第2話 あの日の絶望とは
ガタッと同時に椅子から立ち上がった僕たち二人を、他の三人は呆気に取られて見つめている。
目の前にいる井狩さん……いや、イカを睨みつける!
「あんなことを急に言われても、どける訳がないだろう! こっちは子供を産んでいる最中だったんだぞ!?」
数いる
彼女が見守ってくれている中で、僕は海中できらめくサンゴ礁に囲まれながら、幸せな気持ちで子供たちを産み落としていた。
タツノオトシゴはメスから卵を受け取り、オスのお腹の中で育児をする。
子供を産み落とし、家族でこれからという時に僕は命を奪われたのだ!
「何であんな水中の真ん中でそんなことしてたのよ!? 海藻に尻尾巻きつけて岩場の影でやりなさいよそんなこと!」
「子供たちが初めてその目で見る世界だぞ!? この世に誕生する初めての記念すべき瞬間だぞ!? サンゴ礁に囲まれた、美しい景色を最初に見せたいと思った親心の何が悪い!!」
「そのせいで私も貴方も死んだんでしょうが!!」
「スピード出して止められなくて止まっていたヤツにぶつかるって。追突事故かよ、オメーらの死因」
今でも思い出せる、あの瞬間。
通りすがりのエビに出産を応援されてそれに応えていた中での、背中にとつてもない衝撃を受けて吹き飛ばされた僕の視界が捉えた白い物体。
その白い物体の後ろから迫りくる、鋭い牙を持つ海洋の王者の口に諸共飲み込まれた、あの最期の時を。
幸せの絶頂から、地獄の底に叩き落とされた瞬間だった。
理不尽だった。悲劇だった。
あれはただの暴力だった。
この世に神はいなかった。
手で顔を押さえ、ふらりと項垂れて椅子に座る。
僕と同じように激昂していた井狩さんもやるせなさを覚えたのか、静かに着席した。
「…………ぁ」
ポツリ、と小さな言葉を落としたのは海老原さん。
顔を押さえている手の指と指で隙間を開けて見れば、またもや顔を青褪めさせていた。
そして恐る恐るというように、話し出す。
「ア、アタシ、あの日デートだったの。ウキウキして砂の上、スキップしながら歩いていたの。途中にタツノオトシゴが子供頑張って産み落としているの見て、『頑張ってー!』って、応援したの」
顔を押さえていた手をどける。
「え……」
「ア、アタシ、見てたの。イカがタツノオトシゴに後ろから激突したのも。すぐにサメがイカとタツノオトシゴを飲み込むのも。目の前で」
「「うわぁ……」」
顔を歪めたのは多古くんと打保くん。
井狩さんはその瞬間を思い出してしまったのか、机に顔を伏せてしまった。
「あの時のエビが、海老原さん……」
「で、でね。やっぱりアタシも狙われちゃうと思って、必死に逃げた。アタシその時まで歩くことしかしてこなかったから、初めて水中を泳いで逃げたよ! だってこれからデートだったんだよ!? デートする前にサメに食べられて死ぬなんて嫌だったんだから! 結構距離泳いだと思って、追いかけて来ていないか後ろを見て……っ」
そこで一旦口を引き結んだ海老原さんは、ギュッと目を閉じて叫んだ。
「タコが! サメじゃなくてタコがアタシを追いかけて来てたの!!」
「あ。そのタコ多分オイラッス」
「タコおのれ貴様あぁぁ!!」
はい、と手を上げた多古くんの制服の襟を両手で掴み、ガクガクと揺さぶり始めた海老原さん。
食物連鎖の悲劇がここでも発生していたとは。
しかし揺さぶられている多古くんは、「ちがっ、違うッス!」と何やら弁明をし始める。
「ああん? 何が違うってこのタコスケ!」
「八甫ッス!」
「え、海老原さん一旦落ち着こう。一応多古くん側の話も聞いてみよう?」
恐らく彼女のこの剣幕だと、デートできずに終わってしまったのだろう。
宥めたら渋々と手を放し、ギロリと多古くんを睨みつけている。
「で、多古は何が違うっつってんだよ。オメー、エビ食うために追っかけてたんじゃねーのかよ?」
打保くんの問い掛けに、多古くんはふるふると首を振った。
ガタイは良く男らしいのに、動きは何だか可愛らしい多古くん。
「本当に違うッス。オイラ、あの時全然お腹減ってなくて。むしろ食後だったから満腹だったッス。で、何か必死こいて泳いでいるエビ見かけたんスよ。食べる気とかなくてボーッと見てたらそのエビ、抱えていたもの落として。何かなって思って拾ったら、千切られた魚の身だったッス」
それを聞いた海老原さんがハッとする。
「あ! それデートの時に一緒に食べようと思って持って行ったお弁当だ!」
「弁当かよ」
