第44ワ 怒り。


 勇者は知っている。

 この雰囲気、嫌悪感、生命を感じさせない冷たさ。

 まるで生物が物になったかの様な。

 あの、ネロと言う魔族の少年が操られた時もそうだった。

 

 今、この事態を引き起こしている原因が目の前にいる事も。

 そう、勇者には分かっているはずだ。

 

 しかし、勇者がその情報を元に、目の前の少年に話しかける事は無い。

 

 目を泳がせ、信じたくない事実を無理にでも否定したいからだ。


「冗談だろエノ? こんな時に面白くない冗談はやめてくれよ」


 勇者は動揺する自分の気持ちを、極力表情に出さぬように、普段少年に話しかけるような口調で話しかけた。

 

 しかし、少年からの応答は無い。

 

 勇者がしばらく反応を待っていると、少年は不思議そうに首を傾ける。

 

「傷はもう大丈夫なのか? な、なあ、なんとか言ってくれよ!」


 動揺を隠せず勇者は感情のままに声を張り上げた。

 すると、は悍ましいまでの表情を作りニヤリと笑うのだった。


「素晴らしい反応だ。 儂は人間の絶望した時に見せる表情が大好きでね。 ありがとう、礼を言わなくては」


 勇者が片膝をつき頭を抱えていると、イリスは不快感を露わに、少年の姿を借りるそれを睨みつけ言った。


「最低ね」

 

 手を横に、何がおかしいと言わんばかりに首を振る少年。


「小娘、お前も魔族なら分かるだろ?」


 イリスは少年の質問を無視して勇者の方に顔を向けた。

 

 頭を抱えていた勇者は、ギリギリと奥歯を噛み締めながら呟く。


「クソ、俺がもっとしっかりしてれば」


 それだけ言うと勇者は、拳を握りしめて一度地面を殴った。


「やっぱりエノは連れてくるべきじゃなかったんだ。 クソ! クソ!」


 声を張り上げて、何度も、何度も地面を殴打する勇者。

 

 それを見ていたイリスが心配そうに声をかけた。


「ちょ、ちょっと」


 イリスの声を聞き、殴るのを止めた勇者の拳からは、ポタポタと血が滴り落ちていた。

 

 そんな様子を見ていた少年は、飽きたとでも言いたげに口を開く。


「さて、そろそろもういいか? 絶望は十分に堪能しただろう」


 顔を上げると勇者は、眉間に皺を寄せ睨みつけた。


「貴様」


 勇者の怒りの声も意にかえさず少年は続ける。


「儂としては、素直に命を差し出してくれれば手間が省けるのだが」


「ふざけるな! 今すぐエノを解放しろ!」


 勇者の怒号に、若干の苛立ちをおぼえると、少年は大きくため息を吐いた。


「馬鹿かお前は? 貴様が儂に命令出来る立場にあると思うか?」


 思わず剣の柄に手を伸ばす勇者であったが、操られているとはいえエノである事を考え、剣を抜くのを躊躇った。

 

「儂と戦う気か? …まあいい。 だが戦って傷付くのはこのガキだぞ?」


「貴様あぁぁぁッ!」


「クハハハ、やめてくれ。 笑わせないでくれ、危うく笑い死ぬところだったぞ」


 勇者の行動は早かった。

 反射的に、感情的に剣を抜くと、その場から風切り音だけを残し、一瞬にして少年との距離を詰めた。

 そして、彼の首筋に刃を沿わせると、怒りで剣の柄を握り潰すのかの如く強く握りしめる。

 

 しかし、勇者の刃がそれ以上進む事はない。


「どうした、殺らないのか?」


 眼前で少年を睨みつけると勇者は答えた。


「これほど誰かを殺したいと思ったのはお前が初めてだ」


 睨みつけられた少年は両手を下にぶらんと降ろすと、無抵抗の意を伝えた。


「ほう、なら殺せばいい。 …どうした? 早く殺せ」


 勇者の腕は怒りのあまりブルブルと震え、今にもか細い少年の首を切り落としそうだった、しかし、剣は勢いよく逆方向へと空を切った。


「クソ!」


 勇者の剣が空を切ると、少年の両腕は勇者の前に向けられていた。

 そして、突然光の玉の様な物が放たれ勇者に襲いかかった。


「そうか、ならば貴様が死ね!」


 咄嗟に剣を盾に、身体への直撃を避けた勇者であったが、その威力は凄まじく、後へと大きく吹き飛ばされる事となった。

 壁に身体を叩きつけられた勇者は、苦痛に顔を歪め血反吐を吐いた。


「グハッ!」


「ちょ、ちょっと大丈夫!?」


 イリスが心配そうに駆け寄ると、勇者は口から血を滲ませながらも、彼女の不安そうな表情を見て精一杯の笑顔を作って答えた。


「大丈夫ですよ、イリスさん。 俺、勇者なんで」


 そう言うと勇者は剣を支えに再び立ち上がる。


「さて、その余裕もいつまで続くかな?」


 身構える勇者に対し、少年は弓を引く動作を見せた。

 すると、その指をなぞるように、一本、また一本と、光の線が出現し、勇者達に頂点を向け三角錐を形成していった。


 その光景に勇者は見覚えがあった。

 昔、勇者が「エノの魔法が見てみたい」と言った要望に応えて、エノが見せた魔法の中にそれはあった。 

 あの、三角錐がくるくると勢いよく回転しだすと、矢の如く放たれ、その威力は硬い岩盤ですら貫く。 


 そんな物を喰らっては、ひとたまりもない。

 すぐさま防御魔法使うべく、構える勇者だったが、これまでのダメージの蓄積からか、魔法の出が遅い。

 このままでは間に合わないと、判断した勇者は、なんとかイリスだけは護ろうと彼女の前に立ち塞がった。


 

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魔王と勇者。ときどき近所のおっさん。 もみじおろし @ocomeman37

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