みずまんじゅうの星
阿瀬みち
みずまんじゅうの星
朝テレビのスイッチを入れると、ニュースキャスターが「おはようございます。世界の終わりまであと七日になりました」と言う。キャスターの口元がほころぶそばから崩れてゆき、スライムのように半透明な体の組織がカメラの姿をくっきりと反射していてももう驚く人はいない。日常の一部としてたんたんと受け止められ番組は続いていく。社会学者を名乗るコメンテーターが政府の新しい経済政策案を図解する経済学者に疑問を投げかけている間、メインキャスターはにこにこしながらその体を緩やかに膨張させ社会学者の椅子を取り囲み、ゆっくりと全身を透明な膜で覆ったかと思うと咀嚼もせずに緩慢に消化していく、そのなめらかな映像が全国に放送されたのがいつのことだったのか、問いかけられてもはっきりと思いだすことができない。社会学者は膜の内側で外側に向かって雄弁に語りかけながら、その声はまったくマイクには届かず、にこにこした口元だけを崩さないキャスターの半透明の色合いが少しだけ赤に染まり、パステルの穏やかな色調の変化が画面を通して視聴者に伝わった。だけど誰も疑問を呈さなかったし、苦情の電話も鳴らなかったし、そういうものなのだと納得してしまったから、世界の終わりが迫っていると説かれても誰も不思議には思わず、終わりがどうやってもたらされるのか、なぜ終わるのかを考える人はなかった。人々はエンディングノートをめくり久々にペンをとって実行されることのない遺書を書き、大切な人と交換し合って言葉を交わした。
私はお味噌汁を飲み終えて正面に座っている巨大なみずまんじゅうに「お代わりは?」と問いかけた。ください。と脳裏に声が浮かんで味噌汁をよそいに立ち上がる。日本食は好きです。いつまでもたべていたいな。とみずまんじゅうが言うので、なら人類を滅ぼすのをやめたらいいのに。と口には出さずに脳内でつぶやくと、それも読み取られてしまって、決定事項なので、と返事がある。%$&は人間の思考が好きなのだ。文字が好きなのだ。餌にして幾らでも増殖することができた。気に入らない思考の持ち主はきれいに消化して吸収してしまうことだってできた。そうやって自分色に染めてしまってすっかり地球を侵略した後、%$&たちはまたどこかほかの星に行くのだった。%$&たちはまずはじめに羽音を鳴らす小さなナノロボットを人間の耳管に送り込んだ。あなたもあの耳鳴りを聞いたでしょう。あれはわたしたちの送り込んだロボットの震える音なのです。皆さんの体の中で静かに情報を蓄え、送信し、相互に連携を取りながら、すこしずつあなた方の意識に干渉していったのです。みずまんじゅうは私にそう伝えた。ロボット、返してくれませんか。みずまんじゅうがこちらに体の一部を伸ばしてくる。「えっ……なんのこと……」あなたの耳の中にいた虫様の物体のことです。あ、あれか……あれなら、さっき触った拍子に壊れて跡形もなくなってしまったな……。
雄たけびのような悲鳴のような声が頭の中を駆け巡り、たまらず私はその場にしゃがみこんだ。
耳の聞こえが悪くなって耳鼻科へ行ったのが半年前のことだった。
「あー、耳垢が詰まってますねー、掃除しときますねー」
やる気のなさそうな若い医師が言った。エタノール? なにか冷たいものでふやかされ、吸われ、耳の中に反響する騒音で私は自分の聴覚が全く無事であったことを知ったのだった。ふいに私の耳をいじくっていた医師が叫んだ。その声は今ままでのどんな声よりクリアに聞こえた。というか耳元で叫ばないでほしかった。
「えへっ、やば、虫でてきましたよ」
「はぁ? うわ、ほんとだ」
ちょっと写真撮っていいですか、と私はスマホを構え、医師はげらげら笑っていた。
「これ、なんて虫ですかね」
「いやー、ちょっとわからんです」
看護師さんが冷たい目で先生を見ていた。いや、私も冷たい目で見られていたのかもしれない。虫をつまみ上げると、じゃりっと音がして、さらさらと崩れ去ってしまった。
その帰り道だった。道端に透明な水まんじゅうが落ちていたのは。きたね、と思った。踏まないようにそうっと避けたつもりだった。なのに、水まんじゅうが私の脚にまとわりついてきたのだ。水まんじゅうは私の耳に勝手に虫を住まわせておいて、不具合があったから返せと言うのだった。そんな馬鹿な話があるかい。私はあの虫のせいで耳鼻科で大層気詰まりな思いをしたのだ。
