第20話 初めての学会発表

「それではアオイさんの発表になります。ご登壇ください」


 音楽ホールのような空間の、ステージ上に俺は向かう。横目にはぎっちりと詰め込まれた人々がいる。彼らは俺と同業、つまり研究者たちだ。今から俺は異世界の学会にて発表を行うところだ。

 音楽ホールのようだ、と形容したのは、単にその広さや人の多さからではない。二階や三階にも席があり、そこからは貴族などの位の高い人々がこちらを見降ろしている。

 彼らは主に政治に携わる人々で、科学の専門教育を受けた者ばかりではない。彼らは研究発表を聞いてその内容を理解し研究に生かすために来ているのではなく、国の最先端の研究成果を見て何に投資すべきかを己の目で見極めに来ているのだ。知識の補佐としてお付きの研究者を隣につけている人も多い。

 研究者にとって研究費をもらえるかは死活問題である以上、学会発表は単なる情報共有の場としてだけでなく、国の要人へのアピールの場としての意味も大きい。

 ……というのが俺がこの会場に来るまでにクルト教授の研究室メンバーから説明されたことだ。俺は元の世界で政治に興味を持ってこなかったが、そのことを話すと彼らから呆れられ、その重要さを懇々と説明された。

 政治に無関心なのは褒められたものではないとはわかっていたが、この世界ではそれを通り越して馬鹿のすることと言わんばかりだった。というのも、政治の風向きしだいでは資金提供を打ち切られる可能性すらあるからだ。少なくとも、国家に利益をわかりやすく示すものの方が優先される。そのために今の需要などに目ざとくあれ、ということだ。

 そういう事前知識もあり、俺はこれから行う発表に恐々とした気持ちで向かっている。下手したらこの発表で今後の研究者人生が大きく左右されるのだ。いくら俺が研究所に雇用されている形とはいえ、貴人の考え次第では研究所単位で潰すことも可能なのだ。まあそんな面倒なことをわざわざすることはないと教えられているが、それでも怖いものは怖いのである。しかし、やらねばならないことではある。


「ご紹介に預かりました、青井修司と申します。今から『変分原理を用いた新しい物理学の基礎法則の記述方法』について発表させていただきます。まずはその骨子となるアイデアについて説明していきます」


 ここは異世界だ。もちろんスライドを作成するソフトも、ハードも、映す機械もない。何ならホワイトボードもまだないので黒板だ。俺はその黒板をつかって精一杯わかりやすく、それでいて研究の価値が伝わりやすいように発表する必要がある。


「皆さんはフェルマーランペルの原理というものをご存じでしょうか。物質中の光は、始点と終点が与えられた経路のうち、進む時間が最小になる経路をとる、という原理です。始点と終点に対して、経路は様々あります。例えば直線で進むものや、遠回りに進むものや、曲がりくねったもの」


 口に出しながら、黒板に経路を書いていく。


「それらのうち、最も短い時間で進む経路をとってくることで、光の経路を記述できます。ここで次のような疑問が浮かびます」


 そう言いながら、俺は目配せをして手伝いの人に一つのボールを持ってきてもらう。見ている人の視線がボールに集まったのを感じつつ、そのボールを真上に放り投げる。そのボールが何度かバウンドし、やがて転がっていくのを横目に、俺は続ける。


「他の物体は何を最小にした経路をとっているのだろうか、と」


 そこで黒板に数式を書いていく。一様重力下の粒子の作用を書き下した形だ。


「結論はこれです。今書いた量を最小にする経路が、さっきのボールがとった経路です。そしてその経路を記述する方程式とは、よく知られている運動方程式のことです。私が発表する理論は、運動方程式と等価な物理法則の記述方法として、変分という道具を導入することになります」


 新しい記述方法が生まれれば、そこからさまざまな考えも生まれていく。等価であることは、元の理論より価値がないことを意味しない。だがそれは研究者の理屈だ。これを見ている貴人らに直観的に価値を理解してもらうには、これでは足りない。それに、研究者にとっても価値を示さねば研究が進んで行かない。だからここからが腕の見せ所だ。……と言っても既にクルト教授に入れ知恵されているのだが。


