第9話 いつもの夜勤から
本当にどうでもいいことが続いて、そのどうでもいい事のせいで俺の普通は消えていくように思う。
孫娘の母親は娘の行動が理解できずにお怒りモードですぐに迎えに行くと言った。
孫娘は困惑して顔を上げようとしない。
「そう落ち込むな、お母さん心配してるんだよ、それに今の時間からこっちに来るのは時間がかかる。今日は週末でタクシー呼んでもなかなか来ないからおじいさんと話す時間はまだある。かりに魔法が本物でも今日向こうへの扉が開くとは限らないだろ」
落ち込む少女にはおっさんの言葉など耳に入ることはなかった。
孫娘はジン老師の部屋に行ってしまい俺は小暮君と深夜の排泄介助を回ることにした。
「びっくりしましたね、ジン老師も孫に好かれるいいおじいちゃんだったんですね~、なんか意外です。あの暴れる子供みたいな姿は孫には見せられないから今日は大人しくしてくれますよね、満月なのになんだかラッキーですね」
のんきな小暮君は事故報告書の犠牲者になってもらおう。
夜勤入りの記録は終わっているみたいだし、頑張ってもらう事にした。
深夜1時にもなろうとしているときに玄関チャイムが鳴った。
深夜に鳴るチャイムなど救搬の時かお看取りの時ぐらいでどちらもいい事ではない。
孫娘の母親、ジン老師の娘が顔を引きつらせてやってきた。やはりいい事ではないなと思いながら対応する。
母親は困惑しているのかいつもより口調が攻撃的で、俺は孫娘の母親を刺激しないように丁寧な接遇を心掛けた。
まったくついてない夜勤だと嘆くしかない。
利用者が急変して看護師にオンコールするより手間がかかっているように思う。
全然ラッキーな夜勤ではない事に気づいてない小暮君はすっかり俺に任せて休憩に入ってしまいコール対応もままならずにこの親子の対応に追われる羽目になった。
「さあ、帰るわよ!」
開口一番母親が言った。
ジン老師は横になったままたぶん寝たふりだ。
「なんで来たのよ、今日ぐらいおじい様のところに泊まってもいいじゃない、私はいつもいい子にしているのに!」
「いい加減にしなさい!こんな所に居たらあなたまでおかしくなるわ」
大きな声で「こんな所」呼ばわりした母親は、ハッとして俺のほうを見るとばつの悪そうな顔をして、小さな声で「すみません」と言った。
「この魔法オタクのせいでお母さんがどれだけ苦労したか知ってるでしょ、嘘つきなのよ、異世界に行っただの、魔法が使えるなど考えただけで腹立たしい」
魔法についてかなり恨みを持っている発言はこの母親の表情から読み取れた。よほど酷い目にあってきたのかもしれないと俺は同情した。
「おじい様は嘘なんかついてない、お母さんが魔法の才能がなかっただけでしょ、魔法は本当に存在する。私は信じてる!」
母親は娘の頬をひっぱたこうとして止まった……?
何かに止められたように固まった。
母親は困惑して表情を曇らせた。
「騒々しいの、もうやめなさい、ここは老人ホームじゃ、すでに就寝時間は過ぎている、そんなに騒げば皆目覚めてしまうじゃろ」
さっきまで寝たふりをしていたジン老師がギャッチアップなしで起き上がり端座位になっている。
本当に魔法でも使ったようにだ。
俺も動く気配に気づかなかった。
「おじい様!」
孫娘が嬉しそうにジン老師に抱き着いた。
「んっ?おじい様なんだか臭い」
喜びの表情から顔をしかめた孫娘は少し距離を取った。
「ああ、すまんすまん、オイ、介護士、悪いが漏らしてしまったようじゃ変えてくれ」
ギスギスしていた空気が便臭とともにシラケてしまった。
俺はオムツ交換の準備をして娘親子にはいったん廊下に出てもらった。
「こんなオムツ姿で異世界に行っても大丈夫なんですかジンさん、一人では動けもしないのに、どんな世界か知りませんがあんなかわいいお孫さんを残してまで旅立つ理由があるんですか?」
介護士としてジン老師の羞恥心を紛らわすための話題を振るように話す俺はなれたものだと自分をほめる。
こんな話でオムツ交換の気がまぎれるなら異世界話に乗ってやる
「向こうには、子供がいるんじゃよ」
俺は一瞬動作が止まってしまった。
そんな重い話は望んでいない、気持ちを紛らわすための会話は軽いほうがいいに決まっている。
「向こうに行けば魔力で若返りも可能だ。実際向こうに居ればワシくらいのレベルの魔導士は350年は生きられる……はずじゃ」
なんだか自信なさげに言った。
「本当にそんなことが出来るんですか?」
重さを紛らわすために子供の話はスルーしたが、聞くんじゃなかったと後悔しかない。
後始末をして窓を少し開け、空気を入れ替えてから親子を招き入れた。
俺を間に挟む様ににらみ合いが続いている。孫娘は椅子にしがみついて離れようとしない。
忙し時間に突入する少し前で早いとこ結論を出して退室していただきたく思いながらとりあえずの提案を試みる。
「このままではどうしようもないのでとりあえず魔法と言うのを使ってみるというのは?」
俺の提案に長女は嫌そうな表情を浮かべているが気にせずに話す。
「僕は魔法など信じてないし、長女様もそうですよね、本人様の気のすむ様にしていただき納得すれば早いのではないでしょうか?」
たぶん空振りで終わり納得するとは思えなかったが、この際そんなことはどうでもいいし成功する現実は全く想像できないほど深夜の可笑しなテンションで魔法儀式が執り行われることになった。
記録になんと書けばいいのかは後で考えることにした。
老いた魔導士の介護付き異世界ライフ ハミヤ @keneemix
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