Let's Roll.

きょうじゅ

聖戦

 アッラーフ・アクバル。アッラーは偉大なり。本日2001年9月11日8時42分、約30分の遅れを経てようやく空港を離陸したユナイテッド航空93便のファーストクラスのシートの上で、僕は繰り返しそう呟いた。


 今日、計画は決行される。我らアルカイダの司令官アミールウサマ・ビン・ラディン師の指導のもと、僕たちは聖戦ジハードを為し、悪しき米帝にアッラーの鉄槌を喰らわせるのだ。今日この日のために、僕は祖国を捨て、父母を捨て、そして最愛の弟にさえ別れを告げた。


 僕の名はアフマド・アル=ハズナーウィー。1980年生まれ、20歳。同じ機に、仲間はあと三人乗っている。僕と同じサウジアラビア人が二人と、僕らの中で唯一航空技術の訓練を受けている、レバノン人のズィアド・ジャッラーフだ。事実上、ズィアドがリーダーを務めることになる。


 しかし本当はリーダーは彼ではなかった。モハメドという別の人間がリーダーになるはずだったのだが、モハメドは先月、フロリダの空港でアメリカへの入国を拒否されてしまい、今日の作戦を共にする他の三つのグループが各五人でハイジャックに当たるのに対し、僕らだけは四人で計画を遂行しなければならなくなったのである。


 さて、離陸から既に三十分以上が経過している。ズィアドはまだ作戦決行の合図を出さない。予定通りに計画が進んでいるのなら、おそらく他の機は既に、ニューヨークのワールドトレードセンターに突入しているはずだった。と。僕らのいる席は最前列のファーストクラスだからコックピットの物音が聞こえてくるのだが、鋭く、こんな声が聞こえた。もちろん英語によるものだ。


「飛行機が二機、ハイジャックされてワールドトレードセンターに突っ込んだ、だと。その情報は本当か。こちらユナイテッド航空93便。再度の応答を求む」


 まずい。いや、計画が半分まで成功したことはよみすべきことであるが、この情報がこの機のコクピットに伝わってしまった、ということはいかにもまずかった。これでは機長以下クルーたちが警戒してしまう。そんなことは僕にだって分かる。僕はズィアドの顔を見た。ここで、ようやくズィアドが反応した。


「作戦を決行する。アッラーフ・アクバル」

「アッラーフ・アクバル」


 僕たちは四人同時に、コクピットに侵入した。あいにく銃は持ち込めていない。ナイフだけだ。相手はもちろん全員素手だが、激しい抵抗を受けた。


「おい! 出ていけ! 貴様ら、ここから出ていけ!」


 こちらは武器を持っており、そして四人いる。制圧できない、ということはなかった。ただ、悲鳴を含む大きな声がいくつも、客席の方に伝わってしまった。こんなはずではなかった。もっと静かに事は進められるはずだったのだ。


 しかしどうにかして操縦席を奪い取るのには成功し、ズィアドが操縦桿を握った。機はこれからホワイトハウスに向かい、そしてそこに突入しなければならない。僕らとともに。アッラーフ・アクバル、アッラーは偉大なり。


 だが。乗客たちがにわかに騒ぎ始めた。この機には、我々を除くと三十三人の乗客が乗っている。仲間の一人が、乗務員から奪った通信機を使って、機内にこう告げた。


「皆さん。我々はハイジャック犯で、爆弾を持っています。ですが、機長は無事です。あなた方も無事でいたいのなら、その場で静かに座っていなさい」


 なお、実際には爆弾など持ってはいない。アドリブで、ハッタリだった。しかし、それが本当だろうと、嘘だろうと、乗客たちには関係がないようだった。乗客たちは手に手に通信機器を持っている。携帯電話。最近、急速に普及しているものだ。我々にとっても貴重な道具だったが、しかし今この場では、乗客たちが外部に連絡を取るのを、我々は止める手段を持たなかった。相手は三十三人おり、そしてこちらは、操縦桿を握っているズィアドを除けば、三人しかいないのである。


「コックピットのドアを閉めろ! アフマドは外を守れ! 他の二人は、内側を固めろ!」


 ズィアドからの指示が飛んだ。僕は乗客席の側に残り、ひとりで乗客たちの動静に注目することになった。


「みんな! 聞いてくれ、大変だ! ニューヨークのトレードセンタービルと、ペンタゴンに飛行機が突っ込んだそうだ! きっとこの機も同じだ! このままだと、この飛行機もどこかに突入させられるに違いないぞ!」


 乗客たちの騒ぎは最高潮に達した。僕の頭では、この状況を抑えられる言葉を今この場でひねり出すことはできなかった。


「なあ、俺たちは多分、この機の中で死ぬことになるだろう。だったら、決めようじゃないか。戦って死ぬか。戦わないで死ぬか。投票だ。俺は、戦う方に投票する。戦う奴は、手を挙げてくれ」


 次々に手が上がった。僕は状況を、ズィアドに向けて報告する。僕の言葉はほとんど悲鳴であった。ズィアドはこう言った。


「いざとなったら、非常用の斧が機内にある。それを使え」


 そんなことを言われても。相手はみんな素手かもしれないが、しかし何十人もいて、こちらには肝心な銃が無いんだぞ。


 投票の結果は、戦う、ということに決まったようだった。誰かの声がこう言った。


Let's Roll.やってやろうぜ


 乗客たちが立ち上がり、こちらに向かってくる。女の声が遠くから聞こえた。


「みんながファーストクラスの方に向かって走ってる。私も、行かなくちゃ。それじゃあね。さよなら」


 ズィアドはただ手をこまねいていたわけではなかった。機が左右に大きく揺れ始める。乗客たちの動きを阻害しようとしているのだろう。しかし、決死の覚悟を決めた三十三人の戦う者たちを、それで止められるかと言えばそれは無理だった。


 僕はいちおう斧を構えたが、乗客相手にそれを振り下ろす前に、取り囲まれて袋叩きにされた。斧を奪われる。


「アフマド! 状況を報告しろ!」


 ズィアドが叫ぶ。僕は死ぬ思いで叫び返す。


「駄目だ! もう無理だ、乗客たちを止められない!」

「じゃあ、これでおしまいなのか? 俺たちはこれで終わりにしなきゃいけないのか?」


 仲間の一人が叫ぶ。


「まだだ! 奴らがコクピットに入ってきたら、奴らをおしまいにしてやれ!」


 乗客たちもまた叫ぶ。


「操縦席に乗り込め! でないとみんなここでくたばるしかなくなるんだぞ!」

「やっちまえ!」


 数には勝てない。ドアが破られた。さっき叫んだ仲間の一人の脳天に、乗客の一人が斧を振り下ろした。おそらく即死だ。


「おしまいか! おしまいだな、機を落とすぞ!」


 ズィアドが叫ぶ。


「仕方ないな。落とそう」


 もう一人の仲間が叫ぶ。


「落とせ! 落とせ!」


 僕も叫んだ。機は逆さまになり、落下を始めた。もともと、ここに来るまでに高度はかなり落ちていたのだ。


「アッラーフ・アクバル! アッラーは偉大なり! アッラーは偉大なり!」


 僕が叫んでいるのか、仲間が叫んでいるのか、もう自分でも分からなかった。


 機はまもなく、大地に激突する。全員が死ぬだろう。


 アッラーフ・アクバル。アッラーは偉大なり。

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