「等価な理論であれば、運動方程式さえあれば良いだろうと思われるのはごもっともです。理論に別の見方が生まれるとはいえ、得られるのが同じ結論だけでは面白いとは思われない方もおられるでしょう。しかしこうだったらいかがでしょうか。この理論は、運動方程式という結論を、ある種の必然性から導くことができます。具体的には系の対称性というより基本的な仮定から、運動方程式を導く可能性を秘めています」


 正直な話この辺は割と盛って話しているが、まあ全くの嘘ではない。系の対称性を物理法則探索の新たな道具として取り入れられるというのは重要な点だ。運動方程式の力に相当する部分はちゃんと示せていないので片手落ちだが。多少の誇大広告には目をつぶっていただこう。

 俺は先ほどのボールを拾い上げて、机の上で転がす。


「外から力が加わっていないボールは等速直線運動をします。これは運動方程式から予言されることです。これを変分から説明しましょう。先ほど作用の表式を書きましたが、重要なのは積分の中身です。これはラグランジアンと呼びます。ラグランジアンがあれば作用が求まり、作用が求まれば作用を最小にする経路を見つけることで運動が記述できるのでした。そこでラグランジアンはどう得られるかを考えたいというのが次の話です。ここで対称性からラグランジアンとして許される形が制限されることを説明していきましょう」


 俺は黒板に時間並進、空間並進、空間回転、慣性系変換(ガリレイ変換だが、この世界ではこの呼び方が普通らしい)でラグランジアンが不変と書き、矢印でmv^2/2と書いた。


「この四種類の変換で、作用の変分を変えないという意味で不変なラグランジアンは、これの定数倍に限られます」


 正確にはローレンツ対称性を課すべきだし、ガリレイ変換では時間全微分の分のラグランジアンの変化があるので不変という言い方は適当でない。だがまあ、そういう細かい部分は論文を読んでもらえば良いのだ。ここは割り切って説明させてもらう。


「作用が最小、正確には極小ですが、になるという条件は、微分の類推からわかるように作用の変化量が0になることに帰着されます。そして次のように作用の変分を変形していくと……作用の変分が0になるという条件から、このように力がはたらかない場合の運動方程式が再現されました。これが一つの応用例になります」


 黒板に数式を書き連ねていって、一つの結論を出す。ここの計算もまあ数学的な正当化は大変な部分だが、限られた時間での発表なので省略させてもらった。重要なのは、俺が変分という新しい数学的な道具を使って、これまでにない理論を説明しているというのをアピールすることだ。


「系の対称性という考え方は、運動方程式を導くことだけに使えるわけではありません。実は、系に対称性があればそれに対応して保存量が存在することも、このラグランジアンを使えば説明できてしまいます。例えば、系に空間並進対称性があれば、その系は運動量を保存することが示されます。時間並進対称性があれば、その系はエネルギーを保存します。他にも色々な対称性に対応する色々な保存量が存在します。この理論はその意味でも物理法則に新しい見方を導入することになります」


 さて、必死だったからあっという間だったが、そろそろ発表の持ち時間が終了だ。

「以上が私の発表のアイデアとその理論物理学における価値の例でした。この理論は私の知識だけではまだ穴があり、特に数学的な正当化という点において議論の余地が残されています。物理への応用も多く、私が紹介できたのはほんの一部です。もっと言えば、魔力に関しては私もこの枠組みでどう記述すれば良いかわかっていない状態です。それらの点を今後の研究課題として、今回の発表は締めさせていただきます。ご清聴ありがとうございました」


 パチパチと拍手が上がり、俺はホッと一息をつく。だが忘れてはならない。


「ありがとうございました。それでは質疑応答に入ります。質問のある方は挙手をお願いします」


 俺はその瞬間、待ってましたと言わんばかりにスッと手を上げる人々を見た。そう、学会発表につきものなのは、質疑応答である。これもまた限られた時間内ではあるが、専門家からきっちりと質問が飛んでくる。ましてや新しい理論ならそれ相応の数の疑問が飛んでくることは想像に難くない。俺はここからの質問の嵐を想像して気を引き締め直すのだった。

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その転生者は異世界魔法を解き明かしたい @shirogane_moto

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