第3話 ライラック

「レラ?」


「はい、ここに」


「近い! 気配がないと怖いから!」


「申し訳ございません」


「朝から重いよ、今日は特に軽くいこう!――」


「――申し訳ございません……」


「……おはよう!」


「おはようございます!」


「近い! 鼻息が掛ってるよ」


 ほぼ毎日、朝のお決まりの流れ。

 ただ、今日は昨日までと違う。十五の誕生日を迎えた。


 商会(ウチ)の十五歳はちょっと違う。

 正式な商会の一員として父様(ボス)の子として働き始める。特別な歳だ。

 といっても兄が若旦那と呼ばれ、幹部になった歳だから否が応でも呼び名は期待は高まる。

 眼が見えない『盲人』の若造がいきなり偉そうになる日だ。


「坊ちゃま、御召し物はこちらに」

 いつも僕が分かるようにライラックの香水をヒザ裏につけている。


 ただ朝は僕に気を使って香りを消し、気配も殺せるため小声で呼んでもいつの間にか触れる位置に来ている。


「今日のこと、何か聞いている?」


 声が少し上ずってしまったけど、緊張していることまでは気が付かれていない。


「はい、昨晩ご主人様から昼食後に書斎に来るようにとのご伝達を頂きました」



 そして、落ち着かぬまま早めの昼食後、父様の書斎へ向かった。


 家の中では杖も必要ないぐらいになっているが、使用人たちに存在を知らせるためにコツコツ鳴らしながら歩くのがルールになっている。


 扉の前までくると、当然ノックをする前に入りなさい、と言われた。


「父様、お待たせしました」


「うむ、ヨハン、わざわざありがとう」


「いえ――それでご用は?」


「そうだな、早速だが――お前には遍歴をしてもらおうと思っている」


「?」


「あー、各地を回り見識を高め、自分の将来を見つけてきなさい」


「へ?」


「大丈夫だ。お供はレラと護衛を付ける。資金も用意した。いいな?」


「ん?」


「それで、今日は誕生会と出発式を兼ねて夕餉に行う。――誕生日おめでとうヨハン」


「れ?」


「もう、行っていいぞ。後でレラに詳細を伝えておく」


「きー!」


 それからの記憶は曖昧だった。



◇◇◇◇◇    ◇◇◇◇◇


 住み慣れたルンベルクの街を離れ、いつの間にか匂いが変わっていた。

 どこへ向かうつもりなんだろうか。


「坊ちゃま、ヨハン様! しっかりしてください」


「ん? なに?」


「なにじゃありません。聞いていただきたいことがあります」


「何を聞けって? そうだね、聞くことしか出来ないからね! 見えない子供に見識を高めろって! 何もできるはずないじゃないか……死ねってことだよね⁉」


「坊ちゃま、お言葉ですが違います」


「何がさ!」


「私の話を聞いていただきたいのです」


「どうせ聞こえちゃうから勝手にすれば?」


「ありがとうございます。ここにご主人様から手紙を頂戴しております」


「ほら、やっぱり。読めない僕に手紙ってなんだよ」



「黙って聞きなさい!」


「……はい」


「それでは読みます」


 拝啓 ヨハン。突然のことで驚いているだろう。敬具 父より

 追伸 レラに委ねよ。


「――い、以上です」


「終わり? 短っ! 嘘だよね?」


「……い、以上です」



◇◇◇◇◇     ◇◇◇◇◇


 街から草原へそして森へ。


 すべてをレラに委ねているとはいえ、どこへ向かっているのか教えてくれない。

 その夜野営をしたが、トラウマのせいで僕も彼女も結構びくついていた。


 あまり眠れず朝を迎えた。族や魔物は襲って来ず一安心。


 新鮮な朝の空気を吸っていると護衛のひとりが声を掛けて来た。



「若様、短い間でしたがお世話になりました。私とアイツは明日当番なのでこちらで失礼します」


 どこかで聞いたことある声だと思ったが、問題はそっちじゃない。


「ちょっ、ちょっと待って、どういうこと?」


「はい、店番のシフトが迫っているので戻ります」


「護衛って聞いたけど違うの? その声――マシュシュ⁉」


「あ、はい、店番のマシュシュですが……」


「君たち四人とも店番の人?」


「私ともう一人はそうですが、後二人は倉庫番です」


「……」




「それでは! 良い旅を!」


 朝から二人が居なくなった。後二人も午後には帰るらしい。

 御者さんはまさか! それは流石にね?




◇◇◇◇◇     ◇◇◇◇◇


 そして誰も居なくなった。


「だー!レラ!二人だけになっちゃったよ!一体どんな旅をさせたいんだよ」


「はい、望むところです」


「望んでないから!」


 レラは気に留めるどころか、まるで二人だけの旅を喜んでいるかのよう。

 馬車だけ残されてもどうするんだ。


「私にお任せを。目的地まですぐです」




「吐く……うぷ」


 「坊ちゃま、全部吐いたほうが楽になりますよ。案外初めてにしてはうまく行きました」


 御者がいたほうが楽だったよ。うまくないよ!


