剥き屋

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 皆川みながわは、コンビ二のお菓子のコーナーを見ていた。ぐるりと一巡眺めた後、やっぱりいつもの杉永製菓の「しるこサンド」を取り上げた。薄い焼き菓子で、皆川の好物だった。

 しかし、皆川の手が止まった。

「あれっ」

 見れば、しるこサンドが二種類ある。ぱっと見た目には同じだが、ちょっと違う。

「ん?」

 皆川は二種類を両手に持って比べてみた。一方は、いつものしるこサンドで、もう一方は良く見ると「個別包装」だった。

「うわっ、しるこサンドの個別包装だ!」

 皆川が驚いたのには訳がある。これまで、例えば大きなお煎餅なんかは個別包装があった。煎餅を一枚か二枚ごとに個別包装してある。見た目も良いし、煎餅同士が当たって割れたりする事も少なくなるという利点がある。夏場は湿気を防ぐのにも役立つだろう。職場などで小分けして配るのにも便利だ。若干、割高になるのかもしれないか、これらの利点があるため、個別包装のお菓子には根強い人気がある。

 しかし、しるこサンドは普通のお煎餅の様に大きくはない。たかだか三センチくらいの薄いお菓子だ。小さなビスケットという感じだ。これが、全て個別包装され、外袋の中にぎっしり入っている。

「うーん、これは食べるのが面倒くさそうだ」

 皆川は個別包装をしていない、従来タイプのしるこサンドを買うことにした。個別包装版は、食べるときに一枚一枚包装をかないといけない。想像しただけで、これは結構大変だ。次々と口に放り込んで食べる皆川には、いちいち剥くなんて鬱陶うっとうしくてできない。

「これ、買う人いるんだろうか。でも、いるんだろうな。こういうのが欲しい人がいるから製品化される訳だし」

 皆川はレジ袋は断り、しるこサンドの袋を片手にぶら下げて、家路についた。


 皆川は三十路を過ぎたところだが、バイト生活を送っていた。独身だ。いくつかの仕事を経験した後、今はフードデリバリーをやっている。時間は自由になるが、結構競争が厳しくて大変だ。ぼんやりしていると他のやつに仕事を取られてしまう。スマホと自転車だけが頼りだ。

 しかし、コンピュータを使ってこんなデリバリーシステムを考えたやつは相当頭がいいに違いない。若くて切れる連中だろう。そんなやつが、指先でキーを押すと、何千もの配達員が、雨にも風にも負けずに必死にペダルを漕ぐのだ。皆川には、これが現代版の奴隷制度の様にも思えた。


 そんなある日、仕事の帰りにいつものコンビ二で、いつものようにお菓子を買おうと眺めていた。すると、また新たな発見があった。なんと、あの「柿ピー」の個別包装版があったのだ。これまでは、一握りくらいの量を小さな袋に入れ、それを六袋とか九袋まとめて大袋に入れたものはあった。旅先やキャンプなんかで、少しずつ食べるのには便利だから買った事もある。しかし、今回、鶴田製菓から発売されたものは、柿の種やピーナッツの一つ一つが個別包装されたものだった。外袋が大きい割りに軽い。中は個別包装の袋でいっぱいだからだ。

「うーん、柿の種一つ、ピーナツ一つを個別包装する意味などあるんだろうか。これでは柿ピーを買うというより、プラスチック包装を買っているような気分だ」

 皆川は、しるこサンドの時と同様、食べる時この小さな個別包装をいちいち剥くなんて考えられなかった。確かにピーナッツについて言えば、「殻付落花生」というものもあるので、そのたぐいとも考えられるが、柿の種のあられ一つ一つはいただけない。個別包装をしていない、従来の柿ピーもあったので、皆川はそちらを買って家に帰った。

「それにしても、誰があんなこまかい個別包装を欲しているんだろうか。奇特な人達だ」

 なんとも不思議だった。


 しばらく仕事が忙しかった皆川は久しぶりにいつものコンビ二に行った。すると、商品の配置がいつもと違っていた。どうやらお菓子コーナーが大きく拡張されたようだ。

「俺のように、ちょくちょくお菓子を買う連中が増えたのだろうか」

 皆川はそう思ったが、ほどなく本当の理由に気付く。見れば、大袋の菓子が所狭しと並んでいる。よくあるの袋のさらに三倍くらいの大きさだ。一袋だけでマイバッグがいっぱいになってしまいそうな大きさだ。 皆川はそのうちの一つを手に取ってみた。

「軽っ!」

 思わず拍子抜けする軽さだった。紙風船を持っている感覚だ。見てみると、それはポテトチップスだった。ただし、個別包装がしてある。なかなか想像し難いが、見れば一目瞭然だ。ポテトチップスのが個別包装してある。しかも、割れないようにとの配慮だと思うが、空気でパンパンになっている。小さな風船の様だ。それが大袋いっぱいに詰まっている。

「うーん、凄い」

 無駄だとか、不便だとか、いろいろな感想が漏れてもおかしくないが、皆川はただ、その豪快さに感嘆していた。

「これも柿ピーと同じで、ポテトチップスを買うというより、プラスチック包装を買っているような感じだなあ。買ったプラスチック包装の隙間にたまたまポテトチップスが入っているという・・・・・・」

