今年もあの季節がやってきた

小畑 こぱん

第1話 希望と絶望は同時にやってくるもの

 白桃色の花弁が微風に浚われる。

 青い絵の具を乗せた筆にたっぷりと水を含ませ、まっさらな白紙にポタリと落とし、そこから染まったような一面の淡い青の空。


 温かな光が降り注がれるそんな空の下、花弁舞う中で多くの者たちが、これから始まろうとしている未来への期待に胸を大きく膨らませていた。


 果てなき受験戦争を勝ち抜いた者たちが新品の制服に身を包み、顔を輝かせてその門を潜る。

 本日は4月のとある日。


 ――高校の入学式の日であった。





 ……とまぁ、そんなことを脳内で風流に語ってはみたものの。

 入学式中の長過ぎるお偉いさんの挨拶に気候の温かさもあって若干の眠気を感じていた僕は、いまやそんな眠気も吹き飛ばされるほどの衝撃を受けていた。

 ザワザワしている落ち着きのない他のクラスメートと違い、現実逃避をするためジッと真新しい机に視線を落としている。


 ずっと違和感を覚えていた。

 四季の中でもあの季節がやってくると、どうにもアレのことが頭を過ぎって落ち着かなくなった。その授業がある時限定で学校を休むほどに。

 その理由がたった今、分かった。


 ちら、と教室内に目を向けると、僕と同じような状態の人間が数人いる。



 ――野球部によくいるような坊主頭の、ガタイの良い男子。


 ――頭の高い位置で髪を結んでいる、ポニーテールの女子。


 ――ぬばたまの長く美しい黒髪をサラリと流し、肌の色も白いきれい系な女子。


 ――入学早々制服を着崩し、髪を茶髪に染めているいかにも不良っぽそうな男子。



 その数人が僕と同じように、周囲のざわめきも聞こえていなさそうな様子で、静かにジッと己の机を凝視していた。


 痛いほど、その気持ちがよく分かる。

 何がきっかけだったのかは、正直よく分からない。けれど、この教室に足を踏み入れた瞬間にパッと思い出したのだ。


 かつての自分を。

 自由に生きていた、今の僕より前の僕を。


 そして何故僕の髪が、クセの強いクルクルパーマなのかも。サラサラヘアに憧れて縮毛矯正をかけても寝て起きたら元に戻り、アイロンをあてても無駄無駄無駄ぁ!だったのかを。