「ミュンヘルン?南にきたのか、うぷ」


「ええ、そこに会って欲しい方がいらっしゃいます」



 衛兵が僕に質問したときには馬車の中は大変なことになっていた。


 無害な少年が有害になったとき、衛兵は優しく『馬車からおりなくてもいいよ』って言ってくれる。



 異臭のする馬車はガタコトと街に入っていき、ある場所で停まった。



「臭っ! お前くっさ!」


「坊ちゃまは馬車がお嫌いなだけです!」


 レラ、なんか違うよね?


「水で流してこいよ、馬車も洗うんだぞ」



「あいつなんなんだ」


 冷たいだけじゃない。僕は一体……


「気にしないでください。いつものバスタ様です」


「レラ?」


「はい、なんでしょうか」


「この話、どんどん僕を置いて進んでいるよね?」


「そんなことありません! 坊ちゃまは常に私の中心におります」


「そういうことじゃない! ここがどこなのかも知らないし、何しに来たの? バスタって誰なのー!」


「それは後程バスタ様からお話がございます。今はゲ、そのお汚れを落としましょう」


◇◇◇◇◇    ◇◇◇◇◇


「おう、来たゲ、チビ。俺はバスタだ。お前の父ちゃんの知り合いだ」


「はぁ」


「今日からうちで働いてもらう。まぁ、楽じゃないが楽しくもない」


 何もないじゃないか。


「で、早速お前の仕事だが、目が見えなくてもできる仕事を用意した」


「あ、あのすみません、質問いいですか?」


「なんだ?」


「よく分からないままここへ連れてこられ、何が望みなんでしょうか?」


「がははははは! こいつはいい。いいか、お前みたいのにはどこも厳しい場所なんだ。分かっていると思っていたがな」


 声がいちいちデカくて耳が痛い。それに僕が何をしたっていうんだ。


「お前、見えないんだろ? お前と同じような他のヤツを街で見たことあるか? 名前を言ってみろ」


「……」


「そういうこった。それに――守り人様に助けてもらったことがあるんだってな?だからだよ」


「どういうこと?」


「選ばれたんだよ。父ちゃんはお前を家にずーっと縛ることができた。何もさせず、家に閉じ込めることをだ。だが、お前を信じた」


 算術や読み書きが見えていないと商人なんてできない。

 僕は薄々感づいていたけど認めたくなかった、

 正直兄よりも覚えはいい。



 だけど決して商人にはなれない。



「お! 気づいたか。父ちゃんは正しい。何もできないで終わるヤツもいればやりたくてもやれねぇ価値がねぇ」


「それで、僕の仕事ってなんですか?」


「そうでなくっちゃな。二つある。マッサージと通訳だ。お前は両方経験者と聞いている」


 僕は覚悟した。小さい頃から繰り返しやらされてきたことだ。これは本気にならなくちゃいけない。


「二つあるといっても両方役立つ場所へ行ってもらう。レラは手出しするなよ。お前はお前で仕事がある」


「わ、わりました……坊ちゃま、大丈夫、いつも通りきっと上手く行きます」



 夜の食事と支度は時間が掛かろうが全部ひとりでやらされた。

 生まれて初めてのことで戸惑ったが、なんとかできた。

 一日の疲れが布団に入った途端に出て朝まで一回も目を覚まさなかった。



 翌日、バスタさんと一緒に動くことに。

 館でレラは見送ってくれたが、声が震えていた。僕は彼女の手を握り、手の形や温もりを刻んだ。


 紐を片手に持たされ、いつも使っている杖をもう片方に持ち、街中を歩いて行った。

 景色は分からないが、春の風と街独特の石の匂いがしばらく纏わりつく。



 歩き疲れたころに着いたらしく、門番とバスタさんの会話が聞こえる。


「――こいつか? 大丈夫なんか?『盲人』だろ?」


「ああ、いいから着いたって大将に知らせてくれや」


「いいぞ、入れ」


 入口らしきものを跨ぐと左のほうから男の人と女の人の罵声や声援が聞こえて来た。激しい剣撃らしき音も凄まじく耳に響く。


 扉が開く音がして暗くなり空気が冷ややかになった。

 足音が一つ増えて、石の広場に着いたことがわかった。


「ここでまて」


 足を止め一人が遠ざかる。数分後二人の足音が近づいてきた。



「待たせた」


「待ってねえよ、ありがとな」


「ああ、バスタの頼みだ」


「おっ、コイツがヨハンだ。目はまったくみえねぇし、世の中舐めているが仕事は大丈夫だ」


「ヨハン、今しゃべっているのがカールだ」



「よろしく、ヨハン君」


 軽いパンチが胸に当たった。これが憧れの男の挨拶!



「はい、よろしくお願いします!」

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