24 対峙

 ユーリスの部下たちはその晩、実に多忙だった。

 上司の人使いが荒いのは今に始まったことではないが、今夜はさらに輪をかけていた。

 非番の者も全員叩き起こされ、閉鎖中の鉱山に召集されたのである。

 もともと腕の立つ集団なので、たとえ屈強な元坑夫の盗賊たち相手でも後れを取ることはないが、命令が「討伐」ではなく「捕縛」のため、できる限り殺さないように立ち回るのは容易ではなかった。

 そして、夜中に大捕り物をする一団よりも精神的な疲労が大きかったのは、伯爵夫人を見張る役目の者たちだったろう。

 豪商の箱入り娘だという伯爵夫人は若いというよりまだ幼く、好奇心旺盛で向こう見ずという、とても扱いにくい相手だった。身分的には丁重に扱わなければならないのだが、あまりにわがままを言うので、根負けして彼らは危険な鉱山まで連れてくるしかなかったのである。

 だが、正直「もうどうとでもなれ」という気分になっていたことは否定できない。

 もし危ない目に遭っても、自己責任だと思うことにした。

 そうして連れてきた夫人は、鉱山に着くなりどこかへ行ってしまったが、誰も追おうとはしなかった。


 一方、先に鉱山へ着いていた者たちは、上司の命令のもと、逃走する盗賊の頭目を捕縛しようとした。だが、少年の姿をした盗賊は、居合わせた伯爵夫人を人質に取って船で逃げてしまった。

 追跡中、その盗賊と思われる少年が川に身を投げた。彼らは急いで引き上げたが、少年の意識はない。呼吸も脈も止まっている。

 逃げ切れないと観念して自ら死を選んだのだろうか?

 実際、盗賊の頭目などという重罪人は逮捕後の取り調べが終われば死罪は免れないだろう。それを恐れてのことだろうか?

 不審に思いながらも、彼らはひとまず盗賊の「死体」を上司のもとへ運ぶことにした。



 ユーリスの部下たちは、鉱山のすべての出入り口付近で待機していた。

 その内で最も逃亡の可能性が高いと予測されていた水路には、密かに複数の見張りが配置されていた。彼らが警戒を緩めることなく出口を監視していると、一艘の小舟が出てくるのが見えた。

 すぐに彼らがその船を取り囲むと、中には一人の少女が横たわっていた。

 彼らのうちでその顔を見知っている者がいたため、すぐにそれが伯爵夫人であることが判明した。

 いくら自己責任とはいえ、このまま川に流すわけにもいかないので、彼らは洞窟の外まで連れ出し、ひとまず柔らかい草の上に寝かせておくことにした。外傷はなく、呼吸も安定しているので特に問題ないと判断したのである。

 そこに見張りを置かなかったのは、彼らの怠慢とは言えないだろう。すでに盗賊はほとんど壊滅状態で、彼女に危害を加える者がいるとは考えにくい状況だった。そして彼女の立場からして、ここから逃亡するはずもない。

 それが当然の解釈だった。


 しかし、彼女は周囲に誰もいなくなると、何事もなかったかのように起き上がった。

 そうして一人、人気のない森の方へ足早に進んでいく。そこへ、

「夜の森は危険ですよ。女性の一人歩きは感心しませんね」

 静かな、だが剣呑な色を含んだ声が背後から上がった。

 彼女は立ち止まり、ゆっくりと振り返る。

「ご忠告ありがとう。でも、急いでいるの」

 そう言って立ち去ろうとする彼女に、青年は冷えきった声をかけた。

「無理に伯爵夫人を演じる必要はありませんよ。自分で作った人形の中身に気づかないほど間抜けではありませんからね」

 その言葉に少女――の姿をしたそれは、伯爵夫人の仮面を投げ捨て、その顔に不似合いな言葉を吐き捨てた。

「はっ、まったく面倒な奴に会っちまったぜ。おまえのせいで計画が台無しだ」

 伯爵夫人を呼び止めた「おまえ」とは無論、ナナキであった。

 他の誰を騙せても、その魂の器を作った本人は、それが伯爵夫人でないことなど簡単に見抜けたのである。


「この鉱山に眠る大量の水光石、ただ国外へ売りさばくだけのつもりではなかったようですね」

 洞窟の方を見やりながら、ナナキは自身の導き出した推理を口にする。

「水光石に専売制がとられているのは、単に高価だからというだけではありません。水光石には精霊の力が宿っている。それを大量に集めて精製すれば大きな力を手に入れられますからね。この国の王は今のところ悪用まではしていないようですが、使い方によっては強力な兵器にもなりえます。そのことに気づいて実行しようとする者が国外に現れたのでしょう?」

