たった一言にこんな意味を持たせるとは。さすが、のちの天下人(ネコ)だ。


「おのれ、たぬポンめ。生意気な」

 ふーっ、と唸るノブナガ。それもすぐに翻訳される。


(=^・^=)『腹がへった』


 ……もうちょっと他の事も考えようよ、ノブナガ。さっき食べたばかりでしょ。



 あたしたちの背後で、うきー、という鳴き声がした。

「あ、ヒデちゃんだ」

 相変わらず変な鳴き声だ。日吉神社の近くで飼われている差し歯のネコだ。なので、差し歯のヒデちゃんで通っている。


 実はたぬポンくんと、このヒデちゃん、それにノブナガは、ここ樋本商店街の覇権を争うライバルなのだ。

 ヒデちゃんはあたしとノブナガを睨むように近づく。ノブナガも背中の毛を逆立て、一触即発の雰囲気だ。

 ヒデちゃんがもう一声鳴いた。これはきっと宣戦布告に違いない。


(=^・^=)『お姉さん、一緒に遊ばない?』


 目的はあたしか。ノブナガ、全然相手にされていないぞ。 


「おのれ、ひとを虚仮こけにしおって」

 ノブナガが憤然としている。そしてそれもすぐ翻訳された。


(=^・^=)『退屈だ。遊んでくれ』


 本当にライバルなのかな、この二匹ふたり



「ひとつ気になっているんだけど」

 散歩から帰って、あたしはノブナガに訊いてみた。ノブナガは洗面台に上がって溜まった水を舐めている。

「なんじゃ、改まって」


「ノブナガ、あたしの事をどう思っているのかな」

 かっかっ、と笑ったノブナガ。

「ふん。貴様など食事係の小姓としか思っておらぬわ」


(=^・^=)『大好き♡』


 おおう。やはりそうか。

「むふふ。このツンデレネコ」

「なんじゃ。なんと翻訳されたのじゃ」

「見せないよーだ」

 あたしは指でノブナガのしっぽの付け根あたりをとんとん、と叩く。


「おのれ、またそうやって誤魔化そうとしておるな。あうあうあう」

 ノブナガは変な声をだして口をぱくぱくさせている。

「貴様、あとで頭蓋骨に金箔を貼って、わしのエサ皿にしてくれるぞ」


(=^・^=)『やはり腹がへった』



 おわり

 

 

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