結論
私は『チャルメラ』や『夕焼け小焼け』の文脈をジョニーに説明した。そして彼に問うてみた。はたしてこの“あまりにもそれらしい”装置は本当に夕焼け装置なのだろうか。彼の答えは、もちろん確証があるわけではないが、結論から言えば“YES”だった。
「この仮想箱の作者は夕焼け装置のことを知っていたと思うかい?」
そう、最初の切り口はその部分。(私たちのことは一旦置いておいて)タイムマシンが仮に存在するとしよう。幻想作家ルービットがそれを手にしていて、仮想箱が再現した元の時代に夕焼け装置を仕掛けて行ったとしよう。(申し訳ないけれどプログラムの難しい話も置いておいて)仮想箱の描く過去の世界に再現された夕焼け装置は、箱の作者が夕焼け装置の存在を知らないとするならば、“どうやっても現れないか、あるいは最初から現れている”。少なくとも仮想箱の体験者を想定したような振る舞いはできないはずなのだ。では、箱の作者は夕焼け装置知っていたのか。恐らくこれは“NO”だ。もう一つだけ仮説が残っている。
「ルービットが仮想箱の存在を知っていたとしたら」
私たちの見解はこの仮説で一致した。そして今更ながら気付いてしまった。
「この夕焼け装置が仮想箱の中にある以上、大した解析はできないということね」
箱の外ならともかく、今の私はただの人間……いや、だからこそ彼は?
「機械の身体を選んだのはこのため? あなたには装置の中身が見えているの?」
ジョニーの目にはそれができてもおかしくはない。しかし彼は機械の肩をコンパクトにすくめた。
「俺にはこの姿以外思い付かなかっただけさ。残念ながら透視センサーは付いていないよ。それに、夕焼け装置には触れないんだ」
冗談かと思ったが、そうか、彼一人でも夕焼け装置に触れることはできたはず。影の角度を維持したまま装置に近付けばいい。彼がせっかくだから試すかと言うので提案に乗ると、煙を出し続ける夕焼け装置は立体映像さながら私の指を透過してしまった。表情は無いけれどジョニーの得意顔。
「……待って、煙の部分は実体みたいよ」
「あれ、本当だな」
手の動きが生み出した気流が煙を弄ぶ。手を止めれば煙が指の間を物憂げに通り抜けていく。
「匂いはする?」
彼がそう言うので、恐る恐る試験管で薬品を扱うようにして嗅いでみるも……
「何の香りもしない」
「残念。この煙、というかこの装置は、トウコの持っている情報だと何のために存在することになっている? もちろんキミが話せるならでいい」
ここに辿り着いた時点でジョニーは“同業者”だ。装置が郷愁を増幅させる存在だという文脈に乗って私がここに来ていることを説明した。
「なるほど面白い。ちなみに俺はこいつが機械……まぁAIを含めて感情に作用できる存在だと掴んでやってきた。似たようなものだからお互いの情報への信頼度が増したと考えていいだろう。でもこれ以上手が出せるかと言うと……」
「……そうね」
どうしたものか。人間たちを再現する設定で仮想箱に入ると装置自体が現れないことは彼が実際に確認したらしい。手詰まりかと考え込む私を置いて、ジョニーがベンチから立ち上がった。
「トウコ、装置のこととは関係ないのだけど、一つ頼みを聞いてくれるかい?」
くるりと振り替えてジョニーが言う。
「もちろん。今度は何をすればいいのかしら」
「ありがとう。少し待ってくれ」
ジョニーが肩の部分に手を触れると、『カチリ』と音を立てて胸部の装甲が跳ね橋のように開いた。小さな空洞から小さな長方形のデバイスを手に取る。
「……フィルムカメラ?」
「何でも知ってるんだな」
プラスチックの外装に緑色のベースカラー、そしてレンズ。確か『使い捨て』の称号も持った誰にでも使えるように作られたタイプだ。昭和の末期には完成していたのだっけ。大きな手のせいで妙に小さく見える。
「持ってくるのに苦労したんだ」
「町で買ってきたのではなさそうね」
「はは、鋭いね」
年代と設定が微妙に合わない。
「まぁいいわ。それであなたを撮ればいいの?」
「うーん……これ、セルフタイマーは無いよね?」
「無さそうね。残念ながらレンズを自分に向けて腕を伸ばしてシャッターを切っても、ピントが合わないと思う」
「詳細な情報をどうも。ピントの方は合わなくてもいいかな。じゃあ、少なくとも三枚撮ろうか」
ジョニーの提案する三枚は次の通り。彼の写真、私の写真、そしてピントが合わないことを承知で腕を伸ばして二人で撮る写真。
「一応聞いておくけれど、あなたはフィルムカメラがどんなものか知ってる?」
「『現像』だろう。知っているよ。もちろん、“ここでフィルムカメラを使う意味”も自分なりに考えている」
「……素敵ね」
素敵ね、と、確かに自分はそう口にした。仮想箱の中にデータとして再現された私。同じくデータとして再現された彼。仮想箱の外へ持ち帰れるものは箱が許すとしても『記憶』だけであり、それは人間にとってもAIにとっても同じことだ。AIの場合は“調整”されることだってある。
「ちょっと貸してくれる? 使い方を教えてあげるから」
何故デジタルカメラではなくフィルムカメラなのか。私には彼の言う“意味”が少し分かったような気がした。
「はい、チーズ。合図はこう言うのよ」
太陽の見てきた長大な時間、人間たちの生きた僅かな時間。沈み、また昇ると表される原初の光はこの星の大気を通って綺麗な茜色を見せる。遠い時代を、あるいは子どもの頃を思い出すような、胸の詰まる茜色。逆光では表情が映らないとかこの顔に表情も何もないとか冗談を言いながら写真を撮り合う間、私たちは空と海と、遠くに映る人間たちの創った痕跡に、そして自分たちにその茜色を重ねる。自分の目で見る色、簡素な四角い枠、透明な板、認識のフィルターを通って見える色。
「27枚しか撮れないんだ。あと5枚しかない」
彼――ジョニーと名乗ったアンドロイドのことが妙に気になった私は、夕焼け装置について話す合間に彼のことを探っていた。「俺と似たような考えに至る別のジョニーがいてもおかしくはないと考えている」と彼が言った時には少々驚いたが、しかし納得した。彼は私の知るジョニーでも、幻想作家ルービットその人でもないのだろう。
「そうだ、夕焼け装置を撮りましょう。片手で鏡を……」
最後の1枚は遠慮していたジョニーに肩に手を回すように言って、もう一度二人で一緒に撮った。自分たちは“ピンボケ”で上半身だけ映ればいい、背景に夕陽を入れて。
この茜色には人間たちの営みが溶け込んでいる。盛んに立ち上る排出ガスに混じって、ビルの前で零れた溜め息、コーヒーの香り、屋台ラーメンの湯気も微かに。小さな夕焼け装置が吐き出す煙も然り、それらが色味に与える影響など無いのかもしれない。
「私も一つお願いしていい?」
「何でも聞くよ」
「人間たちを再現するモードでもう一度この仮想箱に入り直さない?」
「良いね。さてどんな格好で入り直そうかな」
心に残る色、フィルムに残る色、人間であればいつか忘れて思い出に染め直してしまう色。自分が朧げに“不確かな郷愁”に包まれたことを感じ取りながら、私はそんなことを考えていた。
茜色した思い出へ kinomi @kinomi
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