アップリズム・バレリーナ

詩人

羨望鏡

「バレリーナは笑わないわ。だって、バレエが主人公だもの。バレエを魅せるために、バレリーナは道具として舞うのよ」

 幼馴染みのミカが放った言葉に、私は何かがストンと腑に落ちたように首肯していた。今までにどんな先生に言われても「理不尽よ」と感じていた難しいことが、たった数十文字の言葉如きにわからされるとは、やっぱりミカは凄いと思う。

 しかし、腑に落ちて理解したからと言って、全てを完璧に分かったとは限らない。言葉では解っても、私の中に眠る奥底の疑問が分かってはくれなかった。それをそのまま、私はミカに投げかけた。攻撃するようにではなく、優しく尋ねるように。

「じゃあ、なんでミカはバレリーナをしているの?」

 バレリーナはバレエを引き立たせるための手段であるならば、なぜミカは美しくバレリーナをしているのか。もちろん、「バレエを引き立たせるためよ」などというミカお得意ので返されることも予想していた。だけど私が聞きたいのはそういうことじゃない。


 ──ミカにとってバレリーナは何なの?


 ミカが言ったのは、きっと先生たちが言っているような一般的な意見なんだと思う。バレエを審査する大人たちも、そういう考え方なんだろう。だけど、じゃあ、ミカにとってはどうなの? 私は聞いてみたかった。ミカがバレリーナとしてバレエを続ける理由を、そしてミカが考えるバレリーナとは何かを。

 いつもは姿勢正しく背筋をシャンと伸ばして立っているミカだけど、私の言葉を聞いた途端、急に猫背になって顔を赤らめた。ほとんど初めてとも言える彼女のそんな姿に、私は罪悪感をおぼえると共に微かな母性本能を悟った。

 何かを隠すように背中を縮こまらせたミカは、私よりも小さく見えた。

「それは、うーんと……その……っ」

 博識深くて、まるでネットの検索結果みたいに言葉を羅列しているような普段のミカは消えていた。それは、私と同い歳の、たった一人のか弱い女の子だった。

貴女あなたにいつまでも見てもらえるために、私はバレリーナをしているわ。バレエのためじゃない」

 ミカの顔がみるみるうちに紅潮する。

 当然、私の体も火照ほてっていた。

 純白のレオタードに包まれた彼女が、一歩、また一歩とステップを踏む。軽快で力強いように見えて、それは薄氷うすらいを踏むかのように繊細だということを知っている。

 アン・ドゥ・トロワ、──リズムを刻む。

 舞台上で翼を広げた彼女を、車椅子に座って私が見ている。

 私は誰かのためにバレエをしていたっけ。

 そんなことを考えても、欺瞞ぎまんよこしまな感情にしか辿り着かない。

 だからもう──、ミカには辿り着けないんだ。

 役者が違いすぎたんだ。

 悔しいなぁ。眩しいなぁ。

 舞台の上では、ミカ一人が照らされている。反射することなく、そのプリズムはミカだけを照らす。

 私からは失笑が零れ、ミカは笑わない。

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アップリズム・バレリーナ 詩人 @oro37

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