22 逃亡の手立て
「離して! 下ろしてよ!」
私の体は宙に浮いたまま、猛スピードで運ばれていた。手足を振り回しても空を切ってじたばたするだけで、何の効果もない。
私をさらった犯人――盗賊の頭は私を持ち上げて肩に乗せた、いわゆる俵担ぎにした状態で疾走しているのである。
「そいつはできないな。あんたに恨みはないけど、俺が逃げるために利用させてもらう」
冗談ではない。このままではアイシア救出という当初の目的を果たせないどころか、ただの足手まといになってしまう。いや、すでになっているだろうが、これ以上事態を悪化させるわけにはいかない。
「すでに人質を取ってるくせに、これ以上さらってどうするつもりなのよ!」
「はあ? 何の話だ?」
私を担いだまま、彼は驚いた声を上げた。だが、驚くのはこちらの方だ。
「何って……アイシアさんを誘拐したでしょう!?」
「アイシアって……領主の嫁はあんただろ?」
どうにも話が噛み合わない。私を本物だと思っているのだろうか。
「私はアイシアさんの身代わりよ。本物の花嫁をさらって、わざわざここへ来るように手紙を書いたのはあなたたちじゃないの?」
「それは俺たちじゃねえぞ!?」
「じゃあ誰なのよ!」
「俺が知るかよ!」
これはいったいどういうことなのだろう。
私たちはアイシアが盗賊にさらわれたからこの洞窟へ来たはずだった。だが、その盗賊の頭が誘拐など知らないと言う。ここで嘘をつく理由も必要もないから、それは真実なのだろう。
だとしたら、アイシアは誰にさらわれ、どこにいるのだろう?
ここへ来てまた一つ謎が増えるとは。
あまりにも多くのことが起きすぎて、もはや頭が回らない。目まぐるしく動く状況と視界に眩暈を感じていると、不意に彼は足を止めた。
目の前には洞窟の闇を淡く照らし出す青い光。
そこは大量の水光石が眠る地底湖だった。
「……ここからどうやって逃げるつもり?」
「この湖は外の川に繋がってる。そのまま国外へ出られるんだ」
恐らく、その川を使って盗掘した水光石を国外へ持ち出していたのだ。ユーリスが水光石の国外流出について言及していた以上、その程度のことはすでに調査済みだろう。それなら、この川を逃亡ルートに使うことも予測されているはずだ。
「ユーリスがあなたたちのことを把握してるなら、外も封鎖済みなんじゃないの」
「だろうな。だからあんたを連れてきたんだ」
「私は偽物なのよ。私を盾にしたって、向こうが人質ごと攻撃してきたら勝ち目はないわよ!」
私が本物の伯爵夫人なら、中央に属するユーリスも簡単には攻撃できないだろう。だが、私は貴族でも何でもない偽物なのだ。それなら人質もろとも死んでも構わないという判断を下すかもしれない。
今の私の体は普通の武器で傷を負っても死にはしないが、相手がユーリスだと事情が異なる。また魔獣を放たれでもしたら、今度こそ魂が消滅しかねない。
「盾にする気なんか最初からねえよ」
私の説得など歯牙にもかけず、盗賊の頭はにやりと笑った。
すでに私の体は地面に降ろされている。そして、彼は私の頭に手を当て、何かをつぶやいた。
次の瞬間、彼の手のひらに光と熱が生じ、私の頭上で爆発した。
――パァンッ!!
激しく爆ぜる音とともに、彼は後ずさった。
「く……っ!」
彼は手をおさえながらこちらを睨んだ。
今のは何かの術だろうか?
私にかけようとして、どうやら失敗したらしい。手にダメージを受けたらしい彼とは異なり、私には何の変化もない。その様子を確かめるように私の全身を舐め回すように見やると、彼はこう問いかけた。
「あんた……人間じゃないな?」
その言葉に、私はびくりと震えた。とぼけて誤魔化すこともできたはずなのに、こういうところで堂々とはったりをきかせられるような器用さを持ち合わせてはいないのだ。
その反応で、彼はすぐに察したようだった。
「こいつは驚いた。あんたの主人は相当腕がいいようだな。ここまで完璧な人形は初めて見るよ。単に逃げるまでの間、体を借りるつもりだったが、予定変更だ。その人形、俺が使わせてもらう」
「予定って……」
思わず聞き返す私に向かって、彼は一歩踏み込んでくる。背後には地底湖があり、これ以上は後ろへ下がれない。不穏な空気をまといながら、彼はさらに距離を詰めてくる。
「今のこの体は俺のものじゃない。地震の後に近くの村で拾ったのさ。だが、生身の人間に憑いていられる時間には限りがある。とりあえずあんたに乗り移ろうと思ってたんだが、まさか人じゃないとはな。どうやら運が向いてきたようだ。こんないい人形があればしばらく体を維持できそうだな」
「あなたは……人じゃないの……?」
「そいつはお互い様だろう?」
そう言われてしまえば返す言葉がない。
声を失って立ち尽くす私を尻目に、彼は奥の坑道に向かって叫んだ。
「――おい、船の用意はできたか!」
「は、こちらに」
ぼそぼそと喋る年配の男の声。水光石の光が坑道から出てきた人影を照らし出し、私は目を見はった。
「あ、あなたは――!」
猫背で、疲れたようなその顔には見覚えがある。
「……内通者はあなただったのね」
彼の名前は知らない。だが、私は何度も彼には会っていた。
その人物は――馬車の御者。
私の移動にも従っていたが、本来は伯爵専属であるという。いわばお抱え運転手だ。それなら伯爵の動向を逐一把握できるだろう。
最初に鉱山に行った時のメンバーは、私とソーシャとユーリスの三人だった。だが、そこにはもう一人、馬車を走らせる御者の存在もあったのだ。ユーリスにばかり疑いの目を向けて、御者が内通者である可能性を考慮に入れていなかったのは不覚だ。
思い起こせば、今日も伯爵とユーリスを連れてきた馬車は無人だった。つまり御者は消えていたのだ。ここで盗賊の仕事をするために。
御者の男は私から顔をそむけるように背を丸め、無言のまま木の小船を湖岸に寄せてきた。盗賊の頭は船を繋ぐ紐を受け取ると――御者の頭を棒で思いっきり殴った。
瞬きほどのわずかな時間の出来事に、声を上げることもできなかった。
御者は抵抗すらできず、一撃で地面に倒れ伏し、動かなくなった。
「あ……あなた、何をしてるの……!」
この御者は仲間ではないのか。そう言いかけたが、よく考えればさっきも手下たちをただの手駒と切り捨て、足蹴にしていたではないか。船の調達が済めばもうこの男も邪魔なだけなのだろう。
「うるせえ奴だな。領主の御者が内通していたことはまだ誰も知らねえんだろ。だったらここで殴られて気絶してりゃ盗賊に襲われたと思われて誰も疑わないだろうが。それが気に入らねえなら、ここで口封じに殺したって構わないんだぜ」
「それは……」
もはや会話が成立しない。この男とは価値観が違いすぎるのだ。
見た目は少年なのに、中身はあまりにも邪悪すぎる。湖水の青を反射する瞳には、冷酷そのものの色が浮かんでいた。
彼はさらに半歩近づく。
私の踵はもう地面を捉えていない。二人の間の距離を完全にゼロにすると、彼は唇に薄い笑みを浮かべた。
「さて、おしゃべりはここまでだ。奴らに追いつかれる前に用意をしておかねえとな」
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