[side A]-2.今日もまた

 入ってすぐ、特有の埃臭さが出迎えてくれた。

 図書室に来る船魂娘ふなだまむすめはそんなに多くない。来ても、大体奥の談話室に入る人ばかりで、私みたいに過去の文献やら本やらを読み耽る人は、昔いた土佐さんか川内さんぐらいしか見たことがない。……最近来てなかったから、もしかしたらもう少し増えてるのかもしれないけど。

 手近な本棚から適当に一冊本を取り出して、窓側の席に座る。相変わらずどんより曇った空に、時々風が窓を鳴らす。若い駆逐の子だったら雰囲気で泣いてしまいそうだけど、今日の私にはこれぐらいがちょうど良かった。

 読み始めて数ページで表紙を見返す。適当に持ってきたそれは、どうやら心理学系の本だったらしく、あれこれ大層な事が書かれていた。余計なお世話だ、と思いながら閉じて突っ伏す。ダメな日は本当にダメだ。嫌になってしまう。

 しばらく図書室の静けさに身を任せる。ガタガタとたまに鳴る窓と風の音だけが響いていて、まるでこの本館の中には誰もいないんじゃないか、ってくらい他の音がない。このまま眠ってしまいたいけれど、生憎眠気なんてさらさら無いし、ただ無意味に時間の進みも長い。

――食堂でも行こっかな……。

 ここまで静かなら、きっと当番の人以外は食堂も誰もいないだろう。それなら丁度いいや、と本を戻して寒い廊下に出る。

 階段を下ってほぼ突き当たりに食堂はある。中をチラリと見るとやっぱり誰もいなかった。全員が全員出払ってる訳じゃないだろうに、と思いつつ中にはいると「おぉ、汐風姉さん! いらっしゃい」と厨房の中にいた妹の夕風が顔を覗かせた。

「こんにちは夕風。今日は暇そうだね」

「本当になあ……全館繋がってるってのにだーれも来やしないんだよ」

「あはは、そうなんだ。今日は一人?」

「んや、席外してるだけで鳳翔の姐さんもおるぜ。今お茶持ってくから、好きなとこ座って待ってな」

「ありがとう」

 いつものようにあっけらかんと笑う夕風に「すごいなぁ」と思いながら、厨房に向き合うカウンター席に座った。夕風のようなメンタルが私も欲しい。

「あいお待ち! 今日は珍しくカウンターか?」

「なんとなくね……注文後ででもいい?」

「おう! 今日は暇だし、しなくたっていいぜ。アタシの話し相手になってくれるならな!!」

 親指をグッと立てて、夕風は厨房の中に引っ込んでいった。

 どうしようかなあ、とお品書きを眺めていると「あら」と優しい声がした。

「夕風さんいらっしゃい。こんな時間に珍しいわね」

「こんにちは鳳翔さん。お邪魔してます」

「お邪魔なんてそんな、ここは皆の場所ですから」

 ふわっとした笑みを浮かべて、鳳翔さんもまた厨房に入っていく。

「夕風、注文良い?」

「おう!」

 とりあえずお汁粉を頼んで、お茶を啜る。妹なだけあって、私の好きなお茶の濃さを知ってくれている。すごく渋い。

「どうされたんですか、お元気ないみたいですけど」

 そんな私を見て、鳳翔さんがそう気を遣ってくれた。突っぱねても良かったけど、なんとなく「……分かっちゃいます?」とおちゃらけてみた。思ったよりも湿っぽく言ってしまった。

「はい。夕風さんとも汐風さんとも付き合い長いですから」

「汐風姉さんは真面目だし優しいからなあ。どうせ梅さんのことだろ」

「……っ」

 図星を指されて口ごもる。すっかり峯風型の皆に知れ渡ってしまっている。

「そんな顔すんなって、アタシは姉さんのそういうとこ嫌いじゃないからよ。どうせ峯風姉さんとかにまた言われたんだろ?」

「……うん、まあね」

 そこまで見透かされてるのも恥ずかしい。何も変われてない証拠だ。

「あら、何かあったんです?」

「まあ……船魂娘ふなだまむすめになって長いと色々あるんだよ。特に姉妹間はなあ」

「夕風……」

 気を遣って言わないでおいてくれた。でも、鳳翔さんなら話しても良いかな、と思って、「鳳翔さん」と声をかけた。

「あれ、もしかしてアタシ席外した方がいいか?」

「ううん、大丈夫。夕風にも聞いてて欲しいから」

 それから梅さんとのことや、昼過ぎに峯姉や野風に言われた事を話した。

「なるほど、そういう事が……」

「まー、峯風姉さんとか特にあっさりしてるからなあ。矢風姉さんの事もあったし」

 言われて確かに、と思い出した。あまり詳しい事は聞けていないけれど、私の姉の矢風姉さんが脱走を図ったとかで捕まったという話があった。そういえばあの時は珍しく峯姉が感情を露わにして泣いていた。私も「なんでそんな事をしたんだろう」と思ったものだけど。