 ナナキの言葉に、少女の姿をした盗賊は苦々しく微笑した。

「……なるほど、おまえが『森の賢者』か。どこの国にも属さないってのは本当らしいな。知っているならここの王様に教えてやればいいものを」

 彼はナナキの正体にはっきり気づいたようだった。『森の賢者』と称されるナナキは、隣接する三か国のいずれの統治も受けない深い森で暮らす、中立な立場の術師なのだ。

 だから盗賊たちが他国へ兵器の原料となりうる資源を持ち出していることに気づいても、彼はクレイス王にわざわざ注進しようとはしなかった。この国に肩入れする気がないからこそ、中央から派遣されているユーリスのいないところであえて盗賊と対峙しているのである。

「一国が強大になるのはあまり望ましくありませんからね。できれば今のままの均衡を保ってもらいたいものです」

「だから邪魔をするってのか」

「それだけではありませんけどね」

 小さく笑ってそれだけ言うと、ナナキはおもむろに手をかざした。彼の手のひらが白く発光すると同時に、光が無数の刃となって少女の体めがけて降り注ぐ。


 並の人間なら一瞬で切り刻まれ、無残な肉塊と化していただろう。

 だが、相手も充分な力量を持った術師である。発光と同時に回避行動に入っていたため、バラバラ死体にはならずに済んだが、それでも無傷というわけにはいかなかった。

「おいおい、この体が壊れてもいいのか?」

 盗賊の声には焦りが滲んでいた。

 人形の体は痛覚も流血もない。だが、左腕は半分以上切り裂かれ、もはやまともに動くことはできないほどの損傷を受けていた。もう一度食らえば、今度こそ身動きが取れなくなるだろう。何とか逃げ出そうと隙を窺うために話しかけたが、ナナキは全く意に介さなかった。

「確かに良い出来ではありますが、他人に汚されたものを大事に取っておく必要もないでしょう」

「この人形が壊れたら、もともと入っていた魂が戻れなくなるぞ」

 もともと入っていた魂――それは伯爵夫人の偽物を演じていた者のことである。盗賊は彼女の正体など知らなかったが、その存在を口にすれば少しは時間稼ぎができるかと思った。

 確かに効果は覿面だった。

 逆の方向に。


「それで僕を脅しているつもりですか?」

 ナナキの表情は暗がりでよく見えなかったが、その声は今までで最も危険な色に染まっていた。

 しまったと思った時にはもはや手遅れだった。

 今度はもう避ける余裕を与えられなかった。

 間髪入れずに降り注ぐのは、刃よりも太く重い光の束。それが幾本も枝分かれして、全身を貫いた。

「まじかよ……」

 そのつぶやきはほとんど言葉にならなかった。

 体中を穴だらけにされ、むごたらしく壊れた人形の体が地面に崩れ落ちる。

 ほぼ同時に、その体から光の玉が抜け出し、空中を飛び出していった。

 それは恐らく、盗賊の魂。

 放っておけばまた別の肉体を得て、活動を再開するだろう。完全に退治するなら魂ごと消滅させなければならない。だが、ナナキはそれを追わなかった。

 彼の視線は宙を飛び去る魂の軌跡ではなく、地面に注がれていた。

 足元に転がる、ちぎれた四肢。それは伯爵夫人の姿から、元の白木の人形の残骸に戻っていた。

「――この程度で消えるような魂なら、初めから呼んだりしませんよ」

 そのつぶやきは誰の耳に届くこともなく、暗闇に吸い込まれていった。

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