これは友達の話なんだけど。
黄黒真直
★
「これは友達の話なんだけど」
つまり、マリ自身の話ということだ。
マリの部屋の時計は、深夜二時を指していた。私達は勉強にも飽きて、お菓子を食べながらお喋りしていた。すると、マリが「友達の話」を始めたのだ。
マリは自分の悩みを相談するときに、こうやって切り出すことがよくあった。
初めてマリが「友達の話」をしたのは、中学一年のときだった。私達が出会ってまだ数ヶ月の頃だ。友達が母親と喧嘩したというのだが、聞けば聞くほどマリ自身の話なのだ。
どうやらマリは、「友達の話」と言うだけで誤魔化せると思っているようだった。大人びて賢そうな見た目なのに、中身は赤ちゃんみたいで可愛らしいなと感じた。
マリは真剣な目で(つまり私にバレてないと思っている目で)話を続けた。
「その人ね、ずっと好きな人がいるみたいなの」
「えっ?」
急な話でびっくりしてしまった。マリに好きな人が?
私達はいま、中学三年生だ。受験勉強に忙しい日々だけど、でもだからこそ、日々の溜まったストレスが恋愛に昇華することもあるだろう。
だけど、今まで一度も「友達」が恋してるなんて言わなかったから、驚いてしまった。一体相手は誰だろう。クラスの男子? それとも部活の誰か?
私はマリの交遊関係を頭の中でチェックした。私とマリは基本的にべったりだから、学校内の男子との関係はほぼ把握している。マリがクラスで一番仲の良い男子は新島だ。新島の方は確実にマリのことが好きだけど、マリの方はどうだろう。あまり好みではない気がする。
文芸部では、磯田だろうか。文芸部の三年生は私とマリと磯田しかいないから、必然的によく話す。それにこの間、マリは磯田に本を貸していた。本の貸し借りをするくらい、仲がいいんだ。磯田にオススメの本を教えているところも何度か見た。
もしかして、マリがが好きなのは磯田?
私はここまでのことを瞬時に考えてから、質問した。
「あ、相手は、誰なの?」
びっくりしすぎて、ちょっと詰まってしまった。マリはそれを笑わずスルーした。
「う〜んと……同じ部活の人」
磯田だ!!
まさかマリが、あの磯田を? ちょっと根暗なあの磯田を? 文芸部でもマリ以外とはほとんど話さないような磯田を?
信じられなかった。なんであんなのが良いんだろう。だってあいつ、全然気遣いとかできないよ。目を見て話すこともしないし、私と歩いてるときに歩調を合わせることもなかった。しかも、私が重い本を運んでても、手伝いすらしなかったもん。
その点、私なら、マリが転びそうになったときにさっと腕を掴むし、男子にナンパされてたらさっと助けるし、こうやってマリの気持ちもさっと察するし、断然いい彼女になれるよね。
……ん?
私は自分の思考に疑問符を浮かべながら、続きを促した。
「それで、その友達は、その人とどんな感じなの? 仲良いの?」
「仲良いと思う。たまに本の話とかしてるし、夏休みに遊びに行ったりもしたし」
夏休みに、遊びに!
いつの間にそんな仲になってたの!? 私、一言も聞いてないんだけど。
一体、いつ行ったんだろう。中一、中二の頃は、私達はほとんど毎日のように遊んでいた。だけど中三になって受験勉強を始めてからは、遊ばない日も増えた。夏休み中は私だけ塾のある日も多かったから、そのときだろうか。
「ど、どこに行ったの?」
「海浜公園だよ」
「それって、あの、本屋のあるところ?」
「うん」
あそこのレンガ造りの大きな古書店は、文芸部ご用達の本屋でもある。部誌に載せる本を探しに行こうとでも誘えば、口実としては十分だ。
それと同時に、あの公園は思い出の場所でもある。私が初めてマリの手を繋いだ場所なのだ。
女子同士で手を繋ぐなんて普通のことだ。だけど私はどうしてかマリに対してだけ、なかなかそれができなかった。小学生のとき仲良かった子とは普通に手を繋いでたし、中学の他の友達とも手を繋ぐことはよくあったのに。
あれは中二のとき。マリと二人で、初めて海浜公園に行ったときだ。私がお手洗いに行っている間に、マリはナンパされていたのだ。相手は高校生らしき男子二人組だった。
すぐに状況を察した私は、マリの元に駆け寄った。そして咄嗟にマリの手を掴むと、こう叫んだのだ。
『私の彼女に、なにか用!?』
今思えば大胆な発言だ。私の彼女、だなんて!