 僕は眼鏡もかけているが、これは関係なかった。

 夜中布団の中で活字を追っていた僕の自業自得であった。


 はぁ、と溜息を吐き出す。

 確認し、あの数人のクラスメートと語り合わなければ。

 きっと恐らくはかつての同士。種族は異なれど、いくらか話も合うことだろう。


 未来への期待に胸を膨らませて入学した筈なのに、なぜ地獄の底に叩き落とされた気分に陥るのか。

 それは、かつての自分の最期が関係している。


 理不尽だった。悲劇だった。

 あれはただの暴力だった。

 この世に神はいなかった。


 家族で、幸せになれた筈だったのに。


 そんなどうにもならない思いを抱きながら、高校生活初日を乗り越えるのであった――……。





◇+◇+◇+◇+◇+◇+





 入学式で息子の勇姿を自身の目で見て、称えるために来ていた親には、クラスメートと語ることがあるからと先に帰宅してもらった。

 「早速新しいお友達ができたの!」と大層喜びに溢れながら、笑顔で手を振って教室から去って行った親の背中を見つめ、それとは真逆の気持ちで教室内へと戻る。


 見れば、該当するあの数人の生徒も残るようで、自身の親へと手を振って見送っていた。

 意外なのは不良という印象の強い彼。彼もまた親に何事かを言って、帰ってもらっていた。

 あれか、捨て猫は見捨てておけないタイプの不良か。


 そうして各々が帰宅するために教室を出ていく中で最終的に残ったのは、あの四人と僕。

 目的は恐らく同じである筈なのに、誰もが視線を彷徨わせてどうすればいいのか途方に暮れている。

 ゆえに前世一応子供までいた身である僕が、仕方なく先陣を切ることにした。


「皆、真ん中の机を動かして。話し合うために席を整えよう」


 僕の言葉にハッとし、それぞれが素直に動き出す。

 そうして会議をするかのように机同士を合わせ、人数としては五人なので一つはお誕生日席になった。

 何故か最初に発言した僕がそのお誕生日席に座ることに。


 全員が席に着き、向けられる視線にどうも司会役は僕に一任されるらしい。

 仕方がない。前世年長者の務めだ。


「えー……。まずは自己紹介から始めようと思う。時計回りに順に言っていこう。僕は、竜野たつの 乙彦おとひこ


 名乗り、視線を左前へと移す。

 座っているのは、坊主頭のガタイの良い男子。


「オイラは多古たこ 八甫はちすけ。中学は柔道部に入っていたッス」


 僕が言わなかったことまで言った彼、多古くん。野球部ではなかった。

 次に発言したのは、ポニーテールの女子。


「アタシ、海老原えびはら 虎夏こなつ。今すっごくここから逃げ出したい気分」


 まぁそうだろうな。

 前世の天敵しかいない場にいれば、そりゃあな。

 海老原さんの次は、黒髪白肌のきれい系女子。


「私は井狩いかり 十和子とわこ。海老原さん。今は人間なのだから怯えなくてもいいのよ」


 静かに宥めるように言う井狩さんの次、最後である不良の彼。


「俺、打保うつほ 千牙せんが。まぁ名字で大体分かるけどよォ、それぞれの前世も言ってくっか? 俺ァウツボよ」


 そして名前紹介とは逆に。


「私はイカよ」

「アタシ、エビ」

「オイラはタコッス」


 僕の順番が回って来て口を開こうとしたその時、何故か「はいっ!」と海老原さんが挙手をした。

 先程まで青かった顔色がどういう訳かキラキラと紅潮している。


「アタシ、竜野くんの当ててもいい!?」

「あ、オイラも言いたいッス!」

「ずるいわ。私だって当てたいわ」

「じゃあ全員で言やぁいいんじゃねーの?」


 何故か司会役の僕を置いてけぼりに四人で言い合った結果、海老原さんが「せぇーのっ!」と掛け声をかけて。



「「「「乙姫さま!!」」」」


「タツノオトシゴです。この頭のクルクルパーマが目に入らんのか」



 えっ、て顔をするな。

 僕は前世から今生もずっとオスとして生きている。それに。


「君たち、今生に影響され過ぎでは? 僕たちの世界には竜宮城もそんな存在もいなかっただろうに」

「竜野くん! 夢がない! 夢がないよ! アタシたちが住んでいた海域とは別の海域にはいたかもしれないじゃない!」

「そうッス! ほら、ダイバーがカメに首根っこ咥えられてどっかに連れて行かれていたの、岩場の影から俺、見たことあるッスよ!」


 エビとタコが反論し始めた。

 ダイバー、カメに誘拐されるとか。


 井狩さんもふぅ、と息を吐く。


「タツノオトシゴ……。あぁ、嫌な思い出が甦ってくるわ……」

「ん? 奇遇だね。僕もイカにはとても嫌な思い出があるよ」


 最期の時を思い出し、苦い顔になる僕に井狩さんもどんよりとした空気を背に負っている。

 そんな僕たちの様子に打保くんが片眉を上げた。


「オメーら、捕食関係だったかァ?」

「いいえ。誰があんなヘンテコな形の身もなさそうなものを食べると? 私がタツノオトシゴに嫌な思い出があるのは、私の最期の時にそれがいたからよ!」


 目をカッと見開き、ワナワナと身体が震え出す。


「覚えているわ……。よく覚えているわ! 私、あの時サメに見つかって追いかけられていたのよ。墨を吐きながら、必死に逃げていたのよ。それなのに! 逃げている私の進行方向にタツノオトシゴがいたわ! 『邪魔よ、どいて!!』って言ったのに、あのタツノオトシゴが避けなかったから、ぶつかって一瞬気を失った瞬間に……っ!!」


 バンッ、と強い音が教室内に響く。

 その音は僕の手の平が、机を叩いた衝撃で鳴ったもの。


 信じられないと、井狩さんを見つめる。

 『邪魔よ、どいて!!』……?

 あれは、あれは……っ!


「井狩さん、あの時のイカは君だったのか!!」

「その口ぶり。じゃあ貴方があの時のタツノオトシゴ!?」

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