武蔵野の裏切り

仲代エイク

武蔵野の裏切り

金曜2限の現代文、その授業中に裏切りは唐突に発覚した。

そして浩輔は誓った。あの裏切り者を決して許してはならないと。


そんな浩輔の固い決意など知らずに、現文担当教諭の原田は滔々と眠気を誘うような声で授業を続けている。普段なら同級生と同じように必死にあくびをかみ殺している場面だが、今日の浩輔は怒りにその身を支配されていた。思わず握るプリントに皺が寄る。

黒板には原田教諭のクセの強い字で“武蔵野”“国木田独歩”の文字が並んでいた。今日の現代文の授業テーマだ。ここ武蔵野地域を描いた作品ということで原田教諭はいつも以上に気合が入っているようだ。普段の授業とは違い、追加資料としてプリントまで配られた。

そしてそのプリントこそが裏切りを知った原因でもあった。


浩輔は皺の寄った手元のプリントに目を落とす。そこには国木田独歩の“武蔵野”に関連して、作品内に登場した場所についての解説が並んでいた。そしてプリントの中頃、一番の見所とばかりに堂々とした太字でその裏切りは告知されている。

“武蔵野のダイダラボッチ伝説”というタイトルの下に並ぶのは武蔵野に伝承される巨人伝説だ。それ自体はいい。浩輔も武蔵野で生まれ育っただけあって巨人伝説は子供の頃から耳にしている。

ダイダラボッチという巨人が歩いてできた窪地がある、というのはここに住む人間なら『ああ、そうらしいね』程度の日常に溶け込んだ話だ。だが問題はその伝承の解説の下に綴られた名前の解説だった。


“ダイダラボッチとは大きな人を意味する《大太郎》に法師を付加した《大太郎法師》という意味である”


この一文を目にした時、浩輔は授業中にも関わらず怒りのあまり叫びだしたくなってしまった。


──ぼっちじゃないのかよ!この裏切り者!


浩輔は別段、いじめられているわけではない。学校で話す友達もいるし、意図的にはぶられているわけでもない。だが誰との間にも少し距離があって、いつまでも“藍沢くん”と苗字呼びが外れない。そんな浩輔は堂々たる“ぼっち”であった。

だからこそ浩輔はずっとこの巨人に親近感を抱いていたのだ。巨体ゆえに周囲から孤立し、しまいにはそんな様子から不憫にも“ぼっち”なんて不名誉な名前を付けられてしまった。そんな巨人の存在は浩輔の心強い味方だった。

だが蓋を開けたらどうだ。ダイダラボッチは“ぼっち”ではなかった。その語源は“ひとりぼっち”ではなく“法師”だというではないか。どこの集団にも属せない浮いた身の寂しさを共有できる友と思っていたのは浩輔一人だった。

そうして唯一の同志を失った浩輔は金曜の2限に本当にひとりぼっちになったのである。


こうなったら報復しないと気が済まなかった。そのためにはまずダイダラボッチについて詳しく知る必要があるだろうと、浩輔は改めて力任せに握ったプリントへ目を向ける。

著書武蔵野の中で国木田独歩は武蔵野の美しさについて語っている。国木田独歩の時代は木々が立ち並んでいたようだが、それよりもっと前の武蔵野は葦が生い茂っていたのだという。浩輔には想像もつかない。教室の二階窓から眺めた現代の武蔵野はどこまでも建物が並ぶコンクリートばかりの風景だ。葦が生えていたと言われてもイメージが湧かないが、つまるところダイダラボッチは自然豊かな武蔵野に住んでいたらしい。


次の段落には分類に関する解説が書かれていた。強引に分類するなら妖怪だがどちらかといえばもっと神的なものに近い、とある。国つくりに関わる存在として大昔から日本各地に伝承が残る、という解説からしてやはりダイダラボッチは“ぼっち”ではない。ヤツは決して忌み嫌われる存在ではなかったのだから。

とはいえその巨体はやはり人間の生活に影響を及ぼしていたらしい。武蔵野にあるいくつかの窪地がダイダラボッチが歩いた足跡という伝承がその証拠だ。“とても大きな人が武蔵野歩いた際に土地が凹んだ。一歩目は善福寺で湧き水が出て池に。二歩目は八丁が凹んで窪地に。三歩目の井の頭でも湧き水が出て池になった”という伝承があるらしい。地理に疎い浩輔には正確な歩幅まではわからないが、30階建タワーマンション程の背丈があると思っていいだろう。

そこまで考えて、浩輔はダイダラボッチに力で思い知らせることは不可能だという結論を出した。何か別の方法を取るしかない。


ならば精神的な攻撃はどうだろうか?ダイダラボッチといえど心はあるだろう。弱点となるものがあってもおかしくはない。何かないかと弱点を探してプリント読み進めるとダイダラボッチは意外と友好的であることがわかった。

