第8話 愛玩と嫉妬
私は人間を愛している。なによりも愚かで無駄な生き物だが、娯楽の為には時にはどんな事でも行う残忍性は悪魔や神をも超えるだろう。
例えばかわいい、愛らしい
またこれは他種族の動物だけでなく人間も例外でない場合もある。
音楽の分野でカストラートという言葉を聞いたことはあるだろうか。思春期前の男子を去勢し、強制的に声変わりをさせずに作りあげる歌手のことだ。彼らは成長後に未成年とも女性とも違う素晴らしい魅惑の歌声を手に入れるのだ。カストラートが存在していた時代ではこの手術で亡くなる者も少なくなかったとも言われている。それでも貧しい親たちは自分の子を売りに出した。それは彼らの声を愛して大金を払うことを惜しまない者達が存在していたからだ。
そう愛なのだ。人間が真に恐ろしいと言えるのがこれらが悪意や憎悪から生まれるものではなく、愛によるものだということだ。
愛をもって残酷を成し得るとは悪魔よりたちが悪いのではないか。
そんな人間を私は愛している。私もそんな人間を見習って娯楽の為の命を作ってみた。人間達に比べればほんの些細な人形遊び、だがこれが中々に面白かった。人間が人形に服を与えるように沢山の贈り物を贈ってしまった。
今、私はそんな愛しい人形の前に再び立ち問を投げかける。
「今の君にとって人間とはどのような存在ですか?」
「う~ん、娯楽の一つかな。興味は尽きないね。」
少し前までは一言も発することができなかった人形が言葉を紡ぐ。短期間の間に人間の狂気に触れた人形は笑顔をつくる。
「私と一緒ですね。やはり、造物主に似るものなのでしょうか。」
行きつく先は同じか。最後は見飽きたつまらない結論なのかもしれない。私は結局コレに何を期待していたのだろう。過程を楽しめただけ良かったと思うべきなのだろうか。まぁ、いつもの
「僕も質問いいかな?」
「どうぞ。」
「貴方は僕を愛していますか?僕は貴方を愛していますか?神は人間を愛していますか?人間は神を愛していますか?」
この問は私の予想外のものだった。まさかこの人形などに私が問いただされ、悩まされるとは思いもしなかった。
親と子であれば例外はあるものの互いに愛しているとも言えるかもしれない。造物主または創作者と作品の間の関係はソレと同じなのだろうか?作りては少なくとも最初は愛をもって作品を生み出すだろう。しかし作品はどうなのだろうか?人間は神を本当に愛しているのだろうか?人間はなんの見返りを求めず神を愛せるのだろうか?人が作った人工知能が感情を持った時、人間を愛するのだろうか?
「貴方は私を愛していますか?」
私は自分の作品の前で質問に質問を返してしまっていた。
「僕はその感情をまだ知らない。君に教えられたものにソレは無かった。」
造物主は私を愛しているのだろうか。?そもそも愛とは何なのだろうか?私はソレを目の前の人形教えられない。私はこの人形を愛していたのだろうか?
「ソレを教えるのは私では無く、貴方の近くにいた人間でしょうね。改めて興味が湧きました。貴方がソレを得た時にまた愛に行きます。」
そう言い残し
「頼む、また助けてくれ。」
神父が去った後、
「なんだい、また君かい。今回はどんな事件なんだい?」
人形は笑う。造物主が与えられなかったものをこの男となら得られるかもしれない。
カイイゴロシ 完
カイイゴロシ しき @7TUYA
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