23 揺れる魂

 子供とは思えない強い力で、私は投げ入れるように船に乗せられた。

 すると、櫂を漕いでもいないのに船は動き始めた。

 それからすぐ、後方から複数の足音と声が響いてきた。

「――いたぞ!」

「逃がすな!」

 彼らはユーリスが配置した部下だろう。まだナナキたちは追いついていない。

 船のない彼らは岸を走ってくるしかないが、自動で航行する船の方が早い。離れてゆく追っ手を見やりながら、頭目の男は嬉しげにつぶやいた。

「お、ちょうどいい具合だな」

 彼は船に転がされた私の方に向き直る。


「これからあんたの魂を追い出して、その体をもらい受ける。そこで用済みになったガキの体を川に捨てるんだ。そうすりゃ奴らは俺が川に飛び込んで逃げたと思って追いかけるからな。俺はあんたに成り代わって救助され、隙を見て逃げるって寸法さ」

 そううまく行くだろうか。相手が思い通りに動くとは限らない。

 だが、彼は思いついたばかりの作戦を実行するつもりらしい。

「さっきは人間に乗り移るつもりだったから弾かれたが、今度はまず人形に定着した魂を剥がしてやらねえとな」

 彼は私の額に手を当てる。

 今度は別の術を発動させているのだろう。今度は弾かれない。

 体内に異物が入り込んでくる。それが全身を這い回り、皮膚の内側から削り取られるような感触。

 声が出せない。

 指一本すら動かせない。

 目も、耳も、皮膚も。すべての感覚が機能を停止し、魂が世界から切り離される。

 暗転した視界の中で、私の意識はついに途切れた。


   ※


 悪い夢にしてはずいぶん長すぎる。

 私はどれだけ眠っていたのだろう。

 目を開けると、私は赤いカーペットの上に寝転んでいた。

 私はいつ模様替えをしたのだろう?

 一人暮らしを始めてから、カーペットを買い替えた記憶はないはずなのに。

 そもそもどうして私はベッドではなく、床で寝ているのだろう?

 起き上がろうとするのに、体に力が入らない。

 起きたばかりなのになぜか目がかすむ。

「う……っ」

 ようやく出たのは、かすかなうめき声。

 肺が焼けるように熱い。

 息をしようとすると激痛が全身を駆ける。

 今の私は、傷つけられても肉体に怪我を負わないはずなのに。

 ――違う、これは。

 すでに懐かしさすら感じる、生身の体。

 ――これは、私だ。

 27年間、慣れ親しんだ自分の体。

 それが今、大量の血を流して倒れ伏している。

 私は帰宅したところを刺され、異世界に魂が飛ばされたはずだった。

 今はその刺された直後に戻ってきたのだろうか。

 ということは――

 視界に映るのは、私の血で染まったカーペットと、誰かの足。

 ――これが、私を刺した犯人。

 それを確かめようと、床に転がったまま、私は力を振り絞って首を持ち上げた。


   ※


 視界は晴れたが、辺りはまだ暗かった。

 ランプの光に照らし出され、私を覗き込んでくるのは、まるで人形のように整った少女――アイシアの顔だった。

 ――今のは夢?

 意識が飛んでいた間、私が見ていたのは聖夜に刺された直後の自宅の様子だった。

 だが、私は再び鉱山に戻ってきている。

 ということは、このアイシアは――私から体を奪った盗賊の頭の姿なのか!

「――体を返しなさいよ!」

 起き上がると同時に、私は掴みかかった。

 が、その手はアイシアの体をすり抜け、空を切った。

「え……」

 バランスを崩しそうになるが、転ぼうにも地面を踏む足がない。

 私の姿はまた半透明の幽霊に戻っていたのである。


「ちょっと、落ち着きなさいよ。私は本物よ!」

「……え?」

 目の前のアイシアの言葉に、私は虚を突かれた。

「アイシア……さん……? どうしてここに……?」

 その口調は間違いなく、お嬢様のアイシアのものだった。だが、誘拐されたはずの彼女がどうして私の前に現れるのだろうか。

「あなたが倒れてるのを見つけたから、起きるまでそばにいたのよ。あなた、本当は人間じゃなくて精霊だったの? 初めて見たけど、触れないから起こすこともできなくて、見てるしかできなかったの。すごく不便ね」

