まだ見ぬ未来を車窓から

夏瀬縁

まだ見ぬ未来を車窓から


「もう着くよ」



ハバルシャルは言った。



彼がもう着くよと言ったからには、もうそろそろ外の灯りが見え始めてもおかしくはないだろうと、窓を隙間、約一寸ばかりを震える手で開けた。

窓からは風が吹き込んでくるかと予想されたが、そんなことはなく匂いも鼻腔に届くことも無い。



ただ、窓を開いたと言う試行のみ。



事象はない。




肝心の外はと言うと、ハバルシャルが言うように「着く」と判断するには些かはやすぎるだろうと思わせるものだった。

しかし、人の感性や感覚と言ったものはそれぞれ異なるものである。


ひとり、明るい灯りが見えると言ったとして。


それが灯りであるということは誰にも証明できない。

明るいと捉える人もいれば、暗すぎて見えないと思う者もいるかもしれない。


つまり、ここに普遍的というものは存在しないのだ。



なので、ハバルシャルが言う「もうすぐ着く」のもうすぐは、私の感覚を無視している言動であるということは理解してもらいたい。


「もうすぐ着く」という無責任な言葉は、私の感覚や思考関係なく、言った本人の感覚などに基づいた言葉でしかない。

そう、所詮ハバルシャルのそういった自己の世界の中での話に過ぎないのだ。

それでも、その感覚を共有しようと。


そう思って、ハバルシャルはそれを口にしたのだろう。



しかしそれはあまりにも自己中心的すぎた。



「もうすぐ着く」という言い方には、何パターンも、何通りもあったであろうに。


例えば「もう着きそう」


この言い方であれば、自己の世界の中でのことなんだなと暗に伝えることが出来るであろう。

それも確実に伝えることが出来る。



こんな細かいことに面倒くさく、貴重で尊い思考に時間を割いているのは私一人だけであるだろうから、意味の無いことと言われればそれまでなのだろう。



でも、ハバルシャルはそんなこと気にしない。




今も窓を見て、嬉しそうに笑っている。




しかし、この言い方では語弊があり、貴方たちは誤解を産んでしまう可能性がある。




ハバルシャル今も外を眺める。





外には草木。



流れるように去りゆく廃墟。



走る数少ない動物。




ハバルシャルはそれらのひとつひとつを見ては、楽しそうに笑う。

彼にとって、新しいものに触れることは嬉しくもあり、同時にわくわくさせるものであるということは私も理解出来ている。



何事も新しい趣味や娯楽が見つかったら、その時は嬉しいものである。



そしてそれに長い期間、熱中することが出来るのであれば、尚更。

そんなことを一般に「ハマる」と言うのらしい。



そしてひとりの「ハマり」から、大勢または国をまたいで「流行」が起きる。




そしてその「流行」を巻き起こした張本人は、「崇拝」される。

「推し」という言葉が蔓延り、若い世代や国中にinfluenceを起こす。




その病原体は遂には、そのジャンルの帝王にもなる。




しかし、時間は有限であって、諸行無常。


ずっとは続かないのものなのだ。


ひとつ、「流行」が起きて「崇拝」されると、その一時の信仰を起こした対象の模倣品が出回るのである。

そしてそれは様々な世代に拡がってゆき、見境なくまとわりつき始める。

模倣品の流通が加速化し、やがて模倣でもないただの猿真似、所謂「パクり」が誕生する。


そして1度それが起こってしまったらもう止められない。



全否定はしないが、それでも影響を受けてしまった場所を改善するのは難しいどころの騒ぎではない。





ハバルシャルは笑った。





窓の外をずっと見ている。

飽きもせずによくそんな長時間みていられるなぁと感心する。





しかし、他人とはまったく異なる自己の世界を形成しているハバルシャルからすれば、とてつもなく簡単なことなのかもしれなかった。



ハバルシャルは笑う。




真っ暗な世界に笑う。

ハバルシャルは盲目ではない。


一点しか見ることが出来ない訳では無い。


2次元と3次元、現実と妄想の違いもよくわかっている。

十分な程に。


ただ、見ることが出来ない。


自己の世界関係なく、見ることが出来ない。




「もうすぐ着くよ、きっと。」




ハバルシャルは、外の世界を見ることが出来ない。

心は盲目でなくとも、身体はそうはいかない。






ハバルシャルは視覚障害者だ。


















influence、影響。





それは社会全体を巻き込むこともある。

しかし、ハバルシャルが少なからず受けているであろう影響は、けっして私たちとは一緒ではない。

そこかしこに点在する廃墟も、ハバルシャルにとっては綺麗で豪華絢爛な御屋敷なのかもしれない。


それら全てを理解して、2人で全くおんなじ世界を見ることなど到底出切っこないことなのだと、ここ数日で理解した。



「紙、ちょうだい」



ハバルシャルはその小さな手を伸ばした。



彼は彼に見えているらしい、目的地のあかりとやらを見てなにかインスピレーションを受けたらしい。



彼、ハバルシャルはよく物語を書く。




彼がいつ両目の視力を失ったのかは分からないが、すらすらと文字を並べる。

これまでもそうだった。ここの車窓から見える外の景色が一変する度に、ハバルシャルは紙にそれらの情景を記す。


絵ではなく、文章で。


1度聞いた。何故わざわざ文章で残すのかと。



『匂いと音がわかるから』



その一言だった。





それは何故という疑問を解決させるには十分な答えであった。



確かにそうである。



私たちは先人達が残した、文章や絵画、写真によって過去を逆行して旅をする。

今、まさにハバルシャルがしているような旅ではなくそれらを書き残した本人の世界をそのまんま巡っているのだ。


そして、それをするために発達、研究されてきたものをベースに私たちは残している。



次は私の番だと言わんばかりに。

しかし現実は悲しいものであって、自分を取り巻く環境が大きく変化したことで現実の中に大きな発見が昔ほどなくなってしまったように思える。




そのため、遂にとある1人が「非日常」と言うものを生み出した。




地球とは異なる自然環境を想像してみたり、自分が、更には他人が一生することが無いであろう体験を妄想してみて、ひとつの旅の記録として残すようになった。

やがて、それらは金を生み出し、名声も生み出した。



そして前述にもあった通りに模倣品も生み出すことになる。





ハバルシャルはうきうきとペンを走らせる。



「…ねぇねぇ、ちょっと読んでみてよ」



はい、と手渡される真っ白だった紙。




目を通してみれば、虫やら動物やらなにやら、私が見たことがないものばかりがそこの中で蠢いて、呼吸をしていた。


どう?、とハバルシャルが首を傾げた。



「…いい。とてもいい」



「それは良かった」




ハバルシャルはまたしても車窓の外へと目を向けた。





個性、独自性、他人とは違うナニか。






皆が右を向いている時に、左をむく。



皆が異世界に旅をしている時に、「今」を見る。




ハバルシャルが、いや、ハバルシャル自身こそがハバルシャルであるということ。

それがはっきりとわかる。



彼は、「自己の世界」に生きる別の人間。


もしくは、人間ですらないのでは無いか。







そう思った。





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