これは友達の話なんだけど。

黄黒真直

「これは友達の話なんだけど」


つまり、マリ自身の話ということだ。


マリの部屋の時計は、深夜二時を指していた。私達は勉強にも飽きて、お菓子を食べながらお喋りしていた。すると、マリが「友達の話」を始めたのだ。


マリは自分の悩みを相談するときに、こうやって切り出すことがよくあった。

初めてマリが「友達の話」をしたのは、中学一年のときだった。私達が出会ってまだ数ヶ月の頃だ。友達が母親と喧嘩したというのだが、聞けば聞くほどマリ自身の話なのだ。

どうやらマリは、「友達の話」と言うだけで誤魔化せると思っているようだった。大人びて賢そうな見た目なのに、中身は赤ちゃんみたいで可愛らしいなと感じた。


マリは真剣な目で(つまり私にバレてないと思っている目で)話を続けた。


「その人ね、ずっと好きな人がいるみたいなの」

「えっ?」


急な話でびっくりしてしまった。マリに好きな人が?


私達はいま、中学三年生だ。受験勉強に忙しい日々だけど、でもだからこそ、日々の溜まったストレスが恋愛に昇華することもあるだろう。


だけど、今まで一度も「友達」が恋してるなんて言わなかったから、驚いてしまった。一体相手は誰だろう。クラスの男子? それとも部活の誰か?


私はマリの交遊関係を頭の中でチェックした。私とマリは基本的にべったりだから、学校内の男子との関係はほぼ把握している。マリがクラスで一番仲の良い男子は新島だ。新島の方は確実にマリのことが好きだけど、マリの方はどうだろう。あまり好みではない気がする。


文芸部では、磯田だろうか。文芸部の三年生は私とマリと磯田しかいないから、必然的によく話す。それにこの間、マリは磯田に本を貸していた。本の貸し借りをするくらい、仲がいいんだ。磯田にオススメの本を教えているところも何度か見た。


もしかして、マリがが好きなのは磯田?


私はここまでのことを瞬時に考えてから、質問した。


「あ、相手は、誰なの?」


びっくりしすぎて、ちょっと詰まってしまった。マリはそれを笑わずスルーした。


「う〜んと……同じ部活の人」


磯田だ!!

まさかマリが、あの磯田を? ちょっと根暗なあの磯田を? 文芸部でもマリ以外とはほとんど話さないような磯田を?


信じられなかった。なんであんなのが良いんだろう。だってあいつ、全然気遣いとかできないよ。目を見て話すこともしないし、私と歩いてるときに歩調を合わせることもなかった。しかも、私が重い本を運んでても、手伝いすらしなかったもん。


その点、私なら、マリが転びそうになったときにさっと腕を掴むし、男子にナンパされてたらさっと助けるし、こうやってマリの気持ちもさっと察するし、断然いい彼女になれるよね。


……ん?

私は自分の思考に疑問符を浮かべながら、続きを促した。


「それで、その友達は、その人とどんな感じなの? 仲良いの?」

「仲良いと思う。たまに本の話とかしてるし、夏休みに遊びに行ったりもしたし」


夏休みに、遊びに!

いつの間にそんな仲になってたの!? 私、一言も聞いてないんだけど。

一体、いつ行ったんだろう。中一、中二の頃は、私達はほとんど毎日のように遊んでいた。だけど中三になって受験勉強を始めてからは、遊ばない日も増えた。夏休み中は私だけ塾のある日も多かったから、そのときだろうか。


「ど、どこに行ったの?」

「海浜公園だよ」

「それって、あの、本屋のあるところ?」

「うん」


あそこのレンガ造りの大きな古書店は、文芸部ご用達の本屋でもある。部誌に載せる本を探しに行こうとでも誘えば、口実としては十分だ。


それと同時に、あの公園は思い出の場所でもある。私が初めてマリの手を繋いだ場所なのだ。


女子同士で手を繋ぐなんて普通のことだ。だけど私はどうしてかマリに対してだけ、なかなかそれができなかった。小学生のとき仲良かった子とは普通に手を繋いでたし、中学の他の友達とも手を繋ぐことはよくあったのに。


あれは中二のとき。マリと二人で、初めて海浜公園に行ったときだ。私がお手洗いに行っている間に、マリはナンパされていたのだ。相手は高校生らしき男子二人組だった。

すぐに状況を察した私は、マリの元に駆け寄った。そして咄嗟にマリの手を掴むと、こう叫んだのだ。


『私の彼女に、なにか用!?』


今思えば大胆な発言だ。私の彼女、だなんて!