 他の大袋菓子をいくつか見てみたが、全て、いつも見ているお菓子の、個別包装版だった。ここに来て、皆川は少し嫌な予感がした。急いで「おしるこサンド」を探す。

「あっ」

 予感は的中してしまった。個別包装版しかないのだ。従来品は棚から消えていた。それは、おしるこサンドに限らず、全てのお菓子がそうだった。

「これではひどくかさ張る。お菓子コーナーが広くなったのも、こりゃあ当然だ」

 皆川は妙に納得し、おしるこサンドをひとつ買った。気は進まなかったが、やむを得ず個別包装版だ。


 家でおしるこサンドを食べ始めた皆川は、予想通りの事態に直面していた。一枚一枚、包装を剥いて食べるのが実に面倒くさいのだ。ラッキョウを一生懸命に剥いているお猿さんになった気分だ。

「うーん、食べる速度が落ちるので、ダイエットや健康のためには良さそうだが、それにしても面倒くさい。それにあっという間にゴミの山ができる」

 皆川の住んでいる所では、プラスチック包装のゴミは有料のゴミ袋を使う必要はないので、幸いお金がかかるわけではない。しかし、高々お菓子を食べるだけで、こんなに大量のゴミをするのは、さすがにちょっと気が引けた。皆川はこれに懲りて、もう柿ピーは買わない事にした。あの小さな柿の種のあられ一つ、ピーナッツ一粒をいちいち剥いて食べるのは御免だった。皆川は改めて思っていた。

「それにしてもあんな過剰に個別包装されたお菓子を買っていく人なんかいるんだろうか。まぁ、こんな面倒な過剰包装は、すぐに誰も買わなくなって、すたれちゃうだろう」

 と、皆川はたかくくっていた。


 しかし、個別包装は広がる一方だった。スーパーで買い物をしていた皆川は、それをの当たりにした。

 例えば、ぶどうの房についている実の一つ一つが個別包装されているのだ。お菓子なら機械で自動的に包装できそうな気もするが、ぶどうは手作業でやっているのではないだろうか。大変な作業だ。ぶどう売り場には宣伝文句が掲げられていた。

「個別包装で、清潔、安全、長持ち、無傷のぶどうをどうぞ!」

 確かにそうかもしれないが、だからといって、このぶどうを手に取る気は起きなかった。別に個別包装があったってなくたって、言うほど違いはないだろう。バナナも同じように房になったまま、一本一本が個別包装してある。そして、同じような宣伝文句がうたわれていた。

「これは、ひょっとして」

 皆川は、ある思いに駆られて豆類の売り場に向かった。

「やっぱり・・・・・・」

 そこには個別包装された、花豆、大豆、小豆などが並んでいた。しかし、外袋はそれほどしていなかった。よく見ると、豆の包装は、まるでラップでくるんだように一粒一粒がぴっちりと包装されていた。これならそんなにかさ張らない。しかし、調理するときにはこれを一つ一つ剥くのだろうか。小豆など、よほど手先の器用な人間でないとうまく剥けそうに無い。目の悪いお年寄りなんかにも酷だろう。それでも、お客さんは、次々と豆類の袋を手に取り、買い物籠に入れていく。

 皆川は、自身では余り料理らしい料理をしないので、これらのをする事はない。しかし、買っていった人が本当に豆を手で一粒一粒剥いているのか気になった。それに、こんな事態をどう思っているんだろう。皆川は、近くいた女性に聞いてみた。

「あのー、その大豆ですが、やはり手で剥くんですか。大変だと思うんですけど」

 その女性は声を掛けてきた皆川の方を見て、一瞬警戒心を見せたが直ぐに緩めて返事をした。

「はい、そうですよ。ちょっと大変ですけど、美容と健康のために、ね」

 そう言うと、女性はさっさと行ってしまった。

「んー、過剰な個別包装が、なんで美容と健康にいいんだろう?」

 皆川にはやはり理解できなかった。


 雨の日、皆川は自分の部屋でいつものしるこサンドを食べながら、テレビを見ていた。雨の日に自転車でデリバリーをするのは大変なだけではなく、路面が滑って危ない。本当は雨の日こそ稼ぎ時なのだが、皆川は余り気が進まず、こうしてテレビを見て、自主的休日にしていた。夜間も同じく危ないので、仕事はしない。一方で皆川は朝には強かったので、早朝のデリバリーで頑張った。早朝の需要なんて少ないように見えるが、早朝だからこそ、デリバリーを頼む人は少なくない。今時いまどきの働き方改革で早朝出勤する人や、夜勤明けの人もいる。早朝からいているお弁当屋さんや牛丼屋、ハンバーガー店のデリバリーが多かったが、早朝は店がいていて、混雑で待ち時間が長くなってしまわないのも利点だ。皆川のは朝六時くらいから午後三時くらいだった。

 テレビではワイドショーをやっていた。特に興味も無く眺めていたが、番組は個別包装の話題に移っていた。皆川は少し身を乗り出した。

「ほぉ」

 番組には「個別包装専門家」の大学教授と、芸能人などのコメンテーターが数人出演していた。

「個別包装の専門家っていったいなんじゃい?」

 皆川はいつのまにこんな肩書きの専門家が現れたのか分からなかった。専門家は個別包装の利点を並べ立てていた。

「個別包装は、より湿気を防止し、これは有害なカビの発生を防止します。カビの中には人を死に至らしめるものもあり、個別包装による安全性向上は非常に重要です」

 皆川は画面に目をったまま、器用にしるこサンドの個別包装を剥いていた。最近習得したである。

「まあ、嘘ではないな。大袈裟だけど」

 そのは続けた。

「個別包装と美容について説明します。個別包装をしないと、例えば大豆の場合、大豆の豆同士がぶつかって擦れあい、熱を生じます。大豆が傷ついてて食感を損ねるだけでなく、この熱効果が美容に有効なフラボノイドなどの成分を変質させる可能性があります。これはお肌の老化、シミの増大を招きます。また、大切な食物繊維が損なわれ、便秘や胃炎の原因になります」