『は? 彼女?』
『そうだよ。私達、付き合ってるんだからね!』
あのとき、マリの手は震えていた。だけど、私の手もそれ以上に震えていた。
だって、相手は男子高校生二人。何をされるかわからない。私の心臓は痛いくらいにドキドキ鳴っていた。
だけど、男子達は顔を見合わせると、
『なんだ、レズかよ』
と言いおいて、とっとと去ってしまった。
男子の背中が見えなくなると、マリは大きなため息をついて膝から崩れ落ちた。
『ち〜ちゃん、怖かったよ〜!』
『よしよし、大丈夫だよ』
私は泣きじゃくるマリの隣に跪いて、頭をなでなでした。
その日はそれ以降、ずっと手を繋ぎっぱなしだったんだ。
そんな思い出の場所に、マリが磯田と……。別にマリにとっては大した思い出じゃないのかもしれないし、磯田にしてみれば単にデートスポットの一つに過ぎないのだろうけれど。
だけど、私が勉強している間に、あの公園でマリと磯田がデートしてたとなると……不愉快だ。
「そのときって、どこまで行ったの?」
「え、どこまでって?」
「だから、手を繋いだりとか、したのかなって」
「えっ」
マリは目を泳がせたあと、悩みながら答えた。
「……うん、一応」
マリと、磯田が、手を!
カッと、心の中で何かが燃え上がる。
私との思い出が、磯田に上書きされている。そんな気持ちになった。
「あ、でも、繋いだと言っても一瞬だよ? 転びそうになったから、手で掴んだってだけ」
「それじゃあ、そのまま歩いたりとかは?」
「しなかったみたい、全然」
なんだ、と私は安堵した。そんなの全然、手を繋いだ内に入らない。マリもそれがわかっているから、「一応」なんて言ったんだ。
それでも、「一応」繋いだことにしたいマリの気持ちが、私には面白くなかった。
だいたい、そのくらいなら私だってする。マリといつも一緒にいる私は、マリがよく転ぶのを知っている。そしてそのたびに、私はマリの手を掴んで、倒れるのを防いでいた。
『ごめ〜ん、ち〜ちゃん』
と謝るマリの顔は、転んだ恥ずかしさ半分、私に助けられた嬉しさ半分で、どこか甘えるような表情になる。それがあまりにも可愛くて、私は『大丈夫、何度転んだっていいよ』と言ってしまうのだ。
『え〜、もう転ばないよ〜。恥ずかしいし』
そう言うマリの顔は、本当に恥ずかしそうで可愛かった。
最近になって私も、人前で転ぶのが思いのほか恥ずかしいことを知った。しかもそれを助けられると、二重に恥ずかしくなる。だけどそのときの私は、マリが転んだときの気持ちを追体験できて、ちょっと嬉しかった。
「だけどそんなんじゃあ、全然だね」
「え、全然って?」
「夏休みに二人きりでデートしたのに、手も繋がないなんて、全然甲斐性がないよ。やめといた方がいいんじゃない?」
「そ、そうかな……?」
私の態度に、マリが戸惑っている。
私はいつだって、マリの味方だ。マリが悩んでいたら、マリの背中を押すのが私の役目だ。
いいや、マリに限らず、私は基本的に人の背中を押すタイプの人間だ。たとえ相手が磯田だとしても、会議で部誌の企画案を出せずにウジウジしていたら、さり気なく話を振って案を出させたりもする。私はそういう人間だ。
その私が、いま、マリの悩みに否定的な意見を述べている。たぶんマリは、磯田に告白する勇気が欲しいんだ。だから私に悩みを話して、背中を押してもらいたがっているんだ。
でも私は、どういうわけか、その背中を押す気になれなかった。いや、押したくなかった。その手を掴んで、こちらに引っ張りたかった。
「ちーちゃんだったら、好きな人とデートしたとき、手を繋いだりする?」
「する。ガンガンする。なんならキスまでする」
さすがにキスはしない。でも磯田だってしなかっただろう。だからこう言っておけば、マリは磯田を諦めるかもしれない。脈がないんだ、って。
それに、私もマリとキスしたことはないが、キスしかけたことならある。
去年のことだ。部室に一番乗りだった私達は、誰もいない部室にちょっとテンションが上がっていた。それで私達はふざけ合い、私はマリに抱きついたのだ。
マリは抱きしめるとすごく良い匂いがする。それに体温も高くて、柔らかい。同じ人間とは思えない感触があった。
そのとき私は、きっとマリの唇は、もっと温度が高くて、もっと柔らかいんだろうなと想像してしまったのだ。
私は少し体を離して、マリの顔を見た。マリは楽しそうに笑っていた。薄いピンクの唇から漏れる吐息が、私の唇にかかった。私はその呼気に誘われるように、顔を近づけていった。
唇が触れそうになった瞬間に、部室のドアが開いた。私はそれに驚いて、顔を離した。
