第2話 帰宅して

 定休日でもないのに五香ごこう商店しょうてんのシャッターは閉ざされていた。取り急ぎ書かれたであろう「本日臨時休業」の貼り紙に首を傾げながら三咲みさきは勝手口のドアを開けて靴を脱ぐ。


「ただいま――」


 キッチンの照明はいたままだ。留守なのか?

 すると少し遅れて引き戸の向こうから「おかえり」の声が聞こえた。疲れたような力のない声とともに戸が開いて母親が顔を見せる。


「みーちゃん、おかえり」

「なあ、母さん、いい加減にそのってのやめてくれよ」

「今さら何を言ってんのよ、あんたはいくつになってもみーちゃんでしょ」

「てか、そもそもオレの名前だってさ、女の子だと思ってつけたんだろ。で、生まれてきたのがオレだったけど他の名前を考えてなかったもんだからそのままになったんだよな」

「あんたは面白くないことがあると決まってその話を出すよね。でも最初に考えてた『美咲』のままよりはよかったでしょうに」

「ざけんなよ、おれは長男なんだぜ。なのになんでなんだよ、まったく」


 三咲は空いたイスにカバンを無造作に置くとキッチンをぐるりと見渡して続けた。


「それはそうと母さん、メシは?」


 母親もテーブルにやってきてイスに腰を下ろすとバツが悪そうに微笑んだ。


「ごめんね、お母さんちょっと体調がイマイチでさ、店にあるものを適当に見繕ってそれで我慢してくれないかな」

「だから店閉めてたのか。で、親父はどこよ? 病気の母さんを放っぽってどこ行ってんの」


 三咲の問いに母親は人差し指と中指の二本を揃えて伸ばしてテーブルを叩く素振りをして見せた。


「また将棋かよ!」

「うん、商店会の寄り合いでさ」

「なんだよそれ。親父が店番すればいいじゃないか。店閉めてまで将棋はないだろう」

「そうガミガミ言わないの。お父さんだってあれはあれで気を遣ってくれてんのよ」

「どこがだよ」

「だって、お父さんがいたらお母さんは夕飯作らなきゃじゃないか」

「そりゃまあ、そうだけどさ……ならオレが店番するよ」

「バカ言うんじゃないの。中学生の息子に店番なんてさせたら笑われちゃうわよ。今日はとりあえず適当なもん食べてさっさと勉強しなさい。期末試験だって近いんでしょ」

「わかったよ、それじゃ適当に持ってくるよ。で、母さんは?」

「そうねぇ……おそばがいいかな」

「了解」


 三咲はすぐさま暗い店内に向かう。照明のスイッチを入れるとまず目に飛び込んで来たのは赤と緑のコントラストだった。


「これが補色関係の効果なのか。うん、確かに目立つかも」


 三咲は自分のために赤いきつねのでか盛りを、母親には緑のたぬきのカップを選んだ。


 キッチンに戻るとちょうど湯が沸いたところだった。三咲が早速カップに熱湯を注ごうとすると母親が彼のその手を止めた。


「みーちゃん、それだけじゃ足りないでしょ。お母さんのこれ食べなよ」


 母親はそう言って三咲のカップにかき揚げを寄こした。


「マジかよ、まあ、いいけどさ……てか、これ入りきらないじゃん」


 三咲は入りきらないかき揚げをフタの上に避けて後入れすることにした。まずは母親が熱湯を注ぎ、続いて三咲が大きなカップを熱い湯で満たす、フタが開かないようにかき揚げを重し代わりにして。

 待つこと三分、まずは母親がカップを開けるとキッチンに出汁の香りが広がる。すると母親は冷蔵庫から刻みネギを、茶箪笥から揉み海苔を出してきてそれらをそばにトッピングした。

 三咲のうどんは母親よりも長めの五分、頃合いを見計らってカップを開けようとしたとき母親が小さなタッパーと海苔の袋を目の前に置く。


「みーちゃんも入れる?」


 既に具沢山だし、お揚げとかき揚げに揉みのりはどうなんだろう。三咲はとりあえずネギだけを入れることにした。


「カップ麺も袋麺もひと手間加えると化けることがあるのよね」


 そう言って母親は機嫌よさげに笑いながらそばをすすった。三咲のカップでは出汁を含んだ大きなお揚げとともにサクサクのかき揚げが自己主張していた。かき揚げを適当に崩してお揚げとともに口に運ぶと、程よい甘みと出汁のうま味が口いっぱいに広がった。

 三咲の脳裏に美術教師の言葉が浮かぶ。


「補色同士を混ぜるとどうなるか。その答えは無彩色、すなわちグレーになってしまうんだな」


 ふっくらお揚げと香ばしいかき揚げ、この組み合わせはだよ。無彩色どころか赤と緑がいい感じに混ざり合って、おいしいじゃないか。こうして三咲はボリュームたっぷりのでか盛りをあっという間に平らげてしまった。

 しかしまだもの足りない。それもそのはず、三咲は育ち盛りの中学二年生、でか盛りにかき揚げをトッピングしてもまだまだだったのだ。

 そんな息子の様子を察した母親がカップを片付けながら言う。


「みーちゃん、もっと食べたいなら好きなのを持ってきなさい、またお湯を沸かしておいてあげるから」


 三咲は再び赤いきつねと緑のたぬきが並ぶ棚の前に立つと、そこで新たな発見をした。

 ひときわ目を引くオレンジ色のカップは讃岐風天ぷらうどん、しかしそれが目立つには理由があった。その隣にあるもうひとつのカップ、紺のきつねそば、三咲はそれら二つを手にしてほくそ笑んだ。


「オレンジと紺か。確かにコイツらも補色関係、目立つはずだよな。でも、さすがに二つはなぁ……よし、さっきはうどんだったから今度はそばにするか」


 こうして三咲は紺のきつねそばを手にして母親が待つ食卓に戻るのだった。




補色な関係

―― 完 ――

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

補色な関係 ~赤いきつねと緑のたぬき~ ととむん・まむぬーん @totomn

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