 皆川は呆れていたが、かといってチャンネルを変えずに見続けている。教授は続ける。

「これは研究中で、まだ学会で発表する準備中ですが、今日は皆さんに特別に研究成果をお伝えします。お米の個別包装はなんとカーボンハイドレートの保護作用があるのです! 人間にとって必要不可欠な成分を守ってくれるのです」

 会場に来ている一般参加者の間からは、賞賛の声が上がった。司会者やゲストもめいっぱい驚きの表情を造って、カメラに向けている。教授はなおも続けた。

「最後に一つ。個別包装を剥いてから食べるまで、或いは調理するまでの時間をできるだけ短くして下さい。剥いたままで放置すると、折角の個別包装の効能が低下してしまいます。お米なら、剥いた後に直ぐ炊くのが理想的です。前日に剥いておきたい気持ちは分かりますが、美容と健康のため、ここは一つ徹底してください!」

 話しが一段落したので、司会者は、コメンテータに振った。

「教授、科学的な解説、ありがとうございました。最先端の研究に触れることができて驚くばかりです。さて、コメンテーターの皆さん、いかがですか」

「いやー、個別包装の効能がしっかり伝わってきますね。私もそろそろお肌の健康が気になってくる年齢ですが、これからは個別包装のものを選んで買うようにします」

 皆川は口をあんぐり開けて見ていた。そして呟いた。

「こいつらだ。そうか、こいつらのお陰で、俺はこうして、しるこサンドの個別包装をチマチマと剥き続ける羽目になっているのだ」

 皆川にはやっと分かってきた個別包装の謎だったが、それでも疑問は残った。

「それにしても、この面倒な作業はどうしたものか」

 皆川はネットを見てみた。「#個別包装」は連日トレンド入りをしていた。しかし、皆川は見ていて不思議だった。否定的な見解はごく僅かだった。投稿はほとんど、個別包装を肯定的に捉えていた。

「美容と健康のため、何から何まで個別包装にしよう」

「個別包装をしていなかったこれまでを思うと恐ろしい」

「個別包装でお肌ツルツル、実感しています!」

 誰も、剥く手間について言及していない。皆川は面倒くさく思っているは自分だけなんだろうかといぶかしく思っていた。


 スーパーは相変わらず、個別包装を大々的に宣伝していた。

「ついに登場! 個別包装米」

 通り過ぎようとしていたスーパーの入り口に張られた大きな宣伝文句に足が止まった。

「えっ? お米の個別包装?」

 皆川は、見てみようと店に入った。米のコーナーに行くと人だかりができていた。そこには、見慣れた宣伝文句が大きく掲げられていた。

「美容と健康のため、毎日個別包装米を食べましょう!」

 お客さんは我先にと個別包装米を買い求めている。まだ、従来タイプの米も積まれていたが、そちらを買っていく客は誰もいない。

 改めて、これまでと同じ疑問が頭をもたげてくる。

「これ、本当に手で剥くのだろうか。一合分を剥くのにどのくらい時間がかかるのだろうか」

 豆類と同じく、袋はそれほど巨大化はしていない。2kg入りが、従来の3kg入りの袋の大きさになっている程度だ。


 他人事ひとごとながら、飲食店も心配になってくる。お店に卸される米は個別包装されているのだろうか。そんな疑問に早速答えが見つかった。家の近くにある定食屋の入り口に大きな張り紙があったのだ。

「個別包装米入荷! 美容と健康のために、当店でお食事を!」

 どうやら、個別包装米を使わないと客の入りが悪くなるらしい。それにしても、これは店員が総出で剥くのだろうか。


 食品の輸入業者も大きな影響を受けていた。個別包装されていない菓子類は日本では全然売れず、輸入菓子は漸減していった。海外の菓子メーカーは、アホらしくて個別包装をする努力は、はなから放棄していた。

 豆類、穀類は、商船で日本に輸送する段階で既に個別包装している事が求められた。輸出国は、これは新たな非関税障壁だと言って、日本を非難した。しかし、政府はどうしようもなかった。なぜなら、これは日本の消費者が望んでいる事であり、政府の思惑で行われていることではないからだ。諸外国の担当者は、美容と健康のために小麦や大豆を個別包装するという日本の消費者の論理が全く分からず途方にくれた。そもそも穀類や豆類を個別包装する技術は、この時点に於いては日本にしかなかった。

 輸入食品は、実際の輸送から製品化までの間には、薫蒸や精製、選別、混合などの工程があり、原産国で個別包装してしまってはこれらの工程が破綻してしまう。輸出業者も輸入業者も、現場は混乱を極めた。

 消費者は、ちゃんと原産国から個別包装が行われているかの表示を義務化するように政府は求めた。消費者庁が検討した結果、食品成分表にその旨表示することになった。こんな具合である。

「原料:大豆(原産国より個包)、・・・・・・」

 この表示のある食品は、無条件に特定保健用食品に加えられた。消費者の嗜好に政府も便乗させられた格好だ。もちろん、消費者はこの表示のある食品を買い求めた。加工食品メーカーもこの流れに逆らえず、個別包装された原材料を製品に用いた。

 このため、穀類や豆類を個別包装する機械類が海外に売れ始めた。海外の業者から見ると、これらの機械を必要とするのは日本向けだけだったが、これが無いと輸出できない。日本への輸出を諦める業者が出る一方、これを商機と捉えて投資をする業者もいた。

