第38話 婚礼の旅
澪珠の輿入れの一行は、いよいよ金樹の都の入口門の前まで来た。この門の先に、目指す王府がある。この門をくぐれば長かった蒼天からの輿入れの旅も終わる。皆がそう安堵した時、急に空が暗くなり始めた。
雲行きが怪しいのかと天を見上げると、そこに雲は無く、金色の輪を残した太陽が浮かんでいる。雲一つない空に突然の陰り、皆は不安と共に騒ぎ出し、澪珠も皆のざわめきに気付き馬車を下り外へ出た。
皆の姿を追い澪珠も天を見上げると、金色の輪だけの太陽があった。
「武尊様。なぜ昼なのにこの様に暗くなってしまったのです? 雲もかかっておらぬのに。」
「あぁ、澪珠。今日は新月。どうやら太陽と月も婚礼のようだ。ほら、あの影を見てごらん。月と太陽が重なり、金色の固めの輪を残している。」
武尊は地面の影を指差して、少しおどけながら澪珠を安心させようとした。
「まぁ。武尊様。そうですわ。今日は新月。事の始まりの日。そのような日に私は、白鹿へ着いたのですね。しかも太陽と月も婚礼だなんて。」
「あぁ、そうだ。白鹿は乾いた土の国。多くの国では嫌われる太陽と月の婚礼も、白鹿では喜ばしきこと。強すぎる太陽が隠れるのは、雨を呼ぶ兆しと似ているからだ。
澪珠。君は歓迎されているようだ。白鹿の国土、天地にね。きっと白鹿の民も、そう思っている。」
「そうなのでしょうか? それならば善いのですが・・・」
澪珠が少し不安気に微笑むと、低く響く声がした。
「澪珠よ。よく参られた。白鹿へよく参られた。太陽と月の婚礼は、白鹿の国土がそなたを歓迎している証だ。」
二人は声に驚いて、顔を見合わせた。
「その声はもしや、砂漠の王であられますか?」
武尊は、ぐるりと辺りを見回す。
「いかにも。武尊よ、久しぶりだのう。砂漠の王じゃよ。五年の月日を越え、今日の善き日を迎えたな。よく頑張った。そなたの頑張り様は、水鏡の頃から変わらぬな。
よいか。これからそなた達二人に、光の矢を授ける。その弓矢を二人手を携えて引け。あの金環の太陽めがけて放て。光の矢が月との婚礼を果たした金環の太陽を射た時、更なる慶びが白鹿にもたらされる。」
砂漠の王の声が止むと、二人のかんざしが光りを放ち天に浮き、武尊のかんざしは大きな弓となり、澪珠のかんざしは矢となった。
二人は、砂漠の王に言われた通りに手を携え光の弓を引き、旅の一行が固唾を飲んで見守るなか、月と重なった金環の太陽めがけて光の矢を放った。矢は高く上がる程に光りを増し、強烈な光を放ちながらまっすぐ金環の黒い太陽へ飛んだ。
一瞬の後、白金に輝く光の矢は、金環の黒い太陽の中心を射抜いた。
すると、月と太陽は少しずつ離れはじめ、きらきらと五色に輝く霧雨が天から降りて来た。
「瑞兆だ・・・ 姫様が・・・ 蒼天の姫様が白鹿に五色の雨をもたらされた!」
「太陽と月の婚礼に、五色の雨が生まれた!」
「あぁ、瑞兆だ。瑞兆が現れた!」
正気を取り戻した輿入れの一行が、口々に叫んだ。
その声に我に返った澪珠と武尊の元に、空から霧雨と共に二人のかんざしも戻って来た。
あの日、蒼天で二人が離れ離れになる前に、婚約の証に贈り合ったかんざし。二人の情絲を繋ぐ拠り所の品。そのかんざしが、光の弓矢となり白鹿に瑞兆をもたらし二人の手に戻って来た。武尊と澪珠は、かんざしを手に微笑み合った。
「武尊様。私たちの大切なかんざしが戻って参りました。」
「あぁ、戻って来たね。私たちの誓いの品が、白鹿の新しい世を切り開いたようだ。澪珠、私たちの婚約の証が天に誓いを届けたのだ。」
武尊は、天の光を帯び一層美しくなったかんざしを澪珠に挿してやり、澪珠も武尊の髪に通した。
「澪珠。白鹿へ来てくれて、私に嫁いでくれて、ありがとう。」
武尊は、澪珠をしっかりと抱きしめた。
