いじめとカッコウ<後編>

 しかし翌日は土曜日で学校が休み。

 久慈と勝負はできなかった。

 俺は月曜日の戦いに備えるべく、両親に頼んで握力を鍛える器具のハンドグリップを買ってもらった。

 そして一日中ずっとそれを握り、右手の握力を鍛えた。

 日曜日もそうしたし、月曜日には学校に持っていって授業中も握力のトレーニングをした。


 昼休みもハンドグリップと弁当の箸を交互に持つ俺に、由利が冷ややかな目を向ける。


「まさか握力でどうにかしようと? 手品なのに?」


「五百円玉の感触は確かにあったんだよ。だったら握力があれば、五百円玉は消えないはずなんだよ」


 健司と由利は硬貨を握らされていないから、そう確信を持てないのだろう。

 だけど俺は二度も手のひらに五百円玉を置かれている。

 その感触を覚えている。


 弁当を食べ終えて俺は久慈に勝負を挑む、もといカツアゲをする。

 久慈は例によって五百円玉を差し出してくる。


「仏の顔も三度までって言うだろ。三度目はないんだぜ」


 俺は握力を鍛えただけではない。

 ちゃんと作戦も考えてきたのだ。

 騙され続ける単細胞とは違うって見せつけてやる。


 俺は右手の拳をさらに左手で包み、力を込めた。

 それだけじゃない。

 さらに握った拳の隙間を減らすために拳を腹に押し付ける。

 隙間を減らし、握力も鍛えた。

 これで五百円玉を抜き取ることはできないはずだ。


「色々考えてきたみたいだけど、逆に注意力散漫になっちゃったね。もう消えちゃってるよ」


 久茲は俺が必死の作戦を披露してすぐにそう言ってきた。

 ここまで完璧にしたのに嘘だろ、と思った。

 しかし手を開いてみると、本当に五百円玉が消えていた。

 消えた五百円玉は俺のブレザーのポケットから出てくる。


 三回同じ手品に敗北して、俺のプライドは壊れた。

 金を奪うことはできているのに、日に日に惨めになっていく。

 落ち込む俺を見かねたのか、由利がアドバイスをくれる。


「毎回ブレザーに移動してるんだからさ、そっちを警戒した方がいいんじゃないの」


 本当にそうなのだろうか。

 俺の手には確かに硬貨の感触があって、それを無視することはできない。

 だけど由利の言うとおり五百円玉はいつも同じように俺のブレザーのポケットに移動している。

 もし手品ならあいつがポケットに入れていることになる。

 その瞬間を捉えられれば、瞬間移動のトリックも判明するかのかもしれない。



 翌日俺はまたカツアゲをしたのだが久茲が初めて金を出すのを拒否してきた。


「毎日五百円あげてただろ。だからもうお金なくなっちゃったんだよね。お金持ってないんだから、渡すことなんてできないよ」


 と久茲は主張した。

 しかし五百円玉がなければ手品が始まらない。

 面食らった俺だったがすぐに解決策を思い浮かんだ。


「わかった。俺の五百円玉を使おう。今日こそお前のトリックを暴いてやる」


 財布から五百円玉を出す。

 元々久茲から奪った物だ。

 手品のカモにされたのが悔しくて使わずにそのまま持っていたのだ。


 俺が久茲に五百円玉を渡すと後ろの二人が、


「カツアゲじゃないじゃん」


「趣旨どこいったよ」


 と指摘した。

 だけど俺はプライドのためにも勝たなくてはならない。


 久茲の手に渡った五百円玉は再び俺の右手に戻ってくる。


「ちゃんと握っててね。そうしないと消えて、どこかに行ってしまうから」


 指示どおり右手を握るが、左手でいつものポケットを探る。

 由利の言った作戦だ。

 もし既にポケットの中に五百円玉があったのなら、それがトリックの手がかりになるはずだ。


 だけど意識がポケットを探る手の方に向いていたせいか、


「ちゃんと集中しなきゃだめでしょ。消えちゃったよ」


 と久慈に言われてしまう。

 言われてみると手の中に硬貨の感触がない。

 開いてみれば当然ながら消えている。

 いつものポケットにもない。

 じゃあどこに、と俺はブレザーの他のポケットも探す。


「全然集中できてなかったせいだろうね。今日はこっちに来てたよ」


 五百円玉は久慈の財布の中に移動していた。

 また負けた、と無念に思っていたら久慈が追い打ちをかけてきた。


「じゃあこの五百円は僕の物ってことで」


 そう言って財布を閉じる。

 今までになかったことで俺は慌てた。


「いや、ちょっと待てよ。それは俺のだろ。返せよ」


 財布に手を伸ばすが、久慈にその手を掴まれる。


「なに言ってるの。これまでは君のポケットに移動したから、君の物になったんじゃないか。今日は僕の財布に移動したんだから、これは僕の物だよ」


 俺は反論が思い浮かばなかった。

 考え込んでしまったからだ。

 確かにこれまで五百円玉は俺のところに瞬間移動していたからだ。

 手品で好きに移動させられるなら、俺に渡さずに回収すればいい。

 それなのに昨日まで五百円玉は俺の物になった。

 もしや手品ではなく魔法なのではないかと思った。


 今までと違う展開に衝撃を受け、呆然と自分の席に戻る。