入ってきたのは、当時の先輩と、磯田だった。
『えっ……いま二人、何してた?』
と先輩は動揺していた。
『まさか、キス……?』
『バレちゃ仕方ないですね。そうです、実は私達付き合ってて……ってそんなわけないじゃないですか!』
咄嗟の判断にしては、上出来だったと思う。私は「先輩の冗談に乗った後輩」のふりをして、先輩も笑って流してくれた。
ただ、磯田は冗談を真に受けてしまったらしい。数日後、オドオドした様子で私に聞いてきた。
『森さんって、更科さんと付き合ってるの?』
『私が、マリと? 付き合ってないけど』
磯田はホッとしていた。でも……ああ、そうだ。いま思えば、こう答えたときの私は、胸が痛んでいた。
私とマリは付き合っていない。でも、付き合いたい。
いま、はっきりと自覚した。
私はマリが好きなんだ。たぶん、中一の頃からずっと。
だけどマリは磯田が好きで、磯田の方も、たぶんマリが好きだ。
最悪の三角関係だった。
「ちーちゃんは、男子と手を繋いだことないの?」
「ないよ」
「本当に、誰とも?」
「うん、全然」
「う〜ん、そっか〜……」
マリは何故だか残念そうな顔をした。しかし、ないものはないのだ。
いや、そういえばこの間、転びそうになったときに磯田に手を掴まれた。しかし、そのくらいだ。すぐに振り解いたし。
……ん?
私は何か、デジャヴのようなものを感じた。
マリの「友達」は夏休みのデート中、転びそうになった「好きな人」の手を掴んだ。
私も、磯田と夏休みに二人で出かけたことがある。初めはマリも一緒で、三人で海浜公園の本屋へ部活の買い出しに行く予定だったのだ。それをマリがドタキャンして、仕方なく二人で行った。
あのとき磯田は、歩調も合わせてくれなかったし、重い全集を運ぶのを手伝ってもくれなかった。私が転びそうになったら手を掴んでくれたが、気が利いたのはそれくらいである。
そういえば、「友達」と「好きな人」は同じ部活と言っていたが、私と磯田も同じ部活だ。
「友達」と「好きな人」は本の話をすると言っていたが、私も磯田とたまに話す。あいつは何故か、私の好きな本をよく読んでいるからだ。
マリの話は、私と磯田の関係にも符合していた。
「ねえ、マリ。確認したいんだけど、その『友達』って、誰のこと?」
「それは秘密だよ〜」
「もしかして、磯田のことじゃない?」
「……」
マリは、「あちゃ〜」という顔をした。
「……うん、そう。磯田くん」
「じゃあその『好きな人』って、まさか、私?」
マリは目を泳がせた。そして「磯田くん、ごめんっ!」と言った。
「うん……そう。ずっと前から、磯田くんに相談受けてたんだ。それで、ちーちゃんの好きな本を貸したり教えたりしてて……」
嘘でしょ。
「磯田くん、一生懸命だったんだよ? 部会でちーちゃんに背中を押してもらってから、ずっと好きだったみたいで……自分もちーちゃんの力になりたいって言ってた」
「重い本も持たなかったのに?」
「それは磯田くんも反省してた。でも転びそうになったときに助けたし、そのときちーちゃんも嬉しそうだったって言ってたよ?」
「それはマリの気持ちがわかったからだよ」
私は強い語気で言った。
「転んで、助けられたときのマリの気持ちがわかったから、それで私は嬉しかったんだよ」
「どういうこと? なんでそれで嬉しくなるの?」
マリは、本気でわからないという顔をしていた。
だから私は、思わず言ってしまった。
「マリのことが好きだからだよ!」
まるで時間が止まったように感じたけれど、時計の針はカチカチと鳴っていた。
その音が何回か聞こえたあとで、マリが言った。
「ちーちゃんが、私を?」
「うん」
「それって、友達とかって意味じゃなくて?」
「うん」
マリは、薄いピンクの唇を、キュッと横一文字に結んだ。悩むときの癖だ。
悩むということは、ちょっとは希望があるのかもしれない。
そう期待したとき、マリは言った。
「ごめん、ちーちゃん。私、女の子のことを、そういう風には見れない」
首を締め付けられるような感覚がした。
今ならまだ、冗談にできるんじゃないかと思った。先輩を誤魔化したときみたいに。
でも、なにも言えなかった。
「そう……わかった」
そのあと私達は、無言だった。
気付くとマリは眠っていたが、私は眠れなかった。
日が昇り、マリの両親が起きると、私は挨拶して家に帰った。
これが、私とマリが友達じゃなくなった日の話だ。
これは友達の話なんだけど。 黄黒真直 @kiguro
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