国づくり伝承に関わる存在であるとおり、彼には土地を作ったという伝説が多い。山を作ったり池を作ったり、果てには村を上げての治水工事を手伝ったこともあるという。

巨体だからこそ暴れたら人間なんてひとたまりもない。大きな被害が出るはず。しかしそういった悪評が残っていないということはダイダラボッチはかなり温和で友好的な性格だといっていいだろう。もしかすると人間が好きだったのかもしれない。それなら人間である浩輔が裏切りを糾弾すれば多少なりとも精神攻撃にはならないだろうか。いや、それくらいでダメージを受けるようならばまず裏切りなんて大それた事をするはずがない。

その程度では報復にならないかと、浩輔は小さく首を振った。


名前の由来に、各地の伝説、日本の神話と絡めた解説文……次々に文章を追うがなかなかこれといった情報には行きつかない。まさかヤツには弱点がないのか。だがそれでは報復する方法がなくなってしまう。焦りながら文字を追っていた浩輔の指がプリントの最後の段落に差し掛かった時動きを止めた。


“なお、ダイダラボッチが作ったとされる窪地は近代化の際に埋め立てられ、現在残るのは横河電機製作所付属のサッカーグラウンドだけである”


思わず驚いて、同じ文章を三度ゆっくりと読み直した。だが内容が変わるはずがない。ダイダラボッチの足跡によって作られた地形はその殆どが今はもう存在しないという。それは大きな衝撃だった。


──まるでダイダラボッチの存在ごと消したかったみたいだ


確かに土地が窪んでいるのは開発には邪魔だ。平地の方が道路も建物も作りやすい。しかし、だからといって全てを消してもいいのだろうか。

もしそれが自分だったら。自分が毎日登校し、授業に出ているといった痕跡の一つ一つを誰かが丁寧に消し去ったとしたら。きっと自分という存在が抹消されているに等しい感覚を受けるだろう。なぜならそれは“お前は消えても構わない存在”だと思われている証だからだ。いくらクラスで浮いている浩輔でも真正面から“お前は消えてもいい”と突きつけられたら傷つく。再起不能になるだろう。

そう考えると報復に燃えていた気持ちが少しだけ和らいだ。既にそんな仕打ちを受けているのなら自分が何かする必要もない。巨体が小さな人間たちに追いやられている構図が脳裏に浮かぶ。


その時、唐突に浩輔は気がついた。

もしかしてダイダラボッチは人間に追いやられたのではなく、自らの意思で消えたのではないか。

歩いただけで窪地ができるほどの巨人が小さな人間と共同生活を送れるとは思えない。それだけ背丈の違う相手なら会話をするのも一苦労だろう。人間の声は小さすぎてダイダラボッチには聞こえなかった可能性まである。

その上、ダイダラボッチは穏やかで心優しい。ならば人間が武蔵野を開発するにつれ、その大きな体が邪魔になると悟って優しさから己が立ち去る事を選んだのではないだろうか。


ダイダラボッチは別段、恐れられていたわけではない。人間の手伝いをして、現代まで語り継がれるほどに人々から愛されていた。だがその巨体ゆえに、人間たちとの間には壊せない絶対的な隔たりがある。そんなダイダラボッチもまた、浩輔同様にひとりぼっちだったのだ。

ダイダラボッチの“ボッチ”の語源は“法師”だが、彼もまた浩輔と同じ“ぼっち”だ。

つまり、ダイダラボッチは浩輔を裏切ってなどいなかったのだ!


それに気がつくと同時に、浩輔の脳裏に葦が生い茂る自然豊かな武蔵野の光景が浮かんだ。月が煌々と輝く中、ゆっくりした足取りで一人の巨人が歩いて行く。彼は遠くに見える人間の集落へ背中を向けて、その明かりから遠ざかるように進む。向かう先は真っ暗な暗闇だ。だがダイダラボッチは振り返ることはなかった。

彼もまた、浩輔同様知っているのだ。誰も悪くないのに一人周囲から浮いて輪に溶け込めないという事象があるということを。原因がないため解決方法がなく、時が何とかしてくれるのを待つしかない。そんなどうしようもない物がこの世には確かに存在するのだと“ぼっち”たる彼らは良く知っている。


イダラボッチは理解しているからこそ武蔵野を去った。浩輔は理解しているからこそ平気な態度を装って耐えている。

ダイダラボッチと浩輔は似た者同士だ。


その時、突然教室にチャイムの音が鳴り浩輔は現実に引き戻された。葦原も、月光に照らされて歩き去るダイダラボッチの姿も煙のように一瞬にして消え去る。

現文担当教諭の原田が授業終了を告げながら気だるそうに教室出て行った。一気に教室が騒がしくなり教科書を閉じる音が重なる。現実を確かめるように瞬きした浩輔の目の前で、前の席の男子生徒が配布プリントごと教科書を乱暴に机に突っ込んだのが見えた。プリントが盛大にひしゃげて“武蔵野のダイダラボッチ伝説”という文字が歪むが、男子生徒は気にもとめずに友人と話し始めている。

それを眺めた後、浩輔は再度自分の手元のプリントに目を向けた。そこに印字された“ダイダラボッチ”の文字を指でなぞりながら、疑ってしまった友に心の内で謝罪を述べた。


こうして裏切りの疑惑は晴らされた。

彼らは今日も“ぼっち”同志である。

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