 包装をぎ取る側も悪戦苦闘が続いた。大手の食品加工業者は、機械系の業者と共同で「個別包装剥きロボット」を開発していた。開発競争は過熱し、AIを駆使した高度なロボットが登場し、速度を競った。ある機械メーカーの米用の製品は、毎分十万の処理能力を誇った。


 一方、高価なロボットなど買うよしもない一般家庭においては、個別包装剥き作業は依然として全て手作業だった。皆川も、相変わらず手でしるこサンドの包装を一枚一枚剥いている。

 そんな時、豆やお米の個別包装剥きのバイトの募集が見られるようになった。理由は簡単で、普通の家庭で一日分のご飯を炊くのに必要な米の個別包装剥きをすると、それだけで何時間も費やしてしまう。忙しい現代人にはなかなかできない。かと言って、美容と健康を放棄する気はなく、やはり個別包装米を食べたい。ちょっと予断だが、年金暮らしの高齢者は、逆にいい暇つぶしと歓迎する向きもいた。また、仏教の行者は、これは良い修練になると自ら個別包装剥き作業を買って出るものも現れた。比叡山では一心に剥き剥きをして、米粒を個別包装から解き放つ、が登場した。

 忙しい人達の間では、バイトを雇って代わりに個別包装剥き作業をやってもらおうという訳だ。少し金銭的に余裕のある人達だ。バイトはと呼ばれた。美容と健康を最優先する利用者達は、の指示に従って、食べる分だけ毎日、個別包装剥きを行っていた。ちょうど、お米の味にうるさい人が、食べる分だけ精米するのに似ている。「剥き溜め」はワイドショーでも言っていたように、良くないからだ。可能な場合は、朝剥きをし、直ぐに炊いた。それができない人は前の晩に剥くことになる。

 そんな事情で、剥き屋は依頼者の家まで出向き、その場でを行う。夕刻に呼ばれて、次の日の仕込みをする分には良かったが、早朝に剥き屋を呼ぶ顧客も少なくなかった。朝、その場で剥き剥きしてもらい、直ぐに炊いて、朝ごはんやお弁当にするという按配だ。

 剥き屋のバイト料は、最初のうちはほとんど最低賃金だったが、需要が高まるについて、徐々に上がっていった。バイト料が、最低賃金の1.5倍くらいに高騰したとき、皆川はふと考えた。

「これは、今やっているフードデリバリーより割がいいのでは?」

 しかしこれは、剥く速度によって、大きく異なってくる。早く剥くことができれば、それだけ時給は良くなる。割がいいかどうかは、剥く速度をみてみないことには分からない。

 これは、試しにやってみるしかない。プロの剥き屋のスピードは、最低でも2合/時くらいだという。皆川はやってみた。最初の15分くらいは順調だったのだが、そこからは指先が痛くなり、動きが鈍くなってきた。30分を過ぎると、目がチラチラしてくる。結果、1合/時も行かなかった。散々だ。

「これでは剥き屋のバイトはできない。どうしたものか」


 収入アップは魅力的だった。諦め切れない皆川がネットを検索していると、剥き屋のための訓練校を見つけた。授業料は高いが、一ヶ月コースを終了すると、2合/時が達成できるという。

「何事にも投資が必要だ。一ヶ月無収入になるが、急がば回れだ」

 決めると早い皆川は、早速、「剥き屋訓練校」に申し込んだ。オンラインと教室実習が半々にある。オンラインで基本的な指の動作を学んだ後、教室で教官の指導を受ける。思ったより実践的だ。

「それにしても、ここの教官達はどうゆう経緯いきさつで、ここの仕事に収まっているんだろう」

 剥き屋は、ここ半年くらいで注目されてきた仕事なのだが、既にこうして教官レベルの人たちがいる。ワイドショーの「個別包装の専門家」もそうだが、時代の流れに乗って行く人たちの逞しさには関心する。

 自分の部屋で試した時には、素手のまま、指先で剥き剥きしたが、この訓練校では、幾らかの道具を使っていた。お猿さんから、少しだけ進化した気分だ。左手にはしゃもじのような、縦縞にレール状の溝がついたものを持つ。米をすくうと、ここに何列かの米の列が出来る。右手には小さな針がついた棒状のものを持つ。この針で、左手のじゃもじの上に並んでいる米粒の個別包装を引っ掛けて剥いていく。うまくできると、包装は針にひかかり、中の米粒はしゃもじから落ちるという具合だ。ただ、訓練しないとうまくできない。いらいらしてくる。

 来る日も来る日も、プロの剥き屋になるべく訓練に励んだ。確かに山伏や仏教の行者ではないが、こうして集中して訓練していると、まるで修行のようだ。米と指先以外は見えなくなる。調子がいいときは、ビンビンビン、と連続して弾けるように米粒が飛ぶ。そんな時は気分がいい。教官の斉藤も励ましてくれる。

「おぉ、今日は調子いいねえ。1.5くらいは行ってるね」

 1.5というのは、1.5合/時の事で、速度を表す。

 教官は皆、明るくて親切だった。日本の美容と健康を支えるべく、最先端の仕事をしているという自負が感じられた。

 熟達者たちは、さらに速度を上げるために「二針」を使う。これは、右手に持つ棒の先に小さな針が二本ついたものだ。これで、同時に二粒の米の個別包装を剥いてしまう。大幅なスピードアップが可能だ。ただ、針を置く位置がミクロン単位の精度で要求されるため、誰でも出来る訳ではない。皆川は一針でもまだ使いこなせていないのに、二針なんてとても無理だった。