「峯風さんってお二人の姉妹艦の中でも、船魂娘として最初に目覚められたんでしたっけ」

「あぁ、そうそう。〝艦船ふね〟としての歴はそんなに離れてなかったはずだけど、確か二年ぐらい早かったんじゃなかったっけか」

 お汁粉を持ってきながら夕風が言う。

「そうだっけ……。でも『船魂娘』という存在が生まれ始めてすぐ、とは聞いたことあります」

 前に文献を読んだ時には、私たちが発生まれてから、まだ三年ぐらいと書かれていた気がする。「まだそんな経ってなかったんだ」と驚いた記憶がある。

「それなら、峯風さんも峯風さんなりの受け止め方がきっとあるのかもしれませんね。お二人よりも多く色んな事を経験されてらっしゃるでしょうし」

「そう……なんですかね」

 分かりやすくしゅんとする私に、「ふふふ」と鳳翔さんは優しく笑った。

「ごめんなさい。なんだかあなたと摂津さんは似てるな、と思ってしまって」

「そんな! あの大先輩と私なんかじゃ……」

 そう言う私に、「あら、そんなこともないですよ」と笑った。

「矢風さんの時もよく悩んでらっしゃいました。それこそ、今の汐風さんみたいに」

「……」

 まさかお世話になっている摂津さんもそうだったんだ、と思って意外だった。いつもあんなによく笑ってるのに。

「勝手に他人の話をするのは良くないと思います、鳳翔さん」

 振り向くと、今し方話題に出ていた摂津さんが、いつものようにふんわり笑って立っていた。

「あら。いないか確認したのに」

「いなけば良いって問題じゃないですー!」

 ぷくっと頬を膨らめた後、私に向き直って「こんにちは、汐風さん」と頭を下げた。

「あ、えと、こんにちは摂津さん。その……ごめんなさい」

 立ち上がって頭を下げる私に、「まあまあ」と歩み寄ってきた。

「半ば冗談で言ったので気にしないでください。偶然通りかかったら、お元気なさそうだったもので」

「わ、ありがとうございます……」

 そんな私に「いえいえ」と笑った摂津さんは、「夕風さん、私にもお汁粉いただいても良いですか?」と言って気付く。食べずにそのままだったお汁粉は、すっかり冷たくなっていた。


+++


 夕風が「汐風姉さんもせっかくだから温かいの食べてけよ」と新しいのを出してくれたので、それに甘えて摂津さんと一緒に食べてから帰ることにした。鳳翔さんや夕風さんと楽しそうに話しながら笑っている摂津さんを見ていると、鳳翔さんが言っていたことが本当だったのか、少し疑ってしまう。

 矢風姉さん達に何があったのかは私もよく知らない。矢風姉さんは真面目な人だったし、あんな話を聞いた時も簡単には信じられなかった。

 だけど、ずっと帰ってこない矢風姉さんを待って、初めてそれが本当のことだったんだと思い知ったし、どうあれ共謀者と変わらない摂津さんの事も少し嫌いになった。どんな事をしたのであれ矢風姉さんは私の大事な姉艦の一人だし、しばらく経ってから、後輩艦の指導をしている摂津さんは、今のように笑っていたし。

「汐風さん? どうされました?」

「あ、いえ。何でもないです」

 少し呆けてしまっていたのか、摂津さんにそう声をかけられた。愛想笑いで返す。

「まあここ最近冷え込み酷いし、作戦も続いてたから汐風姉さんも疲れてるんだろ。今日はもう休んだらどうだ?」

「あー……うん。そうしよっかな」

 少し残ったお汁粉を飲み干して、懐からお財布を取り出す。

「あ、お邪魔しちゃったので、お代は私が払いますよ」

「えっ、そんな……」

「良いんです。汐風さんもいつも頑張ってらっしゃいますから」

 いつものように笑ってそう言われて断れなかった。「ご馳走様です」とお辞儀をして、夕風と鳳翔さんにも挨拶をして食堂を出る。すっかり外は暗くなってしまっていて、気は乗らないけど部屋に戻る。結局今日一日もまた、気分は晴れなかった。


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夕碧センチメンタル @seikagezora

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