第3話 幸福を取り戻すためにすべきこと

 誰も何も言えなくなった空間で、やはり最初に言葉を発したのは僕だった。


「……どうして教室に入った瞬間に前世を思い出したのか、ようやく分かった。僕たちは皆、最期の時にそれぞれと関わっていたから、この五人が揃った時に思い出したんだ」


 頷く四人。

 そして僕はずっと覚えていた違和感を共有確認するため、再び口を開く。


「夏と言えば?」


「「「「プール!!」」」」


 揃った答えを聞いてカッと目を見開く!


「そう、プールだ! ずっと気持ち悪かった! 何だあの一定の生温い微妙な濃度の薄い水は! コレじゃない、コレじゃないと思い続けて早十六年! やっとこの違和感の正体が理解できた!!」

「狭いのよ! 四角じゃないのよ! あんなギュウギュウ詰めで一体何ができるって言うの!?」

「浮かないッス! あんなチンケな水じゃオイラの身体、浮かび上がらないッス!」

「底が平ら! アタシずっと砂の上を歩いてきたの! 何なのあの底ずっと平べっちゃいの!?」

「俺ァずっと穴暮らしだったんだよ! あそこどこにも隠れるところねーじゃねーか! また銛で一突きにされろってか!?」


 いや、打保くんの違和感はどうだろう……?

 しかし突っ込んだら咬みつかれそうなので口に出すのはやめた。また理不尽な暴力を受けては堪らない。


 皆が皆、思いの丈を吐き出したところでドンッと机を叩く。


「僕たちの今生は人間とはいえ、前世は海洋生物! プールに違和感を覚えるのは自明の理! 僕は夏が来て今年もプールに入らなければならないのかと、毎年苦しんでいたんだ」


 コクリと頷く一同。


「オイラもッス。プールの授業だけ頑張ってサボったッス」

「私もよ。この肌の白さのおかげで、仮病と偽っても十六年バレなかったのよ」

「いーなー。アタシそれできなくて、いっつもプールに足つけたら気絶してたもん」

「海老原頑張ってんな。俺は一回ガチギレして、プールの授業なくせやゴルァ!って、校長室に怒鳴りこんだことあるぜ?」

「打保くん。さすが元海のギャング」


 というかいつも気絶するくらいなら、それこそ休め海老原さん。真面目だな。


 僕は教室の窓の向こうにある空を見た。

 入学初日は十一時少し過ぎたあたりで終了したので、まだ爽やかな青い色をしている。

 そうしていると見えてくる、あの場所が。


 口から、ポツリと自然に願望が滑り落ちていた。



「――皆。海へ、行かないか?」


「……海?」


 井狩さんが恐る恐ると聞き返すことを、頷いて返す。


「そう。僕たちが求めていたのはプールという狭い世界ではなく、広大なるあのすべての命を生み出した母なる海。皆はあそこに、また行きたくはないか? 僕は前世を思い出して苦みを感じている。最期の時、絶望でなく幸福でありたかった。海に触れて、妻と子供たちと一緒だったあの幸福を、一瞬でもまた感じたいんだ……!」


 君はどうかと、視線で多古くんに問う。

 彼もまた、後頭部を押さえながら顔を歪ませた。


「オイラも、最後の記憶が頭千切られた痛い思い出は嫌ッス! オイラだって、落ちてた壺の中でまどろんでいたあの頃の幸福を感じたいッス! 海老原さんはどうッスか」


 話を向けられた彼女もまた、自身の身体を両腕で抱きしめて。


「アタシだって、アタシだって! 結局デートできなかったし、すっごく悔しい! 頑張って、頑張って遠くまで逃げたのに、捕まって絞め殺されて……っ。あんな苦しい記憶が最後なんて嫌! ウキウキだったあの時の幸せをまた感じたい! 井狩さんもだよね!?」


 顔を両手で覆って、嗚咽を零し始めた井狩さん。


「私……っ、嫌よ。あんな、あんな美しくない最後なんて……っ! 私、誰かのエサじゃなくて、そのままの美しい姿で死んで海の藻屑となりたかったわ。優雅に泳いでいた、あの頃の幸せ! 打保くん!」


 お腹を押さえ、打保くんはしみじみと。


舎弟アイツの好きなエビヤツも守ってやれなくて死んじまった俺は、アイツにとんだ最期見せちまったよなァ。夜にしか出ねぇ巣穴まで出てってよォ。……今思えば、アイツに歯ァ掃除してもらっていた時が、一番リラックスしてたんだよなァ……」

「そう言えば打保くん。結局死んじゃったけど、助けようとしてくれてありがとね。タコスケも、結局絞殺されたけど落としたお弁当届けようとしてくれてありがとね」

「良いってことよ」

「八甫ッス」


 海老原さんが当時のお礼を二人に言ったところで、僕たちは海開き初日に五人で海水浴場へ行くことを約束した。

 そして普段の学校生活の中でもこの五人で行動することが多くなり、何だかんだ前世天敵入り混じった海洋生物同士でも最期の魚情物語があったからか、特にバチバチすることもなく思いの外楽しい日々は過ぎていき。


 少しずつ毎年苦しめられた夏が近づき、いつも悩まされていたプールの授業も高校に入ってからはなくなって。


 そうして僕たちは遂に、その日を迎えた――……。





◇+◇+◇+◇+◇+◇+





 僕たちは感動でその瞳を潤ませていた。


 目の前に広がるのは苦き最期を迎えながらも、そのかいなに抱かれて幸福であった我らが母なる広大な海。

 果てしなく大きな、青き水面みなもの。



 ――あぁ、遂に。遂に辿り着いた。



 この気持ちをどう表現したらいいのかさえ分からず、言葉を失くしたように陽の光を浴びて、キラキラと波打つそれに魅入られる。

 暫くしてから、同じような反応をしている彼等を振り向いた。


 そうしてやはり最初に発言するのは、元子持ちで年長者である僕だった。


「皆。海だ。懐かしの、我らが海だ!」

「ス!」

「うん!」

「ええ!」

「おォ!」


 元気の良い返事を耳にし、僕は持ちあげた右腕をまっすぐに目指す場所へと突きつけた!


「行くぞ! あの頃の幸福を再び我が手にするために!!」


「「「「おお――――っっ!!」」」」



 既に水着を着用している僕らは、一斉に走り始めた。

 目指すはそう、あの場所に置いてきてしまった、幸福の記憶――……!!










 ……程なくして、あの頃の幸福を求めた僕らは、砂浜へと打ち上げられていた。


 敗因は、認めたくもないが言わずと知れる。


「ヒレがなかった……。小刻みにはためかせるものが何もなかった……」

「オイラの足、いま二本しかなかったッス……。水を勢いよく噴射する器官なんてなかったッス……」

「右に同じよ……。私は足十本あったのに……」

「普段砂の上歩いてたから……。アタシ、あの時どう泳いでたっけ……?」

「俺はもう腕も足もある……。一本通ったあの身体じゃねェ……」



 僕らの敗因。

 それは、僕たちはもうタツノオトシゴでも、タコでも、イカでも、エビでも、ウツボでもないということ。

 今生が人間であるということだった。


 そして、あの頃の幸福の記憶を手にするために、僕らがしなければならないことは。



「……皆。今から市民プールに行って、泳ぎの練習だ……」


「「「「……おお……」」」」



 ――僕たちを苦しめる、プールの季節が今年もやってきた。


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今年もあの季節がやってきた 小畑 こぱん @kogepan58

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