終幕 卒業式

最終話 卒業式

 ――月日は流れ、桜が蕾を芽吹き始めた三月十八日。

市立青葉中学校の卒業式である。


「行ってきます」


「翔、しっかりね! 母さんと父さん後ろで見てるからね」


「カメラもバッチリだぞ!」


「や、その……緊張するからほどほどにして」


 家を出て、学校までの道を歩く。

 今日、自分が中学を卒業するんだというのが不思議に思える。見慣れた通学路の風景の一つ一つが無性に切なく思えてきた。まだ、卒業したくないと……そんなふうに思った。



 校門が見えてくる。何度もくぐってきた校門が今日だけはいつもよりやけに大きく見えた。校門を見上げて立ち止まっていると、カラカラと車輪の音が聞こえてきて、後ろを振り返る。


「おはよ」


「凪原?」


 凪原は車椅子の車輪を回しながら隣へやって来て、同じように校門を見上げた。


「来てくれたんだ」


「前に誘ってくれたでしょ。どうせ行くなら卒業式かなって。私なりのサプライズ」


 そうつぶやいて、凪原は優しくはにかんだ。


「……リハビリは順調?」


「ううん。歩けるまでにはまだまだ時間はかかるかも。でもね、五分くらいは立てるようになったんだよ」


「ホントに! 凄いじゃん!」


「へへ。ま、頑張ったからね、私」


 凪原の治療はまだ続いている。現在も車椅子生活は相変わらずだし、今日は一時外泊の許可をもらって来たのだそうだ。歩けるようになるまでは、後何年かかるかわからない。それでも彼女は根気強く治療を続けるつもりだと言っていた。

 式が始まるまでには時間がある。凪原が卒業式に来るなんて思いもしなかったけれど、ちょうどいい。どうしても彼女に一目、見てほしいものがあった。


「……行こう。凪原に見せたいものがあるんだ」


 凪原の車椅子を押しながら、昇降口をくぐる。その先にあるA・Aホールを見て、凪原がはっと息を飲んだ。

 ホールには大きなキャンバスが飾ってある。凪原はキャンバスの大きさに圧倒されていた。身の丈を大きく超える大きさのキャンバスで、この上なく目立っていた。


「この絵……翔が描いたの?」


「うん。僕と、美術部の友達と三人で描き上げた卒業制作。タイトルは『小麦畑の少女』。どうしてもこの絵を凪原に見て欲しかったんだ」


 背景を僕が描き、メインとなる人物を上西が担当し、杉野が仕上げをやった。三人で作った卒業制作。完成したキャンバスを三条先生に見せたら、先生は感動のあまり、もう感動しちゃって、立派な額縁に入れてそのままA・Aホールの一番目立つところに飾ることになったのだ。絵の右下には、僕達三人の合作である証拠として、手形が三つ、三角形の形に押してある。

 両手を広げたよりずっと大きいキャンバス。風に揺れる黄金の小麦畑の中には、僕らが過ごした青春の一ページが確かに存在していた。


 試験に無事合格して、僕は四月から向坂高校の美術科に通うことになる。高校に入ってからは本格的に絵の勉強ができる。きっと僕よりもずっと絵が上手で、大好きな人がたくさんいるんだろうなぁ。どんな高校生活になるのか、今からとても楽しみだ。


 だけど……杉野や上西とは違う学校になる。


 上西はもともとA判定だったし、特に危なげなく試験をパスして、春からは北城高校へ通うことになる。高校生活を楽しみながら、投稿用の漫画を書いてみたいと言っていた。

 杉野も北城高校だ。しかし、彼の場合は実に波乱万丈な入試だった。入試直前の模試でも彼はD判定で、正直合格したのが奇跡だったと思う。杉野は験を担いで前日にとんかつを食べたらしいのだが、調子に乗って食べ過ぎたらしく、試験当日ひどい下痢になってしまったという。やむをえず一人だけ保健室で受験することになったのだが、体調が悪いせいで問題文がさっぱり頭に入ってこない。ほとんど勘で答えたらしい。その結果、どういうわけか杉野は合格していた。高校では一から自分で部活を作るらしい。杉野がどんな部活をつくるのか、少し楽しみだし、言葉にこそ出さないが応援している。


 二人と過ごした中学三年間は喧嘩も何度もしたけれど、振り返ってみるとなんだかんだ言って楽しかった。ずっと一緒にはいられない。そんなことわかっているけれど、今日が卒業式ということもあって、寂しさが胸をちくりと刺した。


 凪原がキャンバスを見つめたままつぶやいた。


「翔……絵、やめないでね。わたし、また翔くんの絵が見たい。見せてくれるよね」


 うん、とだけつぶやいて頷いた。

 そのとき始業を知らせるチャイムが鳴った。もうすぐ卒業式が始まる。


「さ、もう行かないと。遅刻しちゃうよ」


「凪原、今日は来てくれてありがとう。また、あとでね」


「うん、またね」


 鞄を手に教室へ駆け出そうとした時だった。



「えい」



 不意に首のうなじのあたりにひんやりした指が触れた。

 その瞬間、何度も感じた不気味な悪寒が脳裏に蘇って、僕はホールの床に派手に転んだ。

 凪原は車椅子の上から僕を見下ろして、小馬鹿にした顔でやわらかく笑う。

 その姿に白い着物の女の子の姿が重なって、僕は小さくはにかんだ。




END

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Gift ~林檎の樹の下で~ 秀田ごんぞう @syuta_gonzo

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