第15話 小さな天才のジレンマ

 しかし、存在しない人間を認識させるとは、どんな仕組みかが気になる。


 大昔に電気で走る自動車を作り、ロケットを飛ばして軌道上を支配したエンジニアも存在したが。彼が発明したブレイン・マシン・インターフェイス、脳とコンピューターを接続し、仮想空間に意識を飛ばす技術があったか。


 ブレイン・ジャック、つまり感覚器官の外部支配を魔法で再現している。まったく度しがたい。


「不思議の国にでも迷い込んだな……」

『これをメタバースの一種と考えるなら、脳神経工学的に再現は可能です。意識を乗っ取られなかったのは、不幸中の幸いですが』


「そう言えば、これも君の専門だったな」

『確かに、のめり込んでいた時期もありました。今ではもう忘れてしまいましたよ……』


 隣を歩いている男の動きが、再び時間を取り戻していく。街には喧騒が戻り、店先から威勢の良い声が飛んできた。いつもと変わらない街の風景も、こうなっては何が本当で、何が幻想なのか分からなくなってしまう。


 嗅神経、視神経、動眼神経、滑車神経、三叉神経、外転神経、顔面神経、内耳神経、舌咽神経、迷走神経、副神経、舌下神経。十二対ある脳神経の内、感覚器官の大半を奪われるとは恐ろしいものだ。


 魔法は炎を出したり、水を凍らせたり、金属を引き寄せるだけではない。十分に発達した科学は魔術と見分けがつかないのならば、その逆もまた成り立つか。


『ソレデ、コレカラ、ナニヲスルノデスカ?』

「あぁ、スミスに……職人に会いに行くんだ。エンジニア独りでは何も出来ない、我々には腕の良いスミスが必要だろ?」


 そう言って私は歩き出した。ヘンリーが言った職人が存在するのか、これも検証が必要だ。彼がどこまで正気なのか確かめなければならない。


 さて、この街の地図は頭に入っているが、実際にスラムへ行くのは初めてだった。


 石造りの街並みを通りを過ぎ、街の外れに向かう程に、賑やかな喧騒はなりを潜めていく。埃っぽい匂いが鼻孔をつき、僅かに獣の匂いが漂ってくる。道を外れれば建物の背は低くなり、簡素な作りのものが並ぶ。


 セントジュリアンには数万人が住んでいると言うが、貧富の差があるのだろう。


 私が薄暗い裏路地を歩き続けていると、子供の声が聞こえた。助けを呼ぶ声だった。センサーには複数の人影が検知されている、けれども誰も助けないのか、周囲に動きはなかった。


「くそっ、離せ。妹を離せよ!」


 私が駆け足で向かうと、そこには大人の男が二人、子供も二人いた。小さな女の子は抱えられ、もう一人の男の子は足下に必死でしがみついている。


 これは誘拐だろうか。


 彼等を止めるため駆け寄ろうとした時、一人の男がこちらを見て笑った。そして、ゴツリと鈍い音がして、私の後方に強い衝撃が加わる。その勢いで地面に倒れ込んでしまった。


「もう一匹獲物が飛び込んで来たな」

「今日の俺達はツイてるんじゃないのか」

「おい、こいつ良い服を着てるな……待てよ、騎士団の制服じゃないのか?」

「バレなきゃ分からねえだろ、コイツは高く売れるぞ!」


 取らぬ狸の皮算用か、三人の笑い声が聞こえてくる。男の子は叫び続けていたが、女の子はボーッと辺りを見回して、不思議そうな顔をしている。


「これなら報酬も倍になるぞ。そっちのガキも連れてこい、今夜はパーティーだ」

「リパルス……」


 男達が大喜びした瞬間、彼等は勢いよく吹き飛んだ。驚きの表情で見つめる男の子をよそに、私はゆっくりと立ち上がった。女の子を抱えた男が僅かにたじろいでいる。


「サラサラだわ……」


 女の子が私を見てそう言った。不思議な雰囲気の子だが、この状況に動じていないのだろうか。それとも助けられると確信でもあるのか。


「お前、後ろから殴られて……何で平気でいられるんだよ」

「センサーに反応があったのでね。それに、私も一握りくらいは自衛手段を隠している。何事も段取り八分だ」

「くそっ、死ね!」

 

 男はナイフを懐から取り出すと、女の子を放り投げて向かって来る。逃げるという手段は考えないのだろうか、もしくは仲間思いなのだろう。


 だが私に対しては愚策だ。


 磁力線が弧を描き、ナイフを彼から引き剥がす。そして、懐に潜ませていた砂鉄は蛇の様に男の身体にまとわりつくと、その巨体をものともせずに引き釣り、吹き飛ばした。


 手加減はしたつもりだが、男達は意識を失っていた。転がった彼等を見て逡巡する、とりあえず騎士団の誰かに引き渡してしまいたい気分だ。


「まぁ、それはさて置き。お二人とも大丈夫ですか?」

「お前、騎士団の……」

「騎士団長補佐代理のナットと言います。たまたま近くを通りかかりましたので」

「おっ、俺はアーサー。こいつは妹のアンジェだ……助かった。あっ、ありがとう……」


 しかし、戸惑う男の子を尻目に、女の子は私を見て目を輝かせている。


「凄いわ、凄い綺麗よ。皆も仲良しだわ……確か二十六個よね、綺麗に並んでるわ」

「アンジェさんでしたか。そうですね、確かに彼等は仲良しですよ」


「そうでしょう?そうなの、十六個と仲良しなのよ。三つと四つなのね。でも、もっと綺麗に並ぶのよ。二十八個ね、騎士団の人達みたいに整列するの。私も綺麗に並べるのが好きなの」