 三週間目に中間試験が行われた。作業の速度と品質が問われる。斉藤教官が合図する。

「いいですか。それでは、ヨーイ、スタート!」

 十人ほどの訓練生はいっせいに剥き剥きを始める。剥いた米が容器に落ちるパラパラという音だけが聞こえる。実際の業務を想定して、一時間行われる。これは最低ラインだ。実際の現場では、二時間や三時間の作業もあるだろう。

「はい、ここまで」

 斉藤教官の合図で、訓練生は手を止めた。彼は順番に回って出来栄えを確認した。

 皆川の番になった。斉藤教官は、しばらく剥かれた米の容器をさばいていたが、手を止めて言った。

「速度は1.8合/時。今日の参加者の中では3位です。頑張りましたね。ただ、米側に、剥いた包装が10個ほどありました。これは現場では致命的です。お客さんの健康にもかかわります。あと、傷のついた米粒も散見されます。作業の品質を高めるように努力して下さい」

 皆川は、指導を受けて手ごたえを感じた。これまで遠いと思っていた目標がぐっと近づいたように思えた。

「良かった。自己流でやらなくて良かった。下手したら、顧客から訴えられかねない」


 こうして訓練は続き、とうとう終了試験の日が来た。斉藤教官は言った。

「合格、不合格はありません。もう皆さんは、結果がどうであれば実戦に耐えられるか、ご自分で評価できると思います。それでは始めます」

 中間試験と同様にスタートが切られた。ただし、終了試験は二時間に及ぶ過酷なものだった。皆川は入校時とは比べ物にならない集中力と技術を駆使して剥き剥きをこなしていった。

「はい、そこまで」

 二時間という長い黙々とした作業の後、斉藤教官の合図で試験は終了した。皆川は力を出し切った思いで満足感を覚えていた。考えてみれば、これまでも運動会や受験でそれなりに頑張った覚えはあるが、どれも周りの皆んながそうするので、自分もその流れに合わせてやっていた、いや、やらされていたという感があった。しかし、この剥き屋修行は、自分で選択し、自分で努力している。内容がなんであれ、自らの意志でやっている事には代え難い価値がある。

 そんな思いを巡らしていると、斉藤教官がやってきた。

「皆川さん、2.3合/時です。としては限界のスピードです。よくやりました。上出来です。包装片もありません。ちょっと米粒に傷がありますが、これは現場でも許容される範囲のものです」

 皆川は目が潤んでくるのを感じた。受験で志望校に合格とか、競技会でメダル獲得なんかなら分かるが、個別包装を一生懸命剥き剥きしただけなのに、この達成感、この感動はなんだろう。皆川はあっという間に過ぎ去った一ヶ月間を思い返していた。


 皆川は晴れての剥き屋になった。二針はまだ練習中で、今後の課題だ。時折、練習している。

 仕事は、剥き屋のサイトがあり、そこを通して入ってくる。フードデリバリーと違って、有志で運営しているフリーのサイトなので、特に誰かの指示で動いているという訳ではない。ピンハネもない。考えてみればフードデリバリーは、彼らのネットワークに縛られ、指令は受けているが、自営業扱いなので、何かあったときの責任は自分持ちという点ではこの剥き屋と変わらない。それなら束縛の無い、自由な、この剥き屋稼業の方が快適だ。

 ただ、剥き屋は特に資格は要らないので、悪質な剥き屋がサイトに登録してくることも考えられる。今後、対策が必要かもしれない。しかし、顧客の多くは、指名をしてくるようだ。やはりフードデリバリーと違い、家の中に招き入れて、一定時間作業してもらい、しかも、自分達が口にする食品に直接触れるので、信頼できる人を選ぶ。

 剥き屋を多くかかえる会社も現れた。しかし、やはり応対の良さや、作業の品質の高さから、は人気が高かった。皆川はもちろん個人剥き屋で、一匹狼である。指先一つで日銭を稼いでいる。


 皆川は朝の仕事が多かった。偶然かもしれないが、フードデリバリーをやっていた時と同じく、「朝型」の日課になっていた。自転車で競うように駆けずり回る訳ではないので危険は少ないが、やはり夜より朝のほうが何をするにも気持ちがいい。それにまだ日のある時間に帰って部屋でくつろぐのを毎日の楽しみにしていた。

 朝の仕事が多いのには理由がある。前述の通り、究極の美容と健康を求める人達は、その日に炊くお米は、その日に剥く。勢い、早朝の剥き剥きとなる訳だ。従って、朝一番で剥き屋を呼ぶ。


 皆川は、白んでくる窓の外を見遣みやりながら呟いた。

「今日の一番のお客さんは相川さんだ。5:30、お米3合、二時間以内を希望か」

 そろそろ家を出なくてはならない。自転車で行ける距離だ。今の皆川にとって、3合を二時間は軽いものだった。予定より早く終わるとチップをくれるお客さんもいる。相川さんはお得意で、いつもお世話になっている。

「おはようございまーす、皆川です」

「あら、おはよう。朝早くからすみませんねえ」

 いつもインターホン越しのこんな会話から一日が始まる。フードデリバリーの時のような殺伐とした感じは少ない。家族世帯が多いというのもあるだろう。ヌオーとして、ろくに言葉も交わさないやつがうつろな目をして出てくるなんてことはない。この違いは、精神衛生上重要だ。

「さて、早速始めます」

 この家では、台所まで通してもらっている。家によっては玄関で靴を履いたまま作業をさせる所もあるが、冬などは冷えるので手先の動きが悪くなって困る。相川さん宅はそんな心配は無い。