「武尊様。私は、あなたに嫁げて幸せです。白鹿の国土にも、このように歓迎して頂き光栄です。」
二人が幸せを感じていると、再び砂漠の王の声が響いた。
「武尊、澪珠よ。水鏡の試練から今日まで、二人でよく頑張った。白鹿がより善き国になるよう、これからも二人手を携えて進むがよい。今、そなた達が放った光の矢によって天に水門が生まれた。太陽と月を共に射抜き光と影が一つになり、火と水が一つになった。
これより後、毎年この時季に二十一日間の雨季を授ける。そして雨季を過ぎた他の月も、ひと月に三日の雨を必ず授ける。この三日はたっぷりと雨が降る。授かった雨を大切に用いるがよい。」
砂漠の王の声は、武尊たち一行だけでなく、白鹿の入口門を越えて都中に響き渡った。白鹿への雨の約束を聞いた都の民は、沸き立ち喜びに溢れた。その喜びの声は次第に大きくなり、都の門の外まで届いた。
武尊は、澪珠を自分の馬に乗せると、二人で手綱を取り都の門をくぐった。都の人々は、現れた二人の瑞々しく眩しい姿に目を奪われた。
「武尊様が、天女様を連れて戻られた!」
「皇太子殿下が、蒼天から天女様を連れて戻られた!」
沿道の民は口々に叫び、武尊と澪珠の帰国を祝っている。祝福の声は、二階の窓辺からも上がり、手を振る人々が沿道を賑わしている。
この民の喜びを馬上から見ている澪珠は、
「武尊様、どう致しましょう? 私は天女様にされてしまいましたわ。」
「あぁ、そのようだ。白鹿に雨をもたらした天女様だ。だが澪珠、君は私にとって天女様よりずっと素晴らしく、かけがえのない愛しい存在だ。」
「まぁ、武尊様。天女様にお会いになった事があって?」
「あぁ、あるさ。蒼天でね。天女様は、君の母上だ。泰極王と伴修様が、そう話されていた。」
「母上が天女様ですって?」
「あぁ、そうだよ。お若い時、それは美しく、優しく光輝いておられたそうだ。その天女様のような七杏妃をめぐって、泰極王と伴修様は恋敵だった事があったらしい。」
「まぁ。そのような事があったなんて。知らなかったわ。確かに母上は、今でも美しく聡明で温かい人だわ。天女様に見えても、可笑しくないかもしれませんね。」
「うん。だが私にはその天女様よりずっと、澪珠、君がよい。お転婆で何にでも興味津々な澪珠が。物おじせず私に何でも言ってくれる澪珠がね。私と白鹿に幸をもたらしてくれて、ありがとう。澪珠、ようこそ我が白鹿へ。」
二人は馬上で都中の人々の喜びと歓迎の声を聞きながら、白鹿王の待つ王府へと進んで行く。澪珠は時折、沿道に向かい恥じらいながら手を振る。その度に、金樹の都の民は歓喜に湧いた。今、二人の前に、道が開かれてゆく。五色に煌めく瑞兆の霧雨と人々の歓喜の声は、二人が王府に着くまで続いた。
翌日から、白鹿は雨が降り続いた。乾いた土の国である白鹿に、二十一日間も雨が降り続くのは初めての事だった。砂漠の王の約束通り、白鹿に雨季がもたらされた。
「雨で潤ってゆく白鹿の姿を、皆の心に留めておいて欲しい。これが、新しい国の姿だ。」
白鹿王は降り続く雨を眺めながら、一人呟いた。
暑さの盛りを前に降り続いたこの雨は、武尊が整備した治水の為の川と池を満たし、白鹿の民に新しい国の姿を見せた。
「武尊様。乾いた土が潤い、各所に水鏡のように雨が留まっておりますね。」
「あぁ、澪珠。これが新しい白鹿の景色だ。これから新しい白鹿を共に作り、守ってゆこう。」
武尊と澪珠は、高い櫓から白鹿を見渡し誓った。
降り続く雨の中の白鹿は、巨大な水鏡の中に生まれた新しい国のようである。これからこの国を、武尊と澪珠が担ってゆく未来が待っている。
完
幻鏡 七織 早久弥 @sakuya-t
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