「いや、あの」

「あなたの地味顔はよく覚えてるから、すぐわかったわ。精霊の本体ってこんな風に透けてるのね。あ、盗賊に取られた体はあなたの主が取り返しに行ってるから、しばらくここで待っててちょうだい。私はユーリスと合流するから」

 そう言うなり、アイシアは立ち去ろうとする。

 いやいやいや、ちょっと待て。

「そうじゃなくて! アイシアさんは誘拐されたはずじゃなかったんですか!?」

 ようやく私は口を挟むことができた。その言葉に、アイシアも驚いて目を見開く。

「どういうこと? 私はユーリスに用意された家に移動してただけなんだけど、もしかして誘拐されたことになってたの?」

 なんと、アイシア本人は誘拐されたという認識がなかったのか。

 これはお互いに状況を把握する必要がある。せわしない状況ではあるが、私はかいつまんでこれまでの経緯を彼女に説明した。


「あいつ……旦那様に余計な心配かけさせるなんて! だったら協力なんてしなければ良かったわ!」

 私の説明を聞いたアイシアは憤慨した。

「伯爵とずいぶん仲良くなったみたいですね」

「べ、別にそういうわけじゃ……!」

 私の言葉にアイシアは、ランプの明かりでもわかるほど頬を赤らめた。

 あのわがままお嬢様の第一声が伯爵への気遣いとは、こちらも驚きである。これだけ親しくなっていれば、もう私はお役御免だろう。この件が片付いたら偽物稼業は引退しなければ。

「まったくユーリスの奴、ひっぱたいてやらなきゃ気が済まないわ。私も騙してたなんて」

 アイシアはまだ怒りが収まらないらしい。

 私たちが伯爵邸で入れ替わった後、彼女はナナキと一緒に屋敷を出た。その後、隠れ家で侍女と合流する手はずになっていたのだが、ナナキが離れたタイミングでユーリスが現れ、別の家へ誘導したのだという。

 もちろんそこはユーリスがあらかじめ用意した場所で、ナナキには伏せてあった。そうして被害者本人も知らない誘拐を成功させ、彼は自作した脅迫状を「発見」して伯爵に見せたのだ。

 そこまでしてアイシアを遠ざけた理由はいまだ不明だが、少なくとも彼の内偵活動に必要だったのは間違いない。


「それにしても、よくここまで来ましたね」

「だって誰も来なくて退屈でしょうがなかったのよ。家の外には護衛がずっと張りついていて落ち着かないし。でも、しばらくしたら急に護衛の人たちが慌ただしく出ていこうとするから、事情を聞き出して一緒に連れてきてもらったのよ」

 何と言うか、護衛の人たちに同情する。

 きっと脅すか何かして無理やりついてきたのだろう。

 それでも断固として拒否しなかったのは、ユーリスにとって伯爵夫人がそこまで守るべき対象ではなかったからだとは思うが。部下にしても騒がれるくらいなら連れてきてしまった方が都合が良かったに違いない。せっかく「誘拐」が成功しているのに、屋敷にでも戻られては困るのだから。


「さ、早くここを出ましょう。あなたの主が待っているわ」

 よく見れば、私は洞窟の出口付近に横たわっていた。この辺りまで来ると川底に水光石がないため青い光はない。その代わり、外の月明かりがうっすら差し込んでいる。

 立ち上がろうと体を起こした際、すぐそばにアイシアが立っていた。半透明の幽霊になっている私はぶつからずに彼女の体をすり抜ける――そのはずだった。

 ちょうどアイシアの心臓辺りに私の体が触れた瞬間、まるで電流が流れるような衝撃が全身に走った。

「――!?」

 アイシアも同じ感覚を受けたのだろう。

 お互い、声を上げる暇もなかった。

 眼裏を焼き尽くすような、眩しい閃光。

 その白い光が弾け、ようやく世界に色が戻ってから辺りを見回すと――アイシアの姿が消えていた。


「アイシアさん……?」

 その呼びかけに応えはない。

 せわしく首を動かして周囲を探りながら、私は背中に冷や汗が伝い落ちるのを感じた。

 大地を踏みしめる足の感触。

 弾力のある白い柔らかな腕。

 月明かりを反射する川面に映る顔を見て、その予感は確信に変わった。

 私の魂は、本物のアイシアの体に入り込んでいたのである。

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