空の上から悼む

白里りこ

空の上から悼む


 飛行機は私を乗せてポーランドを発った。

 私は窮屈な座席に座ってぼーっと考え事をしていた。

 現地を去る直前のことを思い返していた。

 私はドイツ人の若者にこう尋ねた。


「第二次世界大戦ではドイツ人も、ドレスデン爆撃をはじめとする攻撃で多くの被害を受けたはずですが、このことについてどう思いますか?」


 若者は以下のように答えた。


「確かにそういった歴史はありますが、ナチスが行なってきた犯罪に比べたら、あまりにも些細なことです。考慮に値しません」


 ──それからずっと考え事をしている。


 日本での第二次世界大戦というと何を思い浮かべるだろうか。

 広島や長崎への原爆投下、東京大空襲などの空襲被害、沖縄での地上戦の悲惨さ、神風特攻隊の悲劇などを思い浮かべる人が多いのではないかと思う。

 日本人は戦争によって多くの被害を受けた。空襲で焼かれたり、徴兵されて戦場に連れて行かれたり……。日本での戦争のイメージとは、「被害の歴史」だ。


 他方、ドイツの戦争教育では徹底的に「加害の歴史」について教え込まれる。特にナチスによるユダヤ人などの大量虐殺については骨身に染みるまで叩き込まれる。どれほど非道なことをドイツがやったのか、ドイツ人は意識している。


 日本もドイツも同じ敗戦国で、戦争は二度と犯してはならないものだと固く誓っている。それなのに両国は徹底的に、戦争に対するスタンスが違うのだ。


 私は日本の戦争観も、ドイツの戦争観も、どちらも偏っていると感じる。


 日本は被害者であると同時に加害者だ。有名なのは真珠湾攻撃、重慶爆撃、従軍慰安婦、それに日中戦争の南京大虐殺などだが、これらのことを詳しく知っている者は非常に少ない。記念日のスピーチなどでも主に自国の被害者について言及される。

 一方ドイツでは、どのようにドイツが侵略行為を行ったのか、どのように被害者を虐殺したのか、事細かに知られている。町じゅうにホロコーストに関する祈念碑があるし、首相はことあるごとにドイツによる被害者への謝罪を述べるし、常に反省の態度を示している。


 反対にドイツ人は自国の被害を軽視する傾向にあると私は感じる。ドレスデン、ミュンヘン、ベルリンなど、数多くの都市が焼かれ、たくさんの一般人が亡くなったというのに、これを重視しない。

 日本では、原爆の被害がどのように悲惨だったのか、戦時下の生活で人々がどんな思いをしたのか、沖縄の地上戦がいかに惨かったのかがよく知られている。戦争による自国民の被害者を偲び、深い反省の態度を示している。


 ドイツ人は己を卑下しすぎているのではないだろうか。そして日本人は傲慢すぎるのではないだろうか。


 戦争によって失われた命はいかなるものであっても尊いものだった。

 私たちは、自分たちが殺した人々のことと、他人によって殺された人々のこと、その双方を悼むべきなのだ。


 私は飛行機の小さな窓から、去りゆくヨーロッパの空を見つめた。

 報われない無辜のドイツ人のために、私は祈ろう。それから、日本人による犠牲者たちのためにも、祈ろう。全ての犠牲者に追悼の意を示そう。


 空の上から、国境なき祈りを捧げよう。

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