「これなきゃ困るんじゃないかなって思って、それで追いかけてたんス」
「森のクマさんかオメーら」
的確な打保くんの突っ込みに僕は無言で頷いた。
この場合はアレだな。
お嬢さんー、お待ちなさーい、ちょぉおとー、落し物ー、小さくちーぎーらーれーたー、魚のおーべーんーとぉー(タコ視点)。
「前のオイラ。タコとしては長距離で泳ぎ続けるのはできないから、中々追いつけなかったッス」
「そりゃそうだよ! アタシだって必死だったんだから! 海洋ピラミッド最弱舐めんな!」
「オメー最弱はプランクトンだぞ」
今度は海老原さんがバンッと平手で机を叩いた。
「黙らっしゃい! ピラミッドでも上の方のアンタに、目に見えるかどうか分っかんない最弱微生物より、確実に目視できる天敵どもに見つかったらおしまいの最弱甲殻類の気持ちが分かるか!」
「落ち着いて、海老原さん。それで結局貴方たち、どうなったの」
今まで机に伏せていた井狩さんが起き上がり、彼等に話の続きを促す。
海老原さんはその瞳に涙を溜め、悔しそうにバンバン机を叩いた。
「死んだわよ! このタコスケに捕まって絞めつけられて、そこでブラックアウトよ!」
「八甫ッス! それについても弁明させてほしいッス!」
「……一応聞いてみようか」
何だかちょっと予想がつく。
足伸ばして捕まえて、吸盤が離れなくなって間違って絞めちゃったとか、多分そんな感じなんじゃないかと思う。しかし。
「オイラちゃんと考えてたッス。吸盤当てちゃうと中々離れなくなるから、ついてない表側で軽く叩こうとしたんス。そしたら……」
「「そしたら?」」
僕と井狩さんの声が合わさる。
多古くんが、古傷を庇うかのように坊主頭の後頭部に手を当てた。
「そしたら……っ、急に後ろからガブッて、何かに咬まれたんス!! その衝撃でエビ捕まえちゃって絞めちゃったんス!!」
「何ですって!?」
「「…………」」
海老原さんが反応する他、僕と井狩さんが無言で反応していない一人を見る。
タコはエビが好物。そしてタコを好物としているのは……。
「……」
打保くんもまた、先程の僕と同じように手で顔を覆っていた。
うん、何も突っ込みが入らないことから彼が多古くんを襲った犯人……犯魚だろう。
「……違ぇ。俺も違ぇ」
そしてブツブツと何やら否定し始めた。
僕は再び司会役に戻る。
「えー、多古くんを襲ったのは打保くんかな?」
「「えっ!?」」
「違ぇ!!」
顔を覆っていた手を外し叫ぶ打保くんを、井狩さんが冷ややかな目で見つめる。
「何が違うのかしら? ウツボの好物がタコなのは、私たち海洋生物界の常識でしょう?」
「う、打保くんがオイラを……!?」
「だから違ぇっつの! や、多古を咬んだのは確かに俺だけどよ。俺だって、食べるために多古を咬んだ訳じゃねーよ」
詳しく話を聞くために一旦口を閉ざした僕らを前にして、打保くんが気まずそうにその時のことを語り始めた。
「俺らウツボは普段岩場の穴に潜んで生活してんだよ。近く通った魚とかタコとか捕まえたり、岩場で釣りしたヤツの釣った魚食いに行ったりな。嗅覚は利くかんな。それでも巣穴から出んのは俺の場合、夜だけって決めてたんだよ。あそこ結構漁師とかもいたし。そんで、俺には舎弟のオトヒメエビがいてな。ソイツが言ってたんだよ、『今日はデートなんです。だからお口掃除できませんよ』って」
確かに、ウツボは皮膚とか口の中を、エビとか小魚に掃除してもらっている魚だ。
……つまり、海老原さんのデート相手のエビが、前世の打保くんの舎弟のエビってことか?
「まぁ掃除してくれるヤツは他にもいたし、別に今日ソイツがいなくてもなって思った。けどよ、その舎弟のエビが俺に助けを求めて来たんだよ。『助けて下さい! あの子が、あの子がタコに襲われているんです!』ってな。まぁ可愛い舎弟の頼みってもんで、昼間だったけど巣穴から出て、エビ襲ってるタコの頭咬んで助けようと思ったんだよ」
「それで実際に咬んだ結果、多古くんは海老原さんを絞殺してしまったと」
「……ああ」
食物連鎖の悲劇ではなく、人情……魚情あっての悲劇だったとは。
「ハハッ。でよ、結果的に俺も死んだぜ? 夜しか出てなかったから漁師に明るい時間で目撃されんの俺、初めてだったわけ。
懐かしむように遠い目をする打保くんを、僕たちは静かに見つめた。
やっぱり彼は捨て猫を見捨てておけないタイプの不良だった。
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