未解決犯罪倶楽部

御子柴 流歌

未解決犯罪倶楽部

「……はぁ」


「……う~」


 この街でいちばん大きな川の河口付近。そこを跨ぐ鉄道橋の真下。すっかり秋の風が吹き始めていて、汽水域を抜けてくるような海風もだいぶ冷たくなってきていた。


 紙資料が入ったファイルを抱えた男がひとり、ため息を吐く。カメラを首からさげ、ついでに腕にはノートパソコンを抱えたもう片方の男は唸り声を上げた。抜けてくる風はそれでいて湿度は高いものだから、鬱屈した気分がさらに鬱屈してくる。ため息が出るのも仕方ないと思える。


 一応、秋の空は晴天である。そのはずなのだが、彼らの上空は重苦しい雲に覆われているらしい。せっかくの晴れ空も一瞬で曇天であった。


「何か、あれば良いんですけどねえ……」


「『何か』っつったって、今更何があるんだって話だろう」


「ですよねえ……」


 そもそも、この辺り一帯はすでに4年以上前に粗方調べられた――いや、調べ尽くされたはずだ。その時にも大したネタは得られていないことは、手元にある調査資料にも書かれている。事件発生から丸5年が経ったからという理由でこうして現場に駆り出されたこともあり、署を出てきたときにはどうにかあると見せかけられていたはずのやる気は、当然のごとく既にすっからかんだった。


 どのみちここには、不運にもこの役を授かってしまったふたりしかいない。見せかけのやる気すら必要なかった。


「……ああ。そういえばいのうえさん」


 パソコンを持っていた男が訊ねた。


「ぁん? どうしたとう


「そろそろ着きそうだと、先ほど連絡が来ました」


「……ああ、柳楽やぎらくんか」


 井上は、怠そうに首を大きく回す。ごりごりと鈍い音を何度か加藤も聞いた。少し痛そうな顔をしているあたり、やりすぎたらしい。


「自分は柳楽さんのことあまり知らないんですけど、どういう方なんですか?」


「この事件の調査をしてくれている外部調査官……とでも言うべきかなぁ」


「フィクションではよく聞くところの、あの『探偵』ですか」


「……まぁ、そうな」


 回りくどい言い方をする、と井上は思った。


「警察に『勝手に入って現場を荒らすな』とか言われるけど、正直そこに入れる前につまみ出されるべきだろという、あの『探偵』ですか」

「……」


 特に何も言うまい、と井上は思った。妙にテンションが高いニンゲンを相手にするのは疲れるのだ。たまによくわからないテンションで取調室に入ってくる被疑者もいるが、あれは疲れる。黙秘してくれた方がラクだとすら、井上は思っていた。


 妙にワクワクした顔をしていた加藤を見る。


 ――やはり言わなくてよかった。


 彼がワケありで警察を辞めてからも、いろいろと面倒を見ていたという話もあるのだが、加藤はそれを伏せた。別に犯罪行為に手を染めたわけではなく、あくまでも今話し始めると長くなると思っただけのことだった。


「それにしても、実際にそういう人って居るんですね」


「珍しいとは思うぞ、実際」


「あと、そういう繋がりが井上さんにあるとは思って……いや、何でもないです」


「思ってなかったとは言い難いってか?」


「まぁ。……はい、すみません失礼なことを」


「むしろ、誰でも類推できるようなところまで漏らしておいてだんまりになるほうが失礼だぞ?っと」


「気を付けます」


 素直でよろしい。


「まぁ、何だ。そういうことも無くも無いってことだ。」


「へえ……」


 それにしたってそこまで目を輝かせてどうするんだ、というツッコミを口から出ていく寸前のところで飲み込み直す井上。加藤には若干の勘違いがあるようだが、そのままにしておいても実害はないはずだ――というか、そのままにしておいた方が面白いだろうと思った井上は、とくに修正を挟もうともしなかった。


「まぁ、ヤツが来るまでは適当に」


「そこのおふたりさん」


「……ん?」


「あ、はい……?」


 突然真後ろから声がかけられた。振り向きながらも返事をする。


 そこに居たのは、3人組の男たちだった。


 身なりは、悪し様に言ってしまえば、その辺によく転がっている連中。とくにコレといった特徴がない。特徴が無いことが特徴とかいう、とんでもなく雑な表現こそ、彼らに似合うようであった。背格好も中肉中背である。


