第19話 論文と魔力への考察

 まさか異世界で論文を書くことになるとは。人生は何があるかわからないものだ。


 俺は今これからの研究のために自分の存在を知らしめるべく、解析力学についての論文を書いている。もちろん異世界知識だ。

 クルト教授に説明したような変分原理の内容はもちろん、系に対称性がある場合に保存量が存在するという定理や、対称性からラグランジアンを定めるという手法までを一通り書いた。そしてこの世界では工学のために既に地球の出身者からもたらされているのだろうと予想される、マクスウェル方程式という電磁場を記述する微分方程式も解析力学の考え方で説明できることを記した。


 頭の中にある程度記憶があるとはいえ、教科書を参照できない状態で書いていくのは大変だった。とはいえ今後自分がやるべきことはこれよりも一段上のことだ。自分で誰も知らない結果を見つけて、それを他人が理解できる形にして世に出す。研究者というのはすごいものだ。

 ちなみに定理の名前はリスペクトを込めて元の世界での名前にしておいた。謝辞にもちゃんと異世界知識であることを記載済みだ。研究者の端くれとして、状況が状況とはいえ剽窃はしたくない。


 しかしマクスウェル方程式の話をするためには特殊相対性理論がないと不十分になるんだよな。この体系の説明は大仕事になるし、この世界の実験の進み具合によっては実験結果から自力で積み重ねないといけない可能性すらある。電磁気学が発達していることにかけてまた論文を探してみることにするか。



 論文を書いていてふと思ったのだが、魔力とは一体何なのだろうか。

 定説では魔力粒子というものがあり、それが消費されることでエネルギーとしてこの世界に干渉すると言われている。だがここで気になるのは、魔力は本当に粒子なのかということだ。

 元の世界でも、熱の正体は長らくわかっておらず、熱素という粒子が媒介するものだと思われていた時期もある。今でこそ熱とは粒子の運動であるとわかっているが、それと同様のことが魔力に言える可能性がある。つまり魔力は粒子ではなく、何か副次的なものという可能性もあるのだ。


 そもそも魔力の正体が粒子だとした場合、それが消滅してエネルギーの形となるというのはおかしい話だ。相対性理論によると、質量はエネルギーと等価である。E=mc^2の式を考えれば、質量をもつ粒子が消滅することで生じるエネルギーは膨大だ。魔力の正体がわかっていない以上断定はできないが、そんなエネルギーをまともに制御できるとは考えにくい。


 それと魔力の伝達速度も気になってくるな。もし光速で伝わる魔力現象があるのであれば、それは魔力粒子に質量がないことの証拠になる。質量をもつ粒子は光速まで加速することはできない。これもまた相対性理論から言えることだ。


 いずれにしても、現代の素粒子論的な観点からざっと考察しただけで魔力の定説にはいくつも疑問が出てくるものだ。こうした疑問に複数人であたるためにも元の世界の知識をこっちの世界に広めることは大事なのだろうな。


 とまあそんなことを考えて後で考えたいことリストに書き留めつつ、論文を執筆していったのだった。



 二週間後、まだ出版には早いがおおよそまとまった内容が書き上がった。当初入れる予定だったマクスウェル方程式の話は、特殊相対論の話について端折ることにした。まあ変分で基礎方程式が書き下せるというだけで十分だろう。ローレンツ共変性とゲージ不変性でラグランジアンを決定する話は後回しだ。

 そして今クルト教授に読んでもらっているところだ。論文のタイトルは「変分原理を用いた新しい物理学の基礎法則の記述方法」だ。


「ふむ」

「……どうですか?」

「正直言って私の知らないアイデアが多すぎて処理しきれていないところはあるが、ここに書いてあるのはどれも革新的なことばかりだ。これだけあればこの世界の研究者達がどんどん発展させていくだろう。だがうん、我々に受け入れやすいようにもう少し説明に段階を踏む必要はあるな。」

「……ということはこの内容で世に出せそうですか?」

「もちろんだ。来月の学会に間に合わせるために忙しくしてもらうぞ」

「ありがとうございます! 良かった……」

「礼を言うのはこちらの方だ。君もこの短期間でよく書き上げてくれた」

「礼ならあっちの世界の偉人に言ってあげてください」


 例え自分の発見ではなくとも、こうして論文を世に出せるのは嬉しいものだ。これが世間に受け入れられれば俺はもっと研究しやすくなるだろう。……いや、逆に身動きが取れなくなる可能性もあるな。そこに先手を打つためにも魔力に関する考察を書き上げて魔法の研究に貢献できる可能性を示さなければ。元の世界の物理も好きだが、こうして目の前に未知の物理法則があって研究したくならない物理学者はいないだろう。


 だがそれはもう少し先の話だ。まずは目の前の仕事を片付ける必要がある。

「とりあえず赤を入れておいたからこの辺をもう少し修正してくれ。あとは学会での発表に向けて想定される質問への返答も考えておくように。これだけ革新的な内容だと質問が飛び交うだろうからな。数学的な部分の整理もきっちり頼むぞ」

「……」

 こりゃあこれから大変になるぞ、と思った。どの世界も、論文の執筆は一仕事なのだ。



 論文の内容と向き合いながら、元の世界の物理法則――この世界の魔法以外の物理法則と言っても良いだろう――と魔法の違いも考えていた。魔力操作の練習をしながら色々と試したり考えたりしていると、たくさんの疑問が湧いてくる。


 例えば魔力を素粒子だとした場合、魔力固有の物理法則というものがないのは不自然だ。どういうことか説明しよう。自然界にある根本的な力は重力、電磁気力、強い力、弱い力の四つだ。これらの相互作用はそれぞれの力を媒介する素粒子である各種ゲージ粒子によって生じている。

 それぞれの力は異なる物理量に対して作用する。重力であれば質量、電磁気力であれば電荷や電流だ。ではのだろうか?


 魔力が電磁気力や熱的な作用を再現することができるのは良く知られた話で、まだ試した人はいないようだが魔力で強い力を再現することもできる可能性が高い。

 ちなみに重力は過去の英雄が操作できていたようだが、現代では失伝した技術だ。正確には弱すぎて操作しても十分な作用にならないのだろう。だが重力は時空と密接に関わっているから、この魔法が元の世界に戻る方法を見つける鍵になっている可能性はある。まあこれは先の話だ。


 話を戻すと、魔力のみによって引き起こされる現象というものがなく、魔力は既存の物理現象の再現をする能力しかないように思えるのだ。これは素粒子論的に考えてとてつもなく不自然なことだ。まるで魔力だけが後からとってつけられたような……。

 まだ見つかっていないだけかもしれないが、魔力に特有の力が存在しないのだとしたら、そこも魔法の存在以外は元の世界にそっくりなこの宇宙の謎が隠されているかもしれない。


 とまあ、魔力という存在に触れただけで元の世界の知識からここまでたくさんの可能性が思い当たるのだ。本格的に研究し始めたらこれどころじゃないだろう。楽しみであると同時に、俺が生きているうちには解決できないのではなかろうかと不安になる。

 だが結局寿命が短い人類はこうして一人一人が少しずつ知識を積み上げて前に進むものだ。俺の一生がそれに少しでも貢献できるならそれで満足しようではないか。......貢献する人類が異世界の人類になるとは考えもしなかったが。

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その転生者は異世界魔法を解き明かしたい @shirogane_moto

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