███:私たちには必要が無いもの
[side A]-1.消えない傷
「はーあ……」
カレンダーを見てため息をついた。
今年も残りわずか。と言っても、この十二月はクリスマスにお正月に、と船魂娘になった今だからこそ楽しめるイベントが目白押しなのだけど、どうも私は乗り気になれなかった。
その理由はただ一つ、年明けには「あの日」がやってきてしまうから。
「まーたそんな辛気臭い顔して~。幸せ逃げるよ~」
「あつっ?!」
いきなり首筋に熱いものを押し付けられて、反射で手で押さえる。
「ちょっと何するのよ?!」
振り返ると、妹の野風が缶コーヒーを指先でぶらんぶらんさせながら、いたずらっ子のように笑っていた。
「こんな部屋冷えてんのに、暖房もつけないし、そんな薄着してたら風邪ひくってば。ほら」
持っていた缶コーヒーを投げてきた。何とか受け取るも熱い熱い熱い。
「あ、ありがと……」
「どーせまた梅さんのことでも考えてんでしょ」
「……そんなことない」
「ある。顔に書いてる」
野風に言われて、そんなことないのに、と一人ごちる。
そう、「あの日」というのは私の後輩、松型駆逐級の梅さんの命日だった。と言っても、〝船〟だった頃の。
ただ作戦中に敵に攻撃されて沈んだんだったら、姉妹艦でもないし、そこまで落ち込むことはなかっただろう。けど、先輩が沈んだ決め手は、この私だった。
あの日、私はあの子と、同じ松型の楓と三人で移動中だった。その途中で敵の偵察機に見つかり、その対処に遅れてあの子は沈みかけた。
その有様はひどく、船尾もなくなり、もうどうしようもない状態ではあった。だからこそ、その当時私に乗っていた指揮官は「梅を沈めろ」と命令したし、それに私は砲撃をした。その時の一撃の重さは、
実際、「あれは攻撃されて沈んだようなものでしょ」と
「ほらー! また湿気た面してるー!!」
「んんっ?!」
今度は両頬つねられた。こいつは姉をなんだと思ってるんだ。
「ただいまー」
「あ、峯姉! おかえり~!」
「
そんな私たちを見て、一番姉艦の峯姉は「何やってんのさ」と呆れ顔だった。
「だってまた汐風姉が湿気ったれてるんだもん」
「そんなの放っておきなって。毎年の病気みたいなもんなんだから」
「病気って……」
やっと野風に解放されて、痛む頬を撫でる。爪まで立てたのか、少しへこんでいる。にゃろう。
「だって梅さんにももう許してもらってるんでしょ? だったらもう気にすることなくない? もう何十年も前の話なんだしさ」
「だけどさあ、進水して間もない後輩の子を沈めちゃったんだよ? 私なんかは〝船〟だった頃でも長く生きていたって言うのに。それはあんまりだと思わない?」
「そうかもしれないけど、どちらにしてもあの時の梅さんはどうにもならない状態だったわけでしょ? 言ってしまえば反応が遅れた梅さんのせいでもあるわけだし」
「そんな……ッ、言い方……」
「汐風は優しすぎるんだよ。優しいのは良い事だけど、場所間違えたらアンタも沈むよ」
峯姉に言われて、何か言い返そうと必死に探るも、何一つ言い返せなかった。遣る瀬無くなった私は乱暴に「少し出てくる」と、逃げるように部屋を出た。
+++
すっかり冷え込んだ海の風に凍えながら護岸を一人歩く。私の気持ちを代弁するかのように空は、陽の光も通さないぐらいに曇っていて、余計に寒かった。それが今の私には心地良かった。
誰も来ないような茂みの中に転がるドラム缶の上に座って、大きくため息をついた。白い息が空に消えた。
――汐風は優しすぎるんだよ。優しいのは良い事だけど、場所間違えたらアンタも沈むよ。
私が沈むくらいならそれで構わない。それで過去の罪が消えるのなら。だけどそうはいかないから、今もこうして私は生き続けている。情けない話だ。
「あれ、そこにいるのは汐風さん?」
ふと顔を上げると、そこには件の梅さんがいた。今は会いたくなかった。
「やっぱり! こんなところでなにやってんですか。風邪引いちまいますよ?」
「あぁ……うん、心配してくれてありがとう。もう少ししたら戻るから」
ひとまず放っておいてもらおうと思って、愛想笑いで手を振ってみるけど、梅さんは「そうっすか? にしたって、ここあんまり人通らないし心配っすよ」とこっちに来てしまった。こうなってはもう追い返せない。観念しよう。
「梅さんはこそ、どうしてここに?」
「ああいや、ちっと食堂の連中に頼まれた物を、あっちの倉庫に取りに行く所でした。何やら手が離せないってんで」
「それじゃあ早く戻ってあげた方が良いんじゃない?」
これ幸いに言ってみるけど、「特に急ぎのモンじゃ無い、って言ってたし大丈夫じっすよ」と笑われてしまった。なかなか手強い。
「それにしても汐風さん、「さん」付けはやめてくれ、って言ってるじゃ無いっすか。一つ二つ上ならまだしも、二十以上も歴長いんすから」
「それは艦歴上の話でしょう? 船魂娘としては、あなたの方が長いんだから」
「そうだとしても落ち着かないすよ。どうかこの通り!」
私の目の前で頭を下げて、手を合わされてしまった。そう言われたら断りづらいけど、うーん……。
「わ、分かった……努力はする、けど……」
「お願いします!! むず痒くてしゃーないんですよね」
あはは、と梅さんは笑って、私の横に腰を下ろした。長居するつもりか。このままじゃ梅さんも風邪引いちゃうだろうに。
「しかしここ最近、めっきり寒くなりましたねえ。今年は夏も長かったのに、あっちゅうまでしたね」
「……そうだね。気がついたら紅葉も終わってたし」
「本当っすねえ。毎年の楽しみだったのに」
つまらなそうに口を尖らせた梅さんに、私はなんとなしに「ねえ、梅さん」と声をかけた。
「? 何っすか?」
――私と居て、腹立たないの?
そんな言葉を飲み込んだ。まさか当人に向かって言えるわけもない。不思議そうに首を傾げている梅さんに「ううん、ごめん。何でもない」と言うと、「そうっすか? 別に気にしなくて良いっすよ?」と言ってくれた。
「本当に大丈夫。気にしないで」
「そう言われると余計に気になるのが、人間の心理ってやつですけど……まあ聞かないでおきますわ」
「あはは、ありがとう」
笑って立ち上がる。すっかり寒さで膝が硬くなっているのを感じながら、「私はそろそろ戻るね。話に付き合ってくれてありがとう」とお礼を言った。
「全然っすよ。また今度ゆっくり話でも!」
相変わらず梅さんは笑ってそう言う。その笑顔に影はない。
「……うん、気をつけて倉庫行ってきてね」
「うい!」
手を振る梅さんに振り返して、私は本館の方に向かう。
戻るとは言ったものの、まだ部屋に戻りたくはない。色々考えた結果、一旦静かな図書室に引き篭もることにした。あの古本と古い作戦資料の埃臭さが、数少ない私の居場所だった。
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