 なんだこの『ザ・モブキャラ』を地で行くような奴らは――。


 あまりにも普通すぎてあまりにも不審に思うようなことがあるのか、と井上は思っていた。


「えーっと……、その……、あの、こちらがその?」


「……!」


「ぅわ、ちょっ」


 加藤が面倒なことを口走る前に、井上は彼の首根っこを掴んで後ろを向かせた。


「何ですか、井上さん。オレにはそんな趣味無いですからね」


「何言ってんだバ加藤」


「その『バ』は余計じゃないですかねっ!?」


 井上は、加藤の脳天を思い切りひっぱたいた。


「いだいでづ」


「うるせえバカ。……いいか加藤。アイツらは、違う」


「……は? え、何がですか?」


 ごちゃごちゃうるせえな、と思いながらも井上は続ける。


「あの中の誰かが柳楽だというわけでもなければ、柳楽の仲間でもない」


「え? あ、そうなんですか?」


「そうだ」


 間違いない。柳楽はそもそも一匹狼を気取るところが昔からあった。だからこそ探偵稼業のようなことをしているわけであって、彼と今でも付き合いがあるのも井上くらいだった。


「いや、じゃあ、誰なんですか」


「知らん」


「知らんのですか」


「知らんわ」


「じゃあ、訊いてみます?」


「……おお」


「何でそんな自信無さげなんスか。一応は警察官の端くれでしょ?」


「……あれ? 何か俺ディスられてね?」


 井上のつぶやきもわずかに塩気の混じった風に吹き飛ばされていった。加藤はゆっくりと件の3人組の方へと向かっていく。


「失礼ですが、あなた方は?」


「未解決事件の香りがしますね」


「……は」


 質問を質問で返すよりも余程ぶっ飛んだ発言が返ってきて、加藤はそのまま呆気に取られた。それは井上も同じで、彼の場合は思考回路と発音機能を吹き飛ばされたように、ただ口をあんぐりと開けるタイプで呆気に取られていた。


「え? な、何て?」


「未解決事件の匂いがしますが……、調査中でしたか?」


「まぁ、もちろんこれは推測の域を出るものではありませんが、恐らくは、今からちょうど5年前、この周辺で起きた殺人事件か行方不明事件のどちらか、もしくはその両方の調査……といったところでしょうか」


「え、……あ?」


 思わず、『どうしてそれを』などと口走るところだった加藤は、直ぐさま自分の口を抑えてしまった。あからさますぎるジェスチャーに慌てて口元を触る動きを付け加えたが、彼ら3人には見破られたらしく、揃ってずいずいと近寄られる。その動きは加藤が後ずさるよりも速かった。


「調査か否かくらいは分かりますよ? そこに止められているクラウンが覆面パトカーであるくらいすぐにわかります」


「ああいうタイプのクラウンがこんなところに駐車されているなんて、それこそ何かの調査をしていることをぱっと見では気取られなくない警察官が乗ってきたくらいでしょうし」


「覆面パトカーでカモフラージュ出来てると思っているのなんて、警察官くらいでしょうし」


「キザシだったら何も考える必要は無いんですけれどもね」


 矢継ぎ早に3人が言葉を繋いでいき、井上と加藤が口を挟む余裕はなかった。ただただ圧される一方になりかけるが、それを是とするわけにはいかない。井上はわざとらしく大きな咳払いをひとつして、彼らの話を打ち切りにかかろうとする。


「君らは何なんだ? 場合によっては聴取やら署まで同行してもらうことになるぞ」


「私たちは『未解決犯罪倶楽部』の者です」


「……は?」


 不可思議な単語が耳に入り込もうとしてくる。井上の脳が一瞬だけそれを拒んだ。


「ご存知、ないのですか!?」


「知るか」


 井上は話の鏑矢を空中でバッサリと斬り落とした。刑事の勘というのか、どこか面倒くさそうな流れの始まりをこいつらに見た気がしたのだが、恐らくその感覚は間違っていない。


「日夜発生する事件の中にはふたつの行き先があります」


「『解決される』か『解決されない』か。そのふたつです」


 個人の名乗りも上げずに、ナントカ倶楽部の連中は言葉を繋げていく。ところで、こうも代わる代わる話者が変わっていくのは何か意味があるのだろうか。誰かひとりで話をすればいいものを。


「我々は、その『解決されない』事件をリスト化するなどの活動を行っています」


「はぁ……」


 そうとしか言い様がない加藤。私費でやっているということだろうか、ご苦労なことだ――と井上も思う。


「もちろん、各種調査を独自に行ったりもしますので、こうして現場で実際に調査をされている皆様に遭遇することもあります」


「ある意味、日常茶飯事と言うべきでしょうね」


 日常的に警察と話をするというのも如何なモノかと、加藤は思わないではなかった。


 が、その考えもどこかへ吹き飛ぶ。何とか倶楽部の内のひとりがずいっと加藤に近付いた。


「それで。今回は何か掴めたのでしょうか」


「……どうして我々が、そんなことをが部外者に伝えなくてはいけないんだ?」


 加藤から男を引き剥がしながら、井上は幾分か眉間に皺を刻みながら告げた。あまりにも不審な行動を繰り返すようであれば、ただでは帰さない。場合によっては今日中には家に帰れないような状況に連れて行くこともできるのだぞ、という意思を眼差しに込めた。