「それは凄いですね。どのくらい綺麗に整列するんですか?」


「一列ずつよ、凄く仲良しだからかしら。星降る夜に、神様に見せてもらったの」

「アンジェ止めろ。あんたも相手にしないでくれ、妹は少しおかしいんだ……」


「お兄様、酷いわ」

「いい加減にしろよ……今日だって、お前が急に飛び出して。こんな事になったんだろ!」


 そして兄妹喧嘩が始まってしまった、これは私では手が着けられない。それにしても彼等はスラムの住人なのだろうか。粗末な服を着ているが、立ち居振る舞いが普通の子供ではない。


 アーサーもアンジェもオリビアより年下に思えるが、雰囲気は大人びて見える。人の経験が表情に表れるなら、スラム街での暮らし、日々の苦労がそうさせているのだろうか。


 しばらくしていると、騒ぎを聞きつけたのか騎士団の団員が数名駆けつけた。絶妙なタイミングだ、些か疑わしいが。私を見るなり、ちびっ子団長のお手柄ですねと笑い、そのまま男達を連行していった。


 男達を連行する手間が省けたのは幸いだが、代わりに二人を家に届けて欲しいと頼まれてしまった。仕方がない。これも乗りかかった船だ、最後まで付き合う事にしよう。


「もういいわ、お兄様なんて知らない。そうだわ、あなたよ。どうしてこんな所に来たのかしら?」

「私ですか?私はスミスと言う職人の家を探して居たんです」


「あら、ご近所さんよ。それなら私が案内してあげるわ。綺麗なものが沢山あるの」

「それは一石二鳥ですね。アーサーさんも宜しいですか?歩くのが辛ければ私がおぶって行きますが」


「俺は……大丈夫だ……」

「それなら私をおんぶして?良いかしら?」


 彼女はそう言うと、問答無用で私の背中によじ登って来る。これは手のかかる妹だろう、兄の苦労が窺えてしまう。


「お兄様もお城に住んでいる時は優しかったのに、今はお小言ばかり……」

「アンジェ黙れ!気にしないでくれ、妹は夢見がちなんだ。自分をお姫様だと思い込んでいるだけだ……」


「少し落ち着きましょう。アンジェさん、私の背中に掴まっていて下さい」

「もちろんよ。それにしても、あなた綺麗なものに詳しいのかしら?仲良しのお話をしても、学者様は分からないって言うの……面白くないわ」


「難しい話ですからね。一様な密度の自由電子の海の中に鉄原子の陽イオンが浮かんでいて、これらの自由電子とイオンとの間の静電引力が全体を結合させています。この場合の自由電子の数は分かりませんから、確かに皆で仲良しですね。ですが、鉄原子の原子核の周りには二十六個の電子が存在するので、概ね合っていますよ」

「海なのね、それは素敵な表現だわ。でも、一つずつ数えられる訳ではないの」


「おい、お前達は何を言っているんだ?」


「確かに量子力学の不確定性原理を考えると、電子の位置と運動量は同時に決まりません。そこで、電子の存在確率が高い領域を濃淡で表したもの、これが電子雲ですから、雲の様なものです。一つずつと言う表現が適切では無いと思いますよ」

「そうなのね。でも空と海が広がっているから、とっても綺麗なのかしら」


「だから、お前達は何の話をしているんだ?」


「申し訳ありません、難しい話でしたね。ですが、アンジェさんがそう感じるなら、それで良いと思います」

「それも素敵ね。あなた学者様なのかしら、もっとお話が聞きたいわ」


 アーサーは酷く困惑した表情を浮かべているが、アンジェはご機嫌の様だ。鼻歌を歌って、楽しそうに身体を揺らしている。


「私は科学者ではありません、技術者ですよ。今は別の仕事をしていますが……」

「それは勿体ないわ。そうだ、私の先生になってくれないかしら?」


「私は人に何かを教えられる程ではありません。私の知識も、いつか教えてもらったものですから」

「そんな事ないわ。それに私はあなたのこと好きよ、もっと一緒に居たいもの」


『ウワキハ、イケマセンヨ?』


 私のカタツムリが肩の上でそう呟いたが、その後も薄暗い裏路地に、楽しそうな女の子の声が響いていた。

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エンジニアの私が異世界に転生してしまった件について、ぜひ君の意見を聞かせてくれないだろうか とんぼとまと @tonbotomato

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