以来、みずまんじゅうはエラーの原因を探るべく、という名目で私の家に住み着いている。一説によると管理ロボットの破損とデータセット汚染の責任を問われて左遷の憂き目にあったらしい。ざまぁ。
「みほとさんの精神は異常なんですよ」
「特別ってこと? やったね」
「異常に図太くて洗脳が利かない」
私はお味噌汁を吹き出しそうになった。我々は人類にもともと備わった性質を利用して意識に介入しているのです。みほとさんは人並外れて野蛮だったために、予期せぬエラーの原因となったようでした。野蛮て。人のことを気安く野蛮とか言うものではない。そうですね。野蛮と呼ぶには料理が上手すぎますね。しかし古代から人は料理をしていた可能性もあります。今はただ増え続ける選択肢とそれを管理するための文字や交易が発達しただけで。みずまんじゅうは理屈っぽいなぁ。私は味噌汁を飲み干し、現金を手に町へ繰り出した。食材を調達しなればならない。みずまんじゅうは、はじめはスーパーで売っている水まんじゅうほどの大きさだったのに、私の作る食事を食べ続けた結果、今では大型犬くらいの大きさになっていた。
世界の終わりが近づくことで街がパニックに陥るというようなことはなかった。みずまんじゅうの言う洗脳の効果なのかもしれない。街の人では以前と変わらず、でも住民の中には確実に何割か%&$が混じっていて、外見から見分けることは難しい。%&$は人の思考領域や記憶をまるごとトレースすることができるからだ。みずまんじゅうはどういうわけかわたしの体を乗っ取ったり、丸ごとコピーを試みたりしなかった。そのことがみずまんじゅうにとって、また私にとって、どういう意味をもちうるのか、想像がつかないふりをして私はみずまんじゅうに食事を与えて養っている。
買い物から帰った私は、一週間の献立を冷蔵庫の前に張り出した。みずまんじゅうはその紙をそうっと透明な体で包み込み、ふやかしてゆっくり消化していった。
ラーメン、寿司、すきゃき、ビーフシチュー、ハンバーガー、生姜焼き、オムライス、ナポリタン、パンケーキ、みずまんじゅうは私の味覚を反映した日本料理の情報を蓄積していく。みりんとしょうゆとトマトソースがあれば……、みずまんじゅうはなにかを考えかけて私に聞かせるのをやめた。
「私が考える日本食は日本の大衆料理の歴史の中のほんの一部でしかないからね」
くぎを刺したけど、みずまんじゅうはあまり聞いていないようだった。
地球最後の日、私は和菓子屋さんで水まんじゅうを買い、おつりはいいです。と言って有り金を全部和菓子屋さんにおいてきた。アパートの屋根に上って、みずまんじゅうと一緒に水まんじゅうを食べた。「これが君の名前の由来だよ」と伝えると、みずまんじゅうは、確かに似ている。とつぶやいた。月が出ていて、大きかった。水まんじゅうは、甘く、やわらかで美味しかった。みずまんじゅうは、和菓子っておいしいなぁ。もっと色々食べたかったなぁ、としみじみ呟いた。家のドアや窓が開いたり閉まったりしている。みんな世界が終わる夜のことが気になって仕方がないのだ。深夜十二時が近づくころには、往来は人でいっぱいだった。バカ騒ぎする人もいれば、静かに祈る人も、眠っている人も、眠っている家族を起こそうと躍起になる人も、大声で歌を歌う人も、楽器を演奏する人も、ただ煙草をくゆらす人もいて、誰もほかの人がしていることに文句を言ったりしなかった。
深夜十二時になった。外に出て月を見上げていた人たちのうち、%&$たちが集まって重なり合い、大きな膜になっていく。溶け合って包み込まれる。街ごと、景観ごと、取り込まれていく。アスファルトがはがれていくのを眺めながら、私は手に持っていたためすっかりぬるくなった水まんじゅうの最後の一口を押し込んで、もう、いいかな。とつぶやいた。膜がアパートに迫ってきている。あっというまに包み込まれていた。膜の内側は、風も、音もなく静かでほんりと温かい。溶け合っていく。記憶や感情や言葉の連なりが膜にほどけていくのがわかった。多くの人のささやきがまるで竹林にわたる風が鳴らす音のようで、じわじわと温かさが耳のあたりから後頭部を包み込み、その感覚は官能に似ていた。接続されていく。そしていずれは分解されていくのだろう。とても大きな愛だった。世界は全くひとつになった。
