あの日の続き

 そして十月三十日がきた。今日が盛岡の誕生日だ。

 俺は家を出る。太陽は影を潜め、薄っすらと月が出ている空を見上げながら肺いっぱいに空気を吸った。頭が澄んで、冷静になる。

 さあ、盛岡は演劇部に残るという決断をしてくれるだろうか……。


 駅前にある商店街まで足を運ばせ、小綺麗なファミリーレストランまできた。駐車場の脇には、俺以外の全員が集まっていた。


「みんな、もう来てたんですね」

「久しぶり、西園寺」

「ホントに久しぶりだね!」


 そこには先輩たちの姿もある。今回、表向きはあの日できなかった文化祭の打ち上げだ。もちろん盛岡以外には予め誕生日を祝う場でもあると伝えている。


「あのー、ホントにあたしも来てよかったんですか?」


 と、ここで紬さんが視線を先輩や俺に右往左往させながら不安げに言った。

 俺は当初、紬さんに文化祭のときの打ち上げとして集まるから不参加になってしまうと告げていたが、宮野先輩が演劇部に入ってくれたんだし誘おうと言い出したのだ。なんというか、こういうところで俺の矮小さが浮き出て少し自己嫌悪した。先輩たちには到底敵わないな。


「紬ちゃん。演劇部に来てくれてありがと! 私たちに気を遣わなくていいからね!」

「ええと、ではそうします」


 宮野先輩が「それじゃあ行こう」と言って、俺たちは店内に入った。店員に案内され、六人テーブルに席をつく。誰の言葉もなく、男子組と女子組で向かい合った。


「それで、部活は今どんな感じなの?」


 注文を決めた後、宮野先輩が話題を出した。


「結局新しく入ってきた部員は美香ちゃん以外やめちゃいました……」と、水野さん。

「そうなの……」

「そうなると来年に新規部員を獲得しないとまずいかもね」


 橘先輩の言葉に心の中で唸る。


「流石に今年で廃部ってことにはならないですよね」

「どうだろう。文化祭で劇をやったことが一応の実績として認められるとは思うけど、現状四人だけだと分からいな」


 ここでさらに盛岡が抜けてしまっては存続は絶望的だ。今日この場で盛岡の真意を聞いて、もしも抜ける気であるのなら頼み込もう。演劇部を辞めないでくれと。

 少し空気が重くなったところでそれぞれの料理とジュースが運ばれてきた。


「よし、それじゃあ乾杯でもしようか!」

「そうですね」


 宮野先輩の提案に水野が同意を示した。不満の声は上がらない。

 全員の顔を見渡してから、宮野先輩は溌溂はつらつに声を発した。


「文化祭が無事に終えることができた! かんぱーい!」

「かんぱーい!」


 みんなの声が合わさったあと、コップをぶつけ合う。


「そしてもうひとぉつ! 盛岡くん、お誕生日おめでとう! かんぱーい!」

「えっ――」

「かんぱーい!」


 盛岡の戸惑いは再びコップをぶつけ合う音にかき消される。


「なんすか、コレ……」

「西園寺くんから聞いたよ。盛岡くんは今日が誕生日なんだってね!」

「なんでお前が……」


 非難の目を向けられると俺も黙ってはおけない。


「前に言ってただろ。十月三十日が誕生日だって」

「そういやそんなこともあったな」

「というわけで今回はお誕生日会でもあるのです! 改めておめでとう、盛岡くん!」

「はあ、あざます」


 それからは食事をしながら和気藹々と会話が弾んだ。先輩を中心に明るい雰囲気だ。正直、この空気を壊したくない。けれど、今日確認しなければいつするんだ。

 俺は橘先輩に目配せした。


「――なあ、盛岡。演劇は楽しい?」

「まあ、普通です」

「普通か。演劇部はこれからも続けるんだよね?」


 橘先輩の言葉に盛岡は動きを止めた。


「急になんですか?」

「いやなに。どうせなら俺は盛岡にも演劇を好きになってほしいからさ。いろいろと聞いてるよ。今、演劇部の雰囲気はあんまり良くないんだろ? まあその原因の一端にもしかしたら俺もあるのかもしれないけど、ホント、最初にも言ったけど演劇を楽しんでほしいんだ」

「オレは……」

「だけど、もしも嫌なら無理して続けなくてもいいと俺は思う」

「えっ?」


 思わず口を挟んでしまった。打ち合わせでは橘先輩も盛岡を止めるように動くはずだったのに……


「嫌なことを続けたってストレスが溜まるだけだ。悲しいけど、俺に止める権利はないと思ってる」

「というかそもそも、なんでオレが辞める前提で話が動いてんすか」

「違うの……?」


 紬さんが不安げに、けれど少しの希望を持って尋ねる。

 つばを飲む音が聞こえた。


「違わない、が……」

「そう、なんだ……」


 落胆したのがわかる。特にこの件を知らなかった水野さんは衝撃だったようで、とても悲しんでいる。さっきまでの楽しい誕生日会はどこにもない。

 他の席にまでネガティブな空気が漂ってるかもしないなと思った。


「なにか相談があるなら乗るよ?」と、宮野先輩。


「いや、そんなんじゃないっすよ。ただ、めんどくさくなってきただけで」


 俺は拳を握りしめた。


「本当に、楽しくないのか? 俺は楽しいよ。演劇楽しいよ。文化祭の練習のときだって、なんだかんだでお前も楽しんでるように見えたよ。殺陣たてやってるときとか、活き活きしてただろ」

「お前にゃ関係ねえだろ」

「関係あるよ。俺のせいなんだろ、部活がめんどくさいのも、辞めたくなってんのも。全部、俺が悪かった。今ならわかる」


 盛岡が紬さんのことをどう思っているのかはわからない。けれど、親しい関係であるのは確かだ。

 いつからだろう、俺は女の子からの告白が面倒に感じるようになっていた。相手を振る気まずさであるとか、その後に周りからからかわれることとか、とにかく嫌だった。けど、相手の悲しみのほうが圧倒的に高いはずなのだ。俺は自分のことしか考えれていなかった。相手の気持ちを考えることができていなかった。それが態度にも現れた。盛岡が怒るのも当然だ。


「これからは、もっと真面目に生きる。誠意を持って人と接する。だから頼む、演劇部を辞めないでくれ」


 自分で言って、なんてわがままなんだと思う。盛岡の気持ちを考えたら、ここで引き止めるのはおかしな話だ。きっと俺も橘先輩のような言葉をかけることが正解なのだろう。

 けれど、どうしても演劇部を失くしたくはない。先輩にとって大切な演劇部を、水野さんにとって大切な演劇部を、そして、俺にとっても大切になった演劇部を廃部になんてさせるわけにはいかないのだ。

 数瞬の沈黙を挟んで、盛岡は答える。


「……辞める」

「……ッ、そう、か」

「明日、退部届を受け取ろうと思ってたけど、それを辞める」

「えっ――」


 俺たちは顔を盛岡に合わせた。


「そこまで言われたら、続けるしかないだろ」

「ほ、ホントか!?」

「ただ、また辞めたいと思ったら、そんときはすぐに辞めるからな」

「ああ、わかった。それでいいよ」

「良かった……」水野さんが言った。


 その言葉を皮切りに、重い空気は弛緩した。

 みんなが次々と笑顔になっていく。

 これで、ひとまずは廃部の危機を乗り越えただろう。部活中も、もっと仲良くしていこう。

 ようやくご飯がまともに喉を通るようになって、初めてうまいと思えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

恋愛リミテーション 福山慶 @BeautifulWorld

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