 俺の虚脱した様子を見て健司が心配する。


「もう別のやつ標的にした方がいいんじゃねえか? こっちが金取られてるんじゃ、もういじめとは言えんぞ」


「でも、やられっぱなしは嫌だ……」


 健司は「どうするよ」と表情で由利に問いかける。

 自分よりも由利の方が説得に適任と思ったのだ。

 だが由利の意見は健司と違っていた。


「私は面白ければなんでもいいよ。いじめでもマジックショーでも」


 翌日もその翌日も俺はトリックを見破れず、五百円を奪われた。

 俺のポケットに来ていた硬貨はなぜか久茲の財布に移動した。

 おかげでポケットを探ってヒントを得る作戦も取れない。

 だけど俺は屈さなかった。

 俺はカモでもカッコウでもないからだ。


「うおおっ!!」


 もう金曜日になってしまった。

 今日を逃すと来週まで挽回の機会は巡ってこない。

 必死になって五百円玉の感触を握りしめる。

 しかし。


「おおおっ!?」


 結局五百円玉はどこかに消えてしまう。

 どこだ、と探すがここ数日のパターンで久慈の財布から出てくる。


「今日も僕の財布に来てしまったね」


 また五百円玉を失ってしまう。

 いや、それよりも敗北が続いてばかりでなんの糸口も見えない方がつらい。

 ショックでうなだれる。

 そこに久慈の手が差し伸べられる。

 彼は五百円玉を俺に返そうとしていた。


「え?」


「最初の三日は僕が君に取られた。昨日までの三日で、僕はそれを返してもらった。もうプラマイゼロになってるでしょ。だからこれは返すよ」


 正直ありがたかった。

 学生にとって五百円は大きい。

 差し出された五百円玉を俺は右の手のひらに乗せてもらった。

 その瞬間、俺は驚愕した。


 久茲が俺に返してくれた五百円玉は、それまで感じていた硬貨の感触と違っていた。

 散々必死に握っていたからわかる。

 俺が今日まで握っていた物は、五百円玉ではなかったのだ。

 そのことにようやく気が付く。


「最初から五百円玉はなかった……!?」


「おっ、とうとう気付いたね」


 久茲は嬉しそうに笑った。

 七回も同じ手品を披露したのにタネがバレないのでは、それはそれでつまらなかったのかもしれない。


「僕が君に握らせていたのはこれだよ」


 久茲は俺の手のひらに指を、より正確には指の爪を押し付けた。

 その感触は爪が離れても手に残っていた。

 その感触こそまさに俺が逃すまいと握りしめていたものだった。

 そこまでの種明かしで俺はトリックの全容を理解した。


「五百円玉は久慈が持ったまま。だから後はどこに移動させるのも好きにできる」


「そういうこと」


 ようやくトリックがわかった。

 なまじ感触があった分、五百円玉が一度は手の中にあると思い込んでいた。

 そのせいで俺は握力で逃がさないなんて馬鹿げた方法に囚われていた。

 後ろで見ているだけの健司と由利の方が正解に近付けていた。

 俺はカモでカッコウだった。


 だけども久慈は俺から金を奪おうとはしなかった。

 俺は負けていた。

 手品の勝負でなくて、人間として負けていた。

 そのことが恥ずかしくて、涙があふれてきた。


「えっ、どうして泣くの……」


 戸惑う久慈に、俺は自分の気持ちをうまく説明できなかった。

 ただただ泣いていた。

 久茲は「ごめん、そんなつもりじゃなかったんだけど」とか謝っていて、まるで久慈がいじめっ子で俺がいじめられた側みたいだった。

 健司と由利も俺の頭や肩をさすって慰めてくれる。


「ねえねえ、他にできる手品ってない?」


 泣く俺を乱暴に撫でる由利が久茲に尋ねた。


「いっぱいあるよ。いつも家で練習してるから」


「ならさ、昼休みにマジックショーでも開いてよ。絶対人気者になれると思うよ」


 由利はすっかり久慈の手品に興味津々な様子だった。

 俺も他の手品を見たいと思った。

 健司も同じだろう。

 俺たちはいじめようと思っていた久慈に魅了されている。

 昼休みに教壇に立って手品を披露する久茲を見ている俺たちの姿は簡単に思い浮かぶ。

 退屈を忘れて笑っている健司と由利。

 俺は口をぽかんと開けて手品に見入っている。


 俺は久慈と全然違う。

 人気者になれるようなものを俺は持っていない。

 それどころか確固とした自分がない。

 だから健司や由利の気を引きたいと思った時に、自分より弱そうな人間に目がいった。

 自分という個性を構成するもの。

 そういうなにかを、帽子からハトを出すみたいに、久慈に与えてほしかった。

 そんなの無理って言われるだろうけど。

 でも俺も久茲みたいになにか一芸を持った人間になろうと、そう決意した。

 そうじゃないと俺は俺が恥ずかしくて生きていけない。


 退屈なんて感じていられる人生では、もうなくなった。

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いじめとカッコウ はねのあき @hanenoaki

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