雲雀東風

    †


 それは、とある平穏で透き通るほど淡い夜のことでした。

 夜空には二つの月が寄り添って浮かび、南東部の街並みに静謐な時間が流れます。

 わたくしは聖堂の隣にある母屋ですでに食事や湯浴みを済ませていて、あとは就寝するだけ。

 居間にはソファーでくつろいでいるヒツギ様の姿。

 その手には厚めの本が開かれ、趣味である読書の途中なのでしょう。


 わたくしはそっと隣へと腰を下ろします。

 彼はこちらに軽く目を向けると、背中から腕を回して躰を抱き寄せました。

 されるがままに身をまかせて、口を開きます。


「あ、あの。あなた様……お話ししたいことがあるのです。」


「ん?」


 ヒツギ様に不思議そうな表情をされ、どのように話を切り出そうか言葉を選びながら。

 わたくしは少し前から、躰には変化が現れていて。


「――その……わたくし、しばらくずっと月のものがきていなくてですね……んんぅ、何と言いますか……」


「月のもの……?」


 うつむきながら、もじもじしますが彼にはうまく伝わりません。

 わたくしはどう受け止められるのか不安と期待が入り混じり、意を決して言葉にします。


「実はその、わたくし……あ、赤ちゃんが出来たようなのです!」


 固く手を握って祈りながら、目を瞑ります。

 しばしの沈黙のあと――優しく躰を撫でられて。


「……クラン、本当なのか?――俺達の子が……これは喜ばずにはいられないな!」


 ヒツギ様の笑顔と言葉を聞いて、今までない幸せが心に溢れました。


「は、はい……!これも、あなた様がわたくしを愛して下さった賜物なのですよ……!」


 彼は素直に喜んでくださり、名前は何にしようかと少し気の早いことも話していて。

 ……わたくしは涙が浮かび、今までの自分が報われたような思いを実感しました。


 ――お母様。

 わたくしはあなたのおっしゃった通り、自身に科せられた業や運命を受け入れてくれる、大切なお方と出会えました。

 これからも生を受けたことに感謝をして、きっと幸せになってみせます。

 ヒツギ様と、お腹の子とともに――


    ▱


 その日、あたしは早朝から北西部の神社敷地内にある本殿、その裏側にある禊ぎ場で水浴をしていました。


 宗教国家都市中央部での騒動から半月、あたしは療養と休暇を続けています。

 躰の傷はすでに残っておらず、体調も健康そのものでした。

 ですが、あたしの生真面目な補佐官が気を使って、休みを多く取っていたのです。



 小さな分岐ばく――水量のゆるやかな滝を身に受けて清めていきます。

 この躰は相変わらず十四歳の頃と同じで、今後も成長することはないでしょう。

 ……クランさんの神鎧アンヘル『バルフート』の中から救出されたあの時。


 あたしは彼女の願いを聴きました。


《――聖なる教の我らが主よ。わたくしは悲劇的な結末を容認できません。天蓋に浮かぶ太陽は主、二つの月は神鎧アンヘルと聖霊、星のまたたきは人々の信仰の光……今宵、新たに生まれた星に救済と輪廻を。生けるものには主の恩寵と加護があらんことを!》


 クランさんは神鎧アンヘルの第二神化を運用しながらも、自身の罪垢に飲まれることはなく。

 この世界のための願いを選んだのです。

 自分が同じ立場なら何を口にしていただろう。


「……あの人には敵わないなぁ。」


 無意識に呟きますが、決して悲観してはいません。


 水浴びを終えると、泉の縁であたしの補佐官が着替えを手に待っていました。


「四位巫女神官様、お召し物です。それと書簡も届いております。」


 あたしは躰を拭いて衣装を羽織りつつ、手紙を読みます。

 署名には三位巫女神官であるクランさんの名前があり……

 その内容は驚くべきものでした。


「クランさんが妊娠!?」


「そのようですね。それで、補佐官交換留学にて交流のある自分に乳母兼教育係を任せたいと申し出を受けまして――よろしいでしょうか?」


 唖然あぜんとして、自分の補佐官を見ます。

 たしかに、あたしが御主人様とデートしてた時は代わりにクランさんの元でお手伝いしていたはずですけど。


「……いつの間に、そんなに仲良くなったんですか!?」


 そして、クランさんのところに行くということは、必然的に御主人様とも日常的に会えるということで……


「ずるいです!あたしも一緒にクランさんの子のお世話しますう!――というか、あたしも御主人様との赤ちゃん欲しいですぅうっ!」


 待っててくださいね、御主人様!

 あなたのヒルドアリアが今すぐ、会いにいきますからっ!


 あたしは困り顔の生真面目な補佐官とともに南東部へ向かうことを決意したのでした――


    ‡


 わたくしは花畑に埋もれるように倒れていました。


 ゆっくりと目を開けると、そこは暖かい陽の光と穏やかな風が吹く丘の上。

 空には抜けるような美しい青空が広がっています。

 柔らかな雲が流れる、とても静かな場所。



 ここは天国でしょうか。

 夢の中にいるような不思議な感じがあります。

 躰を起こして周りを見渡しますが、どこまでも続く蒼天と花畑の世界。


 ここにはわたくししかいないのでしょうか……


 そう不安に思い始めた時、何かを感じ取りました。

 なんとか立ち上がり、かすかな感覚を頼りに歩き出します。


 そして、前方に一つの人影を見つけました。


 その後ろ姿に……胸が締めつけられる想いに溢れて。



 振り返ってこちらを見るが言葉を紡ぎます。


「エノテリア、ずいぶんと待たせてしまった――また、会えてよかった……。」


 それは黒い神鎧アンヘル『ザルクシュトラール』――いいえ、紛れもなく元の世界で愛したヒツギ様で……

 わたくしは涙が止まらなくなっていました。

 思わず駆け出し、彼に抱きついて……



 楽園のような花畑の丘で二人、優しい風に包まれ続けたのでした――




[天蓋輪廻の聖譚曲オラトリオ 終幕]

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

天蓋輪廻の聖誕曲~オラトリオ 黒乃羽衣 @kurono-ui1014

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