「そんなのいやだ!」みずまんじゅうの声だった。私は膜を通して世界を眺めていて、それは世界を自分の中に取り入れることと全く同じなのだった。いまや内と外を隔てるものはなにもなくて、満ち足りていて穏やかだった。多くの人を悩ませていたあの耳鳴りももうしない。耳の穴から、世界がなだれ込んでくる。ノイズこそが世界だった。安心する。いまだかつてないくらい満ち足りている。なのに。
べりべりべり、と音がして引きはがされていく。たくさんの人がいるところから隔離されていく。わたしはいま、すっぽりと全身をみずまんじゅうに覆われているのだった。
「なんで?」
みずまんじゅうは応えなかった。接続は途切れ、地球表面を覆う膜から切り離されて、私たちは身一つで宇宙に飛び出していた。みずまんじゅうの中から眺める宇宙は、遠くて、暗くて、冷たかった。私たちはちょうど月の影に隠れていた。地球はすっぽりと透明な膜に覆われていた。うごめいて、変形して、ひとつになっていく。その姿がどうしようもなくうらやましく見えた。二人ぼっちになってしまったことがとても悲しかった。
きみがくれた水まんじゅう、数々の料理、とても美味しかった、もっと食べたかった。だから。
「みずまんじゅうを」
作る文明を育てる。とみずまんじゅうは言った。豆を砂糖と煮て餡にし、葛の根を水にさらしてでんぷんを取り出し透明なゲルを作る。そして餡をゲルに詰めたお菓子を作る文明を育ててみせるから。だからどうか一緒に、新しい星を探してくれないか。みずまんじゅうは懇願するように言った。
「どうせまた」
あなたみたいなやつらがせっかく育てた文明を滅ぼしに来るんでしょう。みずまんじゅうは返事をしなかった。私をおなかに抱えたまま、身の回りの水やほこりや塵を燃焼させることで推進力にして宇宙を渡っていく。やがて小さな青く輝く星を見つけた。私はみずまんじゅうの中で消化されかかって、鞭毛で動く小さな動物性の生き物の姿に還っていた。みずまんじゅうは目についた小さな湖の水質や温度を何度も確かめ、私をそうっと放った。私は自分の遺伝子をコピーし、光合成で仲間を増やし、まき散らしながら、何度も何度も命を終えていった。みずまんじゅうはその間、惑星の環境を地球に近づけるべく努力していたらしい。やっと私が四足歩行で地上に出た頃、みずまんじゅうは植物を育てて豆をつけそうな要素を持った種を選別しているところだった。みずまんじゅうは私の姿を認めるなり、嬉しそうにすり寄ってきた。私はその時みずまんじゅうの名前の由来を忘れかけていて、私たちの肌の質感が近づいていることを素朴に喜んでいた。プランクトンでいた期間が長すぎて、料理のことはすっかりなにもかも忘れていた。私たちは水辺で長いこと過ごした。岸辺に打ち上げられた淡水クラゲがなにかを言いたげに転がっている。
そのとき、脳内の細胞がスパークした。
これだ。
私はこのために生まれてきたのだ。
ふるふるした感触、半透明の食べ物。これは、これはまるで……
「みずまんじゅう!」
私は叫んだ。みずまんじゅうは嬉しそうに体を震わせて、名前を憶えていてくれてありがとう。と言って泣いた。やがてみずまんじゅうは私たちの造形を模したまんじゅうを旅行者向けに売り始め、私たちの姿は一層似通っていき、私たちが暮らす星は、水まんじゅうの惑星として有名になった。
「それにしても、天才的名づけですね。水を閉じ込めたお菓子なんて」
「ええ、昔太陽系の惑星の一つに地球という星がありまして……」
私は何度でも請われるがままに地球の話をした。宇宙を旅する旅行者の間では、地球は水まんじゅうの愛称で呼ばれることになって、みずまんじゅうは侵略者の分際でおこがましい、と震えていたけど、私はなんだか嬉しかった。
みずまんじゅうの星 阿瀬みち @azemichi
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。みずまんじゅうの星の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます