赤葡萄色はシーツに散らばった

詩村巴瑠

赤葡萄色はシーツに散らばった

 扉の開く音がしたが、ロイドはそれを黙殺してベットから起き上がろうとはしなかった。目が合うのは真っ白い天井。どこかに染みがないか探すが、一つも見つかりやしない。まったくもってつまらない。寝転がって動きたくない時は、天井の染みの形を観察するくらいしかやることがないというのに。


「ねぇ、ちょっと。」


扉を開けた本人である少女、ベラが咎めるような声を出した。


「貴方だけ逃げ出して私を置いていくなんて、酷いわ。」


「王子様みたいに君の手をとって逃げ出せば良かった?」


冗談めかした言葉で飾ったロイドの瞳はしかし、冷めきっている。ベラは呆れたと言うようにため息をついて、ハイヒールを響かせてベットの傍へ近寄ってくる。


「いい?貴方が逃げ出したらあの人たちの‘’子供役‘’を全部私がしないといけなくなるんだから。」


「だからだよ。どいつもこいつも仮面を被って笑っていやがる。気持ち悪くてとてもあんなところにはいられないね。」


ロイドが逃げ出してきたのは、同じ屋敷の大広間で行われている母の結婚式。これで三度目となる母の再婚は今年15才になるロイドには浅ましい行為として映った。そんな母と義父を笑顔で祝う家族友人もまた、同じように気持ち悪い。どうして指摘してやらないのだろうか、頭を花畑にして笑っているのは君たち二人だけだと。そんなことを考えつつ、ロイドはベラに問いを投げ掛けた。


「君だって同じように思って逃げ出してきたんだろ?」


ロイドを追って部屋の扉を開いたベラは、義父の連れ子であり結婚式の場で子供を演じなければいけない、ロイドと唯一境遇を共にする者であった。


「君じゃなくて、ベラと呼んで。」


問いに対しての沈黙をロイドは肯定と見なした。ベットから起き上がり、結婚式会場から掠めてきた赤ワインの栓を開けてグラスに並々と注ぐ。


「貴方、未成年じゃないの?」


「つまらないことを言うなよ。」


銀のトレーに載せて、果物を模した形の木の器に入れられた粒の小さな葡萄は、何か手慰みがしたい気分だったのでバスケットごと取ってきた。ロイドは白いシーツの上にワインと葡萄の器を直に置いて右手ににワイングラスを持って傾けながら、左手に葡萄を摘まみ始めた。


「……私も葡萄を貰っても?」


「どうぞ。」


沈黙に耐え切れなくなったのだろうベラにロイドは無愛想に答えて、葡萄を一粒渡した。その渡し方というのも、ベットに仰向けに寝転がって手のひらに葡萄を載せるというものでロイドが今どれだけ無気力なのかを直截に表していた。ロイドの手のひらの上で葡萄たちは次々と皮を破かれて裸になり、口の中へと消えていく。ワインをもう一度手に取り、口の中へ傾けようとした時、不意に手元が揺らいで赤黒い液体はシーツの上に散らばった。


「大変、だってこれお義母様の部屋でしょう。」


ベラは瞳を瞬いて、ロイドが汚してしまったシーツを見つめる。シーツの替えはあるのだろうか、替えがないならお義母様の使うベットがなくなってしまう。


「いいんだよ、どうせあいつはしばらくはこの部屋を使わないんだから。」


少しして、ロイドの言ったことを理解したベラは信じられないくらい最低なことを言うのねとロイドを睨んだ。


「嫌悪するのはいいけどね、私たちもう家族なのよ。外面くらいは取り繕ってよね。」


「だからそっと出てきてやったんだろ。」


くすんだ緑色の豪奢なベット、マホガニー製の小棚、ランプや白いチューリップが活けられた陶磁の花瓶、床に置かれた本に至るまで、すべてが調和の取れた部屋でベットに沈む赤だけが異質だった。零れたワインはまるで、両親の甘い新婚生活をぶち壊す自分のようだとロイドは部屋を眺めて笑った。ベラはそれを見て、眉をひそめて呟く。


「結婚式に息子がいないんじゃ同じよ。」


「君だって出てきた。」


「私は、貴方を連れ戻しに来たの。」


「どうかな。それは建前だろ。」


ロイドの見透かすような瞳を受けて、ベラはロイドの飲みさしのワインをぐいと一杯煽る。


「葡萄を頂戴。」


そうだろう、とロイドは心の中で笑ってしかし真顔で言った。彼女が先刻お望みだったらしい童話に出てくる騎士のように。


「仰せのままに。」


仰向けに寝ころんだまま、ロイドがもう一度、手のひらへ一粒の葡萄を載せて差し出した葡萄を憤然としながらベラは受け取る。その手のひらの上で誰かの本音は裸にされた。




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赤葡萄色はシーツに散らばった 詩村巴瑠 @utamura51

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