 台所にはいつものとおり、ゴミ入れと、お米の容器、それに座布団があった。

 作業前に暖かいお茶を出してくれる。

「あっ、ありがとうございます」

 皆川は礼をいい、お茶をいただいた後、精神統一をし、作業に入った。猛然と剥き剥きをする。個別包装を剥かれた米粒が一本の美しい流れになって容器の中に吸い込まれていく。

 息子と思われる小学生ほどの子が、じっと皆川の作業を見ている。

、凄いね」

 一応、おじさんとは呼ばれなかった事に安心するが、こんな声を掛けてもらうのは誇らしいし、励みになる。この仕事をして良かったと思う瞬間だ。

「はい、3合終わりました。お確かめください」

「あら、早いわね。さらに腕を上げたようね」

「いやいや、相川さんのおかげですよ」

 皆川は報酬を封筒で受け取った。茶封筒には現金が入っている。今時いまどき現金での授受は大時代がかっているが、支払いにかかる手数料や個人情報などの開示を、お互い最小限にできるという利点がある。もちろん、剥き屋仲間の中には、〇〇ペイや銀行振り込みを利用している者もいる。

 皆川は、作業時間と報酬から時給を計算してみた。最低賃金のざっと2倍だ。悪くない。中堅企業の正規社員並みではないだろうか。ただ、会社による福利厚生も、退職金もないので、その点は劣る。

 最初の頃は、自分のが気になっていたが、仕事が軌道に乗り始めてからは、それほど一日一日の収益や、時給換算にこだわらなくなっていた。仕事を依頼してくれるお客さんがいて、そのお客さんとうまくやっている事が何よりも充実感を生んでいた。


 皆川は帰ると、テレビを見て寛ぐ前に、1時間ほどの練習をする。本当はもっと長く練習したいが、個別包装を剥いた米がどんどん溜まっていって消費できなくなるのでこのくらいにしている。転売してもいいが、個別包装していない米は価値が半減してしまう。どうしても余った分は、近所や知り合いにタダであげている。授業料だと思えばいい。

 それでも二針の技術は徐々に向上し、一針を十分に上回る処理速度になってきた。そろそろ実戦で使えそうだ。

 翌朝は6:00の約束で、甚兵衛じんべえというお店に伺った。顧客は個人とは限らない。食堂だって当然ごはんを出す。前述の通り、お店としても顧客をつなぎとめるために個別包装米を使わざるを得なくなっている。

「おはようございます、皆川です」

 厨房から気難しそうな店主が出てきた。須藤さんという。

「おう、おはよう。じゃ、よろしく頼むな。米はそこにある」

 今日は10合を剥かなくてはいけない。かなりハードだ。それもあり、ここで初めて二針を使おうと決心していた。

 皆川が取り出した二針を見て、須藤は言った。

「おー、二針かい。初めて見たな。てえしたもんだ」

 座って準備をしていた皆川は、須藤の顔を見上げた。二本の針は棒の先にちょこっと出ているだけで、素人さんには分からないものだ。須藤は剥き屋について幾らか造詣があるのかもしれない。


 皆川は3時間弱で、10合の米を剥き終わった。須藤は腕を組んで感心した面持ちで皆川を見ていた。

「ほお、早いねえ。さすが二針だ。二針の技を初めて拝見させてもらったよ」

「ありがとうございます。どうぞ、お確かめください」

 須藤は、剥き上がった米を入念にチャックし始めた。皆川の仕事を疑っている訳ではないが、これは客に出す米だ。粗相そそうがあれば店の責任になる。

「あっ」

 須藤は小さな声を上げた。

「皆川さん、ほら」

 須藤の掌からこぼれ落ちる米粒の中にキラッと光るものがあった。

「あっ」

 今度は皆川が声を上げた。

「個別包装のプラスチックだ・・・・・・」

 皆川は、やってしまったという思いでいっぱいで、次の言葉が出てこなかった。剥き屋にとって、これは絶対に避けなければならない事だった。

「どうやら、その一つだけのようだねえ。後は大丈夫だ」

 須藤は確認を終えると皆川の方を向き直った。皆川はやっと口を開いた。

「申し訳ありません! なんとお詫びしていいか・・・・・・ もちろん、今回の作業のお代はいただきません。どうぞお許しください」

 立て続けにそう言うと、皆川は店主の顔を恐る恐る見た。店主は意外にも怒っている様子はなかった。

「あー、このくらいいいよ、皆川さん、そんなにかしこまらんで。いつもいい仕事してもらってるから、この一個くらいで怒ったりしねえさ。それに、お代はちゃんと払うよ。皆川さんはプロの剥き屋なんだからもっと自信持ちな。でも、今後は気を付けなよ」

 そう言って、須藤は用意していた茶封筒を皆川に渡した。皆川は深々と頭を下げて封筒を受け取った。心遣いが嬉しかった。


 思ったより剥き剥きが早く終わったこともあり、須藤は皆川にお茶を勧めて、ある話しを聞かせてくれた。

「それは、この店の常連さんから聞いた話しなんだけどな」

 話しによると、その常連さんには息子がおり、やはり剥き屋をやっていたそうだ。四十過ぎだが、前の会社を辞めた後は定職に就かず、剥き屋になったという。ただ、皆川の様に訓練校には通わず、自己流でやっていたそうだ。それなのでスピードも遅く、作業の品質も悪く、評判もイマイチだった。その分、仕事を安く請け負ったので、稼ぎは少なく、ようやく食べていけるくらいだったらしい。そんな時、が起きた。ある家で剥き剥きをしたが、その夕方連絡が入り、その家の小学生の子供が激しい腹痛を起こして嘔吐したというのだ。医者の調べで、嘔吐物からは、米の個別包装の欠片かけらがいくつも見つかった。両親は怒りまくり、訴えるといきまいた。常連さん、つまり、その剥き屋の父親だが、彼も相手の家に出向いて、示談で済ませてほしいと、頭を床に擦り付けてお願いした。結局訴えるのはめて、治療費と慰謝料を支払う示談となった。高額な慰謝料はその剥き屋の一年分の稼ぎにもなったという。もちろん息子は剥き屋をやめた。もっとも、今となっては、その腹痛の原因が本当に包装片だったかどうかは分からずじまいらしい。

