補色な関係 ~赤いきつねと緑のたぬき~

ととむん・まむぬーん

第1話 教室にて

「以上が十二色相環についての簡単な説明だ。特にこれから話す補色のところは試験に出すからな、しっかり覚えておくんだぞ」


 美術教師のその一言に教室内がどよめいた。


「先生! 試験って、美術なのに試験あるんっすかぁ?」


 誰かが大きな声でそう質問すると教師は板書の手を止めてこちらに振り返る。


「もちろんだ。中間は実技だったけど期末は筆記試験だぞ。美術史と色彩が中心の設問だ。それとな、白鳳、天平、貞観の時代区分は歴史の授業とは違うからな、間違えるなよ。これは先生からの特別サービスだ、とにかくしっかりやれ」


 みな口々に不満とブーイングを漏らす中、それに輪をかけるように教師が付け加えた。


「それともうひとつ。作品名は漢字で書くこと。誤字脱字はもちろん減点だからしっかり暗記するんだぞ。弥勒菩薩半跏思惟像みろくぼさつはんかしいぞうくらいは書けるように。おっと、これも大サービスだな、ハハハ」


 教師は色彩と色相についてのひと通りを書き終えると教科書を開くように促す。ページをめくる乾いた音が教室内に響く、それが静まるのを待っていよいよ講義が始まった。


「補色というのはこの十二色ので向かい合った色のことを言う。例えば赤と緑、オレンジと青、黄色と紫などがそれだ。こいつらには特徴があってだな……」


 美術の授業なのに絵を描くとこも彫刻をすることもなく教師の説明が延々と続く。必死にノートを取る生徒、すっかり寝入っている者、心ここにあらずで教室内の絵画や石膏像をぼんやり眺めている幾人か、そんな中で彼、五香ごこう三咲みさきもぼんやり派の一人だった。

 こんな知識が何の役に立つんだか。どうせ試験が終われば忘れてしまうのだ、適当に一夜漬けでもすればいいさ。

 そんなことを考えているときだった、教師が彼の名を呼んだ。


「五香、おい、五香。お前、ちゃんと授業聞いてるか?」

「え、ええ、はい、聞いてます」

「そうか、なら聞くが、確かお前んってコンビニだったよな」

「違います、酒屋です。親父がコンビニは嫌だって言って全部断ってるんです」

「先生にはその違いがよくわからないんだが、でも見た目はほとんどコンビニだよな」

「先生、うちの店によく来るんですか?」

「まあな……で、本題だ。五香商店ごこうしょうてんでもこの補色を意識した陳列をしてるだろ。お前、気付いてるか?」


 なんなんだ、この質問は。三咲は突然の振りに返す言葉が出てこなかった。


「わからないか。ではヒントだ。カップ麺のコーナーだよ」

「……」

「なんだお前、自分の家のことなのにわからないのか。しょうがないなぁ、それじゃ正解を教えよう」


 教師は教室の全体を見渡しながら続けた。


「さっき説明した補色の関係、その代表的なひとつが赤と緑だ」

「あっ!」


 思わず声を上げる三咲、察したようにほくそ笑む教師、そして美咲はその答えを口に出した。


「赤いきつねと緑のたぬき」

「正解だ。五香商店ではその二つを交互に並べてるよな、赤、緑、赤、緑って。実はこれには意味があるんだ。この配色がお客の目を引くんだな」

「マジっすか?」

「ああ、マジだ。これが補色関係が互いの色を目立たせる効果ってヤツなんだ。これはどちらが欠けてもうまくないんだな」

「確かに母と父はあのコーナーだけはこまめに補充してます」

「ところで五香、あの陳列はお前の親御さんが考えたのか?」

「まさか。前に営業の人が来たんですよ、お願いします、って。父が言うにはカップ麺ってのはとにかくいろいろ出てるからその二つのためにそんなスペースは、って困ってたんだけど……」

「なるほどな、そこにはいろいろと大人の事情もあるんだろう。とにかくその指導をした人が学んだマーケティング手法には色彩学が取り入れられているわけだ」


 そして教師は再びクラス全員に呼びかけた。


「わかったか、美術の知識が社会に出ると思わぬところで役に立つというこれがいい見本だ。だからみんなしっかり勉強しておけよ。それじゃ今日はここまで」


 クラス一同が起立して礼をすると、みなぞろぞろと美術教室を後にする。すると教師が三咲を呼び止めた。


「先生な、学校の帰りによく寄るんだよ五香商店に。それでちょっと前から気になってたんだ、あのコーナーが。今日帰ったらご両親に聞いてみるといい。あとな、オヤジさんにもよろしくな」


 にこやかな顔で人差し指と中指の二本を揃えて伸ばして教卓を叩く振りをして見せる美術教師、五香三咲は一礼すると一番最後に教室を後にした。

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