『は? 彼女?』

『そうだよ。私達、付き合ってるんだからね!』


あのとき、マリの手は震えていた。だけど、私の手もそれ以上に震えていた。

だって、相手は男子高校生二人。何をされるかわからない。私の心臓は痛いくらいにドキドキ鳴っていた。


だけど、男子達は顔を見合わせると、


『なんだ、レズかよ』


と言いおいて、とっとと去ってしまった。


男子の背中が見えなくなると、マリは大きなため息をついて膝から崩れ落ちた。


『ち〜ちゃん、怖かったよ〜!』

『よしよし、大丈夫だよ』


私は泣きじゃくるマリの隣に跪いて、頭をなでなでした。

その日はそれ以降、ずっと手を繋ぎっぱなしだったんだ。


そんな思い出の場所に、マリが磯田と……。別にマリにとっては大した思い出じゃないのかもしれないし、磯田にしてみれば単にデートスポットの一つに過ぎないのだろうけれど。


だけど、私が勉強している間に、あの公園でマリと磯田がデートしてたとなると……不愉快だ。


「そのときって、どこまで行ったの?」

「え、どこまでって?」

「だから、手を繋いだりとか、したのかなって」

「えっ」


マリは目を泳がせたあと、悩みながら答えた。


「……うん、一応」


マリと、磯田が、手を!

カッと、心の中で何かが燃え上がる。

私との思い出が、磯田に上書きされている。そんな気持ちになった。


「あ、でも、繋いだと言っても一瞬だよ? 転びそうになったから、手で掴んだってだけ」

「それじゃあ、そのまま歩いたりとかは?」

「しなかったみたい、全然」


なんだ、と私は安堵した。そんなの全然、手を繋いだ内に入らない。マリもそれがわかっているから、「一応」なんて言ったんだ。

それでも、「一応」繋いだことにしたいマリの気持ちが、私には面白くなかった。


だいたい、そのくらいなら私だってする。マリといつも一緒にいる私は、マリがよく転ぶのを知っている。そしてそのたびに、私はマリの手を掴んで、倒れるのを防いでいた。


『ごめ〜ん、ち〜ちゃん』

と謝るマリの顔は、転んだ恥ずかしさ半分、私に助けられた嬉しさ半分で、どこか甘えるような表情になる。それがあまりにも可愛くて、私は『大丈夫、何度転んだっていいよ』と言ってしまうのだ。


『え〜、もう転ばないよ〜。恥ずかしいし』

そう言うマリの顔は、本当に恥ずかしそうで可愛かった。


最近になって私も、人前で転ぶのが思いのほか恥ずかしいことを知った。しかもそれを助けられると、二重に恥ずかしくなる。だけどそのときの私は、マリが転んだときの気持ちを追体験できて、ちょっと嬉しかった。


「だけどそんなんじゃあ、全然だね」

「え、全然って?」

「夏休みに二人きりでデートしたのに、手も繋がないなんて、全然甲斐性がないよ。やめといた方がいいんじゃない?」

「そ、そうかな……?」


私の態度に、マリが戸惑っている。

私はいつだって、マリの味方だ。マリが悩んでいたら、マリの背中を押すのが私の役目だ。


いいや、マリに限らず、私は基本的に人の背中を押すタイプの人間だ。たとえ相手が磯田だとしても、会議で部誌の企画案を出せずにウジウジしていたら、さり気なく話を振って案を出させたりもする。私はそういう人間だ。


その私が、いま、マリの悩みに否定的な意見を述べている。たぶんマリは、磯田に告白する勇気が欲しいんだ。だから私に悩みを話して、背中を押してもらいたがっているんだ。


でも私は、どういうわけか、その背中を押す気になれなかった。いや、押したくなかった。その手を掴んで、こちらに引っ張りたかった。


「ちーちゃんだったら、好きな人とデートしたとき、手を繋いだりする?」

「する。ガンガンする。なんならキスまでする」


さすがにキスはしない。でも磯田だってしなかっただろう。だからこう言っておけば、マリは磯田を諦めるかもしれない。脈がないんだ、って。


それに、私もマリとキスしたことはないが、キスしかけたことならある。


去年のことだ。部室に一番乗りだった私達は、誰もいない部室にちょっとテンションが上がっていた。それで私達はふざけ合い、私はマリに抱きついたのだ。


マリは抱きしめるとすごく良い匂いがする。それに体温も高くて、柔らかい。同じ人間とは思えない感触があった。


そのとき私は、きっとマリの唇は、もっと温度が高くて、もっと柔らかいんだろうなと想像してしまったのだ。

私は少し体を離して、マリの顔を見た。マリは楽しそうに笑っていた。薄いピンクの唇から漏れる吐息が、私の唇にかかった。私はその呼気に誘われるように、顔を近づけていった。


唇が触れそうになった瞬間に、部室のドアが開いた。私はそれに驚いて、顔を離した。


入ってきたのは、当時の先輩と、磯田だった。


『えっ……いま二人、何してた?』

と先輩は動揺していた。

『まさか、キス……?』

『バレちゃ仕方ないですね。そうです、実は私達付き合ってて……ってそんなわけないじゃないですか!』


咄嗟の判断にしては、上出来だったと思う。私は「先輩の冗談に乗った後輩」のふりをして、先輩も笑って流してくれた。


ただ、磯田は冗談を真に受けてしまったらしい。数日後、オドオドした様子で私に聞いてきた。


『森さんって、更科さんと付き合ってるの?』

『私が、マリと? 付き合ってないけど』


磯田はホッとしていた。でも……ああ、そうだ。いま思えば、こう答えたときの私は、胸が痛んでいた。


私とマリは付き合っていない。でも、付き合いたい。

いま、はっきりと自覚した。


私はマリが好きなんだ。たぶん、中一の頃からずっと。

だけどマリは磯田が好きで、磯田の方も、たぶんマリが好きだ。

最悪の三角関係だった。


「ちーちゃんは、男子と手を繋いだことないの?」

「ないよ」

「本当に、誰とも?」

「うん、全然」

「う〜ん、そっか〜……」


マリは何故だか残念そうな顔をした。しかし、ないものはないのだ。

いや、そういえばこの間、転びそうになったときに磯田に手を掴まれた。しかし、そのくらいだ。すぐに振り解いたし。


……ん?


私は何か、デジャヴのようなものを感じた。

マリの「友達」は夏休みのデート中、転びそうになった「好きな人」の手を掴んだ。


私も、磯田と夏休みに二人で出かけたことがある。初めはマリも一緒で、三人で海浜公園の本屋へ部活の買い出しに行く予定だったのだ。それをマリがドタキャンして、仕方なく二人で行った。

あのとき磯田は、歩調も合わせてくれなかったし、重い全集を運ぶのを手伝ってもくれなかった。私が転びそうになったら手を掴んでくれたが、気が利いたのはそれくらいである。


そういえば、「友達」と「好きな人」は同じ部活と言っていたが、私と磯田も同じ部活だ。

「友達」と「好きな人」は本の話をすると言っていたが、私も磯田とたまに話す。あいつは何故か、私の好きな本をよく読んでいるからだ。


マリの話は、私と磯田の関係にも符合していた。


「ねえ、マリ。確認したいんだけど、その『友達』って、誰のこと?」

「それは秘密だよ〜」

「もしかして、磯田のことじゃない?」

「……」


マリは、「あちゃ〜」という顔をした。


「……うん、そう。磯田くん」

「じゃあその『好きな人』って、まさか、私?」


マリは目を泳がせた。そして「磯田くん、ごめんっ!」と言った。


「うん……そう。ずっと前から、磯田くんに相談受けてたんだ。それで、ちーちゃんの好きな本を貸したり教えたりしてて……」


嘘でしょ。


「磯田くん、一生懸命だったんだよ? 部会でちーちゃんに背中を押してもらってから、ずっと好きだったみたいで……自分もちーちゃんの力になりたいって言ってた」

「重い本も持たなかったのに?」

「それは磯田くんも反省してた。でも転びそうになったときに助けたし、そのときちーちゃんも嬉しそうだったって言ってたよ?」

「それはマリの気持ちがわかったからだよ」


私は強い語気で言った。


「転んで、助けられたときのマリの気持ちがわかったから、それで私は嬉しかったんだよ」

「どういうこと? なんでそれで嬉しくなるの?」


マリは、本気でわからないという顔をしていた。

だから私は、思わず言ってしまった。


「マリのことが好きだからだよ!」


まるで時間が止まったように感じたけれど、時計の針はカチカチと鳴っていた。

その音が何回か聞こえたあとで、マリが言った。


「ちーちゃんが、私を?」

「うん」

「それって、友達とかって意味じゃなくて?」

「うん」


マリは、薄いピンクの唇を、キュッと横一文字に結んだ。悩むときの癖だ。

悩むということは、ちょっとは希望があるのかもしれない。

そう期待したとき、マリは言った。


「ごめん、ちーちゃん。私、女の子のことを、そういう風には見れない」


首を締め付けられるような感覚がした。

今ならまだ、冗談にできるんじゃないかと思った。先輩を誤魔化したときみたいに。


でも、なにも言えなかった。


「そう……わかった」


そのあと私達は、無言だった。

気付くとマリは眠っていたが、私は眠れなかった。

日が昇り、マリの両親が起きると、私は挨拶して家に帰った。


これが、私とマリが友達じゃなくなった日の話だ。

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