 そこまで話すと店主は珍しくにこやかな顔になり、皆川の肩をポンと叩いて言った。

「ま、そんな話しもあるが心配なさんな。お前さんの仕事ぶりはピカ一だ。格が違うよ」

「貴重なお話し、ありがとうございました。また、よろしくお願いします」

 そう言うと、皆川は店を後にした。自分の腕に自信を持つことはいい事だが、二針を使えるようなった事もあり、最近ちょっと鼻が高かったかもしれない。今日の須藤の話しは皆川が改めて気を引き締めるいいきっかけとなった。

 その後も皆川は、いい仕事を続けていた。剥き屋の全国大会にも出場した。さすがに上には上がいるもので、入賞はできなかったが、結構上位に食い込んだ。これはまた顧客の評判を呼んだ。


 皆川は、剥き屋になる前に思っていた事をすっかり忘れていた。いくら美容と健康の為とはいえ、これほど手間隙の掛かる個別包装が何故こうも普及しているのか。また、ワイドショーやネットに溢れる「個別包装礼賛らいさん」は本当に実効性のあるものなのか。個別包装が日常の風景になり、それを生業なりわいにしている皆川には、そんな疑問は遠い過去のものとなっていた。

 それに、個別包装が面倒くさいとか、意味が無いとなってしまうと、今の皆川には困る。とりわけ、高い技術を要する米や小豆の個別包装は続いてほしい。

 そんな事を考えながらいつものようにワイドショーを見ていると、環境問題の話題をやっていた。環境問題はテレビもネットでも良く扱われるが、何故か個別包装の事は取り上げられない。「美容と健康」による肯定的な意見が、批判的なそれを遥かに上回っているので、番組が否定的な扱いをしにくくなっているとしか思えなかった。

 ワイドショーの司会は、国際会議の話題を解説していた。

「さて、来週に迫った国際環境会議は京都で開催されます。これに先立ち明日、北欧からグルタさんが来日なさいます。会議までの間、日本各地での講演が予定されています」

 皆川は余り環境問題には興味がなかったが、グルタさんの名前は知っていた。北欧出身で、女子高生ながら環境問題に鋭く迫り、各国政府や大企業に容赦なく辛辣な言葉を浴びせている。発言力のある人だ。

「へー、あのグルタさんが来日するんだ。日本の政治家や企業を滅多斬りにするんだろうな。日本は外圧に弱いから、こういう人がガーンと言わなきゃ変わんないよな」

 他人事ひとごとのように思っていた皆川だが、これがやがて自分の身に降りかかってくるとは思いもよらなかった。


 来日して最初の講演は東京で行われた。東京国際会議場は聴衆で満席だった、これからグルタさんの講演が始まるのだ。場内の照明が暗くなり、グルタさんの経歴などが紹介された後、彼女は登壇した。会場は割れんばかりの拍手に包まれた。

 拍手が一段落すると、グルタさんは険しい顔で話し始めた。

「お招きいただき、ありがとうございます。日本は先進国らしく環境意識が高く、CO2問題でも最先端の研究が行われていると聞きます。水素社会を目指す先進の取り組みに敬意を表します」

 彼女は少し場内を見回してから続けた。

「昨日、ホテルの近くのスーパーに行ってきました。最初は、私の国にあるスーパーとさほど変わらない、普通のお店だと思っていたのですが、商品を見て回るうちに、静かに怒りがこみ上げてきました」

 聴衆の中には、こんな風に呟くものもいた。

《ほら、来た来た、グルタ節の始まりだ》

 彼女は突然、声色を強くして続けた。

「なんです、あの過剰包装は! ポテトチップスなんか巨大な風船と化しているではありませんか。それに大豆だってお米だって個別包装です。なんであんなものにまで個別包装しなくちゃいけないんですか。狂ってます。あり得ません!」

 場内がざわついた。これほど強い調子で批判されるとは、誰も思っていなかったのだろう。

「専門家や評論化が推奨しているっていう話しも聞きました。そんなの全部詭弁です。賢明な皆さんが、それらの誘導に乗っているのが信じられません!」

 場内はシーンとしてしまった。こっぴどく叱られた子供のようだ。いや、実際、そうなのだろう。

「レジ袋だって、有料化して7割もの人が行動を変えたと聞きます。これは誇らしいことですか。逆です! そんなに多くの人が『レジ袋要りません』の一言が言えずにいた、ということなのです」

 日本の先進技術が、如何に世界の環境問題解決に貢献しているか、なんて話しを期待していた向きは、キツネにままれたような顔をしていた。

「ちょっと言葉が過ぎました。いずれにしても過剰包装は即刻やめるべきです。日本人は環境意識がとても高いのに、何故、身近な所から始めないのですか。政府が音頭をとらないと、ネクタイ一つ外せないのですか。ポリフェノールで踊るのですか。ヒアルロン酸で、はしゃぐのですか。コラーゲンで歓喜するのですか、ファイバーに浮かれるのですか」


 グルタさんの東京講演は衝撃を持って報道された。

「グルタさん、強烈な一撃」

「外圧で変われるか、ニッポン?」

「過剰包装を一蹴、グルタ氏」

 皆川は報道を見て、ちょっと不安になった。あのグルタさんが、過剰な個別包装を名指しで批判したのだ。業界や世間はどう受け取るのだろう。


 東京講演後も、当初、剥き屋の仕事はそれほど変化はなかった。しかし、京都の国際環境会議で「過剰包装の撤廃」が決議されると、心配していた影響がじわじわと現れてきた。剥き屋の仕事の依頼が減ってきたのだ。また、スーパーに行くと、個別包装をしていない米も散見されるようになってきた。お菓子も同様で、個別包装したものとそうでないものの両方が店頭に並ぶようになってきた。

「うーん、これはまずい」

 皆川は、そうは思うが、どうする事もできない。彼が一人で個別包装の効能を訴えても趨勢は何も変わらないだろう。くだんの「個別包装専門家」もコメンテーター達も声をひそめていた。


 相川さんから電話が入った。注文はいつもメールなのに珍しいと思い、電話に出た。

「はい、皆川です。相川さん、こんにちは」

「あのー、皆川さん。ちょっと言いにくい事なんで、電話したんですけど、ウチも個別包装米はやめることにしたんです。息子が、環境に悪いからやめましょうって、学校で習ったそうで」

 皆川は直ぐに返事をできなかった。一番のお得意さんだった相川さんからも仕事を断られてしまった。

「そういう訳で、ごめんなさいね。これまでの剥き剥き、本当にありがとうございました。皆川さんも負けずに頑張ってくださいね」

 皆川は搾り出すようにやっと言葉を口にした。

「は、はい、分かりました。ご連絡ありがとうございました」

 言い終わると、電話は先方からプツッと小さな音を立てて切れた。


 翌朝、気を取り直して甚兵衛に行くと、店主の須藤は頭を抱えていた。

「やあ、皆川さん。困ったもんだね。ついこの間までは、絶対に個別包装米しか食べないって言っていたお客さんが、今度は、環境に悪い個別包装米は使わないでください、って申し入れて来やがったんだ。俺、どうしていいか分かんねえよ」

 皆川は、困惑した顔をしている須藤に掛けてやる言葉を見出せなかった。それよりも、自分の仕事が危機に瀕している。

 徐々に仕事が減っていく中、皆川は、身につけた技術を何か応用できないか考えてみた。業界仲間とも情報交換した。しかし、剥き屋という特殊技術はが効かなかった。高度に専門化された技術は、それ以外の何かの役に立つとは思えなかった。

 残酷な時が流れ、仕事は生活していくにも苦しいくらいにまで減ってしまった。皆川は呟いた。

「あー、また以前のフードデリバリーに戻るしかないか」

 皆川は剥き屋業の将来を諦めかけていた。世の流れには逆らうことはできない。考えてみたら、剥き屋だって、世の流れで生まれてきたようなもんだ。それが今度は消えてゆく。諸行無常を感じていた。


 そんな時、剥き屋の「対策会議」で会った仲間から耳寄りな話しを聞いた。

「えっ、そうなの、K国で?」

 話しによると、日本に遅れて、K国で個別包装のブームが起きているとのことだった。皆川は疑わしそうに、その仲間に言った。

「でも、グルタさんの話しはK国でも報道されたんじゃないの?」

「あー、確かに。しかし、K国は日本よりも西洋諸国に対する反発意識が強いんだ。良くも悪くもな。だから、グルタさんも国際環境会議の決定も猜疑的に見ているんだ。国民性だよ」

 皆川は関心した。こいつは剥き屋のくせして、国際情勢なんかも詳しそうだ。

「ふーん、じゃあ、K国では個別包装は続くということか?」

「あぁ、まだ始まったばかりだ。これからだよ」


 そんな折、剥き屋の仕事が入らなくて暇を持て余していた皆川のスマホにメールが入った。

「ん? あれ、珍しいな、訓練校からだ」

 それは、皆川が通った訓練校からのメールだった。久しく連絡はとっていなかった。皆川はそのメールの内容を見て、信じられなかった。

「皆川さん、ご無沙汰しています。教官の斉藤です。貴方も仕事が減ってお困りの事と推測します。ご存知かもしれませんが、K国では個別包装のブームが到来しています。本校は、教官共々K国に引越し、あちらで開校しようと計画しています。つきましては、貴殿を教官としてお迎えしたいのですがいかがでしょうか」

 皆川は、読んでいて目頭が熱くなった。

「捨てる神あれば、拾う神ありか。ありがたい」

 皆川は、もちろん海外生活の経験などない。K国はS市に二泊三日の格安旅行で行ったきりだ。なんだかせわしい国だが、食べ物はおいしいし、人は親切だ。

 皆川は、しばらく考えさせて欲しい旨、返信しようとした。しかし、スマホで文字を入力していた、その手をふと止めた。

「時間を掛けて考えても、心配事が湧いて来るだけではないだろうか。一世一代の選択だからこそ、即決しないと機を逃してしまう」

 まだ、躊躇する心をなだめて、返信のメールを打った。もう迷わなかった。

「はい、お受けします。喜んで」


 3週間後、皆川は機上の人となっていた。わずか三時間足らずのフライトだ。ちょっと大袈裟かもしれないが、そこに新たな人生が待っている。K国での個別包装ブームもいつかは下火になるだろう。でも、それまでは頑張ろう。剥き屋の本領発揮だ!

 ゆっくりと旋回しながら高度を上げてゆく飛行機の窓からは、朝日にきらめく富士山が見えた。新たな日々が始まった。



































































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