「お前、いつまでここにいるつもりだ? いくら仮死状態と言っても、長い間体から離れていると本当に死ぬぞ」

 今まで通り惚れ薬を作り、彼女を見送ってから。鬼さんは少し強めの口調で私に声をかけた。


 そうは言っても、目覚め方が分からないのだから仕方がないじゃない。

 私は体育座りのように膝を抱える。見慣れたプリーツスカートが視界に入った。

 同時に、私の胸にあった傷がズキズキと痛み出す。

 それに目覚めたら、にも戻らないといけない。


「ねぇ。さっきみたいな、誰かの代わりに泣いてあげるってこと、割とあるって言ってたわよね」

「——ああ」

 鬼さんが頷いたのを見て、酷く安堵する。つい気持ちが緩んで、私は胸の奥にある暗い感情を吐き出してしまった。


「じゃあ……良かった。私みたいに、いなくなっても誰にも気づかれないような人は、どうなるんだろうって思ってたから」


 今私が着ているのは、高校の制服だ。

 地元では有名な進学校で、制服も有名デザイナーがデザインしたものを採用している。町を歩けば少し羨ましがられるほど。


 けれど私にとっては、とても憎らしい服だった。これに袖を通せば、あそこへ行かなければ行けないから。

 あそこは私にとって地獄だ。いつも存在感を消して、それこそ死んだように生きる日々だった。

 けれど。


「誰にも見ていてもらえなくても、頑張って生きてきたのであれば。少なくとも死んだ時にあなたが泣いてくれるのね」

 それも、悪くないのだと思えてきた。多分、人様に迷惑をかけるような真似はしていないはず。

 いっそこのまま、か。


 顔を上げて、私は鬼さんに笑いかけた。

 嬉しいけれど寂しいような、よく分からない感情が渦を巻いて、視界が涙で滲んでいく。


「だったら、私の辛かった毎日も悪くなかったって思えてくるわ」

 この優しい鬼さんが、自分のために泣いてくれるのであれば。


 しかし、私が僅かな希望と諦めを込めて言ったその言葉を、バッサリと、鬼さんは容赦なく切り捨てた。


「いや、それはない」

「え?」

 喉がひゅっと鳴って、衝撃で涙が引っ込んだ。


「お前が死んだ時に、私が泣くことはないと言ったんだ。少なくとも今の状況ではな」

 何故、だろう。私にはその価値すらないということなのだろうか。


 指一つ動かせない私に、鬼さんが大股で近づいてきた。そのまま橋と河原の境界ギリギリまで歩みを進めてくる。

 近くで見ると、意外にその背は大きく見えた。


「もう少し近づいてくれ」

 突然そんなことを言われ呆然としていると、突然爪の長い右手が伸びてきて私の肩を引き寄せた。


 視界一杯に広がったのは、垂れ幕のように垂れ下がった彼の前髪と、その隙間から見えるスミレ色の瞳。

 その透き通った輝きに、私は状況を忘れて魅入ってしまう。

 アメシストみたいに、とっても綺麗。


 すると目に違和感を覚えて、私は大きく瞬きをした。その拍子に、コロンと私の目から何かがこぼれ落ちる。

 咄嗟にそれを、両手で掬うようにして受け止めた。


「うわぁ……」

 思わず感嘆の声が漏れる。

 それは指で摘めるくらいの大きさの、シャボン玉のように光る綺麗な丸い石だった。


「泣いたな」

 鬼さんの顔が私から離れていく。彼の口元は僅かに弧を描いていた。


「ちゃんと周りを見ろ。こんな涙、出てこないぞ」

「え……」


 小さく声を出した瞬間、軽く両肩を押される。

 それほど強くない力だったが、不意を突かれた私の体は後ろに倒れ込む。

 橋に背中を打ち付けると思っていたのに、いつまで経っても衝撃がやってこない。

 まさかこれ、落ちてる?


「え、ええええええっ⁉︎」

 真っ黒な空間を私は下へ下へと落ちていく。上に唯一開いた穴から、鬼さんの顔が見えた。


「何十年後も、良い惚れ薬が作れるようにしておけよ」

 どんな別れの言葉よ。そう口にすることすら叶わず、私の意識は再び闇に沈んでいった。





 カーテンを開くと、柔らかい光が部屋に差し込んでくる。私は自室のベッドから起き上がると、パジャマを脱いで、またあの制服に袖を通す。

 事故で破けてしまい新調してもらったので、ツンとした香りとまだ身に馴染まない生地の感触が、新鮮な気持ちを呼び起こさせる。


 あの不思議な臨死体験から、一週間が経った。

 鬼さんと別れた後、目覚めた私は病院のベッドの上にいた。

 聞けば高校の帰りに交通事故に巻き込まれたらしい。外傷はなく脳の損傷もないのに何故か意識が戻らず、病院もお手上げ状態だったようだ。


 いざ目が覚めれば、あんなに私に無関心だと思っていた両親は目の前で号泣しているし、別のクラスにいた幼馴染までも駆けつけてくれていた。

 嬉しくて暖かくて心が満たされる。

 しかし同時に、やっぱり私は周りが見えていなかったのだと痛感した。


 私は勉強机の上に視線を向ける。そこにある小箱の中には、あのシャボン玉のような丸い石が鎮座していた。

 退院の時に、何故か病室のシーツの中から発見されたのだ。


『ちゃんと周りを見ろ』

 そう言った彼の言葉が不意に思い出される。私はもう朧げになってしまったスミレ色の瞳を思い浮かべた。

 しっかりと髪で目隠しをしているくせに、どうして私のことがハッキリ分かったのだろう。

 なんだか負けた気がして、私は苦笑する。


 高校生活のことを聞いた両親は、辛いなら学校を変わっても良いと言ってくれた。けれど私はまたこの制服を着ている。

 もう少しちゃんと、周りを見てから決めようと思ったのだ。

 逃げるのはいつでもできる気がしたから。


 壁にかけられた時計に視線を移す。

 おっと、そろそろ時間だ。

 私は背筋を伸ばして、自室の扉を開け放つ。


 私が愛されている証が、机の上で静かに輝いていた。

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私と目隠し鬼と惚れ薬と 寺音 @j-s-0730

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