「現在では誰もがこうして入ってこられるところじゃないですか」


「勘違いされては困りますが、警察の本格的な調査が入っているところには我々は行きませんよ」


 井上と仲間の間に残りのふたりが割って入る。それぞれの位置関係は振り出しに戻った。


「……調査段階の事件はどちらに転ぶか分からないですからね」


「ぁ? 今、何て言った?」


「いえ、何も申し上げてございません」


 聞き捨てていいものか迷う。いや、さすがに無視するのもおかしいとは思った。が、井上はそれよりも話を先に進めるべきだと感じ、彼らに同行を願う準備を始めようとする。


「そういえば、先ほど向こうの方に少し古くなったケースのようなものが転がっていましたよ?」


「ですねえ、ありましたねえ」


「え?」


 その気勢が軽く削がれていく。


 ケース。


 その言葉に、刑事ふたりが反応しない道理は無かった。


 ――まさかアレか、と思えるモノがふたりの脳内にはあった。




    §




 車に乗れば1分ほどの距離のところに、それはあった。


 少しの距離ではある。だが、思い返せば、先ほど居た場所と比べればいくらか調査は疎かだっただろうか。そんなことも無いとは思いたいが、こんなモノがあったと提示されてしまえばさすがに井上の自信も揺らいだ。


「これは……、まさかいの」


 だから名前を呼ぶなと言うのに。

 井上は加藤の口を物理的に塞ぐ。鼻も合わせて塞いだので、加藤は若干苦しそうだった。


おおむらが持っていたというケースによく似ているな……」


 大村というのは、件の行方不明になっている方の男の苗字だ。


「彼の消息が掴めなくなって以降で所在不明になっている持ち物がいくつかあったのだが、これがもしかするとその内のひとつかもしれないな」


「……ははぁ、なるほど」


「これは、そういうことでしたか」


 何某倶楽部のメンバーも興味深そうにケースを眺める。


「なかなか記事になって出てくることや公開された調査内容だけでは知らないことが多いですからね」


 そりゃあそうだろう。余程手詰まりになって公開捜査の一環として一般市民に懸賞金付きで情報提供を呼びかけることはあるが、そうでもない限りは調査内容を公にすることなどほぼあり得ない。道楽のようなことで集められる情報など大したものにはならない。


「いやぁ、ありがとうございます」


「実に興味深いです」


「……なかなか捗りそうですね」


 そう言って何かを考え始める倶楽部の面々。何かしらのアイディアのひとつでも置いていってはくれないだろうかと、井上は密かに思う。巧いこと行けば調書に書くべきことまで昇華させられれば儲けものだった。


 しばらく彼らを眺めれば、3人で顔を付き合わせるようにして何かを話し始めた。こちらを向かずに話すのがやや気に食わないところではあるが、それは先ほど井上たちも彼らにやったことではあった。


 何か内密に相談することでもあるのか。それとも意思疎通をして3人で統一した見解を見つけ出すためか。


 井上と加藤は3人の様子をしばし見つめる。




 そして、2分後――。




「それでは」


「我々はこれで」


「失礼いたします」




 3人は踵を返し、立ち去っていった。




「は?」


「え……、え、今、何て?」


 小声で訊ねても、もう声は彼らに届かない。塩気を含んだ風に攫われていく。


「え、ちょ……っと」


 呆然としている間に3人は乗ってきたと思われる車に乗り込む。そのまま車はふたりを一顧だにせず走り去っていった。


「おい、何だ今の」


 立ち尽くすふたり。


 そこからやや離れたところに、妙にクラシカルな青い車がやってきた。『如何にも探偵』な雰囲気を演じるには最適な車』からは『如何にも探偵風』な装いをした男が降りてきて、ふたりに近付いていく。


「井上さん、お疲れさまです」


「あ、ああ、柳楽くんか」


「……どうしました? 何だかお疲れのように見えますが」


「まぁ、そりゃあ、……な」


「はぁ……」


 柳楽は、首を傾げることがしかできなかった。




    §




 未解決犯罪倶楽部――。


 それは未解決事件を捜査しているところに現れては、その概要を聞いて満足して帰って行き、各々の自宅に戻ってはオンラインでそれを肴に酒を飲むという活動をしている、何だかよくわからない連中のことである。


 ――余談ではあるが、これとよく似た組織に『完全犯罪倶楽部』という、これまた紛らわしい名前を付けた集団